第33ミッション 夜這い

 帰りのクルーズ船の中でも里桜は一人で行動する事が多かった。食事は共にするが、それ以外は別行動。里桜は映画を観たり、カフェで読書をして無聊ぶりょうを慰めていたが、その日の夕食はとうとう一人で食べる事になった。Kは商談が上手く纏まらない事を謝ってきた。もちろん、仕事を優先して欲しいが、自分がお荷物のように感じてしまった。


 里桜が一人で夕食を食べている間、Kは再度官僚を部屋に呼んでいた。ここで了承が得られなければ、取っ掛かりを失ってしまう。Kは彼らの身の安全を保障しながら畳み掛けようとしたが、官僚からあっさりOKの返事を貰ってしまった。

 彼自身、自国と隣国との緊張状態をよく思っていなく、国際社会からつま弾きにされてしまう事を危惧していた。もっと長引くと踏んでいた交渉はすんなりと纏まり、Kは拍子抜けしてしまったが、事が前進したのは喜ばしかった。安堵と共に官僚と握手を交わし、通信用のデバイスと今後の連絡方法を説明した。

 任務完了ミッションクリア。すぐに部屋に戻りたかったが、彼との信頼を少しでも築くためには共に酒杯を交わすしかなかった。


 一人で部屋に戻った里桜は風呂に入り、髪を乾かし、キャリーバッグの下に入れていたキャミソールを着てみた。薄紅色のシルクワンピに同色の下着。鏡の前で確認したが、攻めすぎていて顔から火が出そうであった。けど、明日には東京へ戻ってしまうのでチャンスは今夜しかない。里桜だってKとの旅行で色っぽい展開を想像しなかった訳ではない。一緒に暮らしているがそういう事はまだなく、勇気を出して誘ってみようとした。

 ガウンを羽織ってバスルームから出ると、ドアのノック音がする。すぐに戸を開けて出迎えたが、そこにいたのはKではなかった。


「せ……先輩?」


 目の前にいる敦彦の姿に困惑する里桜。呆気に取られている間に部屋に入り込まれてしまった。


「へー、こっちの部屋もいいもんだな。造りが違うのか~」


「あの!急に何なんですか!勝手に入らないで下さい!」


 里桜は敦彦の腕を掴んで追い出そうとしたが、女性の力では無理であった。


「返事を聞こうと思ってな。愛人契約の……」


「なっ、それははっきり断ったはずです!馬鹿な事言わないで下さい!」


「でもよ、旅行中ずっとほっとかれてたじゃん。お前だって欲求不満だろ?そんな格好までして……」


 里桜は急いで前を隠した。混乱と羞恥で固まっている里桜に敦彦は更に追い討ちをかける。


「それにあいつだって女がいるぜ。夕食前にあの男が別の部屋に入った所を見たぜ」


「えっ?」


 Kが交渉用に用意していた部屋に入った所を敦彦は偶然目撃した。逢い引き相手を見てやろうとしたが、タイミングが合わずに確認出来なかった。だが、切り崩す材料としては十分だった。


「そっ、そんなはずない!リチャードが……そんな事……」


「あいつにとって、お前は都合のいい女なんじゃねーの?それか現地妻か?」


 敦彦の言葉が不安を募らせる。その隙を狙って敦彦がキスをしようとしてきた。里桜は彼をはね除けて逃げようとしたが、捕まってベッドに押し倒された。敦彦が上に乗ってきたので里桜は必死に抵抗する。両腕を掴まれて足も押さえ付けられたが、力一杯手を振り抜く。


「やめてっ!」


 里桜の手が敦彦の頬を叩く。逆上した敦彦は里桜の頬を殴り返した。痛みと恐怖で思考が黒く染まる。


「大人しくしろよ。次はグーで殴るぞ……」


 力なく腕を下ろし大人しくなる里桜。恐怖と絶望で何もできなくなった。最悪な状況には慣れている。不幸な事が起こっても何も考えなければいい。

 これだってそうだ。

 いつもの事……。幸福な事なんて、自分には起こるはずないんだ。けど……、

 こんな状況になってしまって、リチャードはどう思うだろう。失望されるか、嫌われるか、もう二度と微笑んでくれないかもしれない。

 ごめんなさい、不運な自分を……、それを受け入れてしまった弱い私を……。

 リチャードを裏切ってしまった事への懺悔が溢れ、里桜は涙を流した。


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