魔法少女の魔女術

 彼らの目の前で、上官は解れた。

 それは白く、ぶくぶくと粘性の泡のように広がっていった。

(撃たなければやられる! もう人間じゃないっ!)

 食まれ、啄まれる同僚たち。

 そして目の前で形を失う上官。

(浩司、撃つんだ!)

 銃を構えろ。と、自らに命じる。

 その手は震える。

 それは上官だからだろうか?

 それとも先程まで確かにヒトだったからだろうか?

(撃て!)

 苦海一佐、だったものが、おそらく死ぬ。

 苦海一佐としては二度目の死が訪れる。

 それはいったい苦海一佐で在るのだろうか。在ったのだろうか。

 くぐもった銃声。

 かつてヒトだった生き物は、膨張とほぼ同時に破裂した。その体からねっとり噴き出した白い奔流は、彼を夢の奥のほうへと、押しやった。……


 今日も今日とて、苦海ヒルコはサツキとくまきちのダブルパンチを食らって、ベッドから墜落した。ヒルコの気がつかないうちに、サツキとくまきちは、いつもヒルコのベッドにもぐりこんできた。

 いちど夜通し寝ずの番を張って、サツキとくまきちがベッドにもぐりこむ現場を押さえようとしたことがあった。不覚にも寝落ちした次の瞬間、ダブルパンチを食らって床に突っ伏していた。……それからはきっぱりとあきらめて、幸せそうに寝ぼけるサツキに「復讐」することで、ヒルコは満足することとした。

(今日はどんな「復讐」にしてやろうか)

 ヒルコはそっくり返ったまま考え込んだ。だんだん頭に血が上ってきた。

 一番心理的効果を期待できたのが、「くまきちを洗濯後天日干しの刑」であったが、その日一日、サツキはくまきちを求めさ迷い歩く不死者アンデツドと化したので、恐怖にかられた者たちから苦情が出た。ちなみに彼女たちいわく「〈霊素〉や〈擬天使〉なんかより、人間のほうがよっぽど怖い」そうである。

 壁からは起床の合図であるエルガー『愛の挨拶』が、かすかに聞こえてくる。

 すがすがしい朝とは程遠い。ダブルパンチの衝撃か、うまく首が回らない。……だいたい、こんなに目覚めが悪いのでは『愛の挨拶』すら、たいへん気に食わない。と、音楽を奏でる壁を睨みつけるが、もちろん『愛の挨拶』を歌う壁にも、エルガーにも罪はない。

「う~ん、救う……み~んなのハートフルエナジーでぇ……」

 その先は、くまきちのタオル地太鼓腹が、むにゃむにゃと覆い隠してしまってわからなかった。

 ヒルコは起き上がりこぼし人形の要領で起き上がった。夢の中、その「ハートフルエナジー」とやらで、絶賛世界を救っているだろうサツキに、一発拳骨をお見舞いして差し上げようと一人頷いて、ヒルコは腕振るってかまえた。


 魔法少女租界――と呼ばれるそれは、半径一・五キロ、全円状のメガフロート型人工島である。

 実際は、日本の新しい〈緑の経済特区〉として建設が始まった。これは数々の〈災禍〉によって失われた国土を、人工的に回復しようとする試みである。逆円錐台型の高層物を中心として、放射状に緑化地区と居住地区を有している。周囲には同様のメガフロート型の人工島が建設され、細胞群のように幾つかの区画に分けられて広がってゆく、はずだった。いまのところ、この試験運用的な一細胞ワンセルのみが、新浜湾内に浮かんでいる。

〈災禍〉は、まるで人々を飽きさせないように次々とやって来た。国境を越えて進撃した先の神の意志と、国境を越えて食い尽くされた先の飢餓と、国境を越えて絶えずその線の変更を要求する鮮烈な血飛沫と、国境を越えて蔓延する汚染の先の疫病と……それは俗世に恭順した、常なる魔法使い・魔女たちにとっても、苦難の時代だった。忍耐と正気を失った人々は、元凶をそこに求めたからである。

