第7話 プランタジネット公爵
従姉のクロエが部屋にやってきて、夕食の時間だと告げた。
クロエはとてもご機嫌が良さそうで、にこにことしながら、綺麗な赤い髪を指先でいじっていた。
「叔父様がお待ちかねよ」
「それは……つまり」
「あなたのお父様」
なるほど。
当然だけれど、このレノという少年には父親がいる。
プランタジネット公爵家の当主だ。
前世の僕は幼い頃に商人の父を亡くした。
そして大魔法使いデュ・ゲクランに引き取られた。
デュ・ゲクランは親というより師匠だったし、僕は父親というものをよく知らない。
だから、これからこの少年の父親に会うのも、少し緊張する。
クロエはくすっと笑った。
「そっか。記憶をなくしているから、叔父様のことも覚えていないのね」
「うん」
「心配しないで。叔父様は優しい人だから。少し、変わっているけれど」
「変わっているの?」
」
「ちょっぴり、ね」
僕はクロエに連れられて、部屋の外に出た。
廊下には赤い絨毯が敷き詰められていて、贅沢な装飾品が数多く置かれている。
さすが公爵家。
「そうそう、私のこと、どういうふうに呼ぶ?」
たしかにクロエにどう呼びかければいいか、わからなかった。
クロエは従姉だから、姉のように呼びかけていたんだろうか?
「記憶を無くす前の僕はどう呼んでいたの?」
「どうだったと思う?」
「ええと、ね、姉さま?」
と僕が言うと、クロエは笑った。
「レノったら可愛い。そういうふうに呼ばれるのも新鮮でいいかも。でも、ハズレ」
「じゃ、じゃあ、お姉ちゃん」
「うん。それもあり!」
ということは違うのだろう。
僕はしばらく考え、「クロエ」と小さく口にした。
「正解」
そう言うと、クロエはくしゃくしゃっと僕の頭を撫でた。
従姉であっても姉ではない、というのがクロエの言い分で、だから呼び捨てでいいのだそうだ。
なんとなく、レノ少年とクロエの関係がわかった気がする。
クロエは親切に屋敷のあちこちを解説してくれて、だいたいの構造も把握できた。
建物は二階建てで、二階に僕とクロエ、そして当主の寝室がある。
一階には応接間や食堂、そして使用人の寝室がある。
といっても、使用人はたった三人だけらしい。
僕が生きていた四百年前と違い、貴族が大勢の家来を従える、ということはなくなったそうだ。
「今は市民の時代だから」
「市民の時代?」
「一人ひとりが、その能力によって、成功をつかむことができる時代になったってこと。貴族でも平民でも、力のある人が偉くなるの」
「へえ。なら、王様は?」
「国王陛下は別よ。賢者ユーグとエミリの子孫だけがなれる、至高の座だから」
けれど、クロエの説明では、どうやら王には昔ほどの権限はないらしい。
政治を行うのは国王の任命した首相たちだ。そして、国民の代表を集めることで「議会」が作られ、法律を決めている。
すごい時代になったな、と思う。
王が国を治め、大小の貴族が領民たちを暴力的に支配していた時代とは違う。
食堂につくと、白い布の敷かれた大きなテーブルがあった。
豪華なシャンデリアが天井にはつけられている。
と、奥から一人の若い男性がやってきた。
白いエプロンをつけていて、ついでに白い帽子もかぶっている。
使用人なんだろう。
手には小皿を持っていて、野菜や肉の前菜が綺麗に盛り付けられている。
「レノお坊ちゃま、クロエお嬢様。どうぞおかけください」
「あ、ありがとう」
僕は慌てて席に腰をおろした。
男性が丁寧に僕にナプキンをかけてくれる。
一応、前世の僕は貴族だったとはいえ、平民出身で、最後まで貴族らしい生活を送ったことはなかった。
だから、こんなふうに生まれながらの貴族として扱われるのは新鮮だ。
ところが、クロエはなぜか椅子に腰掛けず、立ったままぴくぴくと眉を震えさせていた。
料理服姿の男性がうやうやしく頭を垂れ、「何なりとお申し付けください」と言う。
だが、その目は笑っていた。
クロエが急に声を上げて笑い始めた。
「もう、この屋敷の人はいたずら好きなひとばかりなんだから。叔父様! レノをからかうのはやめてください」
叔父様?
僕はあたりを見回したが、他に人はいない。
とすると……。
目の前の男性はにっこりと笑い、白い帽子を外した。
その髪は、燃えるような赤だった。
まだ三十代前半ぐらいの若さだが、よく見るとその顔には気品があり、貴族然とした優雅さがあった。
「悪いね。レノが本当に記憶喪失なのか、確かめたかったんだ」
僕はあ然とした。
料理を持ってきた使用人風の男性が、プランタジネット公爵だという。
「はじめまして、といえばいいのかな、レノ。私がプランタジネット公爵ベルトラン。君の父親だ」
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