三十路の彼と幼い彼女 ~彼らは異世界行商人~

沖田ねてる

第一話① 彼と彼女の、あの日の出会い


 見ず知らずのボロ布を纏った少女なんか、無視してもいいと思いませんか? 当時の私は思いました。


「じ~~~……」


 複数のビルの合間にある裏路地で、私は体操座りをしている彼女と少し遠いくらいの距離を保ち、お互いを見つめ合っています。既に互いの存在を認識してしまっており、今さら見て見ぬふりはできません。いや、これ、どうしましょうか。


 第一、今日の私はくたびれているんです。朝から商品を運び、納品先に持っていったらやっぱり別の場所にして欲しいと頼まれ、ついでに倉庫の掃除の手伝いまでする羽目に。最近三十路になった所為か、身体のあちこちがガタついている気がしています。


 お陰で黒いスーツのズボンと、お気に入りの黒のトレンチコートが汚れてしまいました。白いワイシャツと無地で濃い緑色のネクタイ、そして黒い靴下と革靴が無事だったのは幸いでしたが、お金を取った方が良かったでしょうか。私の仕事は納品までで、その後の整理整頓は入っていなかったはずなのですが。

 朝の占いで見た今週の私は運気が良いとありましたが、ラッキーナンバーが34とか言う中途半端な数字でしたし、所詮そんなものなのでしょう。


 まあしかし、大口の仕事ではありました。面倒くさい依頼主にさえ目をつぶれば、十分な報酬です。生きていくのにも、そしてあれを買う為にもお金は必須ですから。提示された金額は、まだ少し遠いですし。


 この後もまた、仕事があります。帰ってからの段取りを考えつつ、白い前髪と、ずり落ちそうになっていたフレームのない眼鏡を左手で直していた私は、とにかく疲れていました。人間、疲れている時は他事に構う余裕はないものです。

 ですから。


「じ~~~……」


 帰り道の途中。女の子が少し離れた所から、お腹を鳴らしつつ私を見ているこの状況は、なんと面倒なことでしょうか。

 盛大にお腹を鳴らす彼女が見ているのは、私が右手に持っているスティック状の栄養食です。少量でカロリーと栄養がまかなえ、満腹感も得られるという異世界の食べ物。いや、凄い世界でしたね。


「じ~~~……」


 それはいいんです、それは。

 腰まである長い金髪の合間から見える紫がかった青い瞳が、私の持つ栄養食を凝視しています。そんなに見なくてもいいじゃないですか。見せ物ではありませんよ。

 正直言って、関わり合いになりたくありません。面倒事は避けるに限りますし、何より早く帰りたいのです。


 しかし今いるここが、ターミナルへと帰るためのドアを開ける場所。世界と時代を繋ぐドアは便利なんですが、行きも帰りも場所を選べないのは不満です。

 ポケットに忍ばせている携帯呪文モバイルスペルを使って追い払うこともできるのでしょうが、騒ぎになる可能性もあります。ここは穏便にいきましょう。


「……食べます?」


 私は少女に栄養食を差し出しました。少しかじったやつですが、あの様子ならそんなこと気にしないでしょう。


「ッ!」


 それを聞いた少女が立ち上がり、私の方へと走ってくると、栄養食を乱暴に奪い取ってかじり出しました。よっぽどお腹が空いていたんですねえ。食べ方が汚いです。


「むしゃむしゃむしゃむしゃ……」


 あとなんかめっちゃこっち見てます。別に奪い返したりしませんよ。

 少しして食べ終わった少女は、ふーっと息をつきました。満足そうな顔をしているので、さぞお腹が満たされたことでしょう。さあ、さっさと帰ってください。


「……ありがと」

「お礼なんかいいです。それより早く帰られたらいかがですか?」


 私だって帰りたいんです。


「……帰らない」


 うわあ、何それ。


「わたしは……帰りたくなんか……ない」

「そうですか」


 知りませんよ、そんなこと。


「なら他の所に行かれたらどうです? ここ寒いですし」

「……他ってどこよ?」


 知りませんって。


「わたしには……行くところなんて、ないのよ」

「ではここにいる必要もない訳ですね。そこをどいてもらえませんか? 私、今からここでやることがあるので」

「…………」


 なんか睨んできます。何でしょうか。


「どうかしましたか? 私としては、早く貴女にここから立ち去っていただけると嬉しいのですが」

「……わたしのこと、知らないの?」

「はい?」


 なんでしょう。この子は有名人なのでしょうか。


「貴女についてですか? 知りませんね。今ここで初めて会ったのに、知る訳ないじゃないですか」

「……ホントに知らないの?」

「知りません」


 知りたくもないです。


「そう、なんだ……」


 なんで少し嬉しそうなんでしょうか。


「……ねえ」

「なんでしょう?」

「……わたしを連れてってよ。どこか遠くに」

「お断りします」


 なんで今日会ったばかりの見ず知らずの女の子を連れていかなければならないんでしょうか。そんな面倒はごめんです。


「……いいじゃない」

「嫌です」

「……でも」

「嫌です」

「ほ、ほら、わたし……」


 あっ、ダメだ。身体中の疲労感からか、穏便に追い払うのが本格的に面倒くさくなってきました。


「面倒なので早く逃げて下さい。じゃないと死にますよ?」

「……えっ?」

携帯呪文起動モバイルスペルオン、"雷の剣ライトニングブレード"」


 ポケットから取り出した短冊くらいの大きさの呪符を元に、彼女に向けて雷を撃ちます。


「えっ? ちょ、えええええええええええええッ?」


 おお、避けた。


「では次です」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよッ!」


 何でしょうか。


「い、今の何!? なんで雷なんか出せるのよッ!? 大体、あんなのに当たったら……」

「第二撃」

「ちょぉぉぉおおおおおおおおッ!」


 ほーらほーら、逃げないと死にますよー。


「い、いやぁぁぁあああああああああああああああああああッ!」

「……やれやれ」


 少女が慌ててその場から駆け出しました。やっとどっかに行ってくれましたか。と言うか、最初からこうしておけば良かった。

 さて、と。


「帰りますか」


 タブレットを取り出して宙にかかげます。すると、虚空から「承認が完了しました」との音声が響き、世界と時代を行き来できるドアが、その姿を現しました。


「ふあ~あ……」


 縦に長い長方形の光に中に、私は入っていきます。ドアも最初は物珍しかったんですが、今ではもう慣れたものです。


 繰り返しますが、私は疲れていました。ついでにお腹も空いていました。だから、さっきの彼女が後ろについてきていたなんて……知らなかったんです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る