 買い被りすぎだ、と俗世に恭順した彼らは肩をすくめる。魔法を操るという事が、人々が思うように超常的なことでは、もうないのだから、と。いや、そもそも魔法を操るものにとって、それは超常的なことなどではなく、この世界を形作っている「火・風・水・土」からなる四大元素――そして四大元素と人間と言う小宇宙ミクロコスモスとの織り成す感応の琴線というべき、第五元素〈エーテル〉とともに、素朴に生きているにすぎないのである。

 ところで、この細胞――ぽつりと残された人工島は、その名称の通り、今は世界から参集した六六六一名の魔法少女たちの居住地となっている。

 魔法少女租界の目的は、新しき魔法少女たちを保護することにある。

 それは、この新しき魔女たちが、血筋に基づかない、という特殊な事情による。彼女らは魔法者同士の血縁的庇護を持たないし、そのために悪魔憑きや魔術師という、「普通の人々(非魔法者)」の憎悪表現や暴力から、自分を守る術を持たない。そもそも、「家族」という集団の単位すらままならない者のほうがずっと多い。その彼女たちを、一括して保護するのが目的だ。

 竹川晋三が首相の座についたとき、真っ先に着手したのが、魔法少女の国内受け入れと、もはやたんなる浮遊物と化した人工島を、魔法少女租界として運用することだった。自衛軍の海外派兵の代わりとして、また人道に配慮する姿勢を国際社会にアピールするべく、である。魔法少女受入れに関する、国連の幾分強引な要請に対して、国内では反対も根強かったが、彼はこれを退けた。また逆に国連の援助目当てだと、これも非難されながら、租界の整備を進めた。

 そんな国内の反対意見をうまくかわしながら、と言うよりも無視しながら、ついに魔法少女租界は運用が開始される。

 魔法少女租界をめぐる問題は、その後も後を絶たなかった。

 最たるものが、日本を襲った〈霊素現象〉という〈災禍〉である。人間の肉体に不可逆的な変化をもたらし、初動において通常の物理兵器がなんら用のなさない〈災禍〉は、租界の本格的な運用を目前にして、はじめて日本を、それも魔法少女租界を襲った。そして魔法少女たちの「魔法」が、この現象に対する有効打となった。〈霊素現象〉はその後、その一打によって箍が外れたように、魔法少女租界の周辺地域で目撃され、一般市民が〈物象化〉=〈擬天使〉化する被害が発生するに及んで、日本政府はこの〈災禍〉に対処するべく、国連および国際ワプルギス機関に対して、租界に住まう魔法少女たちによる災害救助部隊、現在の「国際魔法少女旅団」の結成を要請した。

 それでもこの危機が無かったら、租界の運用はもっと複雑な「政治的問題」となったに違いない。というのも、魔法少女たちは魔導という特殊な症状を発現した少数民族であり、難民リフユジーであるという考えが、日本の世論に限らず、国際世論という観点から見ても、非常に根強かったからである。


 上空に残る消えない傷跡。時空間の歪み――通称〈ヤコブの梯子〉と呼ばれるそれは、「空を描いた書き割りを引き裂いた光景」と説明するのがたやすい、時空間のゆがみが織りなす奇妙な光景である。

「世界の理をゆがめ、そのため均衡が崩れた証左である」とあるものは言う。

〈ヤコブの梯子〉の内部は白く発光する靄のようで、実態はようとしてうかがい知ることはできなかった。

 赤外線映像で見てみても、それ自体にはなんのエネルギー反応もない暗黒点である。空間を引き裂き、まさにそこに目の当たりにしているのに、何ら実体があることを指し示すものがない。目視で視認できるのは、エクトプラズムにも似た白い霧状の〈霊素〉が現れてから、ということになる。

 人工島中央部、逆円錐台型の高層物は、その上空に残る消えない傷跡を常に観測している。

 これは「観測塔」と、そのままの名称で呼ばれている。この高層物は、上空に残る時空断裂の常時観測と共に、自給自足を確立するための植物工場や、教育施設、居住空間、そして彼女らの保護者――であるところの、歴史に恭順した三人の魔女たちが住まっている。

