第3話

その後、おっさんからは「今自分がこんだけピンチなのにこうやって職を選ぼうとするのは考えものだ」などと説教を受けた。

 なんだ、偉そうに。などと思ったがここまで人生が上手く行かない現下の苦境も忌憚なく勤務内容などを気にしていたせいであることは自分でも理解していたので、ここはグッと自分の気持ちを抑えて面接に行くことにした。

 最悪、気が変わったとしても内定承諾をしなければいいだけだし、そもそも自分があっさりと内定を取れるとは到底思えない。

 面接会場は大阪駅一頭地にあるオフィス兼商業用ビルであった。当然、こんな場所が本社なわけではない。ただオフィスを就職活動用にレンタルをしているだけであろう。

 会場の場所に着いたら、恐らく年上であろうスーツの女性がこちらでお待ちください。と椅子と机しかない殺風景な部屋に連れて行かれた。

 既にその部屋には少女が1人いた。

 その少女は分かり易いぐらいに栃綿棒を振っている。あわあわと細かく口を動かし、音なのか言葉なのか、言葉にしてもそれが日本語なのか英語なのか、はたまた地球の言葉なのか。それが分からないような何かを発している。

「それでは、しばらくしたら呼びますので少々お待ちください」

 そうスーツの女性は言う。えっ、あの少女はそのままでいいの。明らかに大丈夫そうではないのだが。そう心の中で突っ込む。

 それから2人きりにされてしまった私。少女が歯と歯の間をかすかに漏れる葉擦れのような音がどうも気になってしまう。チラリと少女の方へ目をやる。今日死刑が執行される囚人のように顔が青ざめている。肌に粟が生じている彼女の様子を見ると、自分も見えない不思議な恐怖にギュッと心臓を掴まれてしまうような気がする。

「……そんな怯える必要ないんじゃないかな」

 と私は言う。すると彼女は私をまっすぐ見る。

「ここで失敗したら、ここで失敗したら」

 彼女は狂ったロボットのように同じことをずっと繰り返していた。

「もう私にあとがない。もう私にあとがない」

「いや、正直こんな企業そこまで考えるほどの企業じゃないでしょ。別に会社なんて無限にあるでしょ? もしかして就活始めてなんですか?」

「はじめて……と言うわけではないけど。その、なんというか」

 すると少女が完全に電池が切れたかのように口を噤み、動きが止まった。

 その少女は恐らく自分よりも年下であるだろう。小柄で、緑の黒髪をすらりと伸ばしていた。眉は自信なさげに垂れ下がっており、可愛らしいおちょぼ口であった。

 彼女の机の上には履歴書と自己PRが書かれている書類が散乱している。それを盗み見して、その少女は藤白奏という人物で、私の手が届かないような有名な国立大学出身である。大学を卒業したのは昨年だということが判明した。

 薄皮の剥けたような眉目秀麗の彼女は、秘書や受付嬢など引く手数多のように見えるがそうでない現実がある理由というのは見てのとおりであった。パッと見ただけで分かる気弱で引っ込み思案、そしていつもとっているであろう煮え切らない態度が周囲をイラつかせ、様々な可能性を阻害しているのであろう。本来なら様々な可能性があったのに勿体なく感じ、もう少し早くどうにかできなかったのか他人事ながら悔やんでしまう。

