第三話③ 優しさは、時に何かの代償行為


「……大丈夫?」


 ふと、わたしが目を覚ますと、目の前にはナタリアさんがいた。心配そうに、わたしを覗き込んでいる。

 うん、っと言って身体を起こしてみると、またもや見知らぬ部屋にいた。窓がないこの部屋は薄暗く、吊るされた一つの電球だけがユラユラと揺れている。


 良かった、と言ってナタリアさんはベッドから離れた。そして、少し離れた所で湯気が立っていたお鍋の取手を持ち、コップに中身を注いでいく。

 それはいつかと同じ、温かいミルクだった。


「はい」

「……ねえ。お母さんは?」


 渡してくれたそれを受け取らず、わたしはナタリアさんに聞いた。あれからどれくらい経ったのかはわからなかったけど、撃たれて、倒れたお母さんと呼ばれた女の人の事は、今でも覚えている。


「…………」


 それを聞いたナタリアさんはコップを近くのテーブルに置いて、わたしを抱きしめてきた。


「……ごめんなさい。貴女のお母さんを、守れなかったわ……でも、貴女は、貴女だけは、私が守って、みせるから……ッ!」


 そうして、彼女は涙ながらにそう言った。だから、わたしも理解してしまった。例え記憶がなくても、わたしがお母さんと呼べる人は、もう、いないんだと……。


「……う、うわぁぁぁんッ! うわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああんッ!!!」

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ッ!」


 わたしは泣いた。ナタリアさんも泣いた。二人で声を上げて、わんわん泣いた。その日はそのまま、泣きはらしたまま二人で眠ってしまった。

 それから、わたしとナタリアさんの二人での生活が始まった。彼女はたまに外に出ていたが、わたしはこの部屋から出る事はできなかった。それと言うのも、


『この顔ッ! この女の子ですッ! 見かけたら是非こちらまでご連絡をッ! 手がかりになる情報を提供していただいた方には、ささやかですが謝礼も……』


 連日、テレビでわたしの顔が大々的に報道されているからだ。しかもささやかとは言いがたいくらいの、高額な懸賞金までついているらしい。

 あの長髪を振り乱した男の人か、はたまたあの研究所にいたアフロのおじさんか、それともお話していたあの方と言う人か。誰かは解らないけど、よっぽどわたしの事を捕まえたいみたいだった。


「大丈夫よ。私は貴女を売ったりなんかしないわ。それに、人の噂も七十五日。その内に忘れられるわよ。だから、それまでは我慢しててね」


 ナタリアさんはそう言っていたし、わたしも、うん、と頷いた。だって、あの長髪の男の人やアフロのおじさんの所より、彼女と一緒にいる方がずっと良いから。

 彼女はわたしにとても良くしてくれた。お話して、一緒にご飯を作って、たまにオカズを取り合って喧嘩して。でも夜は一緒に寝てくれて……とても、優しかった。


「……どうしてわたしにこんなに良くしてくれるの?」


 ある時、わたしは気になってナタリアさんにそう聞いた。すると彼女は、こう答えてくれた。


「私も昔ね、良くしてくれた人がいたんだ。そして、その人にこう言われたの。『自分がしてもらった様に、他の誰かに優しくしてあげて。そうしてくれるのが、一番嬉しいから』って。だから私も、自分がしてもらった様に、貴女に良くしてあげたいだけ。良くしてあげたかった子もいたけど……ああ、ううん。今のは気にしなくてもいいわ」

「……わかった。でも、わたし。ナタリアさんに何もお返しできない……」

「……じゃあ。約束してくれる?」


 そう言って、ナタリアさんは自分の小指を出してきた。


「私が貴女を守るから……貴女は私に良くしてもらったように、他の誰かに優しくしてあげて。そうしてくれたら、私も嬉しいから……ね? 私との約束」


 わたしも自分の小指を出して、ナタリアさんのと絡ませた。彼女が教えてくれた、約束する時のやり取り。


「……うんッ! わたしも、わたしも誰かに優しくするッ!」

「ふふふ、いい返事ね。約束よ」


 そうして、わたし達は笑った。ナタリアさんとの、大切な約束。彼女が良くしてくれた様に、わたしも誰かに優しくすること。あの日の夜の事は、ずっと忘れたくないものになった。

