魔女狩り
連絡橋は、租界と本土とをつなぐ唯一の橋である。
食料や生活必需品の輸送、および助言者たちが出動するに際して以外、両端はゲートによって閉鎖されている。
その本土側ゲートが、いま開いた。
今日、日本国首相竹川晋三は、このメガフロート人工島が魔法少女租界として運用されてから、はじめてその足を踏み入れることになる、日本の現政府の要人となる。
「竹川がいるうちは、まぁ安全だろう」
戦闘双眼鏡で首相を乗せていると思しき車列を確認しながら、的場は言った。
「日本人は話し合いが好きだな」
「浩司が言いはじめたんだ。俺じゃねぇよ」
(ぶっぱなすほうがずっと早い)、と的場は物騒な一言をちいさく呟いたのを、浩司は聞き逃さなかった。
「結論の出ない、弁証法的でない話、がな」
きっと聞こえていなかったのだろう。一人が茶々を入れる。
「でも、竹川首相の人柄はともかく、周りの人間の思惑は未知数ですから、用心はしたほうがいいのには変わりありません。少なくとも首相には光学迷彩つきのSPがついている可能性は、考えておいた方がいいでしょうね」
「おいおい、ぼうや。『トロイの木馬』か? いやだぜそんなのは」
「日本人は信義を重んじるんじゃねぇのか?」
てんで好き勝手に、助言者たちは口々に言った。
まったく緊張感というものがなかった。
「浩司の言うとおりだ」
的場が話を遮るようにして言うので、皆押し黙った。
「問題は人のいい竹川だけが、政府やら国やらを背負ってるわけじゃねぇことだ。――ほら見ろ、あの車間だとさしずめ陸自の兵員輸送車あたりだな。しかも電磁メタマテリアル塗装に熱工学処理まで完璧な完全光学迷彩仕様だ」
〈おい、それ陸戦協定違反じゃないか?〉
「戦争にもルールがあるってぇことを知らねえ輩がいるんだな」
「的場さん、俺たちは戦争をしてるんじゃありません」
「だから困るんだよ。戦争をしてるってぇ自覚がねえ奴ら同士が、な」
〈『外交とは血を流さない戦争である』〉
「クラウゼヴィッツか、古臭え」
「――いったん停車させますか?」
首相の安全を確保するためとはいえ、それならば堂々と護衛につけばよいだけの話しなのだ。
「いや、そのままお通り願おう。『トロイの木馬』に兵隊が潜んでいるのがわかりゃ、こっちが怖がる理由はねぇ。それで俺たちを怒らせたらどうなるのか、体で教え込んでやる」
的場は面白がっている、と浩司はぞっとした。的場ばかりではない。ほかの助言者たちも、その言葉に押されて意気上がった。
彼らは、戦場から遠く離れても戦争の犬なのだ。
「的場さん。マリアと竹川首相の話し合いなんです。そのことを忘れないでください」
「ああ、姫さんの顔に泥塗るような真似はしねえ。安心しろ、誰だと思ってんだ?」
(マトバのダンナだぞ!)
