第六話② 絶望こそが、芯を冷やして


 寝ていたわたしが身体を起こすと、そこは監獄だった。鉄格子によって外からは丸見えで、鍵がかかった出入り口は一つだけ。

 窓もなく、冷たいコンクリートの床と壁、そして便器と蛇口がついた手洗い場が一つあるだけで、他には何もないそこは……ようやく忘れ始めていた筈の、あの研究所だった。


「え……?」


 どうしてわたしはここにいるんだろう。また夢でも見ているんだろうか。お仕事に行くために着ていた紺色のタイトスカートとスーツもなく、適当なボロ布をまとっている。

 全てが巻き戻ってしまったような気分になり、わたしは頬をつねった。前はこれで目が覚めたんだ。今回だってすぐに起きられると、そう思った。

 でも、いくらつねっても痛いだけで、周りの光景は変わることはなかった。


「……お目覚めかい、No.34?」


 やがてそんなわたしの前に現れたのは、あのアフロ頭のおじさんと、だらしなく髪の毛を伸ばし、お酒の入った瓶を持ち、汚い長髪を振り乱している無精髭のあの男の人。そして、


「よぉ、ミヨちゃん。元気ー?」

「り、リッチ、さん……?」


 いつもの調子のまま、スキンヘッドを輝かせているリッチさんだった。彼を見た途端、わたしの記憶が順番に思い起こされていく。そうだ、わたしはお客さんの所に行こうとしてて、その途中でリッチさんに呼び止められて、それで……。


「キョーシンッ! ちゃんとコイツを連れ戻したぞ? さっさと金を寄越せよッ!」

「ま~、待ってくださいよ、トマルさん。お金はあの方から支給されますから……」


 何やらアフロの男……キョーシンにお金をせびっている、酒瓶を持って顔を赤らめ、紫がかった青い目を持った酒臭いこの男の人。トマル、さん? その言葉が、わたしの頭の中に引っかかった。その名前を、何処かで聞いたことがあるような……。


「……ま、そーゆー訳だ」


 やがて、そんな二人のやり取りを聞いていたら、リッチさんが鉄格子に近づいてきて、わたしと目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「ミヨちゃんの家出はもうお終い。ちゃーんと、自分が帰るべきとこに帰らないとね。駄目だよ、勝手に出ていったりしちゃあさぁ。大人が困っちゃうでしょ?」

「おいリッチ、誰だよミヨって? そいつは……」

「ま~、い~じゃないですかトマルさん。それにここでの彼女はNo.34です。個体名って覚えにくいんですよ。やっぱ番号の方がサクッと……」


 段々と。段々とわたしは、今の状況を理解してきていた。目の前にいる彼ら。着せられているボロ布。そしてこの鉄格子の牢獄。つまり、わたしは、ここに戻されて……。

 理解したと同時に、身体の奥底からゾワゾワしたものがこみ上げてくる。それが頭まで到達した後、わたしは震撼した。震えたのは今居るこの場所が、ボロ布一枚だけでは寒いからか。あるいは。


「い……いや……ッ」


 恐怖、からか。


「いや、いやぁぁぁッ! 帰してッ! 帰してよッ! ランバージャックさんの所に帰してェェェッ!!!」


 わたしは立ち上がり、駆け寄って鉄格子を掴んで懇願した。手に鉄の冷たい感触が広がったが、そんな事どうでも良かった。


「だーから。お前さんの帰る場所はここだって。家出先に帰す訳ないだろ? ……それに、ランバージャックも、もう来ねえよ」

「……えっ?」


 リッチさんの言葉に、わたしは目を見開いた。ランバージャックさんが、来な、い?


