恐怖分子《テロリスト》
(
目下の光景に、グランマーマ・ロッテンマイヤーは懐かし気に目を細めた。グランサッソ襲撃で、過去彼らの曾祖父母を率いた
むろん上空から見るばかりでは、そのようなことはうかがい知ることは、もちろんできなかったが。
ブーツ状のイタリア半島。
そのだいたいくるぶし辺りに位置するバーリ県。古代ギリシャの植民都市、ローマ帝国の商業の中心地、その後ランゴバルト族、東ローマ《ビザンツ》帝国の支配をへて、第二次世界大戦中にはイタリア海軍の主要基地となった。一九四三年、連合国軍によって占領。――今世紀に入って、内戦中のアメリカ合衆国を除く常任理事国による、中東「解放作戦」のさなか使用された戦略核兵器のとばっちりを食らったかとおもうと、現在は大略四辺形と呼ばれる放射能汚染地域、無人地域、係争地域を含む……の野辺に収まっている。
除染は比較的に進んでいる地域、と謳われている。しかし、場所が場所だけに公権力(イタリア共和国)の支配は弱まり、その間隙をついては、まさに「
バーリ県内に巣食う、この「魑魅魍魎」の顔ぶれは多彩だ。〈天使派〉の宗教テロ組織〈勧善懲悪委員会〉を筆頭に、イタリアン・マフィア、ネオナチ、過激な環境保護団体、海賊に野盗、大略四辺形の汚染地域・紛争地域から命からがら脱出した無名の難民とその子孫――これらが一日一日と離合集散を繰り返している。今日の敵は明日の友となり、今日の友が明日の敵となってつかみ合いを繰り広げる……といったような混沌状態のなか、自分が何を信じていたのか、なんのためにこのような境遇にいたったのか、もしかしたらそこで生きる者にも分らないありさまだった。また、そんな都市が世界にはいくつもあって、バーリ県の一角も、その一つにすぎなかった。
そのような状況下、生き残りの〈新しき魔女(魔法少女)たち〉の救出作戦のひとつが、このバーリ県で展開された。ロッテンマイヤーは魔女の助言者として、また救出された彼女らの身元引受人かつ彼女ら魔法少女の「母」としてやってきた。
もちろん彼女らの意思が尊重されるのが大前提だが、救出される魔法少女はおおむね魔法少女租界で、マリア・Kやヒルコたちと共に生活することになるだろう。これには〈霊素〉と〈擬天使〉という厄介ごとがもれなくついてくるのだが、そのほうがずっと比較論的に「安全」ではあった。
とは言え、ロッテンマイヤーは時に考え込んでしまうことがある。
〈霊素〉――は〈ヤコブの梯子〉を通って、人を襲いに現れる。
〈擬天使〉――これは「そうなってしまった」あとでは見る影もないとは言え、もともとヒトだった。不可逆的に、否応なしに変化を迫られた存在だ。
その魍魎が突如として現れる国日本に彼女らを連れてゆく。
それは彼女らにとってほんとうに安息の地でありうるのか?
ロッテンマイヤーには断言できる自信はなかった。魔法少女として、近代の魔女狩りの時代よりも、魔法使いや魔女が歴史の明るみに姿を現したために、もっと熾烈で複雑怪奇な現代に生を受けた彼女たちを、不憫に思わずにはいられない。彼女らの安寧はこの地上のどこを探しても在り得ないのではないか云々……と気持ちは重く沈みがちになるのだった。それは国際魔法少女旅団が初の死者を出してからというもの、実感をもって彼女の心にわだかまっていた。
(それに……)
なぜ、この時期だったのか、ということである。
いや、時期としてはこれほどの好機はない、と思われるような時期だった。
新浜新都心近郊の〈霊素〉と〈擬天使〉の発生は、月日を重ねるごとに減少傾向をたどっていた。先月(それは国際魔法少女旅団が初めての死者を出したその月だったが)の霊素警戒警報発令が十一件。租界上空の〈ヤコブの梯子〉本体も日に日に縮小の傾向を見せており、「自然に戻っていくのではないか?」という楽観的な観測も出始めていた。そのうえ、〈霊素〉と〈擬天使〉は、あいもかわらず知性のかけらもない通り一辺倒な攻撃を繰り返している。十分に租界の各国部隊と助言者たちで対応可能である。
(それでも……)
ロッテンマイヤーは地上に降り立ったことも気がつかずに、じっと虚空を見つめていた。油断は禁物である。彼女は空中に不安の種子がふわふわ浮いているかのように、空をつかむしぐさをした。
三賢女と呼ばれる自分たち以上に、未曽有の敵と対峙しなければならない魔法少女たちは、一層不安や恐怖に駆られているのは疑いない。
特にエマの死は、リトル・トーキョー隊の魔法少女のみならず、「死ぬということのリスクを負っている自分たち魔法少女」という状況を認識させるのには、十分すぎる一件としてまだ記憶に新しかった。――となれば、これまでは〈擬天使〉との対峙は、どこかしらお遊戯程度の認識にすぎなかったのかもしれない。
不安や恐怖は瞬く間に伝播していった。出動を拒否するものが、旅団の半数以上に達して、一時はこの運用が危ぶまれるまでになった。
それに輪を掛け、
(租界常駐の三賢女がそろって留守にするのはいかがなものか……)。
今回の救出作戦は、特に規模の大きい魔女狩りの拠点を一斉に摘発するものだった。ロッテンマイヤーのみならず、シルヴィア、それにソフィアも、それぞれの拠点摘発に、魔法少女租界を出払っていた。
租界を覆う強力な結界の術式は、三賢女がそろって初めて発動する。
それは、かの「すべての魔女の母」オール・グランマーマが「ニュルンベルクの反動」およびその後の国際ワプルギス機関の発足の際、三賢女に施したものだった。強大な魔導力によって、その悪名を轟かせた三人の魔女を守るための術は、租界の魔法少女たちを守るためにも役立てられている。
だが、その庇護が役に立たない。不安の因子を残したまま、後ろ髪を引かれるように、ロッテンマイヤーは日本――魔法少女租界を後にしたのだ。
(それを知っていながら……当の本人が術を施したというのになぜ? いやいや、あまり考えても仕方ないとは言え……)
(だからロッテは頭堅いかたーいなのよ。そんなんじゃおばあちゃんまっしぐらよー?)
