数多き死と小さな花束

人ひとりが死んだとして

怒哀が入り混じって

毎回心が痛んでは

道端に心ばかりの花束を


けど何人何十人の人が死んだなら

その死は軽く扱われて

「可哀想に」で済まされるのは何なんだ

それだけで悲劇と謳うのは気に食わねえ


現実でも空想でも

誰かが死ぬって事はそれだけの悲しみがあって

それが数え切れない程降り積もって

そうして積もった無念をなかったことにするのか


それを良し悪しを決めるのは俺じゃないが

少なくとも俺は否定したい

なかった事にしていい思いなんて何も無い

それが空想であれ、現実であれ

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