叛乱

「拘束――だと?」

「どういうことなんだ、マリア⁉」

 助言者二人がおもむろに立ち上がった瞬間、

「動いてはなりません!」

 マリア・Kの鋭い一声と同時に、魔法少女たちは助言者たちの鼻先にいっせいに法具を向けた。

「従わなければ、貴方がたを敵と判断します」

 マリア・Kは重々しく言った。

 敵――。

 浩司と的場は、数々の法具に押し戻されるようにして、ふたたび腰を下ろした。

 そこに、

〈こちらはフランスアンリ・マンユ、水晶球を破壊した〉

 あっ――と二人の助言者は、思わず声をあげた。

 水晶球は、三賢女らの心話の増幅装置であり、普通の人間であるところの助言者たちが、三賢女の心話に参加するための送受信機の役割を果たしていた。

「なんて馬鹿なことを……」

 的場が苦り切ったようすで小さくつぶやいた。

 浩司は、息もつかずにじっとマリア・Kを凝視した。マリア・Kはひっきりなしに周囲に指示を出している。浩司ら助言者は、もう眼中にはないようだった。

(マリア、せめてこっちを向いてくれ。なにが目的なんだ?)

 浩司のその視線に、マリア・Kは応えてくれない。冷ややかなグレシャーブルーの瞳は、深遠にわだかまって、意図を汲み取られることを拒むかのように、ますます深みを帯びた。

 歯噛みして思わず動き出そうとする浩司を、的場は目で制した。他の助言者たちの安否や、魔法少女たちのどの程度がこの行動に参加しているのか不明な以上、下手に動き出すのは、確かにはばかられた。

(もう少し様子を見よう)

 と、的場は目で語りかける。

 いくらか落ち着きを取り戻すと、浩司は瞳だけ動かして周囲を観察する。

 マリア・K以下、ここにいるのはリトル・トーキョー部隊のすべて――ではないようだった。ヒルコ、サツキ、ユカの姿が見当たらないのだ。しかし、それだけでは、三人がこの行動に参加しているのか否か、判断しようもなかった。

〈スペイン部隊、連絡橋検問付近で、巡視中の助言者を確保〉

〈イタリア部隊、通信機器を破壊〉

〈イギリス部隊、北部港を占拠〉

 と、次々各国部隊からの占拠・制圧・破壊の続報が飛び込んでくる。

 そこに、

〈こちらイタリア部隊のフランチェスカ――行動不参加の魔法少女らが、ドイツの助言者らによって魔封じで護衛されながら、われらがイタリア植物工場区画に籠城しています。イタリア部隊の助言者らは現在こちらで拘束中です〉。

 イタリア部隊の通信の声の主は、キアーラではなかった。彼女もこの行動には加わらなかったのかもしれない。

 フランチェスカは言った。

〈ヒルコも、この一団の中にいると思われます〉

 マリア・Kのグレシャーブルーの瞳が、かすかに揺曳した。

 ヒルコは行動には加わらなかったのだ! 助言者二人の表情に安堵の色が浮かんだ。となればユカ、サツキも、ドイツ部隊の助言者らやエヴァたち、イタリア部隊のキアーラらと共に、植物工場区画に籠城している可能性が出てくる。

「――わかりました。では、ヒルコを確保なさい」

 マリア・Kは冷徹に命じた。

〈ヒ、ヒルコを……ですか?〉

 声の主はマリア・Kの指示にたじろいだようだった。周囲も「ヒルコ……ヒルコ……」と、その名を口にした。

 ヒルコの日頃の狂狷ぶりから、彼女と正面切って相手どろうなどという者はいない。

〈そ、それは……〉

〈コラーっ! ぬぁにやってんだぁあああ!〉

 突如耳を聾する音割れとハウリングで辺りいっぱいに響き渡ったのは、イタリア部隊戦闘魔導班の先導キアーラの怒声だった。

「キアーラ……」

 と、マリア・Kが眉根を寄せた。

〈あぁダサい。ダサいぞ! 正々堂々勝負しないかーっ! このキアーラさまのフランベルジュで焼ーき払ってくれよーぞー!〉

 どうやら観測塔内の放送網は生き続けているらしい。

「大上段だな」

 思わず的場が苦笑を浮かべた。

〈くうぅ――キアーラ! おまえは……おまえはいつも、わたしの邪魔をする!〉

 フランチェスカは歯ぎしりした。

〈やってやる。受けて立ってやる。キアーラは……キアーラはわたしが倒す!〉

「フランチェスカ、お聞きなさい。ヒルコを無力化することを優先なさい!」

 フランチェスカとキアーラとの間にどのような確執があるのかわからないが、すでにフランチェスカは頭に血が上って、マリア・Kの指示をろくに聞いているようすではなかった。

〈このフランチェスカ、キアーラとのその勝負、受けて立つぞおぉぉお!〉

〈おーおーおー! いーつでも相手になってやるぞー! かかってぇこいやーっ‼〉

 マリア・Kの美しい顔が、険しさを増すグレシャーブルーの瞳によってこぼれた。蒼氷は静かな、怒りの、猛々しい炎に転じた。

「エマ、リリアナ、趙、アリシア!」

 取り巻く魔法少女たちのなかから、呼ばれた四人が前に進み出た。

「エマ・リリアナたちは、このまま助言者二人を監視。趙・アリシアの二人は、イタリア植物工場区画に、私と一緒について来なさい。ヒルコを無力化し、確保するのです」

「マリア!」

 もう我慢ならなかった。浩司は立ち上がり、室内を跡にしようとするマリア・Kに駆け寄った。

 その時、

 マリア・Kは浩司の目の前に、反射的にメイスをふりかざしたのだった。

 あっ――と小さな悲鳴を上げたのは、マリア・Kのほうだった。

「……ち、違うんです!」

「……」

 浩司は鬼気迫って、マリア・Kに詰め寄った。怯え青ざめ、距離を取るようにマリア・Kも後じさりした。

「ち、違う。違う、浩司兄さま……?」

「……やれ」

 浩司はぱっとメイスをつかむと、その先を自分の胸元に引き寄せた。

 メイスの装飾の突起が、浩司の手に突き刺さった。握る手の先から血が滲みだすのも、浩司はかまわなかった。

「あぁ、御手が……血が! 浩司兄さま……お願いです! 御手をお放しください。お願い……」

 かちん――。

〈とつげきー!〉

〈マリアさま! 植物工場区画に突入しましたがヒルコは——ッあれ⁉〉

 その時、マリア・Kの背後で、天井部の点検口がけたたましい音を立てて落下した――ともに落ちてきたのは、淡紅色の二つの鬼火。

 マリア・Kの背後に、ヒルコはモーゼル拳銃の銃口を突き付けた。

「ヒルコ……!」

 マリア・Kの表情に恐怖の色が浮かんだ。

「動くな。この距離なら、魔導が無くても、外さねぇからな」

「——ッ⁉ 浩司兄さま、お放しください‼」

「やるなら俺が先だ、マリア・K」

 ぞっとするような鬼気迫るようすに、マリア・Kはたじろぎ、怖気づき、メイスを引っ張る両の手にも、たいして力が入らないようだった。

「そのまんまおヒメにやられるつもりかバカこーじ。ちょードMじゃん」

「黙ってろヒルコ」

「浩司兄さま……お願い……お願い」

 微かに、息も絶え絶えに、マリア・Kは懇願した。

「ほらほら、バカこーじどーすんだ? あたしが撃ってすましてやろうか。許可しろよ」

「うるさい! ……さぁやれ。やってみろマリア・K! お前はこれまで、のッ―――――⁉」

 浩司は突然へなへなと崩れ折れ突っ伏した。マリア・Kもそれに引っ張られるようにへたり込んでしまった。

 背後に現れた的場は、まさにその時手刀の構えを解いたところだった。

「ったく、やり過ぎだ。姫さん完全にビビってんじゃねぇか」

 これと前後するように、シュテファンたちドイツ部隊の助言者たちとエヴァたち数名、イタリア部隊の先導であるキアーラと彼女の率いる「お野菜部隊」たち、それにユカとサツキも姿を現した。

