第44ミッション プロポーズ

 枕元に置いてあった服を着るK。ベッドから下りれないとはいえ、素っ裸はまずかった。佇まいを整え彼女が来るのを待った。Jに案内されて里桜が部屋に入ってくる。Kの無事な姿を見て目に涙を滲ませる里桜。お互いの容態を確認して、Kの謝罪も済ませて、いよいよ話を切り出す。


「里桜、大事な話がある。とても大事な話だ」


 一呼吸置いて『別れてくれ』という言葉を捻り出そうとする。だが、一歩踏み切れない。迷う心が後ろ髪を引っ張っている。


「俺と……別れてくれ」


 声は裏返らなかったが、唇は震えていた。怖くて里桜の顔が見れなかった。悲しんでいるか、驚いているか、それとも怒っているのか。


「別れるって、どうして?」


「君に俺の正体がバレてしまったからだ。エージェントであることは家族や恋人であっても明かせないんだ」


「それは、絶対なの?私誰にも言うつもりはないわ……」


「秘密は厳守しなければならない。君は知りすぎた。それに……」


 これ以上は言いたくない!だが、言わないと……。里桜を『振らなければ』!


「そもそも君と付き合っていたのは『気まぐれ』なんだ。だから、もう終わりにする」


「気まぐれ?」


「ああ、そうだ…」


 里桜の声が低くなった。Kはまだ彼女の顔が見られなかった。


「あなたから告白して付き合っていたのに?」


「そうだな。すごく『好みのタイプ』だったから、ついな…」


「部屋を用意して、一緒に暮らしていたのも?」


「俺も、ずっと一人で寂しかったんだ。だから『同棲ごっこ』に興じるのも悪くないと思ってな」


 俺は今どんな顔をしているのだろう。女性をこっぴどく振るなんてした事ないが、側にいい手本がいたからできると思っていた。だが、ダメだ。泣きそうになる。もっと己を『偽ら』ないと……。


「君と過ごすのは楽しかったが、そろそろ『飽きて』きた。俺はあの部屋を出ていくよ。君はそのまま住み続けてもいいし、出ていっても構わない」


 Kの演技は終わった。里桜は顔を伏せて黙っている。泣かせてしまっただろうか?それでいいんだ。『最低な男』だったと過去の事にできなければ、引きずってしまう。沈黙が続く中で、それを破ったのは里桜ではなくKであった。


「これは!……その、元カレとしての意見なんだが、もし次に好きな人ができたら、相手の事はちゃんと見極めた方がいい」


 Kは堪らず忠告してしまう。不幸体質な里桜の今後が気になってしまったからだ。


「例えば、どんな人だったらいいの?」


「君の事を一番に考えて、愛してくれる人。君がどんな不運に見舞われても、先を読んで、回避して、守ってくれる人だ」


「そんなスーパーマンみたいな人いるかな?」


「それと、マカロンが認めてくれる人間でなければダメだ。彼は本当に鼻がいい。人を見抜く力は卓越している。判断材料にするといい」


「そう……」


 何を言っているんだ。未練たらしい。本当は言いたい。そんな男はいない!俺が一番君を愛していると!いけない。だめだ!だめだ!だめだっ!


「ねぇ、リチャード。答えて欲しいんだけど、……」


 目を固く閉じ伏せていた顔を上げて、里桜の方を向くK。里桜はポケットからあるものを取り出した。


「『気まぐれ』で付き合っていたのに『これ』を用意していたの?」


 里桜の掌にあったのは、二つのリングだった。ネックレスチェーンに通してあり、Kが肌身離さず持っていたものだ。


「結婚指輪だよね?私達の『名前』が刻まれてる」


「あっ、いや……それは」


「これを渡して、喜ぶ私の様子を見て楽しむつもりだった?」


 動揺するKをからかう里桜。彼女の態度は平静で、Kの『嘘』を見抜いているようであった。


「Jって人が教えてくれた。あなたには色んな『顔』と『名前』があるけど、『リチャード・ムーア』は本当の名前だって……」


 Kには名がない。だが、仮の戸籍と名は与えられていた。それが、『リチャード・ムーア』であり、Kの『本当の名』だ。


「リチャードは、私に対しては最初から『本当の自分』でいてくれたんだよね?私と『本気』で付き合っていたんだよね?」


 里桜はチェーンを外してリングを取り出す。Kの左手を引き寄せる。


「リチャード。私と……ずっと一緒に生きてくれる?」


 里桜はKの薬指に指輪をはめる。Kの目尻からは自然と涙が零れた。情けなく、みっともなく、カッコ悪かった。それでも里桜からのプロポーズに感激してしまった。


「ずるいぞ。俺からプロポーズしようと思っていたのに……」


「知ってる。気を失う前にそう言ってたね」


 声に出ていたのか。だったら今までの猿芝居も『嘘』だとバレていたのだ。重ねて恥ずかしい。


「俺で、いいのか?君の『不運』が増してしまうかもしれないぞ」


「そうだとしても、『幸せ』の方が大きいから気にならないわ」


 里桜はもうひとつの指輪を差し出す。Kはそれを手に取り、里桜の薬指に通した。里桜と目が合うと彼女は幸せそうに微笑む。Kは里桜と口付けを交わし、里桜を抱きしめた。


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