「取り敢えず、深呼吸をして落ち着いてみたらどう?」

 とアドバイスをする。

「深呼吸?」

 藤白は深呼吸をした。

「どう? 落ち着いた?」

「は、はい。多少は……」

「それなら良かった。にしてもどんだけこの面接に命をかけているの?」

「だって……面接をするのが久しぶりだったから」

「久しぶりだった?」

「そ、そうです……去年就職活動をしたんですけどどこもダメで。それで結局就職浪人することになって……でも面接を受けるのが怖くて」

「別に怯える必要なんてないでしょ。落ちる時は落ちるし、受かるときは受かる。最悪この会社に落ちたところで人生に影響なんて」

 と言ったところでハッとする。周囲を見渡す。この会話、面接官に聞かれたたら流石にやばいな。人がいないことを確認して安堵する。

 その瞬間、自分も何だかんだといいこの面接は落としたくないとどこかで思っているんだなということを知った。

「それであなたは今まで働いたことあるの?」

「えっ……私ですか? 私は、今まで働いたことは」

「ないんだ」

「そ、そうですね。学生の頃アルバイトをしたことないので……」

「アルバイトをしたことないの? 大学生になったら遊ぶお金とか必要でしょ?」

「わ、私お小遣い、月6万もらっていたので」

「月6万! めちゃくちゃ多い! もしかして親って金持ち?」

「いや……別に金持ちというわけではないと」

「大学はどこ?」

「苦楽園女子大学です」

「めちゃくちゃお金持ち大学じゃん!」

「えっ……いや」

「親は一体何をしている人?」

「えっと……政治家の仕事を少し。母は弁護士みたいな仕事を……」

「お金に困ったことないでしょ?」

「えっと困ったことないというか。考えたことないというか」

「そういうのを困ったことないっていうの!」

 この人は天然物だ。本当初めてみた。成金というものを。

 自分が働く理由というのは簡単でお金がないからである。このまま行けば金がつき野垂れ死ぬからこうやって志望業界でもない企業に面接を受けているわけである。人生的に追い込まれているのは私の方ではないか。彼女は最悪ここを落ちても実家がある限り生きていけるではないか。何だが随分と馬鹿にされたような気分だ。

 何だが、緊張で萎縮しているのも慌てふためいているのも全て自分を馬鹿にする演技のように見える。そしてたった一瞬、この僅かな間で私は彼女のことを苦手と感じるようになった。

 よく見れば藤白の来ているスーツはやけにビシッとしており、紺色の光沢が輝いていた。右腕につけられている時計は誰もが知っている有名ブランドのもので、20歳そこらの人がつけるには少々贅沢過ぎるようにも思えるものをつけている。藤白の机の下には口の空いた鞄が置いてあり、そこにはブランド物の財布が転がっている。

 苦労を知らないだろう。

 こうやってアタフタしているのも、苦労をしているフリなのである。彼女の実家はお金持ちで働かなくても生きている。

 ムカつく。私を馬鹿にしている。

 恐らく家で書いたであろう、本日の面接のための志望動機。藤白はそれを一生懸命覚えようとしている。それを破いてやりたい。

「あっ、そういえばあなたの名前を聞いて……いませんでしたね」

「私は池田」

「池田さん……ですか?」

 とそれを言ったきり会話が止まってしまった。藤白は何度も私と視線を合わせて、瞬きをする。半開きの口からは相変わらず空気の掠れた音だけが漏れている。何か喋りたそうに私の様子を伺っていた。

 それに対して、意地の悪い私は敢えて興味ないふり、藤白のことなど見えぬフリをした。これは余裕がないフリをしている藤白に対しての仕返しでもある。

 目を落としては、凝視してそれを繰り返す。それが目の前に羽音を立てながら飛ぶ蚊のような鬱陶しさがあった。次第に我慢の限界になってしまい

「何?」

 と思わず聞いてしまう。

「えっと……よろしくお願いします」

「何が?」

「今日は、ぐ、グループ面接なので……」

「だから?」

「えっと……その、何というか。一緒に頑張って……」

「どうして私はあなたと一緒に頑張る必要があるの? 私とあなたは敵なのに」

「敵……とかじゃなくて……その」

「私は私のために頑張る。別にあなたと仲良く和気藹々頑張ろうだなんてこれっぽちも思っていないわ」

「えっと……それは」

「何、自分の意見があるの? もしあるのならはっきりと言ったほうがいいわよ」

「えっと……はい……」

 太陽を失ったようなオジギソウのようにショボンと萎れてしまった。

「だから、どうしてそこで萎れるわけ? 意味がわからない。いいたいことがあればはっきりといえばいいでしょ? 私に対してムカつくのならムカつくっていえばいいし」

「そ、そんなことは」

「私を蹴り落としたいのなら蹴り落としたいって」

「そんなことも……」

「私はあなたと仲良くする気はないし、何だったらグループ面接であなたをどうやって蹴り落とすか考えるわ。よろしく」

 言ってしまった。

 こんなんだから、言いたいことを隠すことができないのだから自分という人物はクビになってしまったのだろう。

 そういえば、お前、友達いないだろ。そんなことを同級生の男に笑いながら言われたことがある。癪だけどそれは事実である。自分は困ったことに友達らしい友達というものはいない。それもこの蟷螂の斧を持ったかのように、どんな人でもはっきりと物事を言ってしまう性格のせいだということは知っている。

 それはこの月夜の提灯ほどの能力は面接でも発揮される。

「この会社の残業時間は一体どれぐらいですか?」

「えっと。そうですね、平均20時間となっております」

「ありがとうございます。それは管理者によるみなし残業も含めて平均20時間となっているのですか?」

 やってしまった。そう思った頃はすでに時遅しである。

 しばらくして面接の時間がやってきた。今日受ける人は、自分と藤白の2人しかいなかった。それなら自分が来た瞬間に面接をしろと思ったが、恐らくお偉いさんの準備とか色々あったのだろう。

 面接官はスーツを来た荘厳とした叔父様、三名。彼らのことは知らないが、この会社に置いて何しらの穎脱した才がありここまで上り詰めた人だということはすぐ様分かった。このような私のために時間を割いてもらって申し訳なさもある。