 驚いたことに、彼女達は誰一人として法具を携えていなかった。

「うげっ、丸腰かよ」

 と、呆れてヒルコは言う。

「それがどっか飛んでっちゃったのよ」

 と、狐につままれたようすでキアーラが言う。

「飛んでっ……たぁ?」

 ヒルコは素っ頓狂な声をあげる。

「くまきちが飛んでったの。『ぱっ』てぇええ!」

「もしかしたら、法具は初めから存在していなかったのかもしれない。存在とは意識されて初めて実体を持つものだから……」

 エヴァが唯識論をはじめると、ヒルコは露骨に渋面をみせた。

「Hasi(ウサギちゃん)。そんな顔をしないで」

「おい、『ウサギちゃん』は、ほんっとやめろ」

「どっかへ飛んでったのでもなく、認識の狭間で存在するしないのでもなく、俺たち助言者に『転送』されたんだ」

 額に脂汗を浮かべ、青ざめた表情でシュテファンが言った。

「あ、『物質転移』の術式ね」

 と、キアーラ。

「そう。あとでエーミールたちが取り集めて持って来る。……いいか、もう内輪同士で術をかけあうのだけは止めにしてくれよ。フランベルジュやクロス・ボウの矢やら戦斧なんかに体を八つ裂き串刺しにされるほど、こっちは罪深くないからな」

 そういうと、彼は背負ってきたくまきちをサツキに差し出した。これだけは安全だとばかり持ってきたらしい。サツキは目を輝かせ、シュテファンからひったくるようにしてくまきちを抱きしめた。

「人的被害は?」

「現在確認中。俺が死んでないから、まぁほかも大丈夫だろう。なんせタフだけが取り柄なんだから」

「……浩司さん死んじゃった、の?」

 くまきちの背後から、我に返ったサツキが恐る恐るうかがった。

「んなわけあるかい。失神してるだけだ。さぁ」

 と、的場が手を叩いた。

「今日は大人しく帰って寝ろ。話は明日に持ち越しだ」

 魔法少女たちはしばし呆気にとられた末抗議の声を上げて、ざわめきだした。

 それに対して的場は「かっ‼」と一声をあげて一喝する。

「いまお前さんたちには、力が充分にある。国際魔導条約だって、もとはといえばあのババーどもの過剰防衛のとばっちりだろうからな。でもよく考えろ。お前たちを守るものは、残念ながらお前さんたちの魔法じゃない」

「……『力を持った者は、その如何に関わらず、その力を飼いならさなければならない。力に飲まれる弱者でいてはならない』」

 うつろな瞳でマリア・Kが呟いた。まだ先ほどの事態から、へたり込んだままだった。

「ったく、反吐が出るセリフにゃ違いないが、そう言うこったな。……おい嬢ちゃん!」

 的場はヒルコを指さした。ヒルコは依然としてマリア・Kの背後に、虚無の穴のようなモーゼルの銃口を突き付けている。

「なーんだおっさん。撃っていいのか?」

「その権限は俺にはない。銃を下ろせ」

「なんだよ、国際魔導条約はとばっちりじゃなかったのかよ?」

「もう一度言う。銃を下ろせ。っても――」

 的場は掌から、手品のようにパラパラとモーゼル弾を取り落としてみせた。

「はぁ……え⁉ あっ、なにチートなことしてくれんだよ、おっさん!」

「これは、三賢女さんばばの考えだ。仲間に法具を向け、術を使うようなことがあれば、その時は法具もしくはその媒介を助言者に転移するように、だ。こんなことにならなければ嬢ちゃんぐらいにしかかける要のない術式なんだがな……三賢女さんばばたちはすべて見越していたってわけだ。ま、どうせならこの騒ぎそのものを止めてほしかったがな」

「そうか、いちばん信用なかったのはあたしだったか……って⁉」

「さぁ、わかったならとっとと解散しろ! 術式はこのヒルコ嬢だけにかけられているわけじゃねえのは見ての通りだ」

「そのとおり。もう法具を押し付けてくれるなよ」

 シュテファンがため息交じりに言うと、まるでそれがトリガーになったのか、堰を切ったように離反組の魔法少女たちが泣きだした。

 そのなかでも、マリア・Kはひとりぼっちだった。肩を落として、ぼんやりと床を見つめている。

 失神した浩司が、的場とシュテファンに抱き起された。

 あ……と小さく声をあげて、マリア・Kは浩司に縋り付こうと手を伸ばしかけたが、その手は中空でぴくりと固まってしまった。

 その手を取ることはできなかった。

 その手から血がしたたり落ちていた。

 これは自分のしたことなのだ。

 大切な人間を傷つけてしまった。

「……ごめんなさい、浩司兄さま……ごめんなさい……」

 グレシャーブルーの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。

 こんなに弱り切ったマリア・Kを、誰も見たことがなかった。


 いくら世論が反魔法少女を叫んだところで、そして日本政府に反魔女・嫌魔女の宗教テロ組織との関係が取りざたされたところで、今現実に起こっている〈霊素〉と〈擬天使〉の脅威は過ぎ去ったわけではない。

 いまだはっきりした、魔法少女以外の有効な手段がないなかで、政府が疑惑をほかにそらすために国際魔法少女旅団の解散や、魔法少女たちの本国への強制送還といったことがらを、突然決定するとも思えない。周囲の動揺に踊らされて、外部との連絡を絶ってしまったマリア・Kら離反組の軽挙妄動と言わねばなるまい。

「ところで、どうする? ニッポンは?」

「『どうする?』って言ったってな……」

 まだふさぎ込んでいる浩司を、的場はちらりと見やる。

「だから言ったんだ。『まんべんなく付き合え』って」

 的場は頭を掻きながら言った。

 はた、とその手を止めた。

 彼はふさぎ込んでいたのではなかった。

 浩司の瞳はなにか強い意志に光を漲らせているのだった。

「――マリアたちと話をする必要があります」

 驚きに細目を目いっぱい開くと、的場は破顔した。

「そうだよ。そうこなくっちゃ、なぁ」

「……その前に」

 浩司が顔を上げると、的場の表情はすっと真顔に戻るのだった。

「的場さん、あなたの知っているかぎりで、本当のことを聞かせてください」

 浩司はサイドアームであるグロック26Cの銃口を的場に向けた。……


 後日、一件は「魔法少女たち 反乱か?」とセンセーショナルに報じられた。

 拘束された助言者たち、わけても日本人オブザーバー、伊藤 浩司、的場 均らは、存在自体が特定秘密に指定されていたにもかかわらず、その名がメディアに公開される結果となった。

「あーあ。有名人になっちまったな」

 ところで、拘束された助言者たちは――観測塔内を自由に行き来できた。いや、観測塔内どころか、そのすそ野に広がる緑化地区から、本土をつなぐ連絡橋租界側ゲートにいたるまで、彼らの行動は、特に何の制約も受けなかったのである。これには拘束されたはずである助言者たちがむしろ困惑していた。中には魔法少女たちに「占拠やクーデターとはいかなるものか」をレクチャーする者まで出る始末であったが、これはおそらく、魔法少女たちの魔導が、常時開放されている影響で、助言者たちもハイになっているからであろう。

 観測塔空中都市部の内縁には、すべての魔法少女たち、助言者らが集まっていた。各所に設置された立体映像の受像装置ホロライヴには、マリア・Kと伊藤浩司、的場均らリトル・トーキョー隊の助言者らが映し出されている。

 ホロライヴの映像は、主導のマリア・Kが今回の叛乱行動に参加した魔法少女たち、不参加の魔法少女たち、叛乱行動に対することになった各国の助言者たちにそれぞれ謝罪するところから始まった。また、この叛乱行動は、真実を知り、最終的にその真実からどのように自分たちの今後を選択するのか、それを見極めるために行動を起こす必要があった、と彼女は主張した。

「ニュルンベルク国際魔導条約は、ワプルギス機関と各国家間の間で結ばれる合意です。原則として、魔法使いや魔女、私たち魔法少女の存在が公式に認められた国は、この条約に合意しているはずです。しかし、それは私たち一人一人が、個人としてこの条約に合意したことを示すわけではありません。そうではありませんこと? ね、浩司兄さま?」

