第二話② 金なんて、危機が迫れば役立たず


「ハア、ハア、く、クソッ、これだから……ッ!」

「にぎゃぁぁぁああああああああああああああああああああああッ!!!」


 あれから少しして、私とミヨさんはドアを使って異世界へと来ていました。今日は自宅で書類仕事をするつもりだったのですが、リッチさんが持ってきた仕事の所為でドアを使うハメに。書類仕事は明日の私に投げましょう。


 やってきたこの世界は、いわゆるポストアポカリプスな世界。

 とあるウイルスの蔓延によって人々はゾンビと化し、文明が維持できなくなり、どうしようもなくなった政府の手によって街にミサイルが投下され、何もかもが崩壊してしまいました。

 一部の人間はシェルター内に避難したそうですが、ほとんどの人間は病原菌が蔓延する外の世界に取り残され、崩れた建物等の下で少ない資源を奪い合って生きているという、つまりは終末期です。


「待てやゴラァ!」

「持ってるもん全部置いてけッ!」

「新鮮なお肉ーッ!」


 なお私たちは現在、追い回されています。ボザボザに髪の毛が伸び、砂埃に塗れ、煤けた衣服をまとい、こめかみの辺りにマイクロチップみたいなものが埋め込まれている、この世界の住人である男性三名に。

 当然でしょうね。こんな荒廃した世界の中で顔色の良さそうな人間が歩いていれば、裕福なのかと疑われてもおかしくありません。


 衣装こそこの世界に合わせて、砂埃がついているボロボロのシャツやズボン、靴なんかを調達してきたのは良いのですが、上手く溶け込めなかったみたいですね。と言うか。こんな世界なら身内以外の人間なんて、全て獲物にしか見えないのかもしれませんが。

 ちなみにミヨさんは、最初に着てたボロ布を再利用しています。あるなら使う。これ以上散財してたまりますか。


「あ、あの瓦礫の角を曲がりましたら携帯呪文モバイルスペルを使いますので、そ、そこまで走ってください……」

「逃げんじゃねーよテメーらゴラァ!」

「出すもの出しゃ命までは取らねーよ、俺はなーッ!」

「肉! 肉ッ! 子どものお肉ーッ!!!」

「う、うをあああああああああああああああああああああああッ!!!」


 そのまま叫ぶミヨさんと一緒に走り続け、ビルの瓦礫と思われる角を曲がった所で、私は懐から短冊のような呪符を取り出しました。

 荒い息遣いのままに呪文を唱え、魔法を起動させます。


「も、携帯呪文起動モバイルスペルオン、"幻の霧フェイクミスト"」


 呪符が光って起動し、私たちの周りを白い霧が覆いました。やがてその霧は晴れて見えなくなりましたが、これで問題ない筈です。


「こ、これ丸見えじゃないのッ!?」

「シッ! 静かに……」


 焦るミヨさんを静かにさせると、やがて追ってきていた彼らが姿を現しました。


「うわムグゥゥゥッ!?」


 手の届きそうな場所にいる彼らを見てびっくりし、声を上げそうになった彼女の口を鼻ごと右手で塞ぐと、そのまま彼らの様子を観察します。


「どこ行きやがったぁッ!? まだ遠くには行ってねー筈だァッ!」

「探せ探せッ! 身ぐるみ剥がして内蔵まで頂くんだからなァ!」

「幼女の肉ッ! 食わせろーーーッ!!!」


 すぐ近くでキョロキョロと辺りを見回しながら、物凄く物騒な事をおっしゃっている彼ら。見つかったらタダじゃ済まなさそうです。そのまま私たちを探していた彼らでしたが、やがてこの辺りにはいないと思ったのか、違う場所へと行ってしまいました。

 十分に遠くに行ったことを確認した私は、流れ落ちる汗を感じつつ、ハァ、とため息をつきます。


「……これだからポストアポカリプスの世界は嫌なんですよ、ったく……」


 乱れた眼鏡を左手で元の位置に戻しつつ、私は悪態をつきました。

 こういった世界には、治安もへったくれもなく、それこそお金なんて役に立ちません。大事なのは、食べ物と武器。仕事以外では、絶対に行きたくない世界です。

 しかし、値は張りましたが携帯呪文モバイルスペルの新作、"幻の霧フェイクミスト"を買っておいて良かったですね。一時的に姿を隠してくれるこれは、色々と使えそうです。一枚あたりの単価が安くなる、定期購入サービスの利用も検討しましょう。


