第一話② 聞かせましょう、世界の話
「……洗浄も完了しましたねー。検査は以上になりますねー。こちらが一時滞在許可証ですねー。身分証にもなりますので、なくさないでくださいねー。はい、お嬢ちゃん」
「あ、ありがと……」
「素直で良い子ですねー。あっ、あとランバージャックさんは申請なしにこの子を連れて来られたので、規定違反による違反金をお願いしますねー」
「……あーもう、何してんですか私は……ったく……」
「えええッ!?」
「ランバージャックさーん? 素が出てますねー。聞こえてましたかねー?」
「……はい」
回想から戻ってきた私は今、例の少女を連れて、ターミナルの中央役所の窓口にいました。カウンターの向こう側にいるお姉さんが、何もない筈の宙に浮かんでいる画面とこちらを交互に見ながら、慣れた様子で説明してくれます。
青い短髪で黒い瞳を持つ彼女は、白いブラウスに黒のタイトスカート。黒いベストを着て豊満な胸元に青いシャドーストライプのスカーフをつけた、如何にも受付事務担当という恰好です。
そんな彼女に言われて始末書も出しましたが、無許可で異世界から人を連れて来たということで、かなりの額を持っていかれることに。これで、先の仕事での儲けはパーですね。我ながら、自分のふがいなさを呪います。
だいたい、今週の私は運が良かったんじゃなかったのですか? なんですかこのザマは。これだから占いはアテにならないんです。
「急に来られましたし、現在公営住居に空きもないんですよねー。ですから、しばらくはランバージャックさんの所で預かってくださいねー」
「……解りました」
「あと最近は板についてきたと思っていましたが、油断して素が出ちゃうところは相変わらず可愛いですねー」
「……それでは」
それ以外にもいくつかの話を聞いて、ようやく今日やるべき手続きが終わりました。窓口のねーねーが口癖のお姉さん――ねーねーさんに頭を下げて、私達は中央役所を後にします。胸のところについているネームプレートに名前はありますが、それで呼んでいる人を見たことがありません。
「行きますよ」
「あっ……ま、待って」
中央役所のある役所エリアを抜けて、お店の建ち並ぶ商業エリアを越え、事務所兼自宅のある住居エリアへと歩いてきました。
到着した私は来客用ソファーを指差しながら、彼女に話しかけます。
「貴女はここで少し待っていてください。私は着替えてきますので……あっ、トイレは向こうです。あとはそこの机にあるお菓子でも適当に食べて待っていてください。では」
「あっ……」
彼女が何か言おうとしていましたが、仕事用のビジネスバックだけ置いて、さっさと事務所から自宅へ続く扉を開き、階段を登ります。
自宅に着くと自室に向かい、次の仕事に向けて汚れてしまったスーツを変えなければいけません。トレンチコートは、クリーニング行き確定ですね。
白いワイシャツはそのままにネクタイを外し、赤色に白の小さいドット柄が入ったネクタイを締め直し、銀のネクタイピンで留めます。無地のダークネイビーのズボンを穿き、同色の上着に袖を通す際にチラリと鏡を見てみると、翡翠色の瞳を面倒くさそうに半眼にした私がいました。
着替え終わった私はリビングへ向かい、二人分の冷たいお茶を用意し、階段を降りて彼女の居る事務所へと戻ります。扉を開け、お盆を持った私が最初に目にしたのは、
「はぐ、はぐ、お、美味しい! 甘い! こんなに美味しいなんてッ!」
机の上に置いていた漆塗りの菓子器に入っていたお菓子の小袋を開けに開け、一心不乱に中身を口へと運んでいる彼女の姿でした。その周りには、食い荒らされたと思われる小袋の残骸が散乱しています。
「……あの」
「ッ!? な、なによ、食べていいって言ってたじゃないッ! あげないわよッ!」
取りませんって。
「……そんなに気に入ったのですか、それ?」
「うんッ!」
物凄い良い笑顔で答えられました。
「これ、何ていう食べ物なの?」
聞くやいなや、彼女はそれを口の中に放り込みました。そのまま両頬に手を当てて、もぐもぐとアゴを動かしながら、本当に美味しそうに食べています。
「それはチョコですね」
「ちょこぉ!」
目を輝かせながらチョコの名前を連呼している彼女。よっぽど気に入ったのでしょう、良かったですね。
机を挟んで彼女の正面に腰を下ろした私はお盆を置いて、彼女の前に冷たいお茶を置きました。机にあったチョコレートを全部平らげ、嬉しそうにお茶を飲んでいる彼女に向かって、声をかけます。