 と、マリア・Kは浩司のほうを恐る恐る伺った。グレシャーブルーの視線は、忙しなく彼女がつけた手の傷と浩司の表情の交互に向けられた。

 そしてその傍らに、自分には何のかかわりもない、と言うようすで居ながら、絶えず自らの法具であるモーゼル拳銃をいじくりまわしている淡紅色の天敵の存在にも注意を向けていた。浩司自身はやめろと説得したのだが、ヒルコは頑として聞き入れなかったのである。

 浩司は、返事をしなかった。マリア・Kの瞳は哀願に一瞬動揺したように見えたが、租界の、いや世界のすべての魔法少女たちの今後を背負っているという使命感が、グレシャーブルーの瞳に堅い氷のようにたちまち結晶した。

「しかし、私たちをめぐる環境は刻一刻変わりつつあります。受け入れの第一の地であったオーレリア大公国は、真偽のほどは不明ながら私たち魔法少女に対し悪意を持つものによって滅ぼされました。ニュルンベルク国際魔導条約はこの時私たちの守りになるどころか、枷として機能したのです。さらにこの地の周囲に蔓延する霊素現象と〈擬天使〉に対抗するにあたって、私たちも犠牲を払っているにもかかわらず、また現在これを恩寵とする魔女狩り組織〈天使派〉の勢力の伸張が著しいにもかかわらず、私たちが人の悪意に対抗するに十分な権利は、ニュルンベルク国際魔導条約からは導き出せなかったのです。そこで、暫定的に私たちは今後の方針を決定しました——」

 マリア・Kはそこで一度言葉を切った。次の言葉は満を持して、高らかに宣言された。

「私たちは魔法をあつかうものによる、私たち自身の完全な意思による自治権をこの場所に打ち立てます。私たちは個々の意思と合意によって、既存の主権を放棄しその庇護を離れ独立し、私たち魔法少女による合議体の結成を宣言します。そこでは、私たち一人一人が魔法少女による合議体のなかにあって主権者であり、諸外国と新たな条約を結ぶ対等な立場であることの権利を、力をもって諸外国に対し主張します」

 一つの場所に一堂に会することはできなかったが、マリア・Kのこの言葉によって空中都市の内縁部は一帯がざわめきだしたように思われた。

「そして、その最初の対等な立場として、魔法少女による合議体が友好条約を締結するのが日本国政府になります。ゆえに一度力をしめす示威行動が必要だ、と私は考えたのです」

 さらにざわめきが大きくなり、大所帯ゆえにすぐには収拾がつかない状態にまで、ざわめきが膨張した時だった。

「それが一歩間違えると取り返しのつかないことになるとは考えなかったのか、マリア?」

 浩司がはじめて口を開いた。小さな呟くような声であったが、その冷厳な調子は、聞く者を静まり返らせるのに十分な効果を発揮した。

「それは……」

「おまえらが情けないからだ」

 押し黙っていたヒルコが突然口を開いた。

「誰が『安心しろ、大丈夫だ』って、わたしたちにはっきり言える?」

 ヒルコの一声に、またもや周囲がざわつきだした。

 まさか自分がマリア・Kをかばう立場になるとは……とうのヒルコ自身が一番信じられなかった。

 魔法少女たち、とくにマリア・Kは浩司の次の言葉を待った。

「――たしかに、情けないのは承知してるよ」

 ふいに浩司は弱ったような微苦笑を浮かべて、ヒルコにともマリア・Kにともなく言った。

 その弱ったような苦笑に、マリア・Kはほっとした表情を浮かべた。

 ヒルコが介入したことで、マリア・Kと浩司との間の緊張がいくらかほぐれたようだった。

「ところで、日本政府が〈天使派〉と関係していると、きみは考えるかマリア?」

「それは日本政府から直接お話を伺います。――その前に、助言者の方々には真実を述べていただきたいのです。あの磁場魔導シールドは、本当に存在するものなのか。〈擬天使〉はあの時本当に〈物象化〉したものなのか。そしてあなた方が私たちの助言者と称してあてがわれている目的は何なのか。どうかお願いですから、嘘偽りなく私たちに答えていただきたく思いますわ」

 魔法少女たちの注目が、元オーレリア大公国平和監視旅団として当地にいた者の一人、助言者の的場に向けられた。

「……そうだ、な」

 的場が口を開いた。

「磁場魔導シールドは確かに存在する。あれは本来お前さんたちを閉じ込めるために作られたものだ。殺された男が言うようにオーレリア大公国での実験は失敗し、その影響によるものとされる〈物象化〉が起こった。それに残酷なことを言うようだが、常任理事国は安全保障体制のアキレス腱になるお前さんたちをはなから疎んじていたと考えるほうが自然だ。だから、実験が失敗して、当地でグレイ・グーやそれに準じる重大なナノマシン関係の事故が発生した場合の、証拠処分のシナリオをあらかじめ用意していた。偽旗クーデターにカモフラージュした熱核攻撃による瞬時のナノマシンの機能停止・破壊措置がそれだ。このことは俺たちオーレリア大公国平和監視旅団にも情報はあったが、奴さんらは予定を早めて一気に証拠を処分しにかかったおかげで、こちらの初動が遅れた。察知した旅団の一部はお前さんたちを抱えて逃げ出すのが精いっぱいだったってわけだ」

 そうだと解っていても、彼女らには再び新鮮な動揺が襲い来るのだった。

「そして、俺たちはお前たちが、今度はこの租界と言う檻から出ないよう監視するために派遣された」

 と、浩司が的場の言葉を継いだ。

「俺たちは、そもそも対魔導戦部隊としてこの租界に来た。ルールを守らず、好き勝って暴れまわるようなら、実力でこれを制圧するために、だ。いま居る助言者たちだけでも、十分にそれは可能だと自負するくらいには。だがそれも、みんなが〈擬天使〉に対して力を示したことと、初期の自衛軍のみの対魔導戦部隊が壊滅したことで、ほとんど形式的な物になった。少なくとも、俺や的場さんや、ほかの助言者たちにとっては——」

 すでに各国の助言者間では定期的な報告に関して「叛乱・騒擾その他の不穏な動きは、魔法少女租界内では見受けられない」という統一した申し合わせが確定していた。それほどに、助言者たちは魔法少女を、自分の娘や妹のように想っていたのだ。よしんばそれが魔導の〈叢〉が織り成す、一種の幻想だったとしても、だ。

 それに加えて——と、ふたたび的場が言葉を継いだ。

「租界運用開始以前に起こった、その二月有事で状況がいくらかかわった。この場所でも、オーレリアに比べると規模はいくらか小さいが〈物象化〉が起こり対魔導戦部隊は壊滅した。あの機械に似たものを、ここに近づける相応の立場のやつらが使ったとしか考えられねぇわけだ。どうもお前さんたちだけじゃなくて、俺たちの存在も世界にとって邪魔な存在なのかもしれねえ可能性が出てきたんだ。だがな、俺らもおめおめやられる気持ちはさらさらねぇ。そこで旅団の助言者オブザーバーとして、俺たちは一堂に会し、さらに状況が変化した時でも団結して事に当たることにした。疑いは拭いきれないが、いくら形式になったとは言っても、雇用先には、それなりに筋を通さなきゃならねえもんだから、日本政府の要請には従う形で、まあ消極的抵抗をしてたってわけだ。こう言うと悲しい商売だ。俺たち助言者にとっても、お前さんたちにとっても、飯を運んでくれる先を邪険にするわけにはいかねえだろ? まだそれが事実かもわからないんだからな。

 だが、今回のことで、もう待つ時間は終わったと助言者全員の意見が一致した。はっきりさせるときが来たんだ。行動のときだ」

「――そこで、助言者全員と協議し、その総意に基づいて、今後の魔法少女租界および国際魔法少女旅団の方針について、日本政府と話し合いの場を設けると言うことで、衆議が一致した。そのなかで魔法少女租界および国際魔法少女旅団の臨時の代表者としてマリア・K=オーレリアを推薦することに決まった。――マリア、引き受けてくれるか?」