「~~~~~~~~~ッ!!!」

「……あっ、すみません」


 ジタバタし始めたミヨさんを見て、私は気がつきました。そう言えば口を鼻ごと塞いだままでしたね。


「っぷはぁ! ゼェ、ゼェ、し、死ぬかと思った……」

「貴女死なないのでは?」

「そういう問題じゃないのよ、バカッ!」


 ぜ 荒い息をしながらそう言うミヨさんに向かってツッコミを入れたら、バカと返されました。解せませんね。


「……とりあえず、"幻の霧フェイクミスト"の持続時間中はここで休みましょう。大きな音を立てなければ、バレませんので」

「さ、賛成……」


 そう言うと、ミヨさんはその場に仰向けに寝転がってしまいました。あの、ここ、野外なのですが。

 まあ、当然ですか。荷物を持って数メートル歩いたくらいでダウンしてしまうような彼女が、ここまで全力ダッシュをキメてきたのです。色々と限界に違いありません。私としてはもう少し体力をつけて欲しいところですが。


「も、もう、無理……た、立てない……」

「では、このお昼ご飯のサンドイッチは要らないということですね」

「要るますッ!!!」


 疲れからお腹も空いたので、お弁当用に持ってきた味噌カツの挟まれたサンドイッチを取り出したら、もう立てないと言っていたミヨさんが光の速さで起き上がってきました。

 立ち上がって私の手にあったサンドイッチを奪い取ると、大きな口を開けてそれを頬張ります。


「むしゃむしゃむしゃむしゃ……」


 さっきまで立てないとか言っていた筈の彼女はその場に座り込み、口を必死に動かしてサンドイッチを咀嚼しています。

 そんな彼女の側にお茶を入れた紙コップを置き、私も自分の分を食べ始めました。味噌の甘みと柔らかいパンの食感、そしてずっしりくるお肉の食感を楽しみながら、私はもう片方の手でタブレットを操作します。


 調べるものは、リッチさんに頼まれた物の情報。私はタブレット内にあるアプリを開き、ターミナルにある各世界の情報がまとめられたデータベース、ターミナルレコードへとアクセスします。

 日々更新され続けているターミナルレコード。この世界は以前調査隊が派遣されていた筈なので、少しでも手がかりが見つけられると良いのですが。


「んぐ、んぐ、んぐ、んぐ……ップハァ! おかわりッ!」

「ありませんって」


 勢いよくお茶も飲み干したミヨさんがぶーぶー文句を言っていてうるさいので、念の為に持ってきたチョコレートが入った小袋を取り出して、彼女に投げました。


「ちょこぉッ!」


 跳び上がってそれをキャッチしたミヨさんは、満面の笑みでそれを開けて貪り食っています。あれ以来、エラくチョコレートが気に入ったらしい彼女を静かにさせるには、これが一番です。まるで食事中のリスであるかのように、両頬いっぱいにチョコレートを詰め込んで上機嫌な彼女を尻目に、私は検索をかけました。


 頼まれたのは、この世界のとある人物が所有していたとされる研究データ。ウイルスの研究者であったこの人物が、自身の研究内容をまとめ、何らかの形で保管していたとのことです。

 何故リッチさんがこんなものを欲しがっているのかと言えば、おそらくこの研究データを他の世界で売って、金儲けをするつもりなのでしょう。あの人、兵器とか武器とかそういう方面の方々とのコネクションが強いですからね。


 普段であれば、こういう危険な世界に行く仕事は極力受けたくはないのですが……まあ、リッチさんの案件ですし、ここは我慢です。今回の報酬は、情報料の一部と相殺してもらえますので。


「……研究所、ですか」


 そうしてヒットしたのが、とある建物でした。なんでもウイルスの研究をされていた研究所の残骸で、荒廃した今でも一部の機能が動いているのだとか。私たちが探している研究者もそこに属していたみたいなので、これは調べる必要がありそうですね。場所も、ここからそんなに遠くなさそうです。


「目的地が決まりました。では、行きますよ」

「え……も、もう少し、休まない……?」


 食事も終え、目的地も解った所で歩き出そうとしたら、一人だけデザートを堪能し終わったミヨさんが苦言を呈しました。口元についたチョコを舐めながら、「ダメ?」と言う顔をしています。


「……もう少し、とは?」

「……一眠りくらい」


 却下です。


「そんな時間はありません。ただでさえこの辺は物騒ですし、もし先ほどの輩が……」

「いたぞッ! アイツらだッ!」


 ミヨさんに説教しようとしたら、いきなり大声が聞こえてきました。

 ギョッとして声のする方を見てみると、先ほど私たちを追い回していた彼らが、真っ直ぐとこちらを見据えています。

 ああ、"幻の霧フェイクミスト"の効果、切れていたみたいですね。言った傍から。


「……走りますよミヨさん」

「もういやぁぁぁああああああああああああああああああああああッ!!!」


 さて、追いかけっこが再スタートです。"幻の霧フェイクミスト"を使ってしまったので、今度は別の手を考えて彼らを撒くしかありません。

 ああ、もう……面倒くせぇ……ッ!

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