イルシオンシティ ピエタアンジェロ(慈悲の天使)病院 8F VIP治療室 8:50


 一通り食事を終え、ズィルバーは少し物足りなさを感じていた。

 食事自体は満足したし、決して出来が悪かったわけではない。

 では一体何が?

 もどかしさを覚えながらズィルバーは疑問に思い、無意識に胸ポケットに手を伸ばす。

 すると、何か硬いものが当たった。


「ああ、そうだったなぁ......」


 何を入れていたのか、ど忘れしていたズィルバーはそれを取り出す。

 出てきたのは煙草とライターだった。


「昨日の夜から吸ってないな、そういや」


 渋々と煙草を取り出し、ライターを手に取る。

 本来獣人、とりわけイヌ科の獣人は煙草を嫌う。

 理由は単純明快。

 嗅覚が優れているせいで、余計に臭いに敏感だからだ。

 それに反してズィルバーは煙草に好意を持っていた。

 ヒトに嫌われようとも、これがズィルバーの個性でもあるし、何よりうまい。

 これ無しでは現代社会のストレス溢れる生活に耐えきれそうにもない。

 何より、ヒトと離れて暮らすズィルバーにとって自分さえ我慢してしまえばデメリットはそれだけでいい。

 煙草に火をつけ、煙を燻らせようとする。

 が、それを咎めるようにドアが乱暴に開いた。 それもユアンが鬼のような形相をしながら。


「ちょっと!! 病室で何やってんの!?」

「なに、ってちょっと煙草を......」

「ここ病院よ!? 健康に害するものを撒き散らさないで頂戴!! それにもしかして灰皿は食器を使うつもりだったの!?」

「あ、いやそのつもりは......」

「いーや、そう思っていた筈よ!! だって、貴方携帯灰皿持ってないじゃないの!! 全く、人間の喫煙者なら、外で煙草吸うのに携帯灰皿を持っているのが常識なのに......」


 正論の言葉の矢がズィルバーの心に突き刺さる。

 確かに携帯灰皿を持っていないし、吸った後のこと全く考えてなかった。

 彼女の言葉には全く隙がなく反論する余地もない。

 だが、そんな彼女の姿を見てズィルバーはニヤリと笑みが溢れた。


「......なんで笑っているの?」

「いや、君も相変わらず喧しいな、と思ってさ」

「それはどうも。 さあ、さっさと煙草をしまって頂戴。 これから私より喧しいヒトに会いに行くんだから」

「そうだな。 全く気が滅入るよ」


 ふう、とため息をつきながら火をつけたばかりの煙草を多少汁が残っているカップ麺の中に捨てる。

 ふとズィルバーがトリスに視線を向けると、ユアンが凄んてズィルバーを睨んでいた。

 ばつの悪そうにしながらも、ズィルバーはベッドから立ち上がり、服装を整えた。


「さ、案内するわ。 わかっていると思うけど、時間厳守に煩いヒトだから」

「それは君より僕の方が理解しているよ。 あのヒトに何度叱られたことか......」


 雑談しながら、病室を出て廊下を歩いていく。

 そんな中真っ先に視界に入ったのは、痛々しく破壊された壁や引っ掻き傷、乾いた血痕や派手に割れた窓などの悲惨な光景だった。


「こりゃひどいな」

「うちの警備員が5名負傷。 そのうち2名が今朝亡くなったわ」

「......そうか」

「いろんなところをズタボロにやられてるから当分修復作業に追われるわね。 まあ、ここは獣人限定の病院だからいくらでも人間には隠蔽できるけど、しばらくはここの営業は無理ね」


 淡々と状況を説明するユアン。

 その表情はいつものユアンとは違い、どことなく陰が濃い表情だった。

 無理はない。

 ユアンのことだから、例え警備員だとしても、誰とでも分け隔てなく、同じ職場として働く仲間として接していた筈だ。 

 だからこそ、今の状況はユアンにとって、とても辛いだろう。

 以前ズィルバーが、ユアンと仕事をしていた時も、他人に共感しすぎて喜怒哀楽がとても激しい性格だった。

 だが、以前よりそんな様子はない。

 それを克服しているというのは、彼女が成長しているという証拠。

 そんな彼女はまさに太陽だ。

 分け隔てなく光を照らす太陽。

 それに対して、ズィルバーは影だ。

 長年、人知れず日陰で暮らしていたズィルバーにとってその光はとても眩しく見えた。


「さて、着いたわ」

「ん、ああ」


 考え事をしているうちに、どうやら目的地に着いたらしい。

 目の前のドアプレートには、会議室と書かれている。

 普段ならここで病院の方針や難解な手術などの会議など様々な会議が行われる場所なのだろう。

 この中にはそんな類とは無関係なヒトが中にいる。

 それもしかめっ面をしながら、ズィルバーを待っている筈だ。

 久しぶりにあの顔を拝見するとなると、多少の緊張が生まれる。

 緊張で少し震える身体を抑えながら、ズィルバーはドアをノックした。


「失礼します」

「......入れ」


 ドア越しに、昨日の電話で聞こえた声が返ってくる。

 忘れもしない。

 どこか不機嫌そうな老人の声だ。

 そのまま、ズィルバーは言われるがままにドアに手をかけ、ゆっくりと開ける。

 まず、視界に映ったのは巨大な長い机だった。

 きっとここで大人数で会議ができるようにセッティングされているのだろう。

 そして、部屋の奥には大きなホワイトボードとスクリーンが設置されている。

 これで図面や資料を書き出し、映し出すのだろう。

 しかし、その部屋にいるのはたった一人。

 しかめっ面で顔に古傷だらけ。

 特に左頬から右眼にかけて深い切り傷の跡が痛々しい。

 それを隠すように右眼に眼帯をつけ、残った左眼でこちらを睨む、独眼の人間の老人だけだった。 

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