 急な展開に、一時放心状態であったグレシャーブルーの瞳がキラキラと光りだした。

「浩司兄さまは、まだ私を必要としてくださいますのね?」

「……なんだよ、結局お姫さまかよ」

 ヒルコはつまらなそうに呟いたが、浩司がマリア・Kの信用回復のため、助言者たちに頭を下げていたのを偶々目撃してしまったため、それ以上は何も言わずに黙り込んでしまった。

「浩司兄さまのご期待に副えるように――そうですわ! お引き受けいたします!」……


「マリアっちにはさ、周りに『腹心の友』がいなかったんだよ。なんかあったときに助けになって、暴走しそうになったらいさめて、しかも対等に話せる――的なのが」

 一同が解散した後のひと時、浩司は一人になって考えたいと静かにその場を離れた。彼自身はうまくマリア・Kやヒルコを撒いたつもりであったが、不意に傍らのユカがそう発言したのだ。

 浩司は目を丸くしてユカを見つめた。

「そんなこと考えてたのか、ユカ?」

「失礼だな、こうじっちは」

 ユカはいたずらっぽそうに笑った。

 新しき魔女=魔法少女の、日本における数少ない三人のうちの一人なのだ。

「そりゃー、少しは考えるよ。マリアっちに『魅了』される人間はマリアっちの周りにはたくさんいたけど、『腹心の友』っていなかったんじゃないかなー?」

 うーん、とユカはわざとらしいようすで顎に指当てて唸った。

「そう『腹心の友』。ユカの見立てだと、それはせんせえ、だね」

 ユカが「せんせえ」などと呼ぶ人物は、一人しかいない。

「『腹心の友』? ヒルコが、か?」

 ないない、と浩司は首を振ったが、ユカはいたって真面目そうなようすだった。

 今度は浩司が考え込んだ。そして、

「……俺じゃダメなのか?」。

「うわっ、こうじっち大胆発言~のわりには、恐ろしく鈍い!」

 ふたたびユカはわざとらしい様子で考え込む。

 そして、恐る恐る――というようすで、

「なんて言うかな……こうじっちは男、じゃん?」。

「……そうだな?」

「はぁ。こうじっち、それはマリアっちに男として見られてるってことだよ。わかるかこの理屈が?」

「お父さんやお兄さんを亡くして、そう言ったものを俺に求めているんだってことはわかって――」

「ちっがーう! よーくもそんな鈍感に今日まで生きてこれたもんだよこうじっち。マリアっちはね、こうじっちのことを異性として見てぞっこんラブなんだよ。そういう関係は『腹心の友』なんかにゃなれない!」

 浩司は動揺した。

 ユカは大仰なため息を吐いた。

「あーもういいよ。なんだかこっちが疲れるよ。こうじっち、本題に入ってもいい? こうじっち、なんだか最近急におかしなことが連続して続いてる気がしない? しかもこの場所を中心にして」

「と言うと?」

 話題が変わったのに、浩司は心中ほっと胸をなでおろした。

「どう考えたっておかしいと思わない? こんなにみんなみんな誰かにとって都合よく悪いことがおこるなんて、さ? グランマーマたちの行く先で用意されてたみたいにテロが起こって、オーレリア大公国があんなになっちゃったのはクーデターのせいじゃないって言いだすのが出てきて、これまで誰にも知られていなかった情報がぽんと出て、マリアっちたちがこの機会に叛乱するなんてさ?」

「内部にスパイと扇動者がいる、って言いたいのか?」

「さすがこうじっち。話が早いねー」

「ユカ、それはお前のことじゃないのか?」

 ユカの表情に一瞬影が差した。

「どういうことかにゃー?」

カヴンの一つ一つに情報を収集・操作する魔法少女をひとり置いて、いざという時の暴発を防ごうとしているんだろ? それでリトル・トーキョー隊のその一人がユカ、お前なんじゃないのか? 主導しているのは、グランマーマ・シルヴィア。どうだ、違うか?」

「お、こうじっち冴えてるね!」

「俺も特殊作戦群からここに来たし、的場さんも情報本部から国連警察予備軍に参加している。ほかの国の助言者も、多かれ少なかれ情報戦の知識があって実戦の経験もしてきた人間たちだ。グランマーマ・シルヴィアには失礼かもしれないが、素人の探偵ごっこで……どうしたユカ?」

「というかさ、そういうとこ気がついて、なーんでマリアっちの気持ちとかには気がつけないのかなー。ドン引き。ユカの中でいまこうじっちは、彼氏にしたくない男第一位だよ」

 ぐっと浩司は詰まったが。

「どうして、どうしてそんな仲間を疑うようなグランマーマ・シルヴィアの諜報網に加担したんだ?」

「それ、尋問かにゃー、こうじっち?」

「たんなる質問だよ。一般私人の範囲内での」

「――自衛のため、だよ」

「それでみんなを疑っている、と?」

「……疑いたくなんかないよこうじっち。でも、状況がそれを裏打ちしてるんだよ、今まさにこの時に」

「……どうしてそれを俺に?」

「警告、だよ」

 と、浩司を指さして言った。

「今最もクロに一番近い人間、苦海ヒルコに寝首を掻かれないように。この叛乱の筆頭に駆り出されて、もっと悪いものを作り出してたのはせんせぇかもしれないんだから」

「ヒルコが? そんな……何を言い出すんだ」

「せんせぇにその気がなくてもね、いつの間にか担ぎあがられるってのも、なくはないんじゃないこうじっち? 魔法なんて持ってなくても、人は人を呪いにかけることができる」

 苦海の呪い。

 魔法少女による軍事国家。

 上層の意志によって租界の対魔導戦部隊に引き抜かれたとき、不意に聞いた言葉を思い出した。

 苦海壮一一等陸佐は、魔法少女を糾合して、自分を人柱にした日本政府に復讐を企てている。

 そしてそれを裏打ちするような状況が今回起こったのだ。

 また苦海の呪いか――浩司は心中で歯噛みした。

「本来そー言うのに一番近かったのはせんせぇなんだと思うよ。せんせぇが悪いわけじゃもちろんないけどさ――まぁ、したたかになるしかないんじゃない? 誰も守ってなんかくれないんだから」

 ふいにユカは駆けて行ってしまった。

 最後の言葉は、浩司には重々しく響いたのだった。


 助言の系統はこれまで通り、各国助言者から各隊に通じて伝達される。助言者たちは、三賢女の帰還まで、彼女たちの保護者であり、今後予想される日本国政府との交渉においても、その助言者となる。

「とは言うものの、俺たちだって交渉とは無縁だけどな。『米よこせ』くらいしか言えねえぞ」

 とは、的場の言である。

「姫さんのスカートの下に、俺たちの方が隠れることになるかも知んねぇ」

 とは言え、あくまで交渉が基本である。

 しかし、交渉が決裂した場合は?

 相手が強硬な手段に打って出た場合は?

