第三話② 頼まれただけ、貴女は言った
「あなたは……誰?」
「貴女のお母さんに頼まれたの。早くここから逃げるわよ。ただでさえ、ヤバい奴のとこに喧嘩売ってるって言うのに……」
女の人は銀色の髪の毛をしていて、前髪がパッツンと揃っているおかっぱ頭で、耳が半分見えるくらい短かった。髪の毛と同じ色の目は半分くらいしか開いておらず、少し垂れ気味。背が高く、スレンダーな体型がよく解るピッチピチの黒い服を着ていた。
その人はお母さんに頼まれた、と言っていた。お母さんと言われてふと頭によぎったのが、いつかあの家でわたしを庇ってくれていた女の人だった。あの人が、わたしのお母さんだったんだろうか。
やがて彼女に抱き抱えられて、わたしは慣れ親しんでしまった建物を後にした。車に乗り、やがて遠ざかっていくその建物には、炎と煙が上がっていた。少しして、わたしは何処かの部屋にやってきた。
「今日はここで休みましょう。明日には、お母さんに会わせてあげるから……あっ。私はナタリアよ。お母さんに貴女を連れ帰って欲しいって仕事を頼まれたの」
その人――ナタリアさんはそう言うと、何処かへ行き、湯気が立つ液体が入ったコップを二つ持って戻って来た。甘ったるい匂いが、わたしの鼻をくすぐる。
「はいこれ。あったかいミルク。砂糖も入ってるから甘いわよ。飲める?」
「ッ!?」
わたしは反射的に身構えていた。今まで飲まされてきたものが基本毒物だった為、どうしても嫌な思い出が蘇って、身体が震えてくる。
「……大丈夫よ、ほら」
ナタリアはそう言うと、自分で飲んでみせた。ゴクっと喉を鳴らして飲み、自分が飲んだやつをそのまま渡してくれる。
「私が飲んだやつなら安心でしょ? 心配しなくても、私は貴女に酷いことしたりしないわ。すぐには信じられないかもしれないけど……」
そう言って、ナタリアさんはもう片方のコップに口をつけた。わたしは恐る恐る、コップを掴んだ。中のミルクのお陰で温かかったコップを持つと、不思議と手の震えが止まる。そのまま、わたしは真っ白なミルクを飲んだ。
「……あった、かい……甘……い……」
甘くてあったかいミルクが喉を通ってお腹の中に入り、じんわりと冷え切っていた身体を温めてくれる。気がつくと、わたしはボロボロと涙を流していた。
「ヒック……グスッ……う、あああぁぁ……ッ!」
「……全く」
そんなわたしを見かねたのか。ナタリアさんは自分のミルクを机に置くと、わたしを抱きしめてくれた。
「ごめんなさいね、お母さんじゃなくて。明日には帰れるから、今は、私で我慢してね……」
「うあ、うわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああんッ!!!」
わたしは泣いた。大声で泣いた。その間、ナタリアさんは何も言わず、わたしを抱きしめてくれていた。それはとても、あたたかかった。
次の日の朝。わたしが起きると彼女は居なかった。何処行ったのかと一瞬不安になったが、彼女はすぐに大人がよく連絡を取っていた手のひらサイズの板状の機械をしまいながら、扉を開けた。
「お母さんと連絡が着いたわ。行きましょう」
「……うんッ!」
わたしは久しぶりに笑った気がした。それを見たナタリアさんも、にっこりと笑ってくれた。
そして彼女の車に乗って行くと、やがて開けた公園と思われる場所に、長い金色の髪を持つ女性が立っている見えた。車の中からでは遠目であったけど、何故か懐かしく思えた。あの家にいた、あの女の人だ。
「あ、あれが、お母さん……?」
「そうよ。忘れちゃったかしら?」
車が止まり、わたしは降りようとした。ナタリアさんがお母さんと呼んだその人もわたしに気づき、駆け寄って来ようとした所で……。
「ガッハ……ッ?」
「ッ!?」
突如として、お母さんと呼ばれた女の人の身体を何かが貫いた。彼女は血を吐き、そしてその場に倒れ込む。
「ビンゴだッ! やっぱコイツを張ってて正解だったぜ! 撃て撃てーェッ! どうせアイツは死なねーんだッ! 誤射ったってどーってことはねーぞッ!」
聞き覚えのある声がする。車の中から声のした方を見ると、そこには汚い長髪を振り乱したあの男の人がいた。その手にはライフル銃を持っている。周りには他の大人もいた。
「逃げるわよッ!」
「あ……ッ!」
「逃がすな、追えェッ!」
ナタリアさんがそう言うや否や、車を発進させる。車には男の人達から撃ち込まれた弾の音が、何度も聞こえてくる。何処かから焦げ臭い臭いも漂ってきていた。
それでも車は止まる事はなかった。わたしが窓から顔を出すと、徐々に倒れているお母さんと呼ばれた女の人の姿が小さくなっていく。
「い、いや、いやァァァッ! お、お母さんッ! お母さぁぁぁんッ!」
「ごめんね……でも、私もここで死ぬ訳には行かないのッ!」
ナタリアさんは謝りながら、窓を強引に閉めて運転していた。もう一度開けようとしたが、ロックがかけられたのか、窓はビクともしなかった。
やがて男の人達も、車を走らせてわたし達を追いかけてきた。しばらくの間は、車での追いかけっこが続いた。彼らはわたし達の車に何発も発砲していたし、ナタリアさんも負けじと取り出した拳銃を撃ち返していた。
響く銃声。急カーブする車のタイヤが擦れる甲高い音。浴びせられる罵声とナタリアさんの怒声。拳銃から漂う、火薬のような臭い。そして、わたしの目の前で死んでしまったあの女の人……お母さん。
様々な出来事がいっぺんに来て、わたしは何もかもがわからなくなり、いつの間にか、意識を失っていた。
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