第2話

「いや、今の時期に事務職の正社員なんて中々ないよ」

 舐めているの君。と目の前の汚く髭を伸ばした就職支援担当者に言われて唾棄したくなる。

「いや、無理を承知で言っています。そこを何とか。せめて書類選考だけでもしてもらえる企業があれば」

「ないよ。そんな企業も。いい? 実績も何もないあなたがいきなり事務職の正社員になれるわけないでしょ?」

「実績なら3年間派遣をしていた‥‥」

「それは実績と言わない」

 と目の前の男性は冷たく言い放った。

 クビを言われた私は、その翌日近所の公営の職業支援所に向かう。最低条件は事務職。とにかく事務職をしたい。その旨を話したら苦虫を噛み潰したような表情をされた。

「残念なことに君の条件に合う場所などない。だからまた違う日に来てくれ。見つかったら連絡してあげるから」

 そんなの嘘だ。一瞬で分かる。

 しかし自分もこれ以上籠城しても職場を教えてもらえることはないということは知っていたので取り敢えずその日はわかりました。ただそう言ってその場を後にした。

 仕事がない今、収入というのは不安定である。だからスーパーで食材を買うことすらも躊躇った。

 取り敢えず近くのディスカウントストアに向かおう。そこで少しでも食費を抑えよう。

 そう思う。そして自宅から徒歩5分ほどの距離にあるディスカウントストア、テンペストに向かう。昼間でも騒がしいほどのネオンの看板が特徴である。

 去年、沖縄県進出を最後に47都道府県全て出店したというニュースが流れた。ディスカウントストアの中では、日本国民名前を知らない人はいないのではないかと思うぐらいの大手中の大手。

 そして私が働きたくない店の筆頭である。

 テンペストが出店しているエリアというのは猥雑な都会にあるようなイメージであった。路地裏から何匹ものネズミが湧いてきそうな、そんなところにある。また、値段も安いので、貧乏人がゾンビのように値引きのシールを探しては徘徊をしている。そのようなイメージがどうしても出てしまう。

 それが偏見であり、自分は野郎自大に陥っているのは重々承知ではある。しかし出版社を希望していた私からすればどうもこういったディスカウントストアに働くというのは、あられもしない姿のように思える。

 入店するだけで、先の見えない樹海に迷い込むような竦み震え上がりそうである。初めて入るエンペスト。

「いらっしゃいませ」

 しかしその予想とは裏腹に入店した時、明るく挨拶をする若い女性の店員。

 明るい証明。ワクワクさせるポップ。今まで見たことのない商品、新しい商品の発見、時代がここまで発達したのかと思える便利な商品、広い敷地、食品雑貨の幅広い部門。初めて遊園地に行った小学生のように興奮をした。どうして今までこの場所を知らなかったのか。

 2階を、1階を何度も行き来して店舗を歩き回る。その姿は側からみれば不審者であり、もうそろそろ店員に声をかけられるのではないか。もっとも鞄すらも身に付けていない私はすぐ身の潔白というものを証明することが出来るが。

 そしてしばらく観察をしたのち、思う。もし自分が小売りの道を歩んだらどんな風になっていたのだろうか。

 大学の時、書店、文房具屋は興味があったがそれ以外の小売りに一切の興味を示さなかった。

 よく考えてみる。

 自分が営業が嫌いな理由。

 まず毎日スーツを着るのがダルい。私は面倒くさがり屋である。中学、高校で朝起きて制服を着るというのが非常に面倒だった。どうして毎日、毎日決まってあのような堅苦しい服を着ないといけないのか。ましてや炎天下でスーツを着ている営業マンを見ると虐待にすらも感じる。スーツや制服というのがどうも社会の首輪のように見えて嫌だ。もちろんこれも偏見であることは承知である。

 それに対して、小売りに勤めれば上にエプロンのようなものを着るだけで終わるのではないか。しかもこれは出勤の時に数秒ほど時間を掛ければいいだけ。ボタンを止めて、リボンの位置を正して、靴紐を結んで……スーツを着るだけで幾度もある難関が解消されるのだ。

