二人が初めて出会ったのは二〇一八年の六月、『天使と悪魔』の撮影現場だ。

 男は渋い顔で世界中のトップクラスの腕を誇るプロカメラマン。

 女は圧倒的な美貌で彗星のごとく現れた人気モデルだった。

 もし、ロバート・ブロック原作、『サイコ』がリメイク版の映画製作されるのであれば、マリオン・クレーン役は彼女に大抜擢されるに違いない。それほど彼女は美貌の持ち主だった。

 鳥肌が立つほど魅力的な女だな――!

 まさしく地上に舞い降りた天使のようだ――!

 男はぞくっと背筋が凍りついた。

 彼は一眼レフでレンズが捉えた被写体を無我夢中で撮影した。

 汗だくになって色んな角度とアングルで撮ったのは、もちろん言うまでもない。


 三時間がとうに過ぎた頃、「おつかれさまでーす」とプロカメラマンはいった。

 自然と湧きあがるスタッフの拍手と笑顔。

 女は再び天使のような微笑みを浮かべてお辞儀した。

 その時、彼の目の前で信じられないことが起こった。

 撮影が終わった途端、女は鼻くそをほじくりはじめた。

 えっ、嘘だろ――!

 男は鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった。

 彼女は指先にくっついていたものを丸めてぴんと飛ばした。

 嘘だ、嘘だといってくれ――!

 男はショックのあまり両手で禿げあがった髪の毛をかきむしった。

 愕然とうなだれる男をよそに、

 女は歩きはじめた。

 男もついて行く。

「ねえ君」

「――なにか用?」

「君はとっても美人だよ。でもね、鼻くそをほじったものを丸めてぴんと飛ばしたら、美人も台無しだと思うよ」

「あら、そうかしら?」彼女は肩をすくめた。

「悪い癖はなおした方がいいよ」

「もう一度いってよ、わたしがどのくらい可愛いか?」女は小悪魔のような顔で汚らしい指を口にくわえた。「わたしのこと、愛してる?」

 ぽかんと立ち尽くす男を女はにやにや眺めた。

 男の年齢は四十二歳。

 女の年齢は二十二歳だった。

 年の差は二十二歳も離れているが、

 お互い独身だったというのが唯一の救いだった。

 男は駄目元で女を誘った。

「もし、君がよければ一緒に食事でも――」

「ええ、いいわ」

 よっしゃあっ――!

 彼は心のなかでガッツポーズをきめた。


 高級レストランで夕食を済ませたあと、

 男と女はラヴホテルに行って、セックスする。

 ことが終わると、女はごろんと男に寄りそう。

 お互いじっと見つめ合う。

「わたし普通のセックスじゃ物足りないの……」

「えっ、なんてこというんだい」男は眉間にしわを寄せ煙草をくわえた。「おれは満ち足りているよ」

 紫煙が宙を舞う。

 女は素っ裸のまま起きあがると、愛用のバックを開けて世界地図を広げた。

 どうやら人気モデルって奴は、仕事や撮影で色んな服を着こなすから、ふだんは素っ裸が一番っていう生き物かも知れんな……

 男はたわいもない想像をめぐらせた。

「ねえ、今度の撮影現場はここにしましょうよ」

「どうして、こんな辺鄙へんぴな場所を選ぶんだ?」

「ちゃんと台本もあるのよ」

 女はタイプライターで印字された台本を男に手渡した。

「これ、君が書いたの?」

「ええ、そうよ」

「君って本当に才能豊かだね」と男は台本をまじまじと眺める。


 表題は『Sade』だった。


 

 

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