(そもそもとっくの昔に私も貴女もおばあちゃんです!)
ロッテンマイヤーは脳裏のシルヴィアに一喝して頭を振った。
(飲み友達、さ)
脳裏に反響した的場の声に、ロッテンマイヤーは陰陰鬱々とした深いため息を吐いた。
(ヘア・マトバの友人ともなると、きっとロクなものじゃないわ)
そのため息を聞きつけたとでもいうのだろうか。周囲に指示を与えている、国家憲兵隊の長らしき男が、はっと眩しいものでも見るような目つきを浮かべ、ロッテンマイヤーに駆け寄ってきた。
「グランマーマ・ロッテンマイヤー、遠いところをようこそ。お呼びだてして申し訳ない」
男は恭しく一礼して、屈託のない笑みを浮かべた。
「マルチェッロと申します。マトバからお噂はかねがね。まったくこんなに美しい人を隠しているなんて、いやぁ、あいつも隅に置けない奴だ」
(ヘア・マトバの友人にしては、なかなか紳士的なようだ)
お世辞には違いないとは言え、ロッテンマイヤーは考えをいくらか修正した。とうの的場がなにを言ったのか、大変気になるところではあるが。
マルチェッロから審問所と今回の摘発に関する大まかな説明を受けると、ロッテンマイヤーは審問所の外観に目を向けた。
シンメトリー様式の白亜の建物である。鐘塔が晴れ渡るすっきりとした青空に突き立っているように見える。まるで奥行きのないはりぼての建物と書き割りの空だ。ロッテンマイヤーは、審問所のそびえる鐘塔を見上げて、眩し気に目を細めた。
「宣誓を」
ニュルンベルク国際魔導条約の条項付きの書類を目の前に差し出された。ロッテンマイヤーは宣誓書の署名欄にサインすると、その書類に手を置いた。
「〈私、グランマーマ・ロッテンマイヤーは、ニュルンベルク国際魔導条約に基づく、攻撃を目的とする魔導とその法具のいっさいの使用の禁止に関して、その条項を遵守するものである〉」
ふっと菫色に魔導の仄明るい靄が、宣誓書から立ちのぼった。
常なる魔女や魔法使いにとっては、それはつい昨日のことのような記憶にもかかわらず、まだこの条約に拘束されているおのれの身に、内心忌々しい心地がした。
マルチェッロが宣誓書に浮き上がった印をみとめると、ロッテンマイヤーは先へ促された。
審問所の「見える部分」は、すでにマルチェッロ率いる国家憲兵たちの手により制圧されていた。道路に面した広場には、審問所の関係者と思しき白黒装束の法衣や、カーキ色の作業着の面々。そして首に
いっぽうの法衣やカーキの作業着たちは、ロッテンマイヤーのいかにも「魔女らしい」姿をみとめると、忌々し気な表情や、憎しみに色差した目つきで睨みつけ、あるいは無鉄砲にロッテンマイヤーに「火炙りにしてやる」などと食って掛かったりした。
ロッテンマイヤーら常なる魔女や魔法少女たちに対する差別的な、あるいは猥雑な憎悪表現は枚挙にいとまがない。ほかには魔法使いや魔女の存在を認め、「共存共生」を唱えたバチカンとローマ・カトリックに対する呪詛の念などもこれに含まれていた。
ニュルンベルク国際魔導条約があるゆえに、反撃などありえぬことを、彼らは知っている。彼女は冷ややかな一瞥を投げかけるだけで、これをやり過ごした。この冷ややかな一瞥にしても、審問所の面々は「今邪眼で魔法をかけられた」「条約違反じゃないのか!」などと、傍らについている国家憲兵に訴えかけ、彼らを呆れさせるのだったが。
「野良魔女の一時収容場所なんだが――」
漏れ聞こえてくる声を耳にして、ロッテンマイヤーは今度こそ、「邪眼」ともいうべき鋭い視線を投げかけた。
「野良魔女」と呼ばれている彼女らは、そう称されるようにハーネスをつけていない。
それをして、「野良魔女」などと、いくらか侮蔑を込めて彼女たちが呼ばれているのを、三賢女が甘受しているはずがなかった。第一、彼女ら三賢女も、伝統や血筋に基づかない新しき魔法使い・魔女として歴史に登場したのである。「野良魔女」という侮蔑の表現に、それを口にする者にとって、恐怖心を和らげるため冗談半分、本気半分だとするにせよ、ロッテンマイヤーにとってはらわたが煮えくり返る思いだった。彼女はポーション大量生産用の大鍋で、それらを一緒くたに煮詰める想像によって留飲を下げた。
(あとどれくらいこの不快ごとに付き合わされることになるのだろう)
ロッテンマイヤーは取り留めもなく考える。
(命つきる時まで、か。いずれにしても気の遠くなるような話だ)
肉体の衰えと対峙するときは、幸か不幸かまだ先のことであった。
「……マイヤー。グランマーマ・ロッテンマイヤー?」
あ……と、マルチェッロの声に気がついてロッテンマイヤーは顔をあげた。
「最深部に、微弱ながら生体反応があると突入した部隊から情報が入りました。そこの警備が一番厳重であって開けるのも手間だとのことです。中にいる生存者は、その点からおそらく強力な魔導を持った者か、あるいは力が暴走したため、その部屋に封印されたものと。そこで魔女たるグランマーマ・ロッテンマイヤーのご助力を賜りたい」
(まだここは地獄の入口に過ぎない、ということか)
ロッテンマイヤーは深々とため息をついた。
ふと目を上げると、赤錆の浮いた鉄の門扉の上部はリュネット状(半月型の装飾)になっており、銘文が三連句で刻まれているのを見いだした。
Per me si va ne la città dolente,
per me si va ne l'etterno dolore,
per me si va tra la perduta gente.
