閑古鳥がなく頃に

山桜桃 由良

第1話

生きているんだな。

 ここは駅だ。駅に電車が来る。電車に向かって体を前へ歩き出す。前へ歩き出した足は黄色の線の内側にまで進む。進んだ足に対して電車が砲声を轟かせる。砲声に負けて足を止める。足を止めたせいで死ぬことなどできなかった。

 あぁ、生きているんだな。

 電車が入線したした瞬間、私の耳には虎落笛のような甲高い音が響いた。それと同時に凛々たる寒風に包まれる。歯の根が合わない体を、抑えるかのように手首を持つ。

 電車の扉が開くとバッと人の雪崩が起こる。それに巻き込まれる。誰も今、泣きそうな死にそうな自分の顔など見てくれない。それが悲しいことに世界なのである。味のないガムを噛み続ける。これ以上味など出ることなどないのに。

 さて、今まで自分の人生というのは揣摩臆測に幸せになると思っていた。今は少し人生に関して遅延している。しかしそれは電車と一緒で、回復運転を行うことができる。などと思っていた。実際にはそのようなことなどない。人生には様々な停止信号があり、生きていけば行くほど遅延が大きくなるばかりであった。

 派遣切りに本日あった。

 別に、骨惜しみをして怠けたわけでもないし、無為徒食に時間を過ごしたわけでもなく、なおかつ粗忽を起こしたわけではない。ただ普通に仕事をしていただけである。

 むしろ仕事面では生真面目で、欠勤など一度もしたことない。仕事中の私語などは一才許さず、ただ仕事だけを集中する。もしかしたらそれが四角四面な態度のように思われ、難しい人間だと思われた可能性があるのかもしれない。

 そういえば、昔から自分は竹を割ったような性格であると言われることがある。太く丸い縁のロイド眼鏡をかけている私は、相手からすると生真面目で勤勉。または堅苦しく理屈が通用しない人だと思われることが多々ある。その性格と容姿が、人生の今日までの停止信号となり遅延を生じさせているのかもしれない。

 職場でも、「何、しゃべっているんですか。そんな暇あったら仕事をしてください」や「この期日明日までですよ。どうして余裕持ってやらないのですか」とかはたまた、「こんな仕事を残している状態で帰宅するってどういう神経ですか」などと発言をしていた。恐らく今回の派遣切りにあった理由というのはそこだろう。周囲から見て私という人物は取っ付きが悪いのである。

 雇われた場所に貢献しようと一生懸命働いたら、それが帰って煙たがれ周囲の雰囲気を壊しクビになる。これが話の顛末である。

 数駅先の駅に降りて、倉皇とした気持ちで木造2階の建てのアパートにたどり着いた。

 何とか今はこの家に住めているが、職を失った今いつこの家に追い出されるか分からない。第一、この住処も別に納得をして借りたものではない。

 派遣で更に私の勤める会社は低賃金、それを考慮して私でも住める家。つまり消去法で選んだものである。本来なら川崎当たりの高層マンションに住んでいる予定であった。

 新卒の就活の時、私の人生が失敗したのは今思えばそこからであった。

 私の夢は、出版社に勤めることであった。物心がついた時から本というものに興味があった。そしていつのしか自分で本を作りたい。そう思うようになる。

 大学は有名私立大学の文学部。もう私はこの時点で出版業界にほぼ内定をした。そう思った。しかし理想は甘く、現実は厳しく、出版不況が始まった私の世代はどこも正社員で雇ってくれることなどなかった。お祈りをされるばかりである。下手すれば近くの神社よりもお祈りをされたかもしれない。

 それならば。出版業界ではなくそれに類似したもの。海と川ぐらいの違い、もしくは海と湖、海とプールぐらい違うがそこら辺に就職をしよう。書店や文房具屋に手を広げた。しかしそこでも結局お祈りをされるばかり。私の進路は大学在籍中に決まることなどなかった。

 とはいえ、働かず生きていくのは世間体が悪いので取り敢えず派遣で働くことに。その働いている時でも私は出版社の編集になる夢を忘れることなどできず、面接を受け、結局をお祈りをされて。それから3年が経った今日、とうとう派遣先からもお祈りをされてしまった。

 働く手がなくなったら、新しい就職先を見つけなければならない。

 一生懸命、求人雑誌を眺めるがどうもどれも自分の希望にはそぐわない。そんなことだから結局働き口をなくすまで困ってしまうんだよ。そう言われたらそれまでである。本来ならわがままなど言っている暇などない。パッとページを開いて、目についたところに電話をする。それぐらいのことをしなければならないのだ。しかし私の矜持の念がそれを邪魔する。大手でなければならない。有名な場所でなければならない。そう考えてしまう。

 テレビをつける。

 ミュージックテレビでそこはあるバンドの新曲紹介が行われていた。驚いたことにそのバンドのメンバーが同い歳であったということ。更にその人たちは今年の紅白にほぼほぼ内定していること。私と同じ秒数の時を過ごしているのに摩天楼に住む人たちと裏店に閉じ込められた私。たくさんの人に尊敬される仕事と、誰でも出来る仕事。ビッシリ秒単位で埋めれられたスケジュールと1年単位ですらも予定が空白の私。同じ時間を過ごしているのにこうも違うのか。逆に感心してしまう。

 どこからか嘔吐を催しそうになったのでテレビの電源を切った。

 意味もなくベッドへ転がる。

 どうしてこうなったのだろうか。今頃自分はどこか違う場所で輝いている。そのような予定であったのに。今は誰でも出来る仕事をクビになってしまった。

 とりあえず、明日からもう一度就職活動をしよう。

 目を瞑ると、ぼんやり私の今日までの上司の顔が、声が蘇ってきた。

「今の会社の経営状態だとこ契約するのは難しい」

 その言葉で上司を殴ろうと思った。恨みが骨槌も徹した。なるほど殺人事件というのはこうやって起こるのか。

 私はうんともいやとも言わず静かにその場を去った。そして思う。どこかで幸せになってクビを言い渡した会社を、上司をギャフン。そう言わせてやりたいと。

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