と、周囲の助言者たちがいっせいに合いの手を入れて爆笑し始めた。――盗賊の首領とその子分たち、と言ったところか。
安心などできようはずもなかった。浩司は息をのんで、首相を乗せた車列を凝視した。
車列は連絡橋の租界側からちょうど三分の二ほどの地点に到達した。
そして、だれも気がついていなかった。
すでに魔女狩りの因子が、彼らの考えていたよりずっと以前から、魔法少女租界の周囲を取り巻いていることを。
じっと息を呑んで見つめる連絡橋のほうから。
どしん、と下腹を突き上げるような響きを、助言者たちは感じた。
取り返しのつかない出来事が目前で起こると、人の目には、すべてが緩慢に見えるものだ。
その響きを聞いたと思った矢先、首相を乗せた一行の車列が、黄味がかった爆炎と粉塵にかき消された。
橋が幾分かしいだ状態で、ゆっくりせり上がり始める。
そして、
「連絡橋が……⁉」
橋が落ちた。
首相を乗せた車両が、完全光学迷彩の兵員装甲輸送車が接触したことによって押しつぶされた光景を、いったい誰が見ていたというのであろう。
しばらくの間、助言者たちも魔法少女たちも、本土側に待機する自衛軍も警察も、これを取材に来たマスメディアも、首相の租界上陸を阻止するためおしかけた反魔法少女の市民たちも、呆然と自分たちの前に立ちはだかった障壁を眺めていた。
「莫迦な……こんなことがあってたまるか!」
と、的場が怒号した。
〈持ち場を離れるな!〉
〈監視を続けろ! 戻れ!〉
と、各国部隊の助言者たちが矢継早に指示を飛ばす。
「俺たちもヤキがまわったな……」
〈外部と交信が取れないぞ!〉
「連絡橋が爆破されたと同時に、チャフを撒いたのか」
〈戦闘は避けられない、か〉
「チャフを撒いて通信を攪乱したとなれば、相手方は話し合うつもりがないんだろうよ。それにさっきの爆発で竹川が死んじまったとするなら、無理をしてまでそれをとどめる奴なんて、政府にはいないだろうからな――いや、もしかしたらはじめから竹川は乗ってなくて、首相暗殺犯として俺たちを租界ごと一気に片付けるつもりになったのか」
的場は弱弱しくため息を吐いた。
「……ああ、これで晴れて俺たちは日本政府にとって日本の領土の一部を不法占拠する国籍不明の武装勢力になったわけか……」
「あなたはそれを望んでいたんじゃないんですか、的場さん」
悲壮感を漂わす的場に、苛立ちをおぼえて浩司は言った。ほんとうに「昨日の今日まで」魔女たちの国だの、魔女の軍事力を外交手段にするだのと言っていた当人がなにを言っているのか、というような変わりようだった。
だがそれも、常時魔導を解放状態にしている魔法少女たちの毒気にさらされている状態からくるものなのかもしれなかった。浩司さえも、急に感情が昂ったり、反して不安に駆られる、そうした自分に制御しきれないものがあるのに気がついていた。
(マリアが降りかかってきたとき)
(マリアが俺と絆をもとうとしたとき、なにかが俺に入り込んできた。魔導の〈気〉というか、そんなものが流れ込んできた……魔導はたしかに周囲に〈気〉のように流れていて、影響を与え続けている)
〈新浜湾外洋より熱源確認!〉
の急報が飛び込んで、助言者らの間に、一気に緊張が走った。
〈巡航ミサイル! トマホークだ‼〉
〈くそ。ジャップは物持ちがいいらしいな!〉
と、アメリカ部隊の助言者が怒り散らす。
「ちくしょう、くよくよしてもしょうがねぇ」
〈さぁ、本番だ! 気張っていけ!〉
的場の声が、魔法少女たちに伝達される。
〈基本は租界の自動迎撃システムが、これをはたきおとす。各部隊は観測塔を防衛。それ以外は――かまうな!〉
「さぁ、みなさん」
マリア・Kはメイスを振りかざした。
「帰るべき場所を守るのです!」
――数十分の後。
戦闘は膠着状態となった。
いや、これは戦闘とは呼び難かった。なぜなら租界の魔法少女たちは一方的に攻撃を受け、魔法少女たちは防戦一方だったのだから。
トマホークによる攻撃は、ちょうど二十発目が結界魔法によって蛇腹状に砕け散ったところで、いったん停止した。租界の自動迎撃システムの作動によって、そのうち十三発は電子戦のジャミングによって迷走、レールガンおよびCIWS(近接防御火器システム)によって撃ち落されるか、無人の外郭部分に着弾するにとどまった。外郭部分への着弾は浸水被害を引き起こしたが、当該の区画をパージすることでほとんど問題は無かった。
