第六話③ 簡単には変われないから人なのだ


「……うっぷ……」


 ターミナルへと帰ってきた私は、公園のベンチで一人、着替えや仕事カバンを足元に置いて、寝転がったまま休んでいました。

 やけ食いしようと思って、ターミナル内にある大盛りで有名なラーメン屋に行き、一番大きい竜骨ラーメン特盛り盛りという奴を頼んでみたのですが、これがまた多かった。麺は四玉入っており、チャーシューは麺を覆い隠している始末。その上にはネギ、メンマ、ナルトの順で山が出来ているという、恐ろしい相手でした。

 しかも、スープがまた濃いもの。醤油っぽい味のとろとろのスープには背脂がこれでもかと浮かんでおり、それを見た私は安易に頼んだことを後悔しました。


「……なんで私が、こんな思いをしなくてはいけないんですか……」


 時間をかけてなんとか完食しましたが、依然としてお腹は重たいまま。口臭対策のガムも噛んでいますが、まだ香ばしい竜骨の臭いが残っている気がしています。

 悪態をついた私が寝転がっているベンチ。一般的な大きさのそれでは私の身体全てを受け止める事はできず、足だけが地面についている形となっています。


「あー……クソ……気持ち悪い……ッ」


 そのまま右腕を目元に置いて日差しを遮っていたら、いつの間にか眠っていたみたいです。何故なら、私はまたあの何もない空間にいて、幼い私がこちらを見つめていたのですから。


「……良かったね」

「……ああ、そうですか」


 幼い私が、そう声をかけてきます。良かったじゃないかと祝ってくれるような言葉の反面、顔は全くをもって浮かないものになっています。


「何でもできるって言ったの、嘘じゃなかったんだね」

「……それが、何か?」


 続けて投げられた言葉は、まるでこちらを挑発してくるような内容。言った事をちゃんとできたんだ、偉いね、という雰囲気を感じます。何様だ。


「これで全部戻るんでしょ? ぼくだった頃の思い出も」

「……そうですね。私はそんな可愛げのない子どもだったのかと思うと、嫌気がさしてきますが……」

「ミヨさんってさ」


 私の皮肉にも反応せず、幼い私が続けます。


「小さかったね」

「…………」

「あったかかったね」

「…………」

「あの日の夜、潜り込んできた彼女はさ……」

「何が言いたいんですか、貴方はッ!?」


 私は声を荒げます。叫んだ後、ハァ、ハァ、と息をついているこちらを、幼い私が見ています。


「……解ってる癖に」


 少しして、彼から口に出されたのはそんな言葉でした。解ってる癖に、と。


「本当は解ってるんでしょ? どうして今、嫌な気持ちになっているのか……なんてさ。前にヤケになってムカ・コーラ飲んでた時だって、そうだったじゃないか」

「ッ……」


 その言葉に、心がドクンっと揺れます。本当は、解っている。自分が、今、どうしてこんなに気分が悪いのか、なんて……。


「わ、私は……ッ」

「ぼくは変わってないよ」


 何かを言い返そうとして声を上げた私を無視して、幼い彼は話します。


「ぼくは変わってない。ぼくが私になっても、何も変わってなんかない。ただ少し、自分勝手になっただけ。それはみんなそうだし、仕方ないと思うよ……でも、ぼくは変わってなんかない」


 彼はそう言うと、私の目の前まで来ました。幼い彼が、私を見上げています。そしてそのまま、彼はやがてぼくではなく、私の口調で続けます。私と、一緒に。


「「だって……ミヨさんと一緒に居られて、私は……」」



「……あはははっ」

「ッ!?」


 寝転がっていた私は、不意に聞こえた女の子の声で、目を覚ましました。今の声は、まさか……ッ!?


「おかーさん、こっちこっちー!」

「もう、待ちなさいよー」


 身体を起こして声のする方を向いてみると、そこには仲睦まじそうに散歩をしている母親と思える人間の女性、そしてその隣には……彼女ではない、幼い女の子の姿がありました。


「……人違い、ですか……」


 髪の毛も茶色く、背丈も違うその子。それを確認した私は、ため息をつきます。同時に自分が今、露骨にガッカリしたことを知りました。慌てて、私は首を振ります。何を期待したんですか、私は。もうミヨさんはいないんです。そんな当たり前のことが、解らない訳がありません。