 次にノルマが営業は厳しい。例え、自分の商品に嘘をついていたとしてもノルマを達成しなければいけないイメージである。それに対して小売りならそのようなことなどなさそうである。(もっともこれは社会経験が未熟である私の勝手な考えであり、社会人であるのならどんな職種でもノルマというのは大なり小なりあるということを知ってしまうのだが)

 完全な盲点であった。

 小売りというのは自分の営業のいやな事を削ることができる。そうだ。ここに就職をしよう。そう思っている矢先であった。

「いらっしゃいませ!!」

 これから合戦が始まるかと思うぐらいの鬨の声が聞こえた。

 その声の先には男性が2人。1人は年上。1人は大学生ぐらいの人物。

「声が小さい!」

 年上の人が年下の人に向かってそう言っていた。なるほど、指導をしているのか。それは分かった。

 しかしこうも人の目につくところで教育をするものであろうか。なおかつ、その指導でどれぐらいの売り上げというものが変わるのだろうか。

 大学で経営学を勉強し、成績も良かった私の記憶では声が大きければ売り上げが上がるなどというデータなどなかったはずだ。つまりこれは非科学的である。

 先程まではテンペストに働くのもありだと思ったが、やはり無しだ。もしかしたら目に見えている指導があれなだけでもっと酷いパワハラがあるなんて容易に想像できる。

 樹海だと思って入ったら、見晴らしのいい野原で、でもよくみたら野末がない場所であった。

 恐怖が期待に変わり失望をする。こんな短時間に3つも感情を味わうことができた。

 そして、そんなんだから自分というのはダメであるとも分かっている。自分は凡人である。また就職活動に関しては門外漢のくせして、この職業は将来性がない。営業はこういうことがあるから辛い。などと勝手に決めてつけている。その結果、いつも就職活動支援に相談をし、求人票に対して本当に残業はこれぐらいなのか、とかこれだけ離職率が高いのかなど懐疑的視線て見る。その求人が腑に落ちなくそのままゴミ箱へ捨てる。どうしてもっといい求人を紹介してくれないんだと嘆く。悪いのは就職支援の人だと逆ギレをする。自分は支援センターで相談をした。偉いと褒める。周囲の人はもっと頑張れと貶す。毀誉褒貶相半ばする。

 これだとダメだ。

 気づく。

 だから自分は社会に捨てられてしまった。こうやって路頭に彷徨っているのは自分の理想を捨てることができなかったからである。

 よし、次就職決められたらそこにしよう。もう断るということはしないでおこう。

 そして……

 その決意したタイミングを見計らったかのように電話がなる。先程就職支援を相談したおっさんからの電話である。

 迷わず出る。

「あっ、出た出た。良かったな。今急遽、人が欲しいという会社が現れて」

「は、はぁ……それはどこですか?」

「エンペストって知っているだろ?」

「え、エンペストですか?」

「そう。そこの店長候補生を今募集しているらしくて」

「店長候補生ですか」

「あぁ。そして今北陸エリアに急拡大しているらしくてそっちに人が欲しいらしいんだよ」

「北陸ですか」

「そう。つまり纏めるとエンペストで店長候補者として北陸エリア勤務。どうだ?」

 淡々と私は会話をする。

 当然、納得などしていないし頭の中は混乱している。全てにおいてわけがわからない。エンペストはさっき行ったパワハラあるかも店舗だし、自分は小売り未経験なのにいきなり店長候補と言われるし、さらに勤務先が北陸だし。当然北陸なんて行ったことがないし、行き方なんて分からないし。

「それじゃ取り敢えず明日面接あるらしいから頑張って!」

 しかも日程が急だし。

「明日面接……ですか?」

「そう。明日面接。いつも通りにしていればほぼほぼ就職できるから大丈夫だよ。なんか不安なことがあるのか?」

「いや、特に」

「よし、それなら面接会場の場所とかはメールに送っておくから読んでおいて」

「あの……」

「うん? どうした?」

「その求人断ることができますか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る