第三話④ だから私にどうしろと


「……ハッ」


 わたしはベッドの上で目を覚ます。毛布を蹴っ飛ばしていたわたしの額から汗が流れ落ちている感覚があるが、そんなことはどうでも良かった。荒く息をしながらキョロキョロと周囲を見回してみる。

 そこはわたしの部屋だった。物置にしていた部屋を片付けてランバージャックさんが用意してくれた、わたしの部屋。時計は夜中を指し示しており、結構な時間が経ったことがわかる。


「……夢……?」


 やっぱり、夢だったんだ。時計を見ると、まだ日も昇っていない深夜だった。このターミナルという空間には太陽も月もない何処かにあるらしく、あれは偽物ですよ、とランバージャックさんに教えてもらったことがあるけど、わたしにはよく解らなかった。再度辺りを見回してみたが、ここはランバージャックさんの事務所兼住宅だった。あの牢獄じゃない。


「……あ、あれ……?」


 良かった、と息を吐いた時、わたしの目に涙が溢れてきた。ポロポロと落ちていくそれを、わたしは必死に拭う。


「……うえ……ひっく……ッ」


 どうして、わたしは泣いているんだろう。目から溢れる雫は最初は温かいが、やがて冷たくなっていく。それが何だか怖くて、わたしは身震いした。


 少し泣いた後。喉の渇きを感じたわたしは、涙を拭いつつ台所へ向かうことにした。蛇口から水を出してコップに入れ、それを飲む。冷たい水が喉を通る感覚があって、気分も落ち着いてきた気がする。ふう、と息をついた。


「……えっ?」


 そのままコップを洗って部屋に戻ろうと思ったら、下の事務所から明かりが漏れていた。こんな夜中に、まだあの人は起きているのだろうか。さっきのことがあって、あまり顔を合わせたくはなかったけど、少しだけ気になったので覗きに行ってみた。


「……あ」

「…………」


 事務所の扉から顔を出してみると、そこには仕事の時のスーツ姿のまま、来客用のソファーにごろんと転がって毛布をかぶっている、ランバージャックさんがいた。彼の近くには瓶がゴロゴロと転がっていて、全部空っぽだった。何か飲んでいたんだろうか。


「……ランバージャック、さん……」

「……ううん……」


 すると、ランバージャックさんが身じろぎした。起こしてしまったかと一瞬ビクッとしたが、あの人が目を開けてくることはなかった。


「…………ひっく……」


 彼の姿を見た瞬間、また涙が出てきた。わたしには、今、この人しかいない。そのままフラフラと、彼の元に寄っていった。そして寝ているソファーと毛布の間にゴソゴソと入り込むと、彼の胸元で顔を出す。


「…………」


 ランバージャックさんはそんなわたしに気づくこともなく、眠ったままだった。普段は面倒くさそうにしかめてばかりなのに、寝ている顔はとても綺麗だった。わたしはそのまま、彼の胸に顔を埋める。


「……バカなんて言って、ごめんなさい……お仕事の邪魔をして、ごめんなさい……」


 寝ている彼は、聞いていないだろう。それでも、わたしは言いたかった。

 今日のこと。自分の姿と重なったあの親子。気づいたら、身体が動いていた。口が喋っていた。あの人との約束は、誰かに優しくしてあげること。助けてくれたランバージャックさんの事を考えるなら、あの時は邪魔しないでいた方が良かったのかもしれない。


「……でも」


 それは、嫌だった。あの子が自分みたいに、解らないままに苦しい思いをしてしまうのは、嫌だった。ただそれだけだった。わたしが嫌だったからという、ワガママ。結局聞き入れてもらえなかったけど、落ち着いて考えてみたら、当然のことだった。

 彼には彼の都合がある。自分の記憶を取り戻したいと、彼は言っていた。しかも、あの不思議な力を使うことで、更に忘れていくのだとも言っていた。わたしと同じで、何も覚えていない彼。


「……でも、わたしは……」


 でもわたしは、記憶を取り戻したいなんてこれっぽっちも思っていなかった。思い出すことで嫌な気持ちになるくらいなら、ミヨ以外の名前に辛い思いでしかなのなら。もう、このままでいたい。

 自分に良くしてくれているこの人の近くに、ずっといたい。お母さんもいないあんな殴られるだけの家になんて、牢獄になんて、もう二度と戻りたくなんかない。だから。


「……わたし……居ても、良いんだよね……?」


 自分でボソっと口走った言葉に、また涙が溢れる。何にも聞いてくれない彼。気を使っているのか興味がないのかは解らないけど、それでも彼は、わたしに問いただしたり、追い出すような事はしない。

 でも、今回お仕事の邪魔をしたことで、バカなんて言ってしまったことで、彼は怒っているかもしれない。そうしたら、もうここには、いられなくなってしまうのだろうか。またあの冷たい檻に、戻ってしまうのだろうか。それは、絶対に……嫌だ。


