第34ミッション 憤怒

 里桜の体をまさぐろうとした敦彦だったが、その手は体ごと里桜から離れていった。何かに引っ張られ、そのまま地面に叩き付けられる。右手を後ろ手に回され、背中に重みが掛かり、頭を鷲掴みにされた。混乱する敦彦の思考を打ち消すように、Kが鋭い言葉を突き立てる。


「二つ選択肢をやろう……」


 低く昏い声だ。

 闇の中から這い出てきた何かが、脅しかけるような声。


「一つ、今すぐに里桜に心から謝罪し、2度と関わらないと誓う。

二つ、下らん言い訳をして俺に制裁を食らう、どちらだ?」


「はぁ?……何言って……」


 敦彦が喋った瞬間、Kは押さえつけていた頭をさらに強く握る。その握力だけで頭蓋骨を割れそうなほどに……。


「出来れば一つ目を選んだ方がいいぞ……。次に喋ったら俺はお前に死よりもおぞましい拷問をするだろう。そして、お前の死体を気付かれる事なく海へ棄て、存在そのものを抹消してやる……」


 その目に宿るのは怒り。業魔すらも戦慄ほどの憤怒だ。恐怖で身がすくみ、チビりそうになった敦彦は心から懺悔する。


「すっ……すまなかった。もう2度と関わらない。許してください」


「10秒以内に立ち去れ」


 敦彦はガクつく膝をなんとか動かし逃げていった。敦彦が出ていった音を聞き、里桜はゆっくりと起き上がる。Kは顔を手で覆い明らかな苛立ちを示した。里桜はKの姿を見て安堵したが、同時に陰鬱となる。あんな場面を見られたのだ。里桜が敦彦を『招いた』と勘違いされた。お礼も謝罪も言えずに俯いていると、Kが里桜に駆け寄った。


「すまない!すまない!すまない!里桜!」


 Kは里桜を抱きしめ何度も謝ってきた。彼の行動が理解できず里桜は呆然とする。


「もっと早く任務を終わらせられたら良かった!そしたら、あんなクズに付け入る隙なんて与えなかったのに……本当にすまない!すまない!」


 Kは里桜を疑ってすらいなかった。この事態を招いたのは自分であるように言い、謝罪をする。いつもは優しく触れてくるのに、今は里桜を強く抱きしめ自責に堪える。里桜は声もなく涙を流す。恐怖が解け、安堵と嬉しさでぼろぼろと泣き続けた。

 里桜の気持ちが落ち着き、ゆっくりと体を離すK。頬を撫でていたが、里桜の顔が痛みで歪んだのでよく診てみた。


「殴られたのか?」


 Kは少し赤く腫れている肌を触る。里桜が無言で頷くと憤怒したKがベッドから下りた。


「やはり制裁を加えてくる。絶対に許せない!」


 憤っていたKだったが、すぐに足を止めた。里桜が抱き付いてきたからだ。Kは怒りを収め里桜を抱きしめ、そのまま眠りにつく。




 次の日の朝10時、横浜湾にクルーズ船は戻ってきた。4泊5日の旅行は消化不良を残したまま終わってしまった。そもそも任務のついでの旅行なんて企むべきじゃなかった。交渉は上手くいったから良かったが、今度は二人だけで楽しみたい。

 下船の準備を終えて部屋のソファに腰掛ける二人。今朝から里桜が甘えてきて可愛かった。降りる時間ギリギリになる事を覚悟で襲おうと思ったが、ぐっと堪える。キャリーバッグを持って部屋を出ると、嫌な声が飛び込んできた。


「待ってくれよ!勘違いなんだ!話を聞いてくれよ!」


 敦彦の声に里桜は怯えたが、どうも様子がおかしかった。敦彦は彼女に話を聞くように懇願していた。


「うるさい!あんたの言うことなんて聞かないわ!」


 鬼の形相で彼女が敦彦を怒鳴る。昨日までラブラブなカップルだったのに今は修羅場っている。


「どうしたんだろう?」


「さあな、旅先での喧嘩はよくあることだ。向こうから降りよう」


 Kは里桜を連れて敦彦達から離れる。Kは裏工作が上手くいった事が確認できて、少し溜飲を下げる。

 馬鹿な男だ。いくら鍵を掛けているとはいえ、二股の事実や彼女の悪口をSNSに上げるとはな…。Kはそれを彼女のSNSのアカウントに送り付けた。結果は見ての通りだろう。100年の恋から醒めた彼女はクズ男を振っている。今後ろできれいなビンタ音も聞こえてきた。制裁としては温すぎるが、これで『将来安泰』とはならないだろう。

 敦彦の末路を確信し、里桜を傷付けた事への報復を果たしたKであった。


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