第二話③ 言われても、こちらの都合もありますので


「……さて、この先ですね」

「ゼエ、ゼエ、ゼエ、ゼエ……」


 あれから何とか追手を撒き、私たちは目的であった研究所にやってきました。肩で息をしているミヨさんですが、まだ歩けそうですね。上出来です。

 窓ガラスが割れ、壁も剥がれてはいますが、この建物には電気が通っているみたいで、中には電灯が灯っており、自動ドアなんかもまだ稼働しています。


「ヴァー……」


 空いていた窓から建物内に侵入すると、ウイルスに冒されたらしい方々が大勢いました。最早人語とは呼べないようなうめき声を出しながら、こちらに手を伸ばして襲いかかってきます。


「ミヨさん、私の後ろへ」

「う、うん……」


 念の為に、ミヨさんを下げます。死なないとは言え、ウイルスに感染されると面倒くさそうなので。


携帯呪文起動モバイルスペルオン、"炎の海オーシャンレッド"」


 右手の中指の爪から呪符を取り出した私は、ゾンビとなった彼らに向かって魔法を放ちます。たちまち辺り一帯が炎の海となり、襲いかかってきた彼らを焼き尽くしました。動かなくなった彼らを見て、ホッと一安心。とりあえず、奥へと進んで行きましょう。

 そのままたまに迫りくるゾンビ等を焼き払いつつ、私たちは奥へと進んでいきます。"炎の海オーシャンレッド"、多めに持ってきておいて良かった。


『……そこの二人。今すぐ立ち去りなさい』


 建物内を進むと、鋼鉄でできた一際頑丈そうな扉がありました。その前まで来た時に、不意に虚空から誰かの声が響いてきます。周囲を見てみても、人影はありません。となると、天井についているスピーカーらしきものからでしょうか。


『これは警告よ。今すぐに回れ右して立ち去るなら、そのまま帰してあげる。でもこの部屋に少しでも入ろうとするのなら、容赦しないわ』


 声色的に女性の方でしょうか。その言葉には、迷いが一切感じられません。これ以上近寄るなら実力行使に出るぞ、という本気さが伺えます。

 そう言えば、この辺りにはやたらとゾンビが多かった気がします。これも彼女の仕業だったのでしょうか。


「そうですか」


 私はそれを聞きはしましたが、遠慮なく扉を開けようと手を伸ばしました。知りませんね。そちらの都合もあるのでしょうが、私も仕事があるのです。ここで帰る訳にはいきません。


『……警告はしたわよ? さようなら』


 すると、女性の声が聞こえたかと思った瞬間。今まで歩いてきた廊下に障壁が降ろされ、もと来た道を引き返すことができなくなりました。それと同時に天井から細長い鉄のストローのようなものが現れ、シュー……と音を立て始めます。


「ッ!? ゴホ……ッ!」

「ゲホッ! ゲホッ! あ、あああ……」


 すぐに私たちの身体に異変が起きました。突如として咳き込み、息と共に黒い血を吐き出します。そして身体中に黒い斑点が浮かび上がり、ミヨさんは耐えきれなくなったのか、遂には倒れ込んでしまいました。


『ウイルスはすぐにあなた達の脳みそを腐らせるでしょうね。帰らなかったことを後悔しなさい』

「……お断り、します。ミヨさん、お渡ししたあれを……」

「ゼェー、ヒュー……え、えっと、ど、何処に……?」


 スピーカーの向こうの女性は勝ち誇ったような声を上げていますが、生憎タダでやられる訳にはいきません。彼女に持たせていたあれで何とかしようと思いましたが、既に倒れ込んでいる彼女はもたもたと身体をまさぐっています。身体が小さい分、ウイルスの浸食も早いのでしょうか。