Giustizia mosse il mio alto fattore;
fecemi la divina podestate,
la somma sapïenza e 'l primo amore.
我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば
我を過ぐれば
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる
第一の愛、我を造れり……
錆びついた鉄扉は叫びたてるような音を上げる。天井灯は淡いオレンジ色で屋内を照らしていた。にもかかわらず、審問所の内部に暗い〈
(なんと邪悪な。しかも、これが神の名において行われている。自分たちをその担い手、「聖なる威力」、「比類なき智慧」、「第一の愛」を称して)
そして、地獄の門の銘文は続けて、
Dinanzi a me non fuor cose create
se non etterne, e io etterno duro.
Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate.
「『永遠の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、汝等ここに入るもの一切の希望を捨てよ』」。
ロッテンマイヤーは審問所奥深く、禍々しい〈気〉を封されたようなその中に、毅然として足を踏み入れるのだった。
そして一歩入りこむなり、ロッテンマイヤーは異界に入り込んだ、と思わずにはいられなかった。鬼気とも、妖気とも、いや霊気といったような〈気〉に触れたのだ。そして一歩入りこんださき奥のほうから、なんというか血なまぐさい、陰惨で生々しい圧迫感を、審問所の建物自体から受けた。
湿気を含んだ、じめじめと饐えた臭いが、靄のようにただよっている。その臭いや〈気〉の靄は、人の神経系に作用して、人を苛立たせ、不安にさせ、憎悪を増幅し、審問所の面々を魔女狩り――魔法少女への拷問や暴行・傷害そして最終的に殺害、といった残虐行為に駆り立てているのかもしれなかった。
審問所の建物それ自体が、生き物のようにねっとりと息づいていた。なぜなら、それはうらみ、苦しみ、憎しみを含んで垂れ流された糞尿や涙や、そしてなによりも流血の記憶を、いたるところに浴びていたからだ。擬似的な生を与えられた審問所は、ロッテンマイヤーたちを消化器官にも似た蠕動のうねりで押しつぶそうとしていた。それはとうの人間よりも、負の側面から人間らしかった。
奥へ奥へと進むたびに、ますますそれは顕著になる。ねっとりとした執拗なまでの、人間の残酷さが、一歩一歩重みをもって肌にねばつくようにのしかかる。
(まるで建物が――)
「人間の腹の中、のようですか?」
人の心を読んでいるのか、マルチェッロはロッテンマイヤーの心のつぶやきを継いで、悲しげに微笑を浮かべた。
「欲望とか羨望と入り混じった不安とか恐怖といったもの。そんなもんを思い詰めて腹の中いっぱいにため込んでりゃ、いくら大食漢でも体を悪くするでしょうね?」
「そのようね」
「だが、そもそもそれがいけない。わざわざすすんで〈七つの大罪〉を網羅する必要はないわけですから、ね――」
さて、ロッテンマイヤー一行は次の鉄扉に出くわした。
「ここです」
この鉄扉は、先ごろの錆びついた両開きの鉄扉とは趣が異なっていた。重厚で、錆びたようすもなく、薄暗がりの中でも銀灰色に鈍く光っている。おそらくは核シェルターなどに使用される、堅牢な鉛の扉であろう、と思われた。
「後ろに下がりなさい。結界を張り、そのうえで扉を開けます」
ローブの袂から杖を抜き取ると、結界展開の異言を唱え、次に鉄扉の四隅を叩いた。
〈われは汝の主、是非なくば門を開けよ。さきに危機あらば、これを沈黙にかえて口を閉ざせ〉
数拍間をおいて、「やっと気がつきました」とばかり、ひどく大儀そうに、鉄扉は内部のシリンダーがずるずる抜ける音を立てたのち、ゆっくり重々しく開いた。背後からは「おぉ……」という、感嘆とも畏怖ともつかない声が漏れ聞こえた。
見たところ、やはり中に逃げ込んだものを守るための、いく分か殺風景で巨大な核シェルター、だった。
一室は、彼女と彼女を乗せた簡素な寝台以外にはなにもない。ロッテンマイヤーは、その点がちょっと意外に感じられたのだった。それに取り残された彼女が、その悲惨さを物語る以外は、むしろ通り過ぎたほかの鉄格子の牢よりも、ロッテンマイヤーすら思いもよらぬことに、凪にも似たおだやかな〈気〉すらただよっていたのだった。