 しばらくはそんな調子で、彼女と一緒に過ごしていたけど……それも長くは続かなかった。ある日。ナタリアさんが部屋に駆け込んできた。


「逃げてッ!」


 扉を閉めて自分の身体で押さえている彼女は、厳しい表情でそう言った。身体中傷だらけになっていて、只事じゃないことは直ぐにわかった。


「ここが見つかったのッ! 隠し通路から今すぐ逃げてッ! もうすぐ奴らが……」


 すると、ナタリアさんが血を吐いた。続けて、扉を貫通して何発もの弾丸が飛んでくる。身体に何発もの弾を受けた彼女は、それでも倒れなかった。


「な、ナタリアさ……」

「私との約束を忘れたのッ!?」


 駆け寄ろうとしたら、ナタリアさんに怒られた。


「私が、貴女を守るから……貴女は、誰かに優しくしてあげるんでしょうッ!? 忘れたとは言わせないわよッ!?」

「で、でも、ナタリアさんが……」

「守らせてよッ!」


 ナタリアさんはそう叫んだ。


「私に貴女を守らせてよッ! 私は、私はッ! もう誰かを守れないのは嫌なのよッ! 妹も娘も守れなくて……挙げ句、貴女まで守れないなんて……絶対に嫌よッ!」


 もう一度、ナタリアさんは必死の形相で叫んだ。


「行きなさいッ! 早くッ!」

「…………ッ!」


 わたしはその剣幕に圧されて、慌てて教えてもらった隠し通路から逃げ出した。


「……良かっ、た……娘が生きてたら、あれぐらいの年だったっけ……お母さん、今度はちゃんと、守れたよ……」


 逃げ出す直前にナタリアさんが何か言っていたが、よく聞こえなかった。何故ならその直後に、爆発が起きたから。

 隠し通路内を爆風が通り抜け、わたしは吹き飛ばされた。強かに身体を色んな所に打ち、服もボロボロになってしまったが、それでもわたしは立って、走り出した。


 だってそれが、ナタリアさんとの約束だったから。


 わたしは彼女に守られないといけない。じゃないと、彼女との約束を破ってしまう。それは絶対に、嫌だったから。

 そうして逃げ出したわたしは、そこがビル街の一角であった事を知り、手当たり次第に色んな場所に隠れては、追手をやり過ごした。大通りが近くにあり、下手に出てしまうと姿を見つかるかもしれないと思って、ビル街からは出なかった。幸いにしてわたしは死ねない。いくらお腹が空こうが苦しいだけで、倒れてしまうことはなかった。


 どれくらい経っただろうか。服もすっかりボロボロになって、布にしか思えなくなった頃。飲まず食わずで命懸けのかくれんぼをしていた私は、ふと、何処か風貌が違う男の人を見つけた。

 その人は長身で白髪。黒いコートを着て眼鏡をし、手に持ったスティック状の何かをかじっていた。反対の手には板状の機械を持っていて、何やらキョロキョロと辺りを見回していた。性別から違うけど、髪の色が似ている所為か、ナタリアさんの事を思い出してしまったわたしは、ジッと彼を見ていた。


 グゥゥゥ…………。


 大きく、わたしのお腹が鳴った。その人がわたしを見つける。ばっちりと、目が合ってしまった。ああ、終わった。ついに見つかってしまったんだ。もう、ナタリアさんとの約束も守れない。


「じ~~~……」


 半ばヤケクソ気味になったわたしは、せめて最後に、彼が手に持っているあれだけは食べられないかと、ジッと見つめていた。もうどうにでもなれ、だ。


「じ~~~……」

「……食べます?」


 やがて見つめていたのが功を奏したのか、彼はわたしにそれを差し出してくれた。


「ッ!」


 餓死しないとはいえ、空腹という耐え難い状態でいつまでもいたくなかったから、わたしはなりふり構わず彼に近寄って、それを取った。久しぶりの食事は、酷く美味しかった。

 その後は、びっくりする事ばかりだった。ちょっと食べただけなのに、お腹がいっぱいになった。あんなに報道されていたのに、この人はわたしの事を知らなかった。わたしの事を知らないなら、もしかしたら……と期待したわたしに向かって、彼は雷まで撃ってきた。終いには、もう一度だけ様子を見ようと思って戻ってきたら、なんと彼は白い光を出したかと思うと、その中に消えていったのだ。

 もう意味がわからなかった。わたしの事を知らず、雷を操り、光の中に消えていく男の人。どれ一つとして、理解できなかった。


(…………でも……)


 何故か、わたしの中には不思議な予感があった。この光に入ったら、あの人に着いて行ったら……何かが、変わるんじゃないか。漠然とした、そんな予感。今まで感じた事もなかった、期待と不安がない混ぜになった、変な感じ。


 やがて光は消え始めて、わたしは慌てて走った。何が起きるかわからない。また酷い目に遭うかもしれない……それでも、ここでビクビクしながら隠れてるよりは……もしかしたらッ!

 そんな事を思いながら、私は光に飛び込んだ。ただ転ぶだけだと思っていた。何もないまま、またあの裏路地の光景が続いていると思っていた。

 しかし、光に包まれて、目を開けたわたしが見たのは、


「あ、貴女、は……」

「……あー……ランバージャックさん、不注意でしたねー。誰か着いて来ちゃったみたいですねー……」


 色んな人が光で行き来している、全く見たことない場所と、受付机の向こうにいるスーツ姿で青い短髪のお姉さん。そして、困惑した表情を浮かべている、あの男の人だった。

 あの時と全く同じ光景。そこまで見ておいて、やっぱりこれは夢なんじゃないんだろうかと、わたしは思わず自分の頬をつねった。

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