「まずは自衛軍相手に戦うってか?」

 腕が鳴るなぁ、とヒルコが快活に叫んだのと同時に浩司は言った。

「戦わない。国際魔法少女旅団は、あくまで専守防衛を徹底する」

 講堂内がざわつきだした。

「これまで、お前たちが相手にしてきたのは何だ?」

 ざわついたまま明確な答えが返ってこないので、浩司は先をつづけた。

「〈霊素〉それに〈擬天使〉、だ。呼び名はいくつかあるが、今回相手にするのは、対人そのものになる。それはまったく、これまでのミッションと特性が異なったものになる」

「でーもさ、こうじっち」

 と、ユカが手を挙げる。

「これまでだって〈霊素〉が人間食べちゃって、〈擬天使〉になっちゃったヤツ相手にしてたわけでしょ? それだって人間じゃないの? なにが線引きなの?」

「たしかに実体としてあらわれた場合、分かっている所では霊素〈物象化〉の要素は、霊素が人間を食べる事だ。食べるという表現が正しいかわからないが、霊素が人間を食べてそれを自分の体として形成しているとするなら、食べられた人間はすでに死んでいると、これまで判断されてきた」

「ダマしダマし、な」

 と、ヒルコが胡乱うろんげにつぶやく。

「そう、これら被害にあった多くが民間人、非戦闘員だった。ニュルンベルク国際魔導条約本項の条文にもある通り、普通の人々に対する攻撃や呪いの行使は、本来禁止されてきたものだ。それは常なる魔法使い・魔女たち、グランマーマや先の世代の魔法使い・魔女たちが、自分たちの力を悪用しようとする勢力を牽制するために、自らの力の使い方を戒めたものだった」

「でも相手は『普通の人間』さまじゃん。ミサイルとか? どーすんだよ?」

「撃ち落す」

「いくらなんでも魔導で何でもできると思うなよ?」

「イージス・アショア、ですわね?」

「マリア、気がついていたのか?」

「隠してるつもりですの?」とマリア・Kがいたずらっぽそうに微笑んだ。満更後先を考えずに行動したわけではないようだった。

「で、そのイージスナントカがあたしたちを守ってくれるってか?」

「正確にはそのイージス・アショアを護るための対空自動迎撃システムがこの租界の外縁にある」

「緑の経済特区じゃなかったのかよ」

「大人の事情ってやつでな。イージス・アショアのプラットフォームは計画が凍結されたんだ。で、その名残を隠すのに、緑の経済特区なんて大層な題目をつけておっかぶせたんだな、ときの日本政府は」

「かーっ、さいてーじゃん」

「――だが、この自動迎撃システムも万能じゃない。四二年に自衛軍のおこなった迎撃試験での迎撃成功率は九十%だ」

「撃ち漏らしもあるんだな……」

「そこで、旅団には『家』を守りに集中してもらうことにする」

「家?」

「この観測塔の防衛、ということですわね?」

 なにせ国際魔法少女「旅団」を称する大所帯である。しかも相手はがむしゃらに突進してくる〈擬天使〉とは違い、れっきとした作戦行動で、定められた敵を制圧することを目的として組織された人間が差し向けられる。

 そんな相手に「専守防衛」するのである。

(各隊の四元素もち魔法少女が依り代――っていうよりその四元素もちが持ってる法具を依り代にするんだけど)

 これはキアーラによる発案だ。

 各魔法少女の〈叢〉の「浸透」を、一つの法具に縒り集めて、巨大な防御結界を張る方法があるのだ、と言う。この方法は魔導書『魔導体系』に記載されており、オール・グランマーマが三賢女に施した術式もこれにあたる。……

「グランマーマたちがいないのが悔やまれますね」

「ったく、肝心な時にいねえときてやがる」

〈おい、まだやんのかよ……〉

 ヒルコはげっそりしたようすでいった。

「『自分の手足になるまで』、な。嬢ちゃん。しっかり頼むぜ」

〈けっ。なんでこんな目に合うんだ――〉

「とはいったものの、一度ひびの入ったチームワークなんて奴が、一朝一夕で出来るはずもねぇけどな」

 そう無線に拾われないくらいの小声で嘆息する的場ら助言者たちの見上げる上空で、魔法少女の部隊は、観測塔を中心にして示威運動を続けている。

〈ほら、飛んできたぞ! 四時の方向!〉

〈結界展開!〉

 ペイント弾は結界の内側ではじけ飛び、通信機には魔法少女たちの悲鳴が響いた。

「遅い! 人間死ぬときは一回しか死ねんぞ!」

〈うわーっ、ペンキが口ん中入ったぁぁぁあ!〉


 竹川の決断に、閣僚たちは動揺を隠せないでいた。

 ある点では、竹川も相当したたかに魔法少女租界が独立し、ひいては国連の――というよりも国連安全保障理事会常任理事国による日本の再占領の橋頭保やオーレリア大公国の二の舞にならぬように取り計らっていた。初期の租界運用案にあった租界内の植物工場の稼働を取りやめて、食糧供給を外部に依存させる方法をとったのは、その一つの施策だった。租界内での植物工場でえられる食物は、いまだ家庭菜園に毛が生えた程度のもので、租界内での完全な自給自足には程遠い。

 すべての発端であるところの租界上空に位置する〈ヤコブの梯子〉の定点観測装置の取り付けや、シンシアら米連邦の生物学者らの租界上陸を禁止したのも、船舶の停泊を極端に限定したのも、魔法少女らを守りつつ、かつ日本が日本として、今後も世界と渡り合ってゆくため、竹川は頑として譲ることのできないものだった。国際連合が、なんらかの危機に乗じて日本を批難し、国連軍を派遣し、日本国の再占領の拠点となるようないずれのものも排除しようと努めたのである。

 食料自給を戒めただけでも十分な効果を上げるだろうと竹川は思った。性急な方法をとらずとも――しかしながらこれはもっとも残酷な戦法ではあったが、兵糧攻めにして行動の限界に達したところに、帰還した三賢女を介して魔装を解除させることもできる。魔法少女たちが束になってかかったとしても、三賢女は絶大な力をもっているし、魔法少女たちの運命の変転からしてみれば、三賢女に対するその恩は計り知れないものであるから弓を引く愚を犯すとも思えない。そうなればなんとか穏便に、しかも日本においては珍しく早期に解決する道筋も出て来るというものである。

 それが話し合いの場を持ちたい、と彼女らは言うのだ。

 彼女ら自身の意思で。

 胸襟を開いて話し合うことが、一等良い方法である。

 文民として、竹川はそう思うのである。

「私が指名されたのだから私が行くのが道理というものだろう」

「こんなルールを無視したことがあってたまりますか! 総理一人を指して、『租界に来い』などという無作法が!」

「誰か彼女たちに外交のルールでも教えたのかね?」

 と、竹川はいたずらっぽそうに言った。

「それでは人質と変わらないじゃないかと言っているんです! 相手は魔法を使うんですぞ」

「では、君たちの誰かが、代わり行ってくれるのかね?」

 誰も答える者がいなかった。

 情けない話だ、と竹川はため息を吐いた。小娘だの魔法など取るに足らないなどとやかましく言っていた割には、いざそれが目の前に「ほんとうに」あるとなると怖気づくのか。

「一国の長が人質になったのでは、政務がおぼつかなくなる。竹川、お前はなにより日本国民に対して責務があるんだぞ。それを忘れるな」

 と、烏賀陽は静かに釘を刺した。

「この問題も、その国民の生命と財産を守るのに必要な政治的行為だと私は思うがね。そして現在われわれは魔法少女たちの力を必要としているし、オーレリア大公国をめぐって日本政府の受けている誤解は解かねばならん」

「それはそうかもしれないが、ここは国連とワプルギス機関に対応を一任するのが筋じゃないか? だいたい彼らが――」

「それではオーレリア大公国の二の舞になる! 世界は忘れたかもしれないが、私は忘れてはおらん。この世界で日本が日本として独立し、彼らと渡り合ってゆくためには彼女らの協力が必要なのだ。そのためには現在の窮地を、我々自身の手で解決しなければだめなんだ」

 竹川は毅然として言った。

(だがジャンの過ちは――)

 と、竹川は心の中でつぶやいた。

(現状を変えようとしなかったことだ)

 変質した国際連合と一定の距離を保ちながら、その国連憲章の理念に立ち返るよう軌道修正をかける。常任理事国の私物と化した国連を、その設立の理念に立ち返らせるのだ。設立の理念が、たとえ建前にすぎないとしても、である。