 その面接というのは淡々と進んでいく。強いていうのなら藤白の緊張というのは、面接の時間になっても解けていないようで質問を返すということに苦戦をしていたこと。面接官が何かメモをしていたが、それは「この子はコミュニケーション能力が低い」などとマイナスのことを書いているのだろう。

 それに対して、私はというと当たり障りない会話を及第点レベルに返答していた。何かおっと目を引くような話をするわけでもないし、減点されるような素振りも見せていない。面接官は恐らく、中学の朝礼の時に喋っていた校長先生の話を聞くようなそんな気分で聞いているのだろう。

 このまま面接が終われた、60点の無難な点数で終了する。その予定であった。しかしその最後、何か質問ありますか。そう言われてうっかりと聞いてしまった。

 あれほど、就職支援の人からは何があっても福利厚生のことは聞くなと言われていたのに。その教えを破ってしまう。

 いやいや、冷静になって考えて欲しい。

 この私が、五体満足心身共に正常、体は丈夫、多少荒めに使っても壊れることのない私がここまで就活に苦戦をしている理由を。その理由など単純で、私が本音を隠すことが出来ないからなのである。

 面接官はその質問に対して、苦笑いをするわけでもなく怒るような素振りを見せるわけでもない。背筋をピンっと伸ばしてじっと目を据えていた。そこまで緊張などしていないはずなのに、少しばかり冷たい汗が背筋に流れる。

「まぁ、管理者は確か20時間以上残業しているかもしれませんね。しかしみんなやりがい持って仕事をしております。またその管理者になるのは、色々な仕事を覚えてからになっております。だから最初の数年間は平社員のままで、残業時間もそこまでないのでご安心してください」

 要するに、お前ごときが最初からそのような責任重大な仕事できるわけないから。安心しろ。自惚れるな。仮に採用してもお前は管理者じゃなく下っ端として働いてもらうからな。ということだろうか。そのように私の耳は聞こえた。

「ありがとうございます」

 心の中では面白くない回答だな。そんなことを思う。

 そしてこれにて面接は終了。終了にするはずだった。

 しかし隣が気になる。藤白だ。

 あれだけ志望動機とか、自己PRとかビッシリと詰まった紙を用意したはずなのにいざ面接になると彼女は吃り、メモの切れ端程度の言葉しか喋っていなかった。

 そして彼女自身の顔は、まるで殺人事件に遭遇したかのような、毒林檎を丸齧りして睡眠につく数秒前の白雪姫のような、青ざめた顔をしている。

 彼女の尻を撫でる。

 不思議と尻の筋肉も固くなっており死後硬直が始まっているようだ。

 彼女がこの面接に受かったかどうかは怪しい。

 職歴も何もない薄っぺらい2人を面接するぐらいの人て不足であることは理解できる。

 だからと言って、この会社がみえている地雷をわざわざ踏みにいくようなものであろうか。もし自分が企業のオーナーだったら少なくとも藤白という人物は、自分の左足も手同様に使用して仕事をする羽目になったとしても採用することはない。採用した後に、ダイヤモンドとして輝く可能性よりも、大きな爆弾として場を荒らす確率の方が高いからである。

 確かに、最初はこんな財力に余裕がある嫌味で面接を受けているような人なんかに負けたくないと思った。かといって、赤子の手を捻り、骨を何本もポキポキと折りそれで勝利したと喜ぶほど私の性根は腐っていない。腐っていないと思いたい。小指一本でもいいから何か救いの手を差し伸べてやりたい。そう考える。

 だから彼女のケツを握った。これが私なりの何でもいいから喋れという合図。

 救いなのが藤白にはまだその意図を読み取る力があったということ。水を失った魚のようにパクパクと口を動かしている。

 もう少しだ。もう少しだ。もう少しで言葉を発することができるようになるであろう。蛹から成虫に変わる瞬間を待ち侘びるかのようにじっと彼女の口を見て何か言葉を発するのを待っていた。

 そしてそれから数秒が経った頃

「あ、あの」

 ようやく言葉を放った。ここまで長かった。初対面の人と喋ることが苦ではない私ならここまで数秒もかからないのに、彼女は数十秒かかった。それだけで10倍以上の時が流れているのだ。

「はい、何でしょうか」

「あ、あの。この仕事のやりがいは」

 失望した。

 あれだけ助け舟を出したはずなのに、結局彼女が聞いた質問というのは非常にありきたりなものである。あれだけ長い時間考える時間があったらもっと気の利いた質問をしてもいいものなのに。

 面接官もそれに対してありきたりな答えだけを言った。

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