「んぐ、んぐ、んぐ、んぐ……」
「……そろそろお話して構いませんか?」
「ふーっ……あ。は、はいッ!」
お茶も綺麗に飲み干して、満足そうな彼女。私の言葉でようやく我に返ったのか、コップを置いて慌てて姿勢を正し、両手を膝の上に置きます。
ため息をついた私は、自分の分のお茶を一口飲み、右の中指で眼鏡を直します。とりあえず、お話をしますか。
「まずは名前を教えていただけませんか?」
「へ?」
その質問に彼女が固まります。何を鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔をしているんでしょうか。
「さ、さっき言ってなかったっけ?」
ああ。そう言えば窓口で何か言っていたような気もしますが、よく覚えていません。私は始末書を書いていましたし。
「覚えていないのでお願いします」
「……ひ、被検体No.34、よ」
それは名前ではありません。
「貴女の境遇はいいので、名前を教えていただけませんか?」
「……ないのよ」
ないって何が。
「名前が、わからないのよ……」
……そう、なんですか。
「連れていかれてからずっと番号で呼ばれてて……頭も弄くられて、名前、が……」
貴女も……って、あれ?
「少しお待ち下さい」
では、中央役所ではどのように登録されているのでしょうか。タブレットを取り出し、通話にて問い合わせます。
「ランバージャックです。先ほどの件についてですが……」
『はい、先ほどの件ですねー……あー。すみませんが、まだ住居は用意できていませんねー。それともその子と住むことを決めたというお話ですかねー?』
断じて違います。
「そうではなく。この子の名前なんですが……」
『ああー。その子確か申請書には、被検体No.34って書いてありましたねー』
「……そのまま登録されているのですか?」
『そうですが、何か問題がありましたかねー?』
「……いえ別に」
詳しく掘り下げると面倒なので、ありのままで受け入れて追求しない、ということですか。なるほど、勉強になりました。役所の仕事なんて、どこもそんなもんですよね。
『まあ私達の間じゃ呼びづらいんで、34だから"ミヨ"ちゃんって呼んでますけどねー。ご用件は以上ですかねー? それとも私にデートのお誘いですかねー?』
「断じて違います」
このねーねーさんは、いつもこんな調子です。
『たまにはデレてくれてもいいと思うんですよねー』
「気が向いたら。では、失礼します」
タブレットを耳から離し、通話を終了します。そうですね、別に彼女の過去まで追求しなくても良いですよね。
「ど、どうしたのよ。何か、あった?」
「いえ別に。では名前が無いようなので、ミヨさんと呼ばせていただきます」
「み、ミヨ……?」
「34なので、ミヨさんです」
嫌と言われたら面倒ですが。
「ミヨ……わたしの、名前……」
彼女はどこか嬉しそうに見えます。
「……うん! わたし、わたしミヨッ!」
「ではそういうことで。話を始めましょう」
「アッハイ」
嬉しそうなのはいいのですが、サクサク行きましょう。この後も仕事ですし。
「私の名前はランバージャック。このターミナルと呼ばれる世界と世界の狭間で、異世界行商人を個人で営んでいます」
「い、異世界……?」
彼女改め、ミヨさんがびっくりしています。まあ、そこですよね。
「異世界行商人というのは、色んな世界や時間を巡って顧客の欲しいものを調達し、販売する仕事です。貴女がついてきた光輝く四角い扉。ドアと呼ばれるものを使い、私達は異世界を回ります。世界は、貴女がいた場所だけではありません」
日々色んな世界が発見され、そして滅亡していますからね。
「じ、じゃあここは……」
「はい、ここは貴女のいた世界ではありません。貴女が持っている常識、習慣、通貨は通用しないですし、貴女の境遇も関係ありません。なので、安心していいんですよ」
「そ、そうなんだ……」
はい、そうなんです。
「そしてこのターミナルと呼ばれる場所は、私のようなドアを扱う人々が生活する場所です。管理しているのは、先ほど行きました中央役所。偶然ここに迷い込んだ貴女は、今は一時滞在者の身分です」
「は、はあ……」
「そして、貴女には選んでいただきます」
「選ぶ?」
「はい。ここに留まって仕事をするか、ここでの記憶を無くして自分の世界に帰るか、です」