 その逆円錐台型高層物の一角にある執務室。

 全身黒づくめの、まるで喪に服しているような彼女の姿は、正対する水晶球の放つ青白い光のなかに浮かんでいるようだった。後ろ手にきつく束ねられたひっつめ髪の黒髪と、丸眼鏡と濃紺のローブのために、いくらか老けて見える。いくらかでもそのように見えること、を、彼女自身は望んでいるのだった。しかし、それも彼女の出自が許さずに、妙齢の女がもつ妖艶さを、隠し立てることは適わないようだった。すらりと背が高く、白く滑らかな肌には若すぎはしないけれど、その表情にしわのひとつも見受けられない。

 その「妙齢の女がもつような妖艶」の彼女は、国際ワプルギス機関からやってきた三人の魔女――三賢女と呼ばれている者の一人、グランマーマ・ロッテンマイヤーである。一九四五年十八歳で終戦を迎え、御年百十六歳となる。

「何度も言うように――」

 いくぶん忌々しそうに、ロッテンマイヤーは口を開いた。

「娘(魔法少女)たちに、私どもは全幅の信頼を置いているのです」

〈なればこそ〉

 水晶球のなかから「長老たち」の心話の声が陰々として聞こえてきた。

 国際ワプルギス機関の長老たち。

 聞こえた、といっても心話は直接彼女の内に語りかけてくるものであったし、目に見えるものも、自身と相手の意識が、ここではない場所に同化することで初めて形を成すものである。

〈グランマーマ・ロッテンマイヤー。われわれは娘たちの将来を案じている。そうであればこそ〉

(そうではないだろう)

 ロッテンマイヤーは心中毒吐いた。慎重に、彼女は心話の最中に自分の心を覗きこまれぬよう、胸中に湧き上がる様々な意識を箱のようなものに小分けにして、防壁を築いていた。これは長老たちからすれば児戯にも満たぬ抵抗だったかもしれないが、相手もわざわざ深みに分け入って、ことを構えるつもりはないとみえて、この心話の「浸透」は表層面にとどまっていた。

 国際ワプルギス機関の存在理由とは、ニュルンベルク国際魔導条約に基づき、この長老たち自らに危害が及ばないよう、他者の魔導を監視することである。組織というものがどんなに素晴らしい理念に拠っていても、長い月日はそれを変質させてしまう。自らに弓引こうとする者、その懼れのある者を、芽のうちに摘み取ることが、ワプルギス機関の中枢にいる長老たちの目的となった。自分たちの長すぎる老後の安寧にしか興味がないのだ。

 そうでなければ魔法少女たちの首に取り付けられた、あの非人道的なハーネスの開発に協力することもなかっただろう。魔導の秘儀に科学を接合することもなかったであろう。

「それは〈天使派〉のことを言っているのですか?」

 ロッテンマイヤーは皮肉めいた表情を浮かべた。

〈天使派〉とは魔女狩りを主な目的とするテロリストや団体の一派をひとくくりにした言葉である。

 が――、

〈そればかりではあるまい〉

 含みを込めて長老たち、が言った。

〈この世には多くの悪意が充ちている。蟻の一穴にも似た小さな悪意から、世界の均衡が崩れる、ということもある〉

〈世界の均衡を我々は取り戻さなければならない、そうでなければ――〉

〈オール・グランマーマもさぞお嘆きになることだろう〉

(今度は泣き落としか、この取り巻き連中は)

 と、ロッテンマイヤーは内心臍をかんだ。

 オール・グランマーマ。すべての魔女たちの母。

 歴史へ!――その表舞台への、先導に立った、まさしく魔女のなかの魔女。

 そして、

(私を闇のなかから救い上げてくれた偉大な母!)。

 水晶球が色を失い、心話への道が閉ざされると、ロッテンマイヤーは自分でも品がないことを承知しつつ、軽く舌打ちしたのだった。


「そんなまじめにやると病気になるぞ。まったく、こいつは俺らよりも早死にしそうだ。肉を食え肉を」

 そう的場均にからかわれる彼の名は伊藤浩司。国際魔法少女旅団リトル・トーキョー隊の助言者オブザーバーの一人だ。今は先の〈擬天使〉会敵に関する報告書を、電子レポート上でせっせと作成している。