 現状に働きかけることをやめないこと。たとえ旧知の仲であるにしても、それがジャン・K=オーレリアの失策であったと、竹川は思うのだった。

「――それならおれが行こう」

 ふいに烏賀陽が言った。

「おれのほうがずっと首相らしいぞ。それに交渉決裂の際のリスクもいくらかは減る」

「いや、それはだめだ。第一話し相手のマリア・K=オーレリアは私の顔を知っているし、彼女らを見くびらんほうがいい。それに――」

「それに?」

「君に留守宅をつめてもらえば百人力だ、内閣総理大臣臨時代理。この務めを果たしてくれ」

「そもそもそれが決まり事だろう。百人力も何もあったもんじゃない」

 苦笑交じりに返答した烏賀陽も、やっと決心がついたようであった。

「ああ、任せろ――」


「見た目に正しい事ばかりで、世の中廻っちゃいねぇよ」

「的場さんの口ぶりだと、マリア達が本当に叛乱してくれた方がいいみたいに聞こえますよ?」

 リトル・トーキョー隊助言者二人の問答は、方針が決まってからなおも尽きることはなかった。

「いいじゃねぇか、それで。そもそも、もう叛乱だろうが」

「いいわけないでしょう」

 と、幾分声を荒げて浩司は応えた。

「なんだよ、怒んなよ。いいか、我らが日本政府と国連は、嬢ちゃんたちに完全な衣食住を補償し、嬢ちゃんたち魔法少女と俺たち助言者は、いわゆるこの国を起点にして対〈霊素〉、対〈擬天使〉の軍事力を提供しながら国としてやってゆくんだ。それで、次には衣食住に関しても、自給自足が可能になるまで食料自給率を順次引き上げる。そのための設備だってこの国にはあるんだからな」

 的場が租界のことを「細胞セル」とは言わず「国」と連続して呼称したのに、浩司は強烈な違和感を覚えた。

(いったい「国」とはなんなのか? いつから魔法少女租界は独立した「国」になったのか? 仮に魔法少女の「国」だとするなら、その国家元首は叛乱の指導者となったマリア・Kだとでもいうのか?)

 浩司はそう畳みかけるように問い詰めたい衝動を、すんでのところでぐっとこらえた。

 大の大人がマリア・Kひとりにこれ以上重荷を背負わせるのか、と。

「それは、〈擬天使〉が今後も現れる仮定で、しかないじゃないですか?」

「『今後〈擬天使〉が現れない』、というのも仮定じゃねぇか」

「そんな戦隊シリーズの悪役みたいに毎週来られても困りますよ」

 浩司は呆れたようにため息を吐いた。

「来なけりゃ来ないでそれでいい。いつかまた、明日、いや今日にでも奴らが現れるんじゃねぇか――その恐怖さえあればいいんだ」

 それがまさに奴ら(テロリスト)の戦法ではないか、と浩司は言い返したかった。テロリストは物理的破壊もさることながら、それによって国や街や組織、個人に与える「恐怖テルール」を重要視しているからだ。

 しかし。

〈擬天使〉との闘いが、ある日突然終わる。

 ほんとうにそんなことがありうるのだろうか。と、浩司は思う。この闘いはあくまでいつまでも続くもののような気がしていた。父親であったものがあの異形に〈物象化〉されてから、浩司のなかで時は静止している。

 さらに、この点がもっとも問題だった。自分たち助言者としての存在理由は、かつてヒトだったものと、魔法少女たちが闘うに際して、これを助言するためにある。仮に魔法少女の魔法少女による魔法少女のための国が、東洋の島国の一角に誕生するとして、その時自分たち助言者になんらかの存在理由があるのだろうか。存在するにしても、助言者と魔法少女との関係は、今とはまったく異なるものになってしまうのではないか。

 それはちょっとでも触れた瞬間に変性してしまいかねない、危うい均衡だった。

 もしかしたら自分こそ、現在の状態がずっと続けばいいと考えているのではないか?

「おまえだって、あの条約が嬢ちゃんたちを守っちゃくれねぇことくらいは分かってんだろ?」

 ニュルンベルク国際魔導条約は、たしかに魔法少女たちを守ってくれるわけではない。むしろ彼女らの力を拘束するもので、本来ある。

「だからそれに取って代わる〈魔法少女の軍事国家〉を、ということですか?」

 微かに的場の視線が瞬いた。すると、髭面の熊のような笑みで凄みを聞かせて言った。

「どっからそんな言葉を引用したんだ、伊藤、じゃねえな、もう探りたくもない腹の探り合いはやめにしようや苦海浩司くん?」

 平然とした表情で黙して語らない浩司をよそに、さらに畳みかけるようにして的場は言った。

「俺の古巣の手にかかりゃお前の素性を調べ上げるのは簡単だってことだ。しかもけなげにもお前は、親父さんと一緒の職業を選択しその時を待ち、ついにお誂え向きに父親はのこのこと帰ってきた。俺に感謝してほしいもんだ。租界防衛の新規人員補充の人事担当はこの俺だったんだからな。お前は私怨を晴らし、お前の後ろについている奴は、気の触れたようなことぬかしやがった苦海一佐の〈魔法少女の軍事国家〉なんていう戯言を、その息子の私怨で闇に葬り去るわけだ。

 でもな、ここで生活してきて、俺もいくらか考えが変わったんだよ。嬢ちゃんたちは、この世界じゃ満足に生きられないってことがそれだ。力のために枷につながれ、その枷があるばかりにあっさり殺されちまったり、殺されるよりもっとひどい目に遭ったりするわけだ。オーレリアではそれがおこった。いまも地球のどこかで似たようなことが起こっている。お前さんより俺の目はその点はつぶさに見て来たわけだ。だから嬢ちゃんたちは自分たちの力を外部に示し、威嚇し、それを抑止力にする方法を身に着けなけりゃならねぇ。そのためのデモンストレーションとして、〈霊素〉と〈擬天使〉は、〈魔法少女の軍事国家〉っていう外向けの架空の脅威を演出するために必要な要素なんだ。自分たちでこの世界に生きる権利を勝ち取るためのな。

 最初は笑い話だと、一佐の神経を疑ったが、今は……ちくしょう、今になって一佐は嬢ちゃんたちの未来にかけてたんだと気がついた」

 この的場の長広舌に対して、浩司は冷たく言い放った。

「彼女たちに人殺しの片棒を担がせるのが、彼女たちの未来にかけることなんですか。俺たちが彼女らにしてやれることはそんなことなんですか? ニュルンベルク国際魔導条約の外部に出るということは、魔法少女に対する悪意に、彼女ら自身が直に身をさらすことになる。その時相手を殺す選択肢を選ぶことになるかもしれない。

 俺は……彼女たちを人殺しにしたくはありません。撃つのなら、俺が撃ちます。いや……いちばんは、外の人間がみんなこの場所のことなんか忘れ去ってくれればいいんです」

 的場は眉根を寄せた。

「撃つ? お前に撃てるのか? 父親殺しは子供の特権なんだぞ――それをお前は嬢ちゃんにとられた。一番大事な時に引き金を引けなかった、アマちゃんがよ……今だって口ばかり達者なだけだ。殺るときに殺れなかったやつはな」……


〈やはり、起こるべくして起こってしまった〉

 グランマーマ・ロッテンマイヤーの嘆息が、シルヴィア、ソフィア両名の心話の水面を震わせた。

〈コウジ君たちの声が聞こえな~い!〉

〈水晶球も破壊されたのでしょう。私たちが助言できないように〉

〈これも『予定されていた』っていうんでしょロッテ?〉

〈『この世に偶然などなく、あるのは必然だけ』って、そういやオール・グランマーマが言ってたねえ〉

 と、ソフィアが嘆息する。

(『この世に偶然などなく、あるのは必然だけ』。……オール・グランマーマ、私にはわかりません。これも必然だというのですか?)