予断を許さなかったが、あまり結界の範囲が広すぎれば、いかにグランマーマにして三賢女のひとりといえど、消耗することは免れない。また取り残されたこの魔法少女の魔導力に感応してしまうかもしれない。それに過剰な防衛は、近辺にひそむ「力を持つもの」に余計な警戒を与える。同胞どうしといえども、考えはさまざまだ。ロッテンマイヤーは杖をゆるやかに構えたまま、いつでも防御できるようにしつつ、国家憲兵や自分の周りに張り巡らせた結界を一時解いたのだった。
ゆっくり、刺激せぬように、とロッテンマイヤーは慎重に室内に踏み込んで、一歩一歩と彼女に歩み寄った。近づけばするほど、取り残された彼女の傷のひとつひとつがあらわになるようで、思わずロッテンマイヤーはちいさく呻いた。
その彼女の姿は、マルチェッロの言う「力が強い」魔法少女――とは到底思われない。
爪はことごとく剥がされ、針を刺した跡がある。殴られたか蹴られたのか、その部分の皮膚はどす黒く変色し、上唇にはかさぶたになった縦筋の裂け目が見受けられる。これは「歯医者」という拷問を受けた痕だ。
食事や運動の自由が、満足に与えられているはずはなかった。皮下の骨が露わになりそうなほど青白くやせ細り、筋肉も脂肪も萎え、もはや立つ事はままならないだろう。一方的な暴力の痕、だった。
少女は消え入りそうな声で、身じろきもせず、なにか呟いている。それには詠唱式異言のような魔導の〈気〉は感じられず、幼児が「おはなし」するみたいに、とりとめもないことをかすれ声で唱えているようだった。
しかし、それもロッテンマイヤーの気配を感じたためか、とたんにぷつっと途絶えた。
そして、
「だ……れ?」。
どうやら意識はあるようだし、あらたな「大人」の登場に怯えている様子もなかった。しかし怯えるのにもそれなりの体力が必要なものだから、その様子を見せるゆとりも、少女には持ち合わせがないのかもしれない。
「わたしはグランマーマ・ロッテンマイヤー。魔女です」
「ま……じょ?」
はじめての言葉に出くわしたかのように、少女は呟いた。
「そう、あなたと同じ魔女。あなたを助けに来たのです」
しかし、なんらの感動もその顔に浮かぶことなかった。まるですぐに忘れてしまったようだった。少女はふたたび自分の世界に没入してぶつぶつと唱え始めた。
「い……しゃ……」
かすれた語尾を聞き漏らすまいと、ロッテンマイヤーは少女の傍らに跪いた。その細くて小さな肩にそっと手を置いた。触れたとたんにぼろぼろと崩れてしまいそうな命だった。だが手のひらには、最近自分の周りから絶えて久しい、人間らしいぬくもりを感じるのだった。
「医者? 大丈夫、お医者さんはすぐに来ますよ」
と、ロッテンマイヤーは目を細め、慈愛をもって答えた。
が、
「イシャ……ラ」。
いま、
イシャラ――といった。
ロッテンマイヤーはその名に覚えがあって、あっと小さな声を上げた。
「いま、なんと?」
ロッテンマイヤーの傍を通り過ぎていったほかの魔法少女たちと同じように、彼女の首元には銀灰色に光る
「マリア・K‐13」
そう読めた。
ロッテンマイヤーはぞっとして身を引いた。悪い想像が、紛れもない現実として顕現されるのを、今自分は目の当たりにしているのだ、と。
だがそれを信じてしまうことに、ロッテンマイヤーにはまだとまどいがあった。
「イシャラ、それは誰ですか?」
それは結果を引き延ばすようにして、訊ねられた。
マリア・K‐13は、はっとした表情を浮かべて、ロッテンマイヤーを見つめたが、何も答えなかった。
「答えなさい。イシャラとは、誰なのです?」
今度は一つずつ、音を区切るように発音した。
マリア・K‐13の濁った瞳が、張り裂けてしまうくらい、いっぱいに見開かれた。自分の呟いていた言葉の意味に、やっとその時気づいたのだった。
「イシャライシャライシャライシャライシャライシャライシャライシャライシャライシャライシャライシャラ——イシャラ兄さま!」
どこにそんな力が残されていたのだろうか。彼女は金属のすれ合う音にも似た金切り声をあげ暴れ出した。そのたびに、乾いた古木が折れるような音が、叫び声の合間に聞こえた。
「グランマーマ・ロッテンマイヤー! いったい何を⁉」
マルチェッロの声も、目前の光景にかき消されてしまう。
「これは……」
マリア・K‐13を包んでいた前垂れが乱れた。
(
「わああああたぁしいいいいがにいいいさまのあたたたたたかああなたいようにいいいなるううう‼」
(
マリア・K‐13の声が大気をびりびりと震わせた。
ロッテンマイヤーは身を引いた。
マリア・K‐13の体が、天に召されるような格好のまま、ゆらりと浮き上がりはじめた。彼女は自分が意識しないまま魔導力を使ったのだった。
