第5話 従姉と魔法

 メイドのリィネは僕――転生先の貴族の少年レノと「将来を誓いあった仲」なのだという。

 それって、つまり……。


 リィネはせつなそうに目を伏せた。


「身分違いの許されざる愛。決して叶うことのない悲恋。わかっていながら、わたしとご主人さまは禁断の関係に……」


 僕は衝撃を受けた。

 まさかこのレノ・プランタジネットという少年と、メイドのリィネがそんな深い仲とは!

 まだ10歳そこそこで、しかも主人とメイドという関係なのに!

 さすが400年後は違う。


 僕はデュ・ゲクランのもとでずっと過酷な魔法の修行をしていて、その後は魔王討伐の旅に出た。

 仲間のエミリのことは好きだったが、片思いのまま。


 というわけで、恋人とかそういう存在がいたことはない。

 僕はレノ・プランタジネットに対して、しょうもない、しかし深刻な嫉妬を感じた。

 

 ただ、今のレノ・プランタジネットとは僕のことなのだ。


「ご主人さまが生きていてくれてよかったです。たとえわたしのことを忘れてしまっても……」


 そして、リィネは僕に小さな唇をそっと近づけた。

 キスをされるのかと思って僕は激しく動揺した。


 僕の中身は別人だし、相手は12歳の少女だ。

 これは止めないとまずいんじゃないだろうか。


 僕は深刻に悩み、ふとリィネの目が笑っていることに気づいた。


 ばん、と部屋の扉が勢いよく開けられる。


「リィネ! なにやってるの!」


「あら、クロエお嬢様」


 ぴょんと飛び跳ねるようにリィネは僕から離れた。

 そして、扉を開けた来訪者に向き直る。


 赤色の髪を長く伸ばした10代半ばぐらいの少女がそこにはいた。

 どことなく、このレノという少年に似た見た目で、動きやすそうな軽装のドレスを着ている。


 活発そうな印象の黄金色の瞳がリィネを睨みつけていた。

 そんな少女にリィネはへらりと笑って見せた。


「いつからご覧になっていました?」


「一部始終。記憶喪失の病人をからかうなんて、冗談がすぎるわよ」


「すみません。少し調子に乗りすぎちゃいまいした。ご主人様が可愛くって♪」


 はあ、と赤髪の少女はため息をついて、そして僕に近寄った。

 そして、彼女は身をかがめて、僕の瞳を心配そうにのぞきこんだ。


「この子が言っていたことは全部嘘だから」


「は、はい……?」


「リィネはあなたをからかっていたの。レノはおとなしい子で、リィネとなにかあったりなんてしないから安心していいわ」


 そうだったのか。

 僕は安心し、それからちょっぴり残念に思った。


「全部嘘っていうのは違います。わたしはご主人様のことが大事ですし、目が覚めてくれてよかったというのも本当ですよ?」


「それは知っているわ。でも、レノのことを大事に思っているのは、私も同じ」

 

 そして、赤髪の少女は僕の頬に手を当てた。

 ひんやりと心地よい感触がする。


「私はクロエ。あなたの従姉よ」


 なるほど。

 道理で僕と見た目が似ているわけだ。


 近くで見ると、クロエはけっこう美人で、僕はどきどきした。

 クロエは15歳だそうで、今の僕よりも3つ年上だ。

 だから、それなりに女性らしい雰囲気があって、なおさら僕を動揺させた。


「本当に……記憶がないのね?」


「……うん」


「そう。でも、きっとすぐに戻るわ」


 突然、クロエは細く白い腕を伸ばすと、ぎゅっと僕を抱きしめた。


「ともかく、目が覚めて本当に良かった」


 クロエは華奢だけれど、それでも体は年頃の女の子らしい丸みを帯びていて、僕はその柔らかい感触にくらりとした。

 甘い香りがする。


「ああっ。それ、わたしもやりたいです!」


「リィネ……。レノが目を覚ましたこと、叔父様に報告した?」


 言われて、リィネは「おお」とつぶやき、ぽんと手を打った。


「忘れていました」


「リ・ィ・ネ?」


「す、すみません。すぐ旦那様に知らせてきますから!」


 リィネは急いで部屋から飛び出そうとして、スカートの裾を踏んづけて盛大にコケた。


「ううっ……」


 入り口の柱にしたたかに頭をぶつけたようで、リィネは床に膝をついたたまま、泣きそうになっていた。

 どうも唇を切ってしまったようで、けっこう派手に血を流してる。


 クロエは慌てて僕を離し、立ち上がってリィネのほうへと行った。

 ……もう少し抱きしめられたままが良かったのだけれど、仕方ない。


 クロエはリィネに手を差し伸べた。


「大丈夫? すぐに止血するから」


 クロエは公爵の一族で、リィネは使用人だ。

 けれど、クロエはリィネの身を気遣っている。


 貴族にありがちな選民意識はクロエにはなさそうだし、この公爵家は良心的な一族なのかもしれない。


 ただ、この程度の怪我を治すのであれば、止血なんてまどろこっしいことをしなくてもいいのに。


 僕は不思議に思いながら、立ち上がって、リィネに手をかざした。


治癒キュラティフ !」


 ごく簡単な治癒魔法で、リィネの怪我はあっさりと治った。

 ついでに痛みも消えているはずだ。


 リィネはきょとんとした顔で、クロエはぎょっとした顔で僕を見つめていた。


「レノ……いま、何をしたの?」


「何って……魔法を使ったんだんだけど」


「杖もなしに、あの短時間で魔法を使ったの!?」


 クロエに肩をつかまれゆさゆさとゆさぶられて、僕は気づいた。


 どうやら400年後の世界では、魔法はずいぶんと衰退しているらしい。

 そして、僕はクロエの足元を見て、息を呑んだ。


 クロエには影がなかったのだ。

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