第五話① 夢見がね、悪いのならば疲れてる


 それは夢。私は一人、何もない所で歩いていました。


「…………」


 見渡す限りの地平線。真っ白な地面に曇り空のようなグレーの空が広がるこの空間。周囲を見渡しても、それ以外の光景が目に入ってこないここ。何もない、と言うのが正しいと思います。ふと、私は立ち止まって、後ろを振り返りました。


「…………」


 そこには、幼い私がいました。ちょうどミヨさんと同じくらいの背丈をした、昔の私。


「……忘れちゃったよね」

「……そうですね」


 彼が口を開きました。私はそれに、短く返事をします。いつものことですね。

 その後ろには色々ありますが、ある時点を境に、焦げ付いたような跡が、何かがあった形跡があります。確かに、何かがあった筈。それだけしか、解らないのです。自分はここまで歩いてきた筈なのに、何も残っていないなんて……。


「……思い出したいの?」

「当たり前じゃないですか」


 幼い私の言葉に、何を当たり前の事を、と返します。気が付いたらターミナルに居た私。それ以前の記憶は朧気で、あの力を使うごとに、何なら力を使わなくても失われていっています。

 誰か女の人に荷物を渡した光景。床に這いつくばって何かを描いている光景。そんな断片的なものしか覚えておらず、個々の記憶の整合性すら怪しくなってきてしまったのが最近です。なくしたものを求めるのは、当たり前ではありませんか。


「……その為なら、何でもできる?」

「当然です」


 私はその為に、今の今まで危険なこの仕事を続けてきたのですから。仕事がてらに色んな世界を周り、調べ続けてきました。魔法、科学、呪い、奇跡……世界ごとに複数存在するその他色々な方法が、私に効くのか否かを。

 そうして働いてきて、やっとリッチさんから有用そうな方法があると紹介されたのです。あのウイルスの世界にいた親子すらも切り捨てて、ここまで来ました。今さら二の足を踏んでいる暇はありません。


「……本当に?」

「……何が、言いたいんですか?」


 念押しのように、幼い私が問いかけてきます。本当に、とは一体……。


「……ッ!?」


 そう思っていた時に、不意に誰かに左手を捕まれました。

 ビクッとした私が目線を落とすと、そこには長い金髪を揺らし、紫がかった青い瞳をもった少女が、こちらに向かってニコッと笑いかけてきています。


「……本当に、何でもできるの? だって、今が、こんなに……」

「……ッ!」


 再びそう口にした幼い私を見ようとしたら、急に目の前が暗くなって……。



 ふと、私は目を覚ましました。いけませんね、自分の机で頬杖ついたまま、居眠りしていたみたいです。久しぶりに、あの夢を見ました。ミヨさんが来てからほとんど見ていなかった、あの夢を。

 しかも、今回は何故か、最後の最後で彼女が出てきて……。


「……さて、と。気を取り直しますか」


 眼鏡を取って目元を拭い、頭に残る夢の光景を首を振って振り払うと、私は再度、眼鏡をかけました。いや、いや。夢なんて、どうでも良いじゃないですか。それよりも仕事です。


 あれからしばらくが経ちました。最初はうんざりしていたミヨさんとの共同生活も、だいぶ慣れてきました。家事も順番に覚えていってもらっており、最近ではトーストと目玉焼きくらいなら作れるようになっています。その内、朝ご飯は彼女の担当ですね。

 お掃除はスラおばさんにお願いしているので私はやっておりませんが、ミヨさんは少しずつ彼女を手伝っているみたいです。


「また娘ができたみたいで嬉しいよ!」


 スラおばさんも彼女に色々と教えるのが楽しいのか、ご機嫌の様子でした。

 また、トシミツの所にも定期的に護身術を習いに行っているのですが、いつの間に仲良くなったのか。彼とミヨさんは私がいなくても話に花が咲くくらいの仲に発展していました。


「オレが攻めだッ! そこは譲れねぇッ!」

「ううん、ランバージャックさんが攻めよッ!」


 多分、女性の扱いが上手いトシミツがリードしているんだと私は思っているのですが、それにしてもびっくりです。あとたまに私の名前が出て攻めがどうこうって言い合いをしていたんですが、あれは何だったんでしょうか。聞いても教えてくれません。


「たまにはご飯とかどうですかねー?」


 異世界からの帰還後、たまにねーねーさんからもお誘いを受けるようになりました。

 正直、仕事終わりで疲れていて面倒くさいとは思っていたのですが、ご飯と聞いて目を輝かせるミヨさんがいるので、渋々ご一緒しております。一回断ろうとしたら、二人してブーブー文句を言ってきましたし、お詫びだとか言って半ば無理やり、個人用の連絡先も交換する羽目になってしまいましたし。

 女の子同士で気が合うのか、ミヨさんはねーねーさんともすぐに仲良くなっていました。今では、二人で出かけることもあるみたいです。私も一度お誘いを受けましたが、丁重にお断りしました。休日は、一人で過ごしたい派なので。


 しかし、思い返してみると、彼女が来てからというもの、私の周りもだいぶ賑やかになりました。それまで一部でしか付き合いのなかった方々と、彼女を通してより深く関わるようになった気がします。