 すらりとした体つきに、都市迷彩を施した装備を着込むと、敏捷でしなやかな黒い豹を思わせる。たしかに的場や各国助言者たちの老練さ、無骨さ、衰えるところを知らぬ逆三角形の肉体と比べれば、線の細い印象は否めない。

「今時分の若い奴らは、ある世代の『老人おれたち』には勝てねぇのさ」

 いや、これはその「老人たち」が異様なのであって、医療用胎生ナノマシン(メディファージ)がその若さを保っていられるゆえんである。

 いくつかの災禍とそれ以前から、いわゆる先進国の問題であった少子高齢化は、現在では世界規模に拡大して問題となっていた。ある災禍などは、世界の労働人口そのものに壊滅的な打撃を与えた。いささか趣が異なるが、常なる魔法使い・魔女たちと同じように、これまで文明を牽引してきた括弧つきの「先進国」は、在りし日の時代の名残にすがりつきながら、やはりこれも黄昏を迎えているのである。

 ゆえに、医療用胎生ナノマシンは通常、人的資源が自ら好き好んで枯渇しないように絶えず監視し、分解酵素を放出し、老廃物を排出させ、かいがいしく体中をスキャニングしては、政府の――日本においては厚生省のサーバに記録をため込んでいる。これはその人的資源の耐用年数を計算しているのである。多くの人々は生権力に監視モニタされていると言わざるを得ない。

 だが、ここは魔法少女租界である。

「租界」――とは、本来前世紀に清国(中華民国)内に存在した、外国人居留地を指すものである。清国―英国間の阿片あへん戦争を経た一八四〇年代以降、中国大陸各地の条約港に、不平等条約によって行政自治権、治外法権を有する外国人居留地として設けられた。

 魔法少女租界が「租界」と呼ばれるゆえんが、ここにある。地理的には日本国内にありながら、その日本国およびどの国家の統治システムにもとらわれない外側にある、という建前がこの場合は重要である。

 その間隙をついて、

「ここは悪徳の都、大バビロン」。

 今夜も消灯後に、助言者たちは寄り集まって、賭け事の真っ最中である。

 賭け事の景品になるのは、酒、煙草などの嗜好品、動物性脂肪を使った菓子類、乳製品、極めつけは「本物の肉」などである。これら多くは日本国内で規制の対象となり、植物性の代替合成食品や培養肉に置き換えられたりしたものだ。

 いくつかの災厄をへて、動物性食品に対する不安と、生命尊重主義を旗印に極端な方向に舵を切った日本は、いまや世界の植物性合成食品プラントベースフード市場を独占する存在となった。国内ではそれは本当に極端に、有無を言わせぬようすで置き換わっていったし、国際社会に向けては相応に大国に気兼ねしつつも、なによりも生命尊重主義を根拠に転換を迫っているのだった。

 だが、

「いくら坊主になったつもりでも、殺生したものの味を、そう簡単に忘れられるもんか」

 とは的場の言である。

 確かに大豆やグルテンによる代用肉をはじめて口にしたとき、浩司の胸中に(肉の味はこうじゃない)という思いが、それを噛みしめるたびこみあげてくるのだった。浩司は的場の言う「殺生したものの味」を知る最後の世代である。

 これに対して培養肉はまだしも「本物の肉」の味に近いが、生命倫理の観点から、流通はかなり制限されている。それだけに的場の「戦利品」を心待ちにする気持ちも、浩司にはないわけではなかった。

 ちなみに日本側の――というか的場の賭けるのは、自衛軍の戦闘糧食Ⅰ型のバイオマスパックで、これは各国の助言者たちに人気があった。

 またいつ核戦争になってもいいように、核シェルター内でせめて食の楽しみだけでも……、と各国の助言者たちは母国の家族に送るようなのである。誰しもがこれ以上のことは起こらないでくれればいいとは念じつつ。

