第二話⑤ 上手くいかない、あれもこれもが


「よー、ランバージャック。思ったより早かったな」


 私が事務所兼自宅へと戻り、リッチさんに連絡を入れると、程なくして彼はやってきました。相変わらず迷彩服を着たまま、我が物顔で事務所の来客用のソファーにドカッと腰掛けます。


「んで、頼んでたデータは手に入ったのか?」

「……これです」


 話題に出されたので、私はポケットから生体マイクロチップを取り出しました。それをリッチさんに渡すと、彼はそれを嬉しそうに見回していました。


「ほー、こいつが……データはこの中にあるってんだな。ありがとよ、ランバージャック」

「……はい。では、約束の報酬の方は……」

「そーそー、報酬についてだが……ちゃんとしたデータが入ってなかったら、減額だからな」

「……なんですって?」


 不意に投げられた言葉に、私は眉をひそめました。報酬は減額と、そう聞こえたのですが。


「当たり前だろ? 苦労して取ってきてもらったのは感謝してるが、それはそれとしてこのデータが本当に使えるもんなのかは、見てみなきゃわからねーじゃんか。中身見て使いもんにならねーもんだったら、こっちだって困るんだからな。違うか?」

「……ドアの使用料や、その他の手間代は……?」

「もちろん。最低限の分は払ってやんよ。でも満額出すかどうかは、成果物を見てからってこった。んじゃ、また連絡するからなー」


 リッチさんはそう言うと、さっさと出て行ってしまいました。あのデータを使って、また何かお金儲けをするつもりなのはよく解ってきましたが……あれだけの思いをして手に入れてきたというのに、報酬を値切られる可能性があるとは。

 そして彼が出て行った後で、バタバタ、と階段を駆け下りてくる音が聞こえてきました。ああ、起きたのですか。


「ランバージャンクさんッ!」


 自宅へと続く扉を乱暴に開けて姿を現したのは、ミヨさんでした。その顔には焦りの表情があります。


「……なんでしょうか?」

「あの子はッ!?」


 案の定というか、聞いてきたのは真っ先にあの子、ジェーンと呼ばれていた少女のことでした。言葉こそありませんが、どうしたのか、ということを聞きたいのでしょう。


「……先ほどリッチさんに生体チップを納品しました」

「ッ!!!」


 簡潔にやったことを述べると、彼女の目が見開かれます。そしてそこから、大粒の涙が、ぽろぽろ、と零れ落ちてきました。彼女は立ち尽くしたまま、手でそれを拭うこともしないで、声を上げています。


「ァ……ァァァ……うわーーーんッ! ぐっす……ひっく……ッ」

「…………ッ」

「バカッ!!!」


 その泣き声にイラっとした私が口を開こうとした、その時。ミヨさんの一喝によってそれは遮られました。予想だにしていなかったそれに、思わずビクッと身体が震えます。


「ランバージャックさんの、バカーーーーーーーーッ!!!」


 彼女はそう言うと、またしてもバタバタと階段を上って行ってしまいました。バターン、という大きな音も聞こえたので、おそらく物置を片付けて用意した彼女の自室に戻ったのでしょう。


「……ああ、全く……ッ」


 事務所に残された私は、誰に言うでもない悪態をつきます。気分が、悪いです。お酒でも飲みましょうか。そう思って事務所の流しの所へと向かい、冷蔵庫にしまってある来客用のお酒を……。


「……切れて、ましたか……ッ」


 と思ったら、お酒が一つも残っておりませんでした。反射的に舌を打ちます。ったく、こういう時に限って、どうして残っていないのですか。何か代わりになるものはと思ったその時、冷蔵庫の隣に置いてあった段ボールに目が行きました。


「……これは……」


 それは、いつか取引先からいただいたものでした。瓶に詰められた緑色に鈍く輝く炭酸の液体。ラベルにはムカ・コーラと書いてあります。取引先の方が絶賛していた、この飲み物。おそらくはジュースの類だと思いますが……もう、これで良いですか。

 グラスに氷を入れ、中にムカ・コーラを注ぎます。氷に触れて、緑色の液体がシュワシュワと音を立てました。戸棚からいくつかのお菓子も取り出すと、私はそれらを持って来客用のソファーへと向かいます。テーブルに置き、誰も入って来られないように事務所には鍵をかけると、ドカッとソファーに腰掛けました。


「……お疲れ様でした」


 一人でそう呟いた私は、ムカ・コーラを一気に呷りました。


「ッ!? ゲホッ、ゲホッ……」


 そしてむせました。何ですかこれは。口の中に広がったのは、あり得ない程の糖分、糖分、そして糖分。砂糖か人工甘味料かは知りませんが、炭酸飲料の中に一体どれだけの糖をぶち込んだらこうなるのか。

 最早ドロドロに溶かした砂糖を飲まされていると言っても過言ではない程の強烈な甘さが、一気に舌に押し寄せてきました。


「……しかし、悪くは、ありませんね……」


 その癖、後味が嫌味なくらい爽やかで、まるで水でも飲んだかのような爽快感です。私は瓶からおかわりを注ぐと、もう一杯、ムカ・コーラを呷りました。


「ふー……何だって言うんですか、ったく……」


 ようやくムカ・コーラ甘さに慣れてきた頃。私は再びムカムカする気持ちを思い返していました。

 アメリアさんには、人でなし、と言われました。ミヨさんには、バカ、と言われました。たったそれだけのことで、私は今、酷く嫌な思いをしています。


 何であんなこと言われなければならないのでしょうか。私はただ、お願いされたことをやっただけじゃないですか。文句なら、やれと言ったリッチさんに言ってくださいよ。

 私は言われたことをしただけ。お願いされた仕事を、忠実にこなしただけ。ただそれだけのこと、その是非なんて管轄外だと言うのに……。


「……クソ……ッ」


 思わず、私は握った拳をテーブルに叩きつけました。机とグラス、そして乱雑に置かれたお菓子類が、振動によって震えます。

 飲み込めないような、嫌な気分。しかもそれは彼女らに言われたからに加えてもう一つ。自分の内側にいるもう一人の自分が、お前はそんなことしたのか、と言ってきているような、変な感覚もあったからです。

 まるで、私の本心は、そんなことしたくなんてなかったとでも言わんばかりの……。


「~~~~~~~~ッ」


 強烈な嫌悪感に苛まれた私は、グラスに注ぐこともないまま、ムカ・コーラの瓶を引っ掴んでそれを呷りました。この強烈な甘みが、全てを忘れさせてくれると信じて。心なしか、アルコールを摂取した時のように頬が蒸気している気がしています。


「……足りません、ね……」


 一瓶を飲み切った私は、フラフラと立ち上がり、新しい瓶を取り出します。もう面倒なので、段ボールごと近くに置いておきましょうか。来客用の机の近くに置いて中から新しいムカ・コーラの瓶を取り出すと、私はまた、それを呷ります。

 ああ、甘い。今はもう、何も考えずに、この甘さに酔っていたい気分です。


『BEEP! BEEP!』


 少しして、タブレットからけたたましいビープ音が聞こえてきました。何ですか、人が良い気分に浸りたい時に、ピーピーうるさいですね。


『ムカ・コーラの中毒症状が出ていますッ! ムカ・コーラの中毒症状が出ていますッ! 至急、摂取を止めてターミナル中央病院へ……』


「うるさい」


 ポケットから取り出したタブレットの内容をロクに見ることもないまま、私は電源を落としました。ふう、やっと静かになった。

 では、続きを飲むことにしましょうか。今はもう、甘い以外、何も考えたくないです。私はそのまま、ムカ・コーラを口にしました。

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