 なのに今、一瞬でも彼女がいるかと思っていたこと。彼女に会えるのではないか、と期待したこと。そんな感情が、自分の中に芽生えたこと。


「……馬鹿馬鹿しい」


 私はもう一度、ベンチに寝転がりました。何を馬鹿なことを考えていたのでしょうか。選んだ。そう、私は選んだだけなんです。自分の記憶を取り戻すことを。それだけ。ただそれだけの、ことなんです。


「…………」


 それだけの事で、どうしてこう、私は座りが悪い思いをしているのでしょうか。良かったじゃないですか、あの日々から解放されてまた一人に戻れて。思い出しなさい、彼女が来てからというものを。

 食費はかさみ、彼女が寝る為に物置の掃除をし、衣服等を揃えてなおかつ中央役所への届け出も多数ありました。仕事の合間を縫って買い出しに行き、ねーねーさんにお世話になりながら届け出を書いて……ようやく落ち着いたのが、本当に最近になってからでした。


「……結局。あの苦労も無駄骨となった訳ですが」


 今となっては、あれだけ用意した衣服等の生活用品も、駆け回って提出した届け出も、全部が要らなくなってしまいました。何のためにあんな苦労をしたのかと、悪態の一つでもつきたくもなります。


『ぼくは変わってなんかないよ』


 先ほどみた夢の中で、幼い私はそう言っていました。自分は変わってなんかない、と。


『本当は、解ってるんでしょ?』


 本当は、私自身が解っている事だと。


『だって……ミヨさんと一緒に居られて、私は……』

「……クソッ!」


 私は寝転がったまま、足でドンっと地面を踏みつけました。すると足元に置いていたカバンに足が当たり、着替えや書類がそこら中に散乱します。


「~~~~~~~~ッ!!!」


 拳を握りしめて、私はそれらを見ていました。男には、本当に何もかも上手くいかない時がある、と何処かで聞いた気がします。やればやるだけおかしくなり、する事成す事が無駄な努力に……。


「……何だってんですか、本当、に……」


 今はまさに、そんな時なのでしょうか。ブツクサ文句を言いながら身体を起こした私は、散らかったそれらを拾おうとした時に……ふと、一つの書類に目が止まりました。採用通知書、と書かれている、その書類に。




「……あ」




 次の瞬間。ふと、私の中にストン、っと落ちてきたものがありました。


「…………」


 拾い上げた私は、それを見つめています。書類内には、私の助手として正式採用を決める旨と、私の実印。そしてミヨさんの名前が書かれていました。テンプレートの採用通知書を探し出し、自分用に一部を修正して印刷をしただけの、簡単なものです。そう苦労もしないで、適当に用意したもの。


「……ああ、そうか……」


 それを見た私は、自分の中にストンっと落ちてきた一つの思いに、思わず笑いました。ミヨさんがいなくなれば、せっかく作ったこの書類が無駄になる……ただそれだけのことです。

 加えて先程も言いましたが、彼女の為に掃除をした物置部屋。各種買い揃えた、服や食器等の彼女の生活用品。これら全てが無駄になり、更には自分が作ったものまで紙切れとなってしまうのは……。


「……少し、頂けませんね」


 もったいない、と。何か、自分の中で理由ができた気がします。そうなってしまうのを受け入れられないのであれば、仕方がない、と。いそいそと散らかった物を片付けると、私は立ち上がります。

 彼女の元に行く理由は見つかりました。なら、別に行っても良いじゃないですか。そもそも、挨拶も何もしていないのです。社会人たるもの、挨拶なしでバックレるのは良くありません。


 それに彼女の意向についても、結局は聞いていないのです。帰りたくない、と言っていた彼女が万が一、やっぱり元の世界に帰りたいと言うのであれば、一考の余地はあるでしょう。

 しかし、もしそうでないならば……。


「……ミヨさんは、私の助手です」


 そう口にしました。何故なら、それを正式に認めた書類が、自分のカバンの中に入っているのだから。

 私はタブレットを取り出すと、三人の方々に順番に連絡する事にしました。もちろん、最初は謝罪からです。今更、面倒事をお願いする訳ですからね。文句や罵声、もう遅い等の色々な言葉が飛んでくるでしょう。


 にも関わらず。私は何故か、口元が緩んでいるのを感じていました。いつの間にか、心の中にあった嫌な気持ちが、何処かへ行ってしまっています。

 本当は解って、いたのでしょうか……?


「……まあ、良いでしょう」


 どうして、と疑問に思う一方で、それで良かったんだよ、という思いがあります。何故か晴れやかになった気分のまま、私はタブレットから自分の事務所の連絡先を検索し、通話にて問い合わせる事にしました。

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