前垂れがはだけ、無残な裸体があらわになった。下腹の一部が歪な形に膨らんでいるのに、ロッテンマイヤーは気がついた。長方形に、青白く薄い皮膚が一部飛び出している。
「……約束、したの」
マルチェッロら国家憲兵たちは銃を構えるが、眼前の光景に魅せられたまま、彫像のようにぴくりともしなかった。
その一時の凪の中で、マリア・K‐13はどろり濁った瞳を、ロッテンマイヤーに向けた。
「約束したの!」
ぐるんと首だけが回ると、ロッテンマイヤーを真正面から凝視し、はっきりと、激しい法悦のさなかに、叫んだ。
「イシャラ――兄さまは、太陽を見せてくれるって―――――――ッ‼」
〈聖霊よ、守り固め―――――ッ〉
マリア・K‐13の体全体が、白い光を含んで膨張した刹那。爆風と熱線の奔流が、ロッテンマイヤーたちに押し寄せた。
審問所地下の天井は、空中に吹き飛ばされた。
パニックは、それを合図として始まった。
数名の魔法少女たちが、マリア・K‐13のそれとは比較にならないほど小規模であったが、自爆して肉片と血潮を周囲にまき散らした。
また数名は、その爆発のショックで死亡した。
また数名は、この機に乗じて周囲を固める国家憲兵の混乱の合間を縫うようにして脱出を図り、国家憲兵二人を文字通り「蒸発」させてしまった。
また数名は、国家憲兵に抵抗して、法具なしの不安定な魔導を展開しようとしたが、対魔導戦兵器――俗にこれは〈魔封じ〉と呼ばれる神経剤なのだが――によって、すぐさま無力化された。……
……菫色の魔導の霧と粉塵が晴れると、ロッテンマイヤーはその惨状をつぶさに見て取ることになった。
「被害状況を確認! 急げ!」
うろたえ気味のマルチェッロの声が、くぐもって聞こえた。
破壊の跡に、マリア・K‐13の姿はどこにもなかった。放射状に黒ずむコンクリートの床と、爆破のために崩落した天井のがれきがあるばかりだ。陽が差し込むと、それは天国への階段に見えた。
確かに、マリア・K‐13は太陽を見せてもらえたのかもしれないし、また自分自身が太陽になったのかもしれない。
途方に暮れたように、ロッテンマイヤーは空を仰ぎ見た。
(ほんとうの名前すら奪われた彼女は、太陽になった、か)
ロッテンマイヤーは、感傷が襲い来るのを拒むように唇をかんで頭を振った。そんなことが受け入れられるはずがないではないか。
「グランマーマ・ロッテンマイヤー。これは……」
「んもおおおおおおおいやだああああああ!」
恐慌状態に陥った国家憲兵の一人が叫んだ。ヘルメットをかなぐり捨てると、彼は断裂し飛び散った仲間の四肢や臓腑をかき集めはじめた。
「魔女は悪いものだ! あんのガキどものために、いったい何人殺された⁉ もう嫌だぞ。おい聞いてんのか起きろよ‼ なああああ⁈」
「自分の身ひとつ満足に守れない者が何事か!」
大喝して半狂乱の国家憲兵を黙らせると、ロッテンマイヤーはふっと憑き物を落とした。
「目的は私たちではありません」
この程度で常なる魔女を御することも、抹殺することも出来ない。
人間の敵――はそれを知っている。
「おそらく、シルヴィアとソフィアの所でも同じことが起こっている……」
独り言に呟くと、ロッテンマイヤーは身をひるがえした。
「どこへ行くのです?」
「——日本へ、です」
〈――と、おおむねこういうわけです〉
水晶球がロッテンマイヤーの声にふるえた。
〈わざわざ嫌われに行ってるようなものだしぃ〉
と、ふてくされるシルヴィア。
〈それで、みんなあたしらのことを追い出したがってるんだよ。わざわざ呼び出しておきながらね〉
と、ソフィア。憤慨の中に、どことなく寂しげな調子を漂わせている。
〈それでまた今度は「出てはならぬ」なんて〉
三賢女の降り立った国では、すべての空港や港湾が閉鎖された。三賢女や、救助された魔法少女を狙った大規模なテロを警戒しての措置だ。
それにそこから無理に飛び立ったり出港したりしたところで、これを受け入れてくれる相手方の空港も港湾もない。各国の政府や軍、警察も対応を渋っているありさまだ。とくに大略四辺形地域とその周辺で、国家主権や行政機能が、二十年以上の歳月をかけて、復興どころか日に日に弱体化している国や地域はなおさらである。
「……で、姫さんの兄貴なるもんが〈天使派〉に与している、と?」
話はやはり「イシャラ」なる人物のこと、となった。
〈おそらく〉
と、ロッテンマイヤーの歯切れは悪い。
「おそらく、というのは?」
と、浩司は怪訝そうに尋ねた。
〈どちらかというと、個人的には信じたくはない、という事ですよ、コウジ〉
「そんな……」
そんな個人的には信じたくない程度のもので、マリア・Kを苦しめるのか、といいたくなるのを、浩司はこらえた。