 苦しみから膝をついていた私ですが、彼女のあの様子では間に合わなさそうですね。仕方なく自分ポケットから呪符を取り出し、呪文で起動させました。


携帯呪文起動モバイルスペルオン、"慈愛の風エアリアルキュア"」


 呪符が光り、魔法が起動します。すると、封鎖された室内であるにも関わらず、涼しくて透き通ったような風が吹き抜けました。風が通り抜けていった後、身体中の斑点は消え、咳も止みます。倒れていたミヨさんにも風が当たり、白い肌に戻っていってますね。


「……フー。用意しておいて良かったです。大丈夫ですか、ミヨさん?」

「ゴホッゴホッ……う、うん、何とか……」


 口元に残った黒い血を唾と共に吐き捨てると、ミヨさんに声をかけました。顔を上げた彼女にも、先ほどまでの症状は見られません。


「全く。こんな時の為に呪符をお渡ししていたのに、何をしているんですか? 右手の人差し指の爪にしまったじゃないですか」

「し、しょうがないじゃないッ! 爪にしまったなんて、そんなすぐに思い出せる訳が……」

「私と違って、まだその一本だけなんですから、それくらい覚えて……」

『ど、どうなってんのよッ!?』


 何とか立ち上がるまで回復した私たちの元に、スピーカーから焦ったような怒鳴り声が聞こえます。


『一度は感染した筈でしょ!? 何で症状が消えてんのよッ!? 第一、ウイルスはまだ充満してるのに、どうして……』

「貴女に教える義理はありません」


 体内の病原菌を取り除き、一時的に耐性をも付与するこの携帯呪文モバイルスペル。こういう世界に行くのなら、ウイルス対策は必須ですからね。しかもこれは、この世界にはない魔法の類。話したところで、理解してもらえる訳はないでしょう。

 パニックホラーにファンタジーを持ち込んでいるのはこちらですからね。ジャンル違いで申し訳ありません。とは言え効果が切れてしまえば、また感染してしまいます。さっさと扉を開けましょう。私はポケットから、別の呪符を取り出そうとして……。


「……しまった」


 ゾンビ対策の火炎系呪文ばかりが頭にあり、衝撃系の携帯呪文モバイルスペルを持ってくるのを忘れてしまいました。


「……"雷の剣ライトニングブレード"」


 とりあえず、あり合わせの物で試してみました。しかし私が放った雷では、頑丈な扉を壊すことはできませんでした。


『な、なんなのよアンタッ!? な、なんで何もない所から雷なんか……』

「……仕方ありませんね。ミヨさん、これは他言無用でお願いします」

「えっ……?」


 スピーカーからの声を耳に入れつつ、私は左手で眼鏡を外します。携帯呪文モバイルスペルを一度切り、不思議そうな顔をしているミヨさんの前で、扉に向かって開いた右手を伸ばしました。

 どうせ忘れたとしても、あの方法さえ買えれば戻ってくるでしょうし。身体の方はどうにもなりませんが……。


「少しくらいなら……"無機掌握フォース・ワン"」


 直後。私は足元に光り輝く魔法陣を展開させます。そして、開いた右手でゆっくりと何かを握りつぶすかのように指を動かしていくと、"雷の剣ライトニングブレード"ですらビクともしなかった頑丈な扉が、音を立てながら内側へとひしゃげていきます。まるで、巨大な手に握りつぶされていくかのように。

 そのまま鋼鉄製の扉が外れた所で横に放りました。それと同時に、私の頭の中に痛みが走ります……また一つ、私の記憶が……ッ。


「ゲホ……ッ! ハァ、ハァ……もう、少しですから……ッ」

「な、なに、今の……? いつもの携帯呪文モバイルスペルじゃ、ない……?」


 加えて咳き込みもしましたが、今回はまだマシですね。以前、崩れ落ちてきた一軒家を受け止めた際には、血を吐きましたし。

 ミヨさんがびっくりしていますが、ええ、これは携帯呪文モバイルスペルではありません。私固有のものです。他言は無用ですよ、いいですね?