 今のところ、三賢女とオール・グランマーマとの心話の空間は閉ざされ、「偉大な魔女」、「全ての魔女たちの母」の真意を推し測ることは適わない。だが、こうなることも「必然」なのだとすると、それは三賢女、グランマーマたちの甘んじて受け入れるところのものではない。

〈ならば、その「必然」とやらを、なんとか味方につけなければなりません。私たちの望む味方、として〉

 恐れていた事態――魔法少女たちの叛乱は起き、魔女狩りの拠点で発生したテロを恐れ、空港や港湾は封鎖、さらには報道管制も敷かれたようである。

 真偽不明の情報は、締め付けが強くなればなるほどメディアに氾濫してくる。このような場合に簡単に手に入ってしまうような情報は、信頼には値しない。そして故事にあるように「百聞は一見に如かず」である。

 結局あまり使いたくない手段を、三賢女は使わざるを得なくなった。

〈閉じた空間〉と呼ばれる、魔導による瞬間移動にも似た手段がそれである。

 だが魔導は万能ではないし、三賢女は、人知を超えた力を用い、市井の人々よりも多くのものを見聞きしているとしても、やはり人間には違いないのである。日本への長征行ともなると、本来ならば複数名一組で順次交代しながら〈閉じた空間〉は使用されるものである。

〈まーったく、ちょっかいだしてるってわけでもないのにぃ。純血のバーカ!〉

 ぶう、とシルヴィアはロッテンマイヤーの心話の水面を震わせた。ふくれっ面でもしているのだろう。

〈なぁんでこっちが気を遣わなきゃなんないのーロッテ?〉

〈気を遣うのではありません。一人でもいち早く日本にたどり着くためです〉

〈しかし、なんだい? 純血どもが手を出してくるとも思えないけどねえ。もうそこまで力を残しているとは〉

〈それでも用心は必要でしょう。とにかく一人くらいはたどり着かなければなりませんよ。万難を排して。――なにか言い残すことは?〉

〈うーん……ないわ!〉

 不平たらたらであった先ほどまでの声音とうってかわって、シルヴィアはあっけらかんと言った。これに続くようにして、ソフィアも心話の水面を震わせる。

〈ないね。そういうロッテ、あんたはどうなんだい?〉

〈ありませんね。一世紀生きて、そのような辞世で暇をつぶせたためしがありませんから〉

 さすがは過去「三凶女」などと恐れられた三人であった。

〈では、参りましょう。お二方ともご武運を〉

 ロッテンマイヤーのなかから、二人の心話の水面が消えた。ロッテンマイヤーはふっとちいさなため息を吐くと、意を決したように息つめて地を蹴った。彼女の体は、万有引力を忘れたようにふわりと浮かび上がった。周囲にはシャボン玉にも似た虹色の膜が張られる。

 虹色の膜とともに、ロッテンマイヤーはくるり一回りすると、一瞬のうちにかき消えてしまった。


 ――嵐の前の静けさ、なのか。

 湾外側の見張りからも、目立った変化はないとのことだった。

 肩を叩かれ、浩司は振り返った。

 気配に気がつかなかった。

「まだ交代の時間じゃ……」

 的場の姿だった。

「へろへろのお前の目なんか信用できるかってんだ」

 浩司の手から暗視双眼鏡をひったくると、的場は追い立てるように手を振った。

「まだ俺の老眼のほうが利きがいいだろうからな」

 と、暗視双眼鏡を覗き込みながらフンと鼻を鳴らした。浩司は力なく笑みを浮かべた。

 的場の言う通りであった。浩司は尋常ではない疲労を覚えていた。マリア・Kらによる叛乱劇にはじまり、どこかしら叛乱を肯定的にみる的場や各国の助言者たち。叛乱に乗り気ではなかったヒルコらの一群、これらをひとつに束ね、できるかぎりベターで、ソフトランディングな方向へ――という浩司の並々ならぬ努力は、明日に控えた交渉のテーブルに結実した。一政府との対話などという、やりつけていない事柄に「疲れない」というのが無理な相談というものだ。

 自分からわざわざ損な役回りを……と浩司は一人苦笑を浮かべて助言者居住区にあてがわれた一室に戻った。

 自室に戻ると、格好もそのままベッドにどさりと倒れ込んだ。心中から疲れを吐き出すかのように深くうめいた。

 いつの間に寝ていたのだろう。いや、それはどちらかと言うと気を失った、と言う表現のほうが妥当に違いない。

 浩司は、はっと目覚めた。金縛りにでもあったように、見えない錘に体が釘付けされていた。

 薄暗がりの中、自分の上に馬乗りになっている人影に、浩司は息を呑んだ。

 人影は、暗黒を凝集したように、それこそ虚空に人型の洞穴をくりぬかれたかのように在った。

 その人影の正体は——

「浩司兄さま……」

 マリア・Kがのしかかっている。

「マリア?」

「浩司兄さま」

 いつもの調子とは、まったく違う。

 艶めかしく、妖しい。

「わたくしめに、お力をお貸しください」

 細い指が絡みついてくる。華奢で、あまりにもか細い。

「なにを……」

「なにもおっしゃらないで! わたくしめに、このマリア・Kに、浩司兄さまのお力をお貸しください」

「莫迦。なに言って――」

 柔らかく熱いものに、唇が覆われた。

 あ――と両者から小さな吐息が漏れた。

 いま、なにかが繋がった。

 と、思ったのもつかの間、浩司はベッドが沈み込み、自分の体ごと真っ暗な陥穽かんせいに墜落していく幻視を見た。

 夢なのか? 

 しかし墜落の感覚は、まったく本当らしかった……。

(ああ、かなわん!)

 母の顔には白い打ち覆いがかかっている。

 親類の一人がついに我慢できずに、そう声をあげて窓を開けに立ち上がった。それを合図に、一人また一人、彼らは姿を消した。

 浩司と母だったものが残された。

 開け放たれた窓は、なんの役にも立たなかった。お香の煙と、胸にむかつくような腐敗の臭いは、部屋の中を滞留するばかりだった。それは〈霊素〉が人々の周囲を取り巻くように、母だったものと対峙する浩司の間を、ゆらゆらと漂った。このお香の煙たさと母だったものの放つ腐臭が、それこそこの親子のえにしであるように。

 幻視のなかの浩司は、母親の死を理解できなかった。彼は母の身体を揺さぶった。

 ふいに彼は人の気配に気がついて振り返った。

 父、苦海壮一がそびえるように立ち尽くしていた。

(お父さん、お母さんが起きないんだ)

 苦海壮一は一瞥をむけたまま答えない。

(何か言ってよ、お父さん!)

 父親に縋り付こうと駆け寄った彼は、その体に触れたかと思ったとたん、うっと嗚咽を漏らした。

 苦海壮一の身体がドロリと溶け出して、彼の手にまとわりついたのだ。ぶくぶくと粘性の泡のように、苦海壮一だったものが、浩司の視界を覆い始める。

(――ぼくはお前を憎む)

 苦海壮一だったものを指さして、浩司は言った。

 自分の身体が縮んでゆく。それとは逆に、苦海壮一だった白い粘性の怪物に対して、その姿と鼻を衝く死臭、腐敗臭が、憎悪を縮んでゆく身体以上のものにした。

 自分と母親を捨てて、戦地から戦地へ、暴力と死を振りまく、UNの匪賊の首領の一人。父親だったものに、彼は言った。それはほとんど絶叫に近かった。

(ぼくやおかあさんをすてたおまえをにくむ。のろわれろ。のろわれろ! たくさんのひとたちをふこうにしたばつだ。りんねのなかでえいえんにばけものとしてにくまれ、のろわれろ!)

 憎悪が魔導力のように彼を包み込む。物質化した粘性の憎悪が幼い彼を包み込む。

(浩司兄さま)

 彼は声を聞いた。

 浩司の物質化した粘性の憎悪を押し開くようにして、白く輝く少女が姿を現した。あまりのまぶしさに目を細めて、ぼやけた焦点が合わさってゆくと、その輝きの中心から、自分よりいくらか年上の少女が、たったいま生まれ出てきたかのように彼には思われた。

(浩司兄さま。私を視て。私に心を開いて)

 少女は自分の名前を知っている。

 でも、なんで「兄さま」なんだ? と思う間に、少年の幼い柔らかな頬が乳白色の繊細な手に包まれた。

 少女は、お互いの顔が触れ合うくらいに顔を近づけてきた。

 ——彼は羞恥を覚えた。

 憎悪の殻で冑って、かろうじて怯えを押し隠していた自分の姿を、この少女に見られてしまったことに。

(みるな! ぼくをみるな!)