「で、そのイシャラの目的はなんだ? 国を滅ぼされた復讐か? それとも根っからの〈第三の国(Drittes Reich)〉の愛国者ってか? 矛盾してねえか?」
的場の冗談にロッテンマイヤーは露骨に苦い表情を浮かべた。
〈オーレリア大公家の一員が魔女に不寛容だったとは到底思えません、が〉
「〈勧善懲悪委員会〉はなにか声明を?」
〈今のところは〉
〈勧善懲悪委員会〉は、魔女狩りをその目的とする宗教的なテロ組織、である。近年では〈擬天使〉を信奉する〈天使派〉としても、みずからの魔女狩りを正当化する神意だとして、いち早く「これを支援すること」を、自分たちの教義として体系化していた。
〈そのイシャラなる人物の行動に、組織中央の制御が効かなくなっている可能性はありますね。それならばオーレリア大公の子息イシャラを
「そもそもチンピラごろつきの集まりだろう? 制御も何も――」
ロッテンマイヤーは首を振った。
〈勧善懲悪委員会〉も、永い魔女狩りの歴史の中にあって、また多くの「組織」と呼ばれるものがそうであるように、時間の経過とともに変質を余儀なくされた。一時は単なるごろつきの集団になり果てたもの――と国際社会からはみなされていたのだった。それに魔女狩り組織や〈天使派〉の伸張は、「大略四辺形」の野辺にあるバーリ県のような権力の空白地帯でこそ、その力を発揮した。
それが〈霊素〉そして〈擬天使〉というものを得て、彼らは新たな段階に突入したようだった。
つまり、ごろつきの下層集団と、日本を襲った霊素現象という災禍を、地上における「救済」の初期段階と位置付け、〈霊素〉と〈擬天使〉の蠢動を歓迎するかのような、もっと得体のしれない狂信的な上層集団が、〈勧善懲悪委員会〉のなかで生まれたのである。そして、その上層集団のなかに、たんに
そしてその「イシャラ」なる人物は、上層集団に位置していながら、さらに別の目的をもって分派的活動をしているのではないか。
と、ロッテンマイヤーの見立てはこうだった。
「戻ってくる方法はまったくないのですか?」
浩司はロッテンマイヤーにともなく尋ねた。
まさか箒に乗って帰ってくるわけにもいくまいとは思うが。
〈閉じた空間を、何回かに分けて跳躍する事は出来ます〉
「ならそれでちょちょっと飛んで帰ってくりゃいいじゃねえか?」
〈各国の魔法使いたちにも迷惑が掛かります。特に純血派を刺激することは避けたいものです〉
魔法使いの敵は魔法使いではないものばかり、とはいかないようだ。
〈もちろん、その「イシャラ」を名乗る人物は〉
「日本を目指しているか、もう国内に潜伏しているか」
「後者――だろうな」
重苦しい空気が流れた。
〈いちばん恐ろしいのは、仲間内で疑心暗鬼にかられ、暴走することです。私たちが出がけに、
しかし、死者の数と恐怖の総量は必ずしも比例するものではない。
この時も魔法少女たちを国内に匿うことへの危惧の声は、時間の経過とともに高まりつつあった。ソーシャルネットワークを中心にしたこの顔のない声は、その特性上瞬間的加速度的に燃え広がっていった。
自分たちも魔法少女を擁するために、テロや軍事行動の標的となるのではないか? 国土そのものが実験場になるのではないか? それに加えて〈擬天使〉焼却による大気汚染、その処理にかかる費用、禄を食む魔法少女によって、国民の血税が流れ出ている云々……これまで人道主義としてごまかされてきた不安や不満は、徐々に人々の心を抑え毒してゆく。
そこに、ある一撃が加えられた。
(彼女ら魔法少女、そして
(救助などそっちのけで〈擬天使〉を殺しまくっていたそうじゃないか)
(この後、死亡した魔法少女の遺体は部隊によって収容されましたが、地元住民の遺体、逃げ遅れ者の保護等はおざなりになったようです)
「そりゃこっちの仕事じゃねえからな」
的場は毒づいた。
だが、そうともいえない。
国際魔法少女旅団は、あくまで〈霊素〉と〈擬天使〉から国民を守り、救助することを目的とした災害救助部隊として、日本政府が国連と国際ワプルギス機関に要請した、というのが建前だ。魔法少女らの法具の使用は、〈霊素〉および〈擬天使〉という災害からの国民の救助と、その際の自衛のためのものである。
新日本放送のこの討論番組は、前世紀の懐古趣味的な番組作りで有名だった。つまりは視聴者の不安をあおり、コメンテーターたちが好き勝手に自分の専門分野を喋りまくり、相手の話を遮っては、特にこれと言った解決も折り合いもつかずに尻切れトンボで終わるような、そうした討論番組である。
(〈擬天使〉掃討に使用されている九㍉R.I.P弾ですが、これは通称人体破壊弾と呼ばれるものです。弾頭が八つの爪のようになっており、人体のような軟標的に着弾すると、この爪が開いて、体内をかき回しながら破壊する仕組みになっているんですね)