「……ごめん、なさい……」


 もう一度、わたしは謝る。何度だって、わたしは謝る。


「……わたし、頑張るから……いっぱいいっぱい、頑張るから……ワガママ言わないし、もう邪魔したり、しないから……だか、ら……」


 でもこれは、わたしのワガママ。


「……側に、置いてください……ッ」


 そう言って、わたしはもう一度涙を流した。彼のワイシャツに、雫の跡が残る。自分より全然大きい彼の身体は、温かかった。それに酷く安心してしまい、目を閉じたわたしは、そのまま寝入っていってしまった。


「…………」



「ハァ……」


 ターミナル中央病院から出て来た私は、ため息をつきました。と言うのも。


「全くッ! いい歳してなんでザマだい、ランバージャックさんッ? 少しは節度を持ってだね……」

「解ってます、解ってますからスラおばさん……」


 傍らにいらっしゃる、目と鼻と口がついたバレーボールくらいの大きさの青いゲル状の生物。スライム族のスラおばさんに、しこたま説教を喰らったからです。

 このスラおばさんは、私の事務所の方のハウスキーパーをお願いしている方です。元々は少し毛色の違う掃除屋をされていた彼女でしたが、ご縁があって、ウチで働いてくれております。


 彼女が来る事をすっかり忘れ、夜遅くまでムカ・コーラパーティーを飲み明かして、事務所中に瓶が散乱。そのまま事務所のソファーで爆睡していたら彼女が出勤し、その様子からもしやと思った彼女が自身のタブレットで私の身体をスキャンニング。

 ムカ・コーラ中毒にかかっている事が判明し、彼女によって救命救急を呼ばれてしまいました。午前中からの汚染除去が終わり、ようやく退院できた所です。まさか、あんな飲み物だったとは。


「アンタは無事だったみたいだね。全く、心配かけさせてくれて……あんな大人になっちゃ駄目だよ、ミヨちゃんッ!」

「は、はい……」


 今日初めて会ったにもかかわらず、ミヨさんの頭の上に乗って私を反面教師にするようにと言っているスラおばさん。何故か説教臭くなっていて、彼女の腰が、少し気が引けているようにも見えます。


「さっ、帰るわよ! アンタ達を搬送してて、まだお掃除終わってないんだからッ!」


 そのままスラおばさんに連れられて、私達は事務所兼自宅を目指します。時間的にそろそろお昼頃なので、スラおばさんへの謝罪の意味も込めて全員分、何か出前でも取りましょうか。


「良いかい? あの人がああいうことをしてたから自分もして良い、って訳じゃないんだからね。誰が何をしていようが、駄目なことはやっちゃ駄目なんだよ。その辺をちゃんと理解してだね……」

「は、はあ……」


 私の少し前で、頭の上から有り難いお言葉を受けている、ミヨさんの姿が目に入りました。昨夜、人をバカ呼ばわりした後に、何故か涙ながらに私の方に潜り込んできた彼女が。


「…………」


 ええ、知っていましたとも。流石に自分の所に潜り込んでこられたら、いくら私でも気が付きますよ。


『……ごめん、なさい……』

『……側に、置いてください……ッ』


 震えるか細い声で、わたしに向かってそう願っていたミヨさん。結局、追い出す気にもなれず、そのままスラおばさんが来るまで二人して寝ていたのですが。


「……ハァ……私にどうしろって言うんですか……?」

「ら、ランバージャックさん、どうかしたの……?」


 私がため息をついた時に、ミヨさんが振り返ってきました。少しためらいがちにこちらを見てきた彼女のその様子に、私は少し言葉を止めます。


「…………」


 昨日のこともあり、少し居心地の悪い感じはしましたが、やがて色々と面倒になってきました。もう一度ため息を吐こうとして……それを飲み込みます。何となく今は、ため息を吐く時ではない気がしまして。


「……いえ、なんでもありませんよ。今日も仕事を頼む予定です。よろしくお願いしますね、ミヨさん」

「ッ! う……うんッ!」


 嬉しそうに私の言葉に返事をしたミヨさん。思うところがない訳ではありませんが、まあ良いでしょう。もう、過ぎたことです。


「ハァ……しかし、片付けは面倒ですねぇ……」

「アンタが自分で散らかしたんでしょうッ!?」

「解ってますってば……」


 愚痴った私に食って掛かってくるスラおばさんに、適当に返事をします。そのまま三名で、私の事務所兼自宅を目指しました。


(……まあ、どうでも良い、ですか……)


 そしてもうそれ以上、私は考える事を止めました。考えた所で、どうなる訳でもないでしょう。彼女との関係性がどうなろうが、私は彼女の仕事ぶりを見て、採用不採用を決めるだけです。

 採用ならこれからも一緒に。不採用ならさようなら。ただ、それだけのことなんですから……。

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