この租界の自動迎撃システムをすり抜け、観測塔にまで肉薄したのは全部で七発。すべて魔法少女の展開した結界魔法陣の前に蛇腹状に砕け散るか、結界にはじかれて明後日の方向に飛んでいくか、別の空間に「転送」された。……
「まぁ、さすがはイージス・アショア計画の名残といった所か。我が国の国防は安泰だな、石橋防衛大臣」
「じょ、冗談じゃない!」
と、石橋は青ざめたようすで叫んだ。
「代替イージス艦の建造でどれだけ苦労したのか。それにあの
烏賀陽はその先を手で制した。
「しかし、なぜ攻撃を停止したのですか?」
と、別の閣僚が石橋に訊ねた。
「それは……」
うろたえ気味に石橋は口ごもった。
というのも、石橋は攻撃の手を緩めるつもりなど毛頭なかったからである。租界を完全に破壊して、魔法少女などと言う得体のしれないものを日本から駆逐し、「後顧の憂いを絶つ」つもりだったのである。しかし、実際に租界の完全破壊が成功しようものなら、国連――というより、常任理事国が、この時とばかり、黙っていなかったであろうが。
「これは総理の考えだ。諸君――」
烏賀陽は改まったようすで居住まいをただした。
「じつは内調(内閣情報調査室)直属による対魔導制圧部隊が、この隙に上陸している」
おお、と感嘆とも戸惑いともつかぬ声が上がった。石橋だけが目を白黒させて、黙ったまま口をパクパクとさせている。
「トマホークは陽動を目的として、ということですか?」
「イージス・アショアの実力は、我々が一番よく知っているところだ。魔法少女たちもできるだけ傷つけることのないように」
またもや意想外の表情を浮かべたのは石橋であったが、ほか閣僚は、すでにそちらのほうに関心を向けていなかった。
「これを制圧するためには、外部からの攻撃によってではなく、内部からこれを切り崩すのが有効である、と判断される。そのための新兵器を対魔導戦部隊は携えている。それに最後まで、首相生存の可能性を捨ててはならない。なんらかあの魔法少女たちの力で救い出され、人質として取られているかもしれない」
「早く決着をつけたいところですな」
「――ああ、すぐに決着がつくだろうさ」……
「すっごく体が重い」
ヒルコはつぶやいた。まるで――、
「生理じゃない?」
間髪入れずユカが茶々を入れる。
「バ~カ、違う」
不機嫌そうにヒルコは反応する。
息が詰まるような、圧迫感をおぼえたのだった。頭の上に重石をのせられた、そんな感覚だった。
(まるでハーネスを着けている時みたいだ)。
「——ヒルコも感じまして?」
いつの間にか、そばに寄ってきたマリア・Kが訊ねる。
マリア・Kも何かを感じているようだった。じっとマリア・Kは蒼氷の青に輝く瞳でヒルコの淡紅色の瞳の奥底を見つめ、感じたものをそのなかに見出そうとしていた。瞳の中、いやもっと深く心層の底にまで。
しかし、
「……いや、気のせい、か、も」
ヒルコはもにょもにょと応えた。それでもマリア・Kは、何かを推し測るようにじっとヒルコを見つめていた。こんなにも周囲から犬猿の仲と目されていた二人が、互いを見つめていたのは初めてだったかもしれない。
そして——。
先に視線をそらしたのは、ヒルコのほうだった。
「そう……」
物思いにふけるかに小さくつぶやいて、マリア・Kはヒルコのそばを離れた。
なぜ? なぜマリア・Kと何かを共有するきっかけを逃したのだろう? なぜ「気のせいかも」などと応えてしまったのだろう。自分の心の微妙な揺れ動きが不思議であり、ヒルコは周りのかしましさから自分を遮断して、箒の先をじっと見つめた。
「え、なになに? マリアっちも生理なん?」
「……うっさい」
リトル・トーキョー隊、他各国部隊は、不安なまま示威行動の飛行を続けていた。
一部の部隊が、外周を飛び回り始めた時だった。
と――景色が一瞬、波紋に揺れた。
「んあ?」
見間違え――などではなかった。
次々に魔法少女たちは、見えない壁に激しくはじき返されたのだ。
ヒルコは目をしばたいた。
〈なんだ⁉ どうなってんだ?〉
〈イタリア部隊……見えない壁で――ねぇ聞こえてる?〉
