第43ミッション 別れ

『待って!行かないで!私と一緒に逃げましょう!二人だけで生きていこう!』

『逃げ切れないさ。奴らを壊滅しないと平穏は訪れない』

『そんな……』

『戻らなかったら、俺の事は忘れて生きてくれ。けど、もしも戻れたら俺と一緒に生きてくれ』


 これは何のシーンだったか?ああ、里桜と見たドラマのラストか。彼は自分をスパイとして仕立て上げた組織を潰すために単身乗り込んで、そのまま帰らぬ人になってしまった。

 何故、最後はああなってしまったのか?やはり、スパイ活動の間に犯してきた罪を清算させるためには、『死』を持って償うしかなかったのか?

 スパイとは、そんなに後ろめたい職業だろうか?確かに俺達の行動は人の内情を探り、監視し、時には荒事を起こす事もある。盗みを働き、会話を傍受し、弱味を握って脅す事もある。公には明かせない活動を国家公認で行う組織。それが諜報機関だ。

 だが、俺達が潜入したことで防げた犯罪もあった。蜘蛛の巣のように張り巡らされたシンジケートを、一つでも多く潰す事で食い止められた悲劇もあっただろう。

 もう8年近くエージェントとして活動しているが、俺は後ろめたさを感じた事はない。これが俺の『仕事』。

 エージェント『K』としての『顔』だ。


 Kの瞼はゆっくりと開かれ、光が瞳孔を広げる。まだ物の輪郭をはっきりと捉えていないが、部屋の中で横たわっている事は把握した。


「目が覚めたか……」


 霞む視界がはっきりすると、金髪の男がKを見下ろしている。Jだ。染めて綺麗なブロンドの髪に碧眼。Kと違って目を惹く綺麗な顔立ち。モデルや俳優になれそうなほどハンサムだが、彼は実際に俳優として活躍している。スタントマンなしの激しいアクションや多才な演技が評判で、デビュー当時から注目を集め、様々な役をこなしている。

 表で顔が知られているので、諜報員としての仕事は裏方が多いが、著名人や富豪などの特別なパイプづくりが可能なため、組織内でも重宝されている。


「『先読みのK』が無様だな。その二つ名は返上するか?」


 いつも通りの皮肉だ。綺麗な顔はにやけ面に歪む。その顔に安堵を抱きつつ状況を確認する。Kを襲ってきた奴等はやはりマフィアだった。ネイサンの逮捕を受けて麻薬を回収しに来ていたが、薬の隠し場所は本人か情報を奪取していた我々しか知らないはずだった。


「どうやら、Φ(ファイ)が情報を横流ししていたらしい。二重スパイって奴だな。組織の採用基準も温くなったもんだ」


 Jの皮肉にKは触れずにおく。諜報機関といっても所詮は組織であり、人が運営するもの。状況と心境に応じてエージェントが『寝返って』しまうのは、残念ながらあることだ。だが、Φ(ファイ)の場合は最初からスパイとして潜入していたらしい。彼の事については、これから尋問と処分がなされるだろう。


「それよりも、K。お前は他に気にかける事があるんじゃないのか?」


 確かにそうだ。真っ先に『彼女』の事を聞きたかったが、Jの手前聞けなかった。


「里桜は無事だぜ。ちゃんと保護してる」


 里桜の安否を確認できて安堵するKだったが、Jが彼女の名前を知っている事に眉をひそめる。


「里桜と話したのか?」


「いいや、彼女の事なら前から知っていた。『調べた』からな」


「え?」


「雲内里桜。20歳。6月14日生まれ。血液型A。身長155cm、体重46kg。スリーサイズは87、62、78ってところか?」


「違う。91、62、78だ」


「ひゅー!そんなにあるのか!」


 ……しまった、これは極秘事項トップシークレットだった!くそっ!誘導尋問か!口を割ってしまった事に苦悶するKをJは笑いを堪えながら見る。


「お前がやたら日本に行くから調べてみたんだよ。お前に限って裏切りはないと思っていたが、理由を知って納得した。かわいい彼女に会いに行ってたんだな~」


 揶揄われて苦い顔をするK。いつからバレていたかは想像がつく。アジア圏への異動があまりにもスムーズだった事を考えると、その頃には調べが着いていたんだろう。


「悪いが、状況が状況だったから、お前の事は話させてもらった」


「そうか……」


「どうするんだ?」


「けじめは着ける」


 Jはそれ以上は何も聞かずに部屋を出ていった。里桜が来るまでの間にKは覚悟を決めていた。エージェントにとって、己の職業や仕事内容は例え家族であっても明かせない。自分が『諜報員』だと自己紹介するエージェントはいないのだ。今回の件で里桜に正体がバレてしまった。しかも『最悪』の形でだ。里桜を危険に巻き込み、怖い思いをさせた。

 前から感じ取っていた事がある。俺と一緒にいたら、里桜の『不運』は増してしまうのではないか?今まで彼女の身に降りかかっていたのは『小さな不幸』だった。だが、俺と会ってからは身の危険に晒されるほどの『不運』が多くなった。どんな『不運』でも俺が何とかすればいいだけだと、自惚れていた。その自尊も折れた今、Kが取るべき行動は一つだった。


 里桜と、別れる事だ。


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