第五話④ これで良い、そう言いながら妥協する
「……ただいま戻りました」
「あら、ランバージャックさんッ! 遅かったわねぇ」
私が事務所兼自宅に帰ると、スラおばさんが迎えてくれました。自分の身体から生やした触手で器用に箒を取って、掃き掃除をしています。いつ見ても器用な方ですね。
「……あれ? ミヨちゃんは何処行ったんだい? もうすぐ暗くなるってのに」
キョロキョロと辺りを見回しているスラおばさん。彼女の姿がない事を、不思議がっています。
「……ミヨさんは、帰られましたよ」
「……は? 帰った? 帰ったって何処に?」
「……ご自身の世界に」
「えええッ!? あたし聞いてないよッ!?」
スラおばさんが箒を放ると、こちらの足元まできてにゅーっと縦に伸び、私の顔の前にきます。
「なんで帰る事になったのを言ってくれなかったんだいッ!? いきなりだなんて、あたしあの子にお別れも出来て……」
「……それは私も一緒ですので……」
「……は?」
私はそう言うと、縦に伸びたスラおばさんの横を通り過ぎ、自宅の方へと向かいました。
「ちょ……ら、ランバージャックさんッ!?」
スラおばさんが何か言いかけていましたが、私はそれを無視して自宅への扉を開け、それを閉めて姿を隠しました。セキュリティの一環である封印の魔法鍵もかけましたので、さしもの彼女でも、もう入っては来られないでしょう。
そのまま階段を上がって二階の自宅へと向かい、上がり切った先の玄関で靴を脱いで中に上がり、自室へと向かいます。ふと見ると。リビングの机の上に、個包装されたチョコレートが散らかっていました。
「……そう言えば。お菓子棚はチョコレートばかりでしたね」
ちょこぉ、っと高い声を出して、幸せそうにそれを頬張っていた彼女の姿が思い起こされます。少しの間、立ち止まっていた私でしたが、ため息を一つつき、部屋へと向かいました。
途中、一つの部屋があります。
「…………」
かつて物置にしていた部屋。その後は中を片付けて、ミヨさんの部屋となりました。なんとなく扉を開けて見ると、中は散らかされたお菓子の袋や洋服。メイキングされていないベッド。私が勉強しなさいと渡した資料が積んである机。絶対に見るなと言われていた鍵付きの本棚。生活感が残りに残っている部屋でした。
まるで、今は少し空けているだけで、すぐにでも部屋の主が戻ってきそうな、そんな雰囲気。
「……何を馬鹿な」
自分の中に湧いたその感想を、ため息と共に吐き捨てます。もう、彼女が戻ってくる事など、ないというのに。またここも、掃除しなければなりませんね。
ふと、窓からこちらに向かって風が吹き込んできました。ターミナル内の空気を循環させている、常西風の仕業ですね。っていうか、窓も開けっ放しじゃないですか。なんと不用心な。
その時、私の鼻腔を、かつての部屋の主であった者の匂いがくすぐります。
「…………」
握っていたドアノブから手を離し、中に入って窓だけ閉めると、何故か部屋の扉を閉めないまま、私はその部屋を後にしまして。そのまま隣の自室へと向かい、すぐに扉を開けて、こちらはサッと閉めてしまいます。
いつもならスーツ姿から部屋着に着替えるのですが、疲れからなのか何なのか、私は眼鏡を机に置くと、スーツのままでベッドに倒れ込みました。
「……これで、良かったんです」
誰に言うでもなく、いや、強いて言えば自分に言い聞かせるかのように、私はそう言葉にしました。と言うか、何を馬鹿な事を口走っているんでしょうか。良かったに決まっているじゃないですか。
元々、私は一人でやっていました。自分の記憶を取り戻す為に、誰とも深く関わらないまま、粛々と働いていたのです。ちょっとした事件があり、一時的にミヨさんを置いていた。結果としてはそのお陰で、自分の記憶を取り戻す方法を得られた。それで良いじゃないですか。それ以上、何があると言うんですか。
大体、勝手についてきたのは彼女でした。不注意があったとしても、私はどちらかと言えば被害者です。違反金も含めて、人一人を養うのにどれだけの金と手間がかかるのかを、嫌と言う程に思い知らされましたよ。
私はよく頑張りました。ここまでちゃんとやってきたのです。だから、少しくらい我が儘になっても、良い筈です。誰かにとやかく言われるものでもありません。
なのに……。
「……何ですか……この釈然としない気持ちは……?」
全くと言って良い程、気分は晴れません。あれほど欲していた記憶を取り戻す方法を得られると言うのに、です。まだ発注したばかりらしいので、届くのはもう少し後になってかららしいのですが。
それでも、誰かではなく、自分の内からとやかく言われているような気がしています。
「……ハァァァ…………寝ましょう」
大きくため息をついた私は、そのま寝入る事にしました。こういう時は、寝るに限ります。寝て起きたら、案外なんてことなかった、なんて思えるかもしれませんし。
『……側に、置いてください……ッ』
不意に。ミヨさんのあの言葉が、かつて見た彼女の姿が、頭を過りました。あの夜。人の寝ているところに潜り込んできた、小さくてあたたかかった彼女……。
「…………チッ……」
何かを振り払うかのように頭を振った私は、舌を打ちながら枕に顔を埋めました。
違う、そんな事なんて思っていない……。
誰かに弁解するような、そんな情けない声を漏らしながら。
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