〈フランス部隊と連絡が取れない? 誰か代わりに――〉
〈スペイン部隊、フランス部隊と合流〉
〈こちらドイツ部隊、何者かに銃撃されている。応援をよこして!〉
いくつかの部隊の交信は、雑音が多くて聞き取ることもできなかった。
魔法少女たちは見えない壁に阻まれ、それ以上先に進めないのだ。
この特性を有しているものは。
「磁場魔導シールド……」
〈なんッで、そいつがここ(租界)にあんだよ!〉
と、ヒルコの怒声が轟いた。
〈ってーか哨戒組はなにやってたんだよ。そんなもん持ち込まれて――昼寝でもしてたのか!〉
そのうえ、魔法少女たちは銃撃されているのだ。
次々と各部隊の魔法少女の〈LOST〉が表示される。
磁場魔導シールドのせいで一定以上の上空に逃れる事が出来ず、四方から撃たれることでさらに行動範囲は狭くなる。一帯が巨大な狩場と化したのである。まるでゲームのような魔女狩りに。
そして、悪いことは次々に襲い来る、と相場は決まっている。
磁場魔導シールドが展開されている。ということは。
警報が不気味な音を一斉に鳴動させた。
「霊素警報⁉」
〈そう来るだろうな……位置は?〉
「……あぁ、こりゃ厄介だぞ。〈ヤコブの梯子〉の本体からだ……」
三次元ディスプレイの中で、見る見るうちに熱源の瘤が膨らんでゆくのだった。観測塔と言う杯に、今にも水滴が零れ落ちるように。
「来るぞ!」
「総員、観測塔周辺空域より退避! 聞こえるか! 退避だ!」
目視によっても、〈ヤコブの梯子〉は錯覚によるものか、眩いばかりに白く大きく膨らんだ。
あの日――が、再現されようとしている。
「憎い演出だ」
的場のその言葉に呼応するように、〈霊素〉が滝となって、時空の狭間からあふれ出した。
あふれ出した〈霊素〉は、直下の観測塔の壁面をつたうように地上へと流れ落ちて、一時観測塔をすっかり覆ってしまった。
そこからふわりと〈霊素〉は舞い上がり、餌を求めて魔法少女たちの一団へと近づいてきた。
目前に豊富な餌をちらつかされているのだ。最初ゆらり力なく浮遊していたかに見える〈霊素〉は、水を得た魚のように、幾つかの螺旋の筋になって突進してきた。
〈回避!〉
魔法少女たちが次々に狙撃されて、無残にも墜落してゆく。墜落のそばから、〈霊素〉はおこぼれを頂戴しようと、墜落途中の魔法少女たちに群がり、その体を食い荒らした。そこから、魔法少女たちの肉や骨をこちら側に顕現する媒介として、〈擬天使〉たちが生まれる。
人間の敵は、恐らくそれほど多くない。
魔法少女たちの攪乱を目的としたものだ。四方から銃撃されているが、ほとんどは遠隔操作によるものか、またはもっと原始的な時限装置によって、規則的に動いているだけに過ぎないかもしれない。これだけ〈霊素〉が瘴気のように渦巻き〈擬天使〉がうようよしている中でも、自分たちの居場所を教えるかのような銃撃が平然として絶えないのはそれで頷ける。人間の敵は、あくまで少数のもののようである。
それよりも旅団の大所帯が、狭い空間にてんでバラバラに旋回したり、魔導を展開したりするほうが、よほど混乱を引き起こしていた。
〈円形陣を組め! 各隊は防衛魔導を前面に展開!〉
と、浩司は怒鳴った。
「みなさん、聞こえましたか。浩司兄さまの言葉に従うのです。円陣を組んで! 防衛魔導は前面に!」
〈無理に戦おうとするな。霊素の希薄化までこれを弾き返せ!〉
すべては十分後を信じることであり、守りを固めることであった。十分後。霊素が希薄化して消失するまで持ちこたえればいい。活路は開かれる、はずだ。
様々の色の魔法陣の火花が、魔法少女たちの傍で弾けては、名残を帯びて消えていった。
〈力の分配を誤るな! 息を合わせて最小限の防御に努めて魔導を温存しろ〉
「バカこーじ、無茶言ってんな!」
ヒルコはそう毒吐くものの、たしかに力の配分を誤れば、こちらが先にへばってしまいかねなかった。彼女らはただでさえ、さきほど巡航ミサイル(トマホーク)を弾き返したり、叩き潰したり、転送したりした後である。
それでも多くの部隊は、〈霊素〉と人間の敵による挟撃に持ちこたえた。改組された部隊はそれぞれ円形で構成され、防戦に努めていた。恐慌状態によって壊乱した部隊から、瞬く間に銃撃によって撃ち落されるか、〈霊素〉に食われる運命にあった。