軍事評論家を称する男が得意げに語った。
(私の経験から言わせていただきますと非人道的で、国内にこれを使う、霊素現象を盾にして半分治外法権の武装集団が我が物顔で闊歩している状況なんてことを考えますとね、おっかなくておちおち外も歩けないですよ)
「〈擬天使〉と闘ってからにしやがれ」
的場は悪態をついた。9㍉R.I.P弾の使用は、〈擬天使〉が飛び散った肉片から再生するまでの時間をできるだけ稼いで、その間に助言者たちが退却するためのものだ。彼らが〈擬天使〉に発見されたら、あとはできる範囲で逃げ回るしかない。
眉間に深い縦皺を浮かべた的場が、テレビのリモコンを手に取ったその時だった。
(今回は、魔法少女とわたしたちの生活を脅かす霊素現象と〈擬天使〉について、興味深い証言をうかがうために、お招きしている方がいます)
電源を切ろうとする動作がふっと止まった。
(政府関係者と言うことで、顔を伏せること、声を変えることを条件に今回お越しくださいました。脅迫を受けながらも実際にこの場においでいただき、真実を視聴者に提供しようとする氏の勇気に心から敬意を表します)
「ったく一体どこのとんまだ?」
と、助言者二人はいくぶん前のめりになって、モニターに顔を近づけた。
モザイク越でも、その――男らしき人物――が怯えている様子がはっきりと見て取れた。
(まずは、オーレリア大公国のことから話し始める必要があると思い……ます)
と、たどたどしく話し始めた。
(みなさんはお忘れでしょうか? あの魔女たちの受け入れ第一候補地で、実際に七千人余りが入植した国です。私は政府関係の仕事をしているからわかる。あれは、大公国の政情不安定からなる軍事クーデターじゃない。第一、現在この地上に政情が安定した国家などありましょうか。そうだ、みんな狂っている。地上はあまねく穢されて、白昼にも悪魔が巣食っている)
(簡潔に話して頂けますか? 先ほど重大な発言をされたように見受けられます。オーレリア大公国の軍事クーデターが『軍事クーデターでない』、と仰いましたね)
モザイクの奥で、男――おそらく――が息を呑むのが分かった。
(クーデターは欺瞞だ。五大国がその事実を隠蔽するためにでっちあげたものだ。人類は……)
そして、言った。
(人類は、日本で遭遇するよりも以前に〈霊素〉と〈擬天使〉に遭遇している。いや、それは偶然の産物ではない。〈霊素〉と〈擬天使〉、あれは人類が自ら招来したものだからだ)
スタジオがざわめいた。動揺したのはなにも新日本放送のスタジオばかりではなかった。助言者たちも、たまたまテレビを見ていた魔法少女たちにも衝撃が走ったのは言うまでもない。
(これから流れる映像は)
と、司会者が続ける。
(オーレリア大公国内で撮影された映像で、氏が独自のルートを通じ入手されたものです)
映像が流れ始めた。オーレリア大公国の山々に囲まれた高原のようだった。
浩司は、あ……と小さく声をあげた。
白い巨大な肉塊が宙に浮いている。
それは顔のみの存在であるようだった。
間違いなく〈擬天使〉だった。周囲に起こっている事態も、まさしく霊素現象を示していた。
じろり、と生き物と呼ぶべきにはおぞましい物体の目が、こちらを観た。
そこで映像は途切れた。
(……映像に証拠能力はない)
と、コメンテーターの一人は言うのだったが、明らかにその声は動揺のために震えていた。
「的場さん!」
傍らの的場に浩司は詰め寄るようにして言った。
「いま、テレビでも言ってたろ。映像に証拠能力はないってな」
そう言う的場の視線が軽く瞬くのを、浩司は見逃さなかった。
的場均は嘘をついている、と浩司は直感した。映像に映っていたのは、本物の〈擬天使〉に違いない。そして、的場ら国連警察予備軍オーレリア大公国平和監視旅団のメンバーは、その時すでに〈擬天使〉と会敵していたに違いない。
(われわれは、それを進軍ラッパと呼んでいた。常任理事国と国際ワプルギス機関は、魔法少女たちの行動を抑制するためにハーネスとはべつにある装置を開発していた。ハーネスが個々人の力を抑制するものであるとしたら、この進軍ラッパは、ある任意の空間に魔法少女たちを閉じ込めるためのものです)
(進軍ラッパ?)
(黙示録の天使たちが吹き鳴らすラッパのことです。これは暗号名で、実際には磁場魔導シールドと呼称されていました。これは簡単に言えば魔封じの神経剤を付着させたナノマシンを、磁気を帯びさせ空中に散布しドーム状に展開させ魔法少女たちを閉じ込める方法です。その実験を当地では行っていた)
(それと、大公国と我が国での霊素現象と〈擬天使〉の出現にどんな関係が?)