「俺を視るな」

 凶暴な力が沸き上がって、彼は荒々しくマリア・Kの肩をつかんで揺さぶった。

「出ていけ。俺から出ていけ!」

「それでも。それでも! 私は浩司兄さまをお慕い申しております。だからこそすべてを視せてください!」

「ダメだ! マリア、俺から離れろ!」

 浩司はマリア・Kを乱暴に押しのけようとした。そのマリア・Kの首筋にある制御棒を受け入れるサイロのくぼみに触れた、とき――。

 彼は現実からまたもや引き離され、高速で陥穽に墜落を始めた。彼は自分の背中と、馬乗りになったマリア・Kの驚きの表情とが、はるか彼方に去ってゆくのを視た。

 そのまま奈落の底に落ち続けるかと思われた浩司の体は、いつのまにか緋色の絨毯に身を横たえていた。

 体が半分透けている。

 起き上がろうとすると、全身がゆらゆらと軟体動物のように揺れて、正体を失いそうであった。

 それでもやっと立ち上がった浩司の先にいたのは、幽閉されたおとぎ話のお姫様、であった。

 一人きり、理解者もいないまま、ベッドの周囲に集められた夥しい数の動物たちのぬいぐるみの中で、自らの空虚を埋めようとし、己の牙城を守ろうというけなげで、いたいけな努力を、浩司は目の当たりにした。魔導がかけられてでもいるのか、そのぬいぐるみたちは、あちらこちらに歩き回ったり、主人である少女に、すり寄ったりじゃれたりしているのだ。

(マリア……マリア・K……なのか?)

 そう浩司は口にしたはずだったが、声にはならなかった。

 と、ふいにマリア・Kが、顔を上げた。

(イシャラ兄さま!)

 その時ばかり仄暗い少女の周囲は、ぱっと輝いたのだった。

 天蓋から垂れる、薄手のカーテンブラインドがもたげられた。

 暗闇から現れたのは、白磁の陶器で出来た人形だった。

(イシャラ兄さま!)

 じゃれあいすり寄るぬいぐるみを蹴立てかけよると、ベッドの反発も手伝って、マリア・Kは白磁の人形の胸に飛び込んだ。白磁器の人形は、それを抱きとめた。

 浩司ははっと息をのんだ。

(イシャラ・K……これが)

 それはイシャラ・K=オーレリアだった。薄闇のなかにも、イシャラの癖毛は、黄金に鈍く光り輝いて、周囲を仄明るく照らすかのようだった。白磁器の肌をもつ、どこかこの世のものではない美少年。

(マリア)

 イシャラはマリア・Kの髪をかきなでる。

 イシャラはマリア・Kの幼っぽい額に口づけした。マリア・Kはくすぐったそうにイヤイヤをしてみせた。

(マリア、僕の愛しい人)

 と、イシャラは甘やかにマリア・Kの耳元でささやいた。

 マリア・Kの乳白色の肩が、はだけられた寝間着の間から現れた。丸みのある柔和な、球体関節人形の肩のようであった。

 艶めかしい鮮やかなまでの赤い舌が柔和な丸みに這う。

 と——。

 瞬間、白皙の表情に暗い翳が走った。

(誰だ!)

 ……その声によって、浩司は再び真っ暗な陥穽かんせいに突き落とされた。

(イシャラも『魅了』されたのか……)

 落下のさなか浩司は考えた。

 しかし、この落下はいつまで続くのだろう?

 マリア・Kの心層の奈落に落ちてゆく。

 しばらくすると、浩司は火照りを感じた。徐々にそれは彼の皮膚を焼き尽くし、残らず灰にしてしまうような劫火を、彼の脳裏に現出させた。

 気がつくと、足元には薪の束が積み重なっていた。

 浩司は低く呻いた。

 薪の束とともに、誰のものかわからない切断された手足もこれに加わっている。

 それに、

(熱い……)

 周囲を見回す。

 おぞましい光景に、目を瞠った。

 焼かれているのは魔法少女たち。

 人々はぐるぐるメリーゴーランドのように、その周囲を巡りあるいている。各々の手には松明たいまつの火。光の名残がいくつも尾を引いている。

 伝統的キリスト教の概念では、審判の日に至るまで、裁きを受ける死者の肉体は残っていなければならない。

「墓の中なる人々悉く天主の声を聞く時来らんとす。斯くて善を為しし人は出でて生命に至らんが為に復活し、悪を行いし人は審判を受けんが為に復活せん(ヨハネ 5:28-29)」ために。

 だが魔女は、その存在が消えてなくなるまで、焼き払われる。

 裁きを受ける資格がないためである。

 彼女たちは、徹底して、焼き払われる。

(私たちを救ってみせろ)

(神の使いなら私たちを救ってみせろ)

(救い主なら、自分を救ってみせろ)

 魔法少女たちは口々にマリア・Kを罵った。

 マリア・Kはうなだれたまま、なにも語ろうとはしない。

 長柄についた十字架が、マリア・Kの前に差し出された。彼女はそれにすがるように、掴んだ。

 ついにマリア・Kの火刑台にも、松明の火が投げ込まれる。

 いつの間にか、ぐるぐると周囲を取り巻いていた民衆は衣服がはだけ、ヒトの形を失い、〈擬天使〉のぶよぶよとした白い肉体に変わり果てていた。腐敗と瘴気を周囲にまき散らす、かつてヒトだったもの――に。

 浩司は、その時民衆の一人となって松明を投じていたかと思えば、今まさに火の舌先に舐め回されるマリア・Kであり、マリア・Kの足元を舐める、火の勢いそのものであるような気がした。

 焼ける。

 体中からぱちぱちっとか、じゅわ、と音がする。膨れ上がった皮膚が爆ぜ、破れたあたりから、沸騰した体液がふきだしていた。

(私たちを救ってみせろ)

(神の使いなら私たちを救ってみせろ)

(救い主なら、自分を救ってみせろ)

(もう見たくない)

 浩司は必死に目を瞑ろうとした。だがいくら努力しても、それは叶わなかった。

 なぜそれができないのか? 

 気が付いた時、彼はマリア・Kと一つになって悲鳴を上げた。

 マリア・K=浩司の瞼が、焼け爛れ、眼球の上から滑り落ちてしまったからだった。……


 光は、電波と磁場が互いに生成し伝播する電磁波である。

 幾何学的な、どこもかしこも角ばった奇妙な形をした一艘の船が、最後の、そして最も重要な積み荷を載せているところだった。

 暗がりに黒く鈍く光る先進ステルス実証艦は、電磁メタマテリアルを塗布した甲板の表面で、その電磁波である光を迂回させ、艦がまさに透過した状態を実現するにいたった。従来のステルス性とともに、見えざるインヴィジブル。「視覚情報として完全に姿を消したステルス艦」である。

「……しかし、米帝が提供してくれるとは」

 ペストマスクの一人が思わず嘆息した。

 この船は実験艦かつ予備役モスボール状態で、さきの災禍にも活躍とは無縁で、米帝領に係留されていたそうだ。米帝からすると、「粗大ごみを体よく片付けた」、といったところか。

 イシャラはふっと嘲笑うようなため息を吐いた。

「威光を示したいのさ。見えないという事が、彼らに対する世界の恐怖を駆り立てる」

 一時は彼らの創りたがっている、彼らによる彼らのための新しい秩序の要素、その商品のモニターとして加担することになるのだ。だがいずれにせよ、新世界秩序(米帝)か守旧派然とした体制(国連安全保障理事会常任理事国)か――限りあるものを争う彼らの思惑や、彼らの地球に、イシャラは興味がなかった。

 すべては、たった一人のためにささげられていたから。

「諸君――来るもの拒まず、去る者追わず、だ。諸君――なぜならすべてが終わった後にやはり裁くのは、審判の日なのだから。ここで諸君らがどの道を選びとったとしても、矢張り我々のたどり着く先は同じだ。諸君――我々は一度地獄の門をくぐらなければならない。ダンテと同じように。我々はつぶさに見る。目を背けてはならない。我々は背教と異端と異教が清浄の火に裁かれるのを見る——ダンテと同じように。ならば我々の目の前には、必ずや王国マルクートへの道が開けている」

(救済! 救済!)

 ペストマスクたちは鬨の声をあげた。

 それで十分だった。

 イシャラの双眸が、万華鏡のようにぎらぎらと輝きだした。

「――さァ、諸君! 魔女狩りを始めよう!『汝らここに入る者、一切の希望を捨てよ。一切の怯懦よ、ここに滅びよ!』」


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