第3話 自我の芽生え

 子どもが学校に行けない。


 まさに母としては、茨の森の真っただ中にいる。正直言って、不登校直後の私の記憶が定かではない。

 不登校の怪しいセミナーにも参加してみた。不登校児の当事者の思いが知りたくてネットニュースなどありとあらゆる電子書籍を読み漁り、あれがいい、これがいいという情報に踊らされながら子どもと向き合う日々だった。


 ただ、なんとなく予想していたことが、とうとう起きたという感じもあった。今までは保育園からの延長で、なだめすかして連れていけばよかったが、中学生にもなると、そんな小技は効かない。

 これが小学生と中学生の違いなのだと早々に気が付いた。こんな形で自我の芽生えの第一歩を感じた。そんな思春期の自我の芽生えを少し嬉しくも思う自分もいて不思議だった。


 学校には行けたり行けなかったり。別室登校とカウンセリング登校のみ。教室には入れない。今の学校のお友達に何かをされたのではないけど、同級生の集団が怖くてしんどい状態になっていることは間違いない。


 久しぶりに同級生と話したので何をどうしゃべっていいのか分からない


 そんなことを言っていた。自分をどんな形で同級生の中で表現していいのか分からない。そんな状況のようだ。そして、これ以上傷つきたくないという防御反応のようにも感じた。


 なぜ、私はこんな状態になるまで娘を放置していたのか。自分を責めた。娘の気持ちを今まで聞いていたのだろうか。反省ばかりする日々だった。


 兎に角この時期は、赤ちゃん返りしたように、ずっと抱っこをしていたように思う。私の服の中に入ってきたこともよくあった。自我の芽生えと甘えをどう受け止めていいのか戸惑っている自分もいた。


 1歳で職場復帰、保育園と小さい時から頑張り屋さんだった娘。もう、こうやって抱っこして、ハグするのは最後かもしれないと思い、娘の心の痛みが私のハグで癒されるなら‥との思いで、ずっと抱っこをしていた。


 小学校時代の悪夢にうなされて眠れないという訴えがあった時期ではあった。このころはまだ、眠り姫ではなかった。


 

 

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