十分後。十分後――待ち遠しい時に、それはひたすらに長く感じられる。
爆音。銃撃。剣戟。衝突。〈擬天使〉の不快極まる咆哮。魔法少女たちの悲鳴、怒号、叱咤……このような嵐の状況のさなか――。
あらゆる騒がしい響きの中に、あまりに不釣り合いな、勇ましい、くぐもった旋律が聞こえてきた。
「……歌?」
歌――が聞こえる。
歌は、霊素警報用に設置された各所のスピーカーを通して、大気を震わせていた。
起て
起て 不滅の
甦る
理想に血沸きて
ダンテのあの夢
心に光る
麗し青春
荒波越えて
翔ける
「……ムッソリーニはたった二つのことだけを除いて、基本的には間違っていなかった。ひとつは、腐敗した地上の教会と一時的にでも手を結んでしまったことだ(ラテラノ協定のこと。1929年2月、ムッソリーニ政権がバチカン市国の独立を認めた)。そんなことより、光でバチカンを破壊するべきだった。おかげで魔女に寛容な地上の教会が生まれてしまった。大いなる矛盾。それが自らの滅亡を早めた。そして二つ目は――」
イシャラは続けて独り言に呟いた。
「二つ目は死体を残したことだ。ヒトラーのように、後世の人間にいつまでもその生存の可能性を担保して死ねば、永遠に生きられたものを」
「
そばに寄ってきた一人のペストマスクが、イシャラにプレストークマイクを恭しく手渡した。
「さて、諸君。神聖喜劇(ダンテ『神曲』の正式名称)のはじまりだ」
〈――御機嫌よう、魔法少女の諸君! そしてはじめまして。天使の
男の声が一帯に響いた。
「なんだ! どこから!」
声は四方八方から、わんわんと反響した。
〈そして、777救済は魔法少女の殲滅戦をここに宣言する。これは情け容赦なき、徹底的な殲滅戦となる。そのためにこそ、ここは相応しい。『大バビロンは倒れた、倒れた。激しい怒りを引き起こすその不品行のぶどう酒を、世界のすべての国々の民に飲ませた者』。バビロンの大淫婦の娘たちはここに滅ぼされる〉
「そんな、まさか……まさか……」
と、マリア・Kは絶句した。
〈マ・リ・ア……〉
いま、声の主はマリア、と言った。
〈マリア。マリア・K=オーレリア。私の声が聞こえているな?〉
確かなものになった。声の主は、マリア・Kを知っている!
〈私の名前はイシャラ・K=オーレリア。祖国と妹と、そして自分の名前を、魔女どもによって失った普通の人間だ〉
大気を震わせる声は、そう宣告した。
恐れていた事態が起こった。
「兄さま――イシャラ兄さま!」
青ざめた表情のマリア・Kはぶるぶると震え出した。
〈みんな! 耳を貸すな! こいつはお前たちを仲間割れさせようとしているんだ。聞くな! 聞くなッ‼ 円陣を崩すんじゃない!〉
その声もむなしく、動揺は伝播し、魔法少女たちを支配しつつあった。もっともその動揺の激しかったのは、渦中のマリア・Kであったろう。
マリア・Kの兄を名乗るものが自分たちを陥れようとしている!
「裏切り者」
と、聞こえた。
その一声が、マリア・Kに決定的な一撃をあたえた。
いったい、誰が?
血の気が薄れ、青ざめたようすのマリア・Kは周囲を振り返った。
いったい、誰が?
マリア・Kはリトル・トーキョー隊から徐々に距離を置き始めた。
〈マリア! 隊を離れるな‼〉
この時単騎離れたマリア・Kの動きに呼応したかのように銃撃が止んだことで、それがますますマリア・Kを、「裏切り者」と印象付けるようだった。
〈マリア! 戻れ!〉
「マリアちゃん‼」
居ても立っても居られない、というようにサツキが声をあげ、一時円型陣から突出した。
その油断が隙を生んだ。
防衛魔導の隙間をすり抜けたひとつの銃弾が、サツキの右肩を撃ち抜いた。
「あぁ……うそ」
体内で魔導の〈叢〉の周囲に膜がはられ、首元からの魔導の〈浸透〉を徐々に希薄化してゆく。
瞬間、箒はそれ自体の重量と万有引力に気がついて、サツキと共に落下した。すかさずヒルコとユカは、サツキの両腕を取って、彼女の墜落死は回避された。
「あんたバカ⁉ 陣形崩すなってあのバカこーじが言ってたでしょ!」
「でも、でもマリアちゃんが……」
「わかってる!」
わかってる。――だが自分に、何が「わかってる」というのか?