「アイツとも話してきたんだが、俺から買う予定だった情報をタダでやるっつったら、何も言わないまま帰っちまったよ。あーあ、残念だったなぁ……」

「う、そ……そん、な……」


 まるで、心の全てがグチャグチャになっていくような感覚だった。わたしの信じていた世界の全てが、目の前で焼け爛れていくような心地がして……あまりの衝撃に身体の震えも止まり、声も出せなかった。

 なのに、言われた言葉を、頭の何処かで冷静に理解している自分がいる。膝から崩れ落ちたわたしは、鉄格子を掴んでいた手からも力が抜けて、だらんと肩から垂れ下がった。


「んなことはどうでもいいんだよッ! おいッ! 俺にさっさと金を……」

「わ~かってますって。それじゃ、手続きがありますので、とりあえずこっちに……」

「おっ、そうそうアフロの旦那。せっかくだからアンタにも良い話があってな。最近じゃ魔法に対するアンチも開発されてな……」

「も~ちろん。話を聞かせていただきますよぉ。貴方の持つ、魔法やら何やらの未知の武器について……」


 そうしてリッチさんも立ち上がり、こちらを気にもとめない様子のまま、三人の男性は行ってしまった。残されたのは、わたし一人。目の前のかつて顔の膨れ上がった彼がいた牢屋には、誰もいなかった。


「や、やだ……やだ……」


 わたしの声は、身体は、再び震え出していた。ここが寒かったり、さっきまで掴んでいた鉄格子が冷たかったからだけではない。それは自分という存在を、身体の芯を、奥底から冷やしながら内側に広がっていく感情。恐怖、嫌悪……そして、絶望。


「……出して……出して……助けて……助けて……」


 力なく、わたしは鉄格子を叩く。誰にも届かない、その言葉。かすかに、さっきの男たちの声が耳に届いていたが、わたしはそれを聞いて等いなかった。


「嘘、だよね……?」


 そして、何よりも信じたくない、リッチさんのあの言葉。ランバージャックさんが、もう来ないなんて事……。


「そう、だよね……冗談、だよね……? だ、だってわたし、まだ試用期間とかで……」


 しかし。その時に思い起こされたのは、自分のしでかした事柄。ウイルスが蔓延する世界で親子を庇い、仕事の邪魔をしたこと。トシミツに頼まれた本を買いに行った世界で携帯呪文モバイルスペルを使い、騒ぎを起こしたこと。つまりは、自分のやらかしだ。

 その後は粛々と仕事のお手伝いをしてはきたが、結局、自分のミスによる失敗には変わりがない。一度失敗したら、この人は失敗をする人だというレッテルが貼られると、ランバージャックさんは言っていた。そしてそれが、二度と消せないものでもある、とも。

 加えて、先程のリッチさんの言葉だ。これらから考えたら、つまり。


「……そ、そっか……あ、あは……あはははは……」


 自らの心の中で、ストン、っと納得してしまった。そこから先はもう、乾いた笑いしか出てこない。


「……わたし……ダメ、だったんだ……」


 口にした言葉が自分に耳に届くと、今度は涙が溢れてきた。わたしは、認められなかったんだと、解ったから。

 チャンスはあった。助けてくれる人はいた。それでもわたしは……それを、ものに、出来なかったんだ……。


「あははははははははは…………」


 それ以上。わたしはもう、何も考えたくなかった。だって、失敗してしまったんだから。助かる機会を、逃してしまったのだから。しかも、自分のせいで。こんなもの、笑う以外にどうしたら良いと言うのか。何か、目の前がぐるぐるしてきた気がする。

 ふと、自分の指を見てみると、右手の人差し指に一枚の呪符が入っていた。これは、あの時の……ウイルスの世界で使えなかった"慈愛の風エアリアルキュア"の呪符。忘れてた……でもこの呪符だけじゃ、ここから逃げ出すことはできないし、それに、どうせ……。


「ランバージャック、さん……」


 その爪を撫でつつ、私は思い出す。長身白髪で眼鏡をかけていた、あの冷たくてぶっきらぼうで、丁寧に喋る癖に面倒くさがりな……それでもわたしを助けてくれた、あの人。

 今はもう違う世界にいて、向こうから来てくれない限りは、もう絶対に会えない彼。そんな彼の残り香を感じる、思い出の呪符。


「……ごめん、な、さい……」


 色んな感情が綯い交ぜになったわたしは、ぐるぐるする目を閉じながら意識を失い、そのままその場に倒れ込んでしまった。

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