「ッ! こ、来ないでッ!!!」


 息を整えつつ眼鏡をかけ直して中に目をやると、扉の先は広い部屋となっており、更に向こう側はガラスの壁で仕切られていました。ガラスの向こう側にはいくつもの機材が並んでいる部屋があります。

 そこには、先ほどまで喋っていたと思われる女性。そして、ミヨさんと同じくらいと思われる、同じく黒い髪をした幼い女の子がいました。


「何処の誰か知らないけど娘は、ジェーンは渡さないわッ!」


 女の子を抱きしめながら、女性が叫びます。ああ、その子はジェーンという名前の娘さんなのですか。


「……貴女は、アメリア=ウェーカーさんですね?」


 検索した情報を思い出し、私は言葉を紡ぎます。


「私は貴女の旦那、サム=ウェーカーさんの研究データが欲しくて、ここまでやってきました。データのコピーでも構いません。渡していただけるのであれば、これ以上手荒なことはしない事も約束しましょう」

「ほらッ! やっぱり旦那の研究データ目当てなんじゃないッ!」


 私の言葉を聞いたアメリアさんが、我が子を更に強く抱きしめます。


「コピーなんてできないことくらい知ってる癖にッ! 白々しいったらないわッ! 同じくらいの歳の子を連れてくれば、私が気を許すとでも思った訳ッ!?」

「……待ってください。何のお話ですか?」


 話が微妙に噛み合っていない気がしています。私は研究データが欲しいのであって、アメリアさんが必死こいて守ろうとしている貴女の娘さんには興味がありません。それなのに彼女は、私が娘を攫おうとしていると思われているような気がします。


「私が欲しいのは研究データであって……」

「……ランバージャックさん、あれ」


 やがてミヨさんが私の服の裾を引っ張りながら、ゆっくりと指を示しました。それを一瞥して指された方を見てみると、アメリアさんが抱きしめている女の子の額に、チラリとマイクロチップのようなものが埋め込まれているのが見えます。

 ふと思い出したのですが、私たちを追い回してくれたあの三人にも、同じような物が頭に埋め込まれていました。


「……まさか」


 私に嫌な予感が走り、タブレットを取り出しました。ターミナルレコードにアクセスし、この世界でのマイクロチップっぽいあれについて調べます。


『生体チップ。この世界で開発された、各種の情報を人の記憶に直接埋め込む技術。膨大なデータを覚えさせる事ができるが、一人につき一枚までであり、追加で埋め込む事はできない。

 また一度埋め込まれたものを取り除く事で、チップ内のデータを回収できるが、その場合は取り除かれた対象者の脳に深刻なダメージが残り、記憶障害、人格破綻等の後遺症が発生する。その為、一度埋め込まれた生体チップは、基本的に取り除く事が推奨されない』


 ミヨさんと一緒に、表示された文字を目で追います。ちなみに彼女は、私の隣で頑張って背伸びをしています。


「……つまり、です」


 調べて出てきたこの情報。そしてアメリアさんのあの態度。それらを統合して考えてみると……。


「……研究データは、あの女の子の生体チップにある、と言う事ですか」


 なるほど、それなら執拗に自分の娘を渡すまいとしているアメリアさんの態度にも納得できます。データはあの子の額の生体チップにしかなく、それを取り除かれると娘がどうなるか解らない。だからこそ、渡す訳にはいかないと、そう言う事ですか。


「……では、それを渡してもらいましょうか」


 私は携帯呪文モバイルスペルの呪符を取り出しました。在処が解ったのなら、さっさと回収させていただきましょう。

 取り除かれる娘さんは可哀想だとは思いますが……生憎、私も仕事なんです。恨むのであれば、愛娘の生体チップに研究データを入れたお父さんを恨んでください。


携帯呪文起動モバイルスペルオン……」

「ッ!?」

「ま、待って、ランバージャックさんッ!」


 私と、目を見開いてガラスの向こう側で自分の娘を庇うように抱きしめたアメリアさん達の前に、ミヨさんが割って入ってきました。

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