転生守銭奴女と卑屈貴族男の(義)叔母事情 04

 ぞわぞわと、背中を嫌な予感が這う。


 ――お姉さまが、あの包丁を拾ってはならない。


 私は、弾かれるように、貴族夫人としてのふるまいも何もかも投げ捨て、床に落ちた包丁に手を伸ばす。――駄目だ、お姉さまのが早い。拾い上げるのでは、間に合わない!

 お姉さまが包丁を拾い上げるより早く、簡単に拾えない場所へと蹴り飛ばそうと脚をがむしゃらに振る。


 何かを蹴る、なんてことは、きっとこれが最初で最後だろう。だからか、私の蹴りは随分と下手で、全然遠くへと包丁は飛んでいかなかったが、少なくとも、お姉さまがしゃがんで拾い上げられる範囲の外には行ってくれた。

 私は、そのまま、お姉さまが包丁に手を伸ばさないよう、彼女の両手をつかむ。


「――放しなさい、フィオレンテ!」


 力強く叫ぶお姉さまは、先ほどからの弱々しさからは全く想像できないほど、激しく抵抗する。私は、離してはならないと、強くお姉さまの腕をつかんだまま、それでも踏ん張り切れなくて、暴れるお姉さまに振り回された。

 けれど、絶対に、手だけは離さない。


「私(わたくし)は――私は、あの子を殺さないといけないの! 令嬢しかいない家にして、婿を取らせなければならないの!」


 ディルミックさえいなければ、三人いる娘のうち、誰かを、嫁に行かすのではなく婿を取らせ、家を繋ぐことができる。

 そうやって、お姉さまに声をかける人が、何人もいた。


 でも、その言葉を聞かなかったことにし続けていたのは、他でもない、お姉さまじゃない……!


「それが――それが、あんな醜い子を産んでしまった私が取れる、唯一の責任なのよ!」


 そう泣き叫ぶ、お姉さま。


 ――いつのことだったか。

 こっそり、二人で屋敷を抜け出し、街へと遊びに行って。街には、醜いと、石を投げつけられていた男がいて。二人して、血を流す人を見るのは初めてだった。怖くてたまらなかった。

 だから――あんな風に、人を傷つける大人にはならないようにしようね、と。


 グラベインの貴族令嬢として、『教育』を受け、すっかり忘れていた約束を。

 今、私は、思い出していた。


 きっと、お姉さまも忘れてしまった約束だろう。

 でも――忘れていても、思い出したのなら。


 私は、それを、守らなきゃ……!


「――ッ、そこのメイド! 人を呼んできなさい!」


 私一人では、お姉さまを押さえ続けられない。私は呆然と、私たちを見ていたメイドに叫んだ。

 メイドは、ハッとして、弾かれたようにバタバタと飛び出していく。


 本当ならば、ここだけのやり取りにして、なかったことにしたかった。でも、それはできない。私には、それだけの、力がなかった。


 なんとも情けない話だけれど――お姉さまの乱心はあっという間に屋敷内に広まり、その日から、お姉さまは面会謝絶、部屋にこもり、一人ぼっちになってしまうのだった。

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