 仕事以外の連絡も来るようになり、忙しい時なんかは、お返事を書くのも億劫になる時はありますが、


「……ふぅ……」


 一息、私は入れました。そんな変化を、何処か楽しんでいる自分もいました。それに気がついた時は、心底びっくりしたものです。気ままに一人で、人付き合いは必要最低限にしていた私とは思えない考え方。これも彼女の所為でしょうか。


「……最近は、仕事もちゃんとしてくれていますし……」


 また、ミヨさんもだいぶ仕事を覚えてきました。あの時のお尻ペンペンが効いたのか、最初のような大騒ぎを起こすこともなく、ちゃんと働いていてくれます。

 最近ではちょっとした納品等で、彼女を一人で行かせる事も多くなってきました。まあ流石に、一人で異世界に放り込むのはまだ早いので、ターミナル内のお客さんの所だけですが。


 今日も朝から、彼女にはクライアントの所に行ってもらっています。私が用意したカタログを元に、何を持ってくるかを話し合う打ち合わせですが、ちゃんと話を聞いて来られるでしょうか。まあ今日の所はお得意様なので、何かあってもまだ対応できます。ミヨさんとの顔合わせも済ませておりますし、最悪私が何とかしたら良いでしょう。

 あとは、まだ一時滞在者の身分である彼女には、ここでの身分証となるタブレットを持っていません。異世界に行こうとする度に、いちいち役所に申請しなければならないのが、面倒ではありましたが……。


「……それも、そろそろ良いかもしれませんね」


 事務所の仕事机でそう呟いた私は、中央役所でもらってきた書類を見ていました。そこには、ターミナル永住許可申請書、と書いてあります。

 この書類を提出し、申請が通れば、彼女は晴れてターミナルの住民となり、身分証となるタブレットも支給されるでしょう。そうすればドア等の使用申請やその他の登録、そして単純に彼女と連絡も取れるようになります。

 加えて、その裏にあるもう一つの書類。


「…………」


 私が手作りし、実印を捺した採用通知書です。テンプレートの書類の一部を変更しただけの物ではありますが、そこにはミヨさんの名前がありました。これを渡せば、彼女は正式に私の助手となります。

 なお、以前貰った解雇申請書は、結局使わないまま捨ててしまいました。彼女を正式に雇うなら、もう不要なものですからね。


 一息つくと、私はそれらを机にしまいました。今日、ミヨさんが帰ってきましたら、これをお渡ししましょう。色々と渋りましたし、最初っから始末書を書かされたりと、色々ありましたが……。


「……まあ、ね……」


 小さくそう呟くと、私は自分の仕事に取り掛かりました。それはまあ、また後で。

 彼女が来てからというもの、出費もかなり増えてしまい、仕事を増やさないと、どうにもお金を貯める事が難しくなってしまいました。リッチさんからあれを買う為にも、何とかして貯金して行かなければなりません。

 その為にも仕事です。今回クライアントから要望があった物が、他の世界にあるのかを調べなければなりませんが……しかし賢者の石なんて、一体何処で手に入るのでしょうか。


 私は机の上に置いてあるタッチ式のパソコンからターミナルレコードにアクセスし、該当する物、あるいはそれに近い物がヒットしないかと検索をかけていたその時。

 ポケットに入れていたタブレットが振動しました。画面を見てみると、今日ミヨさんを向かわせたクライアントの名前が表示されています。


「はい、ランバージャックです」

『ちょっとランバージャックさん。ミヨちゃん、いつになったら来てくれるんですか?』

「……はい?」


 通話の向こうのクライアントでお得意様でもある魔法使いのお姉さんは、少し苛立っているかのような声を上げています。


『約束の時間はとうに過ぎてるって言うのに、一体いつになったら……』

「待ってください。既にミヨさんを向かわせた筈なのですが……」

『それが来てないから連絡してるんですッ! もしかして、慣れてるからってすっぽかされたんですか?』


 私はクライアントからの勢いの良い声を浴びながら、壁にかかっていた丸時計を見ました。ミヨさんが出かけたのは、もうずっと前の事です。

 今日の行く先はそこまで遠い所でもありませんし、何ならミヨさんも何回か行った事がある所です。道に迷う事はない筈なのですが……。


 タブレットの向こうでご立腹の彼女に謝罪しつつ、私は自分で直接向かうことにしました。今回の件で怒らせてしまいましたので、当初の見積もりから更に値引いて、何とか機嫌を直してもらいましょう。お得意様でもありますし。

 通話を終えた私は、ため息をつきました。


「……全く、何処で油売ってるんですか……」


 せっかく正式採用を決めようと思っていた矢先に、これです。これは、もう少し様子を見た方が良いでしょうか。とにかく戻ってきたら、またお尻ペンペンですね。

 そんな考えを持ちながら私は身支度し、クライアントの元へと向かうことにしました。どれくらい値引いたら、機嫌を直してもらえるでしょうか。あの魔法使いのお姉さん、一度ヘソを曲げると後を引くんですよねぇ……。

 自分の内に湧いた憂鬱な気分を飲み込み、私は事務所を後にしました。

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