絶望的な、孤立したマリア・Kに。
ヒルコは続けて、
「大丈夫。お姫サマは強いんだからな」。
大丈夫。――だが、ほんとうにあのお姫サマは、強いのだろうか?
マリア・Kへの呼びかけはまだ続いている。放心状態の彼女に、その声が聞こえているのか、わからない。
〈マリア、マリア、私の愛するマリア。聞こえているだろう、私の――〉
間髪入れずに、機関銃の音が響いた。
何とかしてその声を止めようと、焦燥にかられた浩司が、付近のスピーカーに銃撃を始めたのだった。
的場は浩司の後頭部をしたたかに殴って、その場から引きずりおろした。
「馬鹿野郎っ。お前が我を忘れてどうすんだ!」
〈マリア、お前は自分が今何をなすべきなのか、わかっているはずだ〉
銃撃もむなしく、各所のスピーカーはイシャラの声を、いまだ響かせている。
――埒が明かない、とヒルコは歯噛みした。
「……ちっくしょう、バカ姫が。やっぱ見ちゃいらんないな……サツキ!」
「え?」
「いいかサツキ、お前の防衛魔導で〈霊素〉のもやもや蹴散らして……あ、そうか、おまえいま魔導使えないんじゃんか!」
「なに言ってるの?」
「はぁ? 決まってんじゃん? バカ姫に帰ってくるように――」
「ダメだよ!」
サツキはヒルコの腰に回した腕の力を強くした。うっ、とヒルコは息が詰まった。
「それじゃダメなんだよ。マリアちゃんには、消えてもらわなきゃ、ダメなんだよ?」
「……なに言ってんだ、サツキ」
「悪の心に支配された魔女は滅ぼされて、るーなと星の皇子は最後には結ばれなきゃダメなんだよ?」
背筋に冷水でもかけられたように、ヒルコは身を震わせた。
「なに寝ぼけたことを……」
「せんせぇ! サツキを箒からふるい落として!」
「バカ言うなユカ。んなことできるか!」
「せんせぇ、わかんないの! 本当の「裏切り者」はサツキなんだよ!」
「はぁあっ⁉」
――でも、さっき助けに向かおうとして、結局撃たれてたじゃんか。
「せんせぇを足止めさせるためだよ。一か八かでね」
心を読み取ったようにユカが叫んだ。
「……もういい。説明は後! せんせぇがやんないんだったら、ユカがやるから‼」
ヒルコの背後でサツキが獣のような呻き声をあげる。箒から引きずり落そうとするユカを威嚇しているのだ。
「バカっ、サツキ、ユカ、なに考えてんだ。やめろ!」
ユカがついにヒルコの背後で暴れまわるサツキの腕をつかんだ。
〈ダメだ! マリア‼〉
通信機から、浩司の悲痛な声が聞こえた。
ふたたび魔法少女たちの視線が、マリア・Kに注がれた。
マリア・Kは自らの首元にメイスの切先を突きつけていた。
喉元にメイスの切先が食い込んでゆく。
「マリア、お前にはこの世界は過酷すぎる。そちらでの成功を祈るよ。愛しいマリア」
〈もうすぐよ、もうすぐよ! もうすぐ――ッ‼〉
空を引き裂かんばかりの金切り声が聞こえた。
マリア・Kの断末魔の悲鳴は、世界への恐怖の悲鳴だった。
裏切り者にされた自分に対する、世界の軽蔑と憎悪の視線への。
メイスの切先がハーネスを押しだして、首を貫通した。そこから、血が噴水のように噴き出した。
「マリア・K〈LOST〉――」
マリア・Kの鼓動が、止まった。
浩司は周囲が白け、音という音が引き抜かれ、自分の体が真空になってゆくのを感じた。
「そんな……そんな! マリア! マリア・K、応答しろ、応答してくれ‼」
「――浩司、浩司!」
的場が怒鳴った。
「〈霊素〉が……」
三次元ディスプレイは、〈霊素〉の新たな動きを示していた。
「これは……! マリア!」
〈霊素〉が、マリア・Kの〈LOST〉した地点に結集してゆくのだ。
兵員装甲輸送車の外部では、もっと事態は目視ではっきりとしていた。
〈霊素〉は徐々にマリア・Kの周囲に渦巻いていった。それは繭のようにマリア・Kを取り巻いて、彼女の行く末を妨害しようとする何者かから、彼女を守っているようにも見えた。
〈ヤコブの梯子〉から、一筋の〈霊素〉がするすると降りてきた。
そのうち、その一筋の〈霊素〉の先頭部分が、針のように鋭く先細りして、触覚として――か、マリア・Kの首の辺りをちろちろと探りはじめた。