(この装置、つまりナノマシン生成装置は、日本の技術が余すところなく使われていた。これは、竹川首相と、故ジャン・K=オーレリア大公とが旧知の仲であることから実現されたものだ。当地での実験を可能としたのもそれによる。
だが、この実験は失敗した。強力な磁場を発生させた際に、時空間にひずみを生じさせて、これが別の空間の扉を開いてしまった。常任理事国と日本政府はこの実験の失敗を秘匿するため、魔法少女を狙った大公国軍の軍事クーデターをでっちあげ、さらに真実味を帯びたものにするために、大公国軍が貯蔵していた核爆弾で、国連警察予備軍を巻き込んで核自殺、というストーリーまで用意していた)
「つまりは、日本で起こる霊素現象も〈物象化〉も人為的に引き起こされたものになる」
と、浩司は呟いた。
「こんななんの物象もない話を信じるのか?」
苦笑交じりにそう言う的場に対して、浩司はするどい視線を投げかけた。
(それは見えない檻のようなものです。ハーネスが見える枷であるのと実態は変わらない。猛獣や家畜を飼うのと同じように、魔法少女を押し込めるためのものだ)
(差別発言だ。いくらなんでも)
(それはとうの魔女たちや魔法少女たちにこそ訴えるべきだ。このなかで『ハーネスは非人道的だ。今すぐ取り外せ。君たちは自分が鎖につながれた家畜状態であることに加担しているのだぞ』と、魔法少女に詰め寄って取り付けられたハーネスを取り外すというのですか? 彼女たちの自由のために行動できる人間がここにいますか? なにが起こるかわからないのに? その瞬間に殺されるかもしれないのに)
う……、とコメンテーターらは気圧された。
(非人道的でありながら、ワプルギス機関も国連も、とうの魔法少女も、そして非人道性を訴えながらなにもしないあなた方も、なおハーネスの存在を容認するのは、彼女らの力がどこに向かうのかわからないから、なし崩しに現状を肯定しているに過ぎないではないですか)
はっと男は息をのんだのがわかった。
自動的にかけられた顔のモザイクが消えて、青ざめ、目の周りが死人のように落ち窪んだ、あの秘書官の姿が現れた。
顔が現れたことでその存在理由がなくなったのをしめすかのようだった。
とたんに――
秘書官の頭部はスイカでもうち割ったかのように内側から爆発した。……
〈われわれは魔女どもと密約を結んだ背教者を処刑した。だが、これは仮の救済に過ぎない。我々は真に人々が目覚めるその日まで、処刑を続けるだろう。なぜならほんとうの救済は、天使と万軍の主のみがそれをなすのである。
しかし、諸君らもささやかな救済の儀式を執り行う事ができる。これはまったく実行可能な事であり、是非ともやらなければならない事である。
即刻魔女どもを裁判にかけ火炙りにしろ。魔女どもは贈り物でも、ましてや救済でもない。人心を惑わす害悪、心弱き者のアヘン、諸悪の根源、魔女どもを、魔女裁判に、火炙りに!〉
犯行声明文の最後には鉤十字にも似た三つの7が赤く刻印されている。
「……挑戦的ですね」
「自分たちが一枚噛んでいるのを、隠す気なんてさらさらねえと見えるな」
と、的場は鼻を鳴らした。
放送中の暗殺が、秘書官の暴露を、真実味を帯びたものにさせていた。そこにこの〈天使派〉の犯行声明文である。日本政府かあるいは政府に関係のある団体や個人が、〈天使派〉との関係をも結んでおり、魔法少女たちに悪意をもって今回の危機を引き起こしている、と疑惑を起こさせるのに十分であった。
「そうやって自分たちこそ正義を
「戦略的政略的に、か?」
胸糞悪い、と舌打ちして、的場は頭の後ろで腕を組んだ。
見えない恐怖の分子が散布される。
――そして、魔法少女たちと助言者たちの運命の転変の日が訪れたのだった。
「――浩司兄さま」
ラウンジで巡視の交代を待っていたリトル・トーキョー隊の助言者二人に、消え入りそうな声音で彼の名を呼んだのは、渦中のオーレリア大公国元公子、マリア・K=オーレリアだった。
浩司は緊張した空気に息を呑んだ。マリア・Kの神々しさの周囲に、いつもはない暗い〈気〉を、全身に纏っているように感じられたからだった。
その理由は一つしか考えられない。
「マリアも観たんだな?」
マリア・Kは無言で頷いた。
こんな時、浩司はなんと言葉をかけるべきかわからなかった。祖国を失った少女に。家族を、国を、常任理事国と国連警察予備軍と、日本政府に貶められ、奪われたのかもしれない彼女に。
「マリア、俺たちはいつまでもマリアたちの味方だ」
浩司はマリア・Kをいたわるように言った。そのくらいしか声をかけることのできない自分のふがいなさを、彼は呪った。
「ありがとう浩司兄さま。でも慰めは結構ですのよ。私たちは、真実のみを。あらゆるものが磨滅した後に残る真実のみを、知りたいのですわ」
不穏な気配を、助言者二人は感じ取った。
「摩滅した後に残る真実のみ――?」
その言葉を合図としてなのか、魔法少女たちがラウンジに雪崩れ込むようにして入ってくると、浩司、的場の二人を取り巻いた。
的場が怪訝な表情を浮かべた。
「ハーネスはどうした?」
彼女らの首元にハーネスがない。
ハーネスがないどころか、彼女らは各々の手に自らの法具を携え、浩司たちを睨みつけているのだった。
マリア・Kも、自らの法具儀典用メイスをひとりから手渡された。蒼白い光が、メイスの尖頭にゆらゆらとまとわりついて漂っている。
「マリア。どういうことだ、これは?」
すっと蒼氷の瞳をもたげたマリア・Kは宣告した。
「伊藤浩司、的場均。国際魔法少女旅団は、あなた方を拘束します」
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