二者択一。人生とは、選択の連続です。
「ここに留まりたいなら、仕事をしてもらうことになります。異世界の存在を知った人をここに集めておきたいという、中央役所の意向ですので。帰りたいなら、異世界の記憶を消して元の世界に帰します」
そう決まっているので、従うしかないですよね。まあターミナルと契約を結べば、記憶を消さずに元の世界に帰ることもできますが。
「……帰れ、るんだ」
「帰りたければ」
もっとも。先ほどのやり取りを思い出す限り、帰りたくなさそうに思えますが。
「……帰りたく、ない」
少しの間があった後、いつの間にか俯いていたミヨさんはそう口にしました。左手でお茶に飲みつつ、私は確認の意味を込めて、聞き返します。
「本当に?」
「帰りたくない! あんな所に帰りたくないッ!」
「では、ここで働きましょう」
顔を上げて、はっきりとそう口にした彼女。良かった、そう言うと思って各種の申請書をもらっておいて。私はそれらをカバンから取り出しながら、話を続けます。
「まずはここで生きていくという同意書にサインをお願いします。そして、現在働ける場所はこの一覧にあります。自分で起業する場合は、この備考欄にその旨を記載してください。後は住居の申請と当面の生活費、日用雑貨の関係も……」
「ちょ、ちょっと待って!」
手のひらをこちらに向けて、待って欲しいと言うミヨさん。なんですか、人が説明している時に。
「説明は嬉しいけど……何も、聞かないの?」
「はい?」
何か聞くことなんてありましたっけ。
「……わたしについて、よ」
ミヨさんについて、ですか。
「どうして帰りたくないの、とか、何で名前が解らないの、とか……」
「別に」
知ってどうにかなるものでもないですし。
「話したければ聞きますが……ああ、長くなりそうでしたら、また夜にお願いできますか? これから別の世界に行く予定がありまして」
「……あんたって、なんなの?」
「はい?」
訝しげな視線を向けてくるミヨさんです。私が何なのか、ですか。そんな哲学的な質問をされましても。
「興味がなさそうなのに、どうでも良さそうなのに、助けてくれて……」
興味がなかったり、どうでも良いというのは間違ってはいませんけどね。
「私は、私の不注意で貴女を巻き込んでしまった。だから、貴女についてどうするかが固まるまで、面倒をみているだけですよ」
じゃなかったら、こんな面倒なことしません。自分で蒔いた種は、自分で面倒を見なければなりませんから。いくら私でも、それくらいはしますよ。
「……そう、なんだ」
そうですよ。
「では、必要書類はここに置いていきますので、書くべきものを書いてください。ああ、書くのはあなたの世界の字で構いませんよ。勝手に翻訳されますから。私が戻りましたら、中央役所に行きましょう」
そう言った私は書類を机に置き、残っていたお茶を飲み干すと、カバンを持って立ち上がりました。さて、仕事へ行きましょう。ドアをくぐる為にステーションへ行かなければ。
「あっ……ま、待って!」
何でしょうか。
「わ、わたしも行く!」
「……はい?」
この子は一体何を言っているんでしょうか。
「ほ、ほら! やってもらってばかりも悪いじゃない? だから少しくらい手伝わせてよ!」
「結構です」
これ以上の面倒はごめんです。
「な、なんでよ!」
「いいですか? 私の仕事は異世界行商人です。行く先の異世界の知識を持ち、貨幣を用意し、その土地にふさわしい格好をして有事に備え、それでも危険が付き纏う仕事です。最悪、死ぬ可能性すらあります」
「うぐ……」
私の説明を聞いているミヨさんは、何も言ってきません。まあ、死んだら元も子もありませんので、ヤバくなったら逃げろ、がこの業界のモットーでもあるのですが。
「という訳で、お手伝いはお断りします。ここに居て必要な書類を書いていてください。では」
「……死ぬかもしれないなら……わたしだって、役に立つもん……」
さっさと仕事に向かうとしましょう。ミヨさんは不満そうに何か呟いていましたが、知ったこっちゃありません。私はそのまま事務所を後にしました。
そして、私は学びが足りませんでした。勝手についてきたミヨさんが、これくらいでへこたれる訳がなかったのです。
つまり、彼女はまた勝手についてきました。
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