そして、〈霊素〉は見つけたのだ。
自分の宿主になるものを。
〈霊素〉の形作った鋭利な先端は、マリア・Kのぐじゅぐじゅと赤黒く、グロテスクにぽっかりと落ち窪んだうなじに穿たれた。
マリア・Kの体が、ビクンと大きく痙攣した。
と、
ぬらり。
今――目が動いた。
「ひっ」
サツキがその姿を目にして、ヒルコの背後でひきつった悲鳴を上げる。
爬虫類の目のようにぐるぐると、マリア・Kの両瞳が回転しだした。
恐ろしい事態が目の前で起こっている。
それを誰もが感じていた。にしても、彼女たちはその場から離脱する事も、目を背ける事もできなかった。
〈霊素〉たちが魔法少女たちの周囲を旋回し始めていた。獲物が死ぬのを今か今かと待つハゲタカのように、様子を窺って、その時を待っていた。
ぱくぱく、とマリア・Kの唇が動く。
死んだマリア・Kが、言葉を発しようとしていた。
ぐぼごぼがくぁ ぐぼごぼがくぁ
ぐぼごぼがくぁ ぐげぇぐぐぁぐぇぐばぁ ぐぉごぼごぎぃぐぶごぼぎぃがぐぅ
喉に溜まった血を吐き出すようにしながら、マリア・Kは言葉にならない何かを発している。口元に伝う血は、どろどろと糸を引いて、マリア・Kの
ぐぼごぼがくぁ ぐぼごぼがくぁ
ぐぼごぼがくぁ ぐげぇぐぐぁぐぇぐばぁ ぐぉごぼごぎぃぐぶごぼぎぃがぐぅ
この時、魔法少女たちの中には、なにかマリア・Kに対する悲哀とも同情ともつかないものが、〈霊素〉を通じて自分たちの肌を撫でているような感触をおぼえた。それはとほうもない長さのサテンの生地が、体の上をそろそろと這っているような、くすぐったい感触であった。そのうえ、ほかの魔法少女たちの体にも、自分の体の周りを這いまわっているものと同じものが這いまわっているというのが、手に取るように分かったのだ。
死んでしまったマリア・Kに報いたい。せめてマリア・Kが今懸命に発しようとしている言葉を代わりに言ってあげたい――先ほどまで疑惑と不信に満ちて、マリア・Kを半ば見捨てたような彼女たちは、マリア・Kがなにを語ろうとしているのか聞き取ろうとしていた。
そして、
聖なㇽ……
と、誰かが唱えた。
聖なるか…… 聖なる……ヵな……
それは、次第に魔法少女たちの意識に伝播し始めた。
聖なるかな 聖なるかな……
「なんだよ、これ……」
怖気震えながらヒルコはつぶやいた。次々に意識を伝播し始め、何かを唱えている周囲の魔法少女たちとは裏腹に、彼女には一向「その時」がやってこなかったのである。ヒルコは、今自分だけが仲間外れにされているのだと感じた。
実際にはヒルコの周囲に、ヒルコのように仲間外れにされたものが何人もいたのだった。それがなにをもってして、つまり、マリア・Kとの意識の共有が行われるものと、そうでないものとが分かれたのか、その時確証だてるものはなかった。
そして、
聖なるかな 聖なるかな
聖なるであることは……
言葉は成った。
聖なるかな 聖なるかな
聖なるであることは
主の元に来ることになる
いつの間にか、それは魔法少女たちの大合唱へと変貌していた。
聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる
聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる 聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる 聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる 聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる聖なるかな 聖なるかな 聖なるであることは 主の元に来ることになる
聖なるかな
聖なるかな
聖な
るであることは
主の元に来
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