 さて、そうした嗜好品や「本物の肉」を賭けた幾度目かの賭けポーカーで、

「くそッ!」

 と、今夜悪態をつくことになったのは、ドイツ部隊――通称アルフヘイムの助言者のひとりシュテファンだった。

 勝者の的場は満面の笑み、負けた者たちは苦笑交じりに、一番の敗者であるシュテファンを慰めるように、その肩を叩いた。

「まぁまぁそう熱くなんなよ。たかがポーカーだぜ。ビール飲むか?」

「いや、これは確率異常が働いたに違いないぞ。もう一回。もう一回だ! あとラホオ(ドイツ語でスモークを意味し、麦芽を燻製の後発酵させたビール)を頼む!」

「おいおい……」

「なるほど」

 エーミールがひとりごとに呟いたのを、シュテファンはどうやら聞きつけたようだった。

「なにが『なるほど』だ!」

 のしのしと迫ってくるシュテファンの気迫に、浩司は身を引いた。しかし、エーミールのほうはソファに寝そべったまま、デッドメディアになって久しい本から、ちらとも顔をあげようともしない。

「まったく、お前の悪い影響を受けて、わけのわからないこと言い出すのまで出てくるんだからな、このニセインテリゲンチア!」

 シュテファンは酔いに任せてエーミールに絡んだ。エーミールは「やれやれ」と言ったように、やっと本から顔をあげて浩司に目配せした。

「年寄りのやっかみは恐ろしい」

「なんだとこの頭でっかちの小童が!」

 いつもなら祖父と孫のじゃれ合いで一蹴されてしまうほど些細な悪口の応酬であったが、一人が酔っているともなれば、これもそうはいかない。

「よくもそんな酔っぱらえるな? ナノマシン、ぶっ壊れてんじゃねぇのか?」

「なに? 酔う? あぁ、そうだ! 酔えない酒など酒じゃない。この身体のなかでけなげにも生産されるアルコール分解酵素を、俺の口が、俺の喉が、俺の食道が、俺の肝臓が、凌駕してやる! 俺こそ俺の身体の主人だ。そしてわが精神よ、酔い賜んことを!」

 ラホオは見る見るうちに、ジョッキから姿を消した。

「おい、やるのか、やらねぇのか、はっきりしろ」

「決まってる。もう一回だ!」

「何度やっても同じだとおもうがな」

「そうだ、やめとけ。マトバのおやじにまた全部持ってかれるぞ。確率異常なんだろ?」

「今日のツキはマトバのダンナに違いねーや。シュテファンあきらめろ」

 そう口々に諭し、諫めようとする声も、興奮したシュテファンには聞こえていなかったらしく、

「リレイズだ!」

 と、倍額をかけてきたのだった。

「……とことん身ぐるみはがしてやるぞ、ジャガイモやろう」

 力を何者かに与えられた「新しき魔女」――魔法少女たち。

 ここ約一世紀余りにわたって、常なる魔法使い・魔女たちの家系には、新しい萌芽は絶えて久しかった。

 そこに突如として現れた、血統も国籍も関係なく生まれた彼女たち。

 その登場は、決して幸福とは程遠い。

 ヒルコのように実の父親の上半身を吹き飛ばした者。あるいは両親や保護者を「転送」してしまったもの。生きクマリなどに祀られてそこを逃亡したもの。事故やテロに巻き込まれ、意図しない防衛魔導の発動によって自分だけがはからずも生き残った者。国が丸ごと消え去った者――。

 魔法少女たちは、それらなんらかの過去を抱えて、魔法少女租界にやってきた。

 だからこそ、

「ここで幸せになってほしいんだよ、俺は‼ ああ? わかるか日本人ヤーパン⁉」

 シュテファンはまさに身ぐるみはがされた状態であった。体内のナノマシンによるアルコール分解酵素による酵素分解が追いつかないほどの鯨飲に、その表情はひどく赤らんで見える。周囲にはラホオ特有の燻製の匂いが漂っていた。

 対して、ひげ面の奥底で不敵に笑みを浮かべる的場の姿は、シュテファンの目には、古代中東において「涙の国の君主」とか「母親の涙と子供たちの血にまみれた魔王」などと崇拝されていたモレク神あたりにでも見えていたことだろう。

「わかってるさ」

「そのために俺たちがいるわけだ」

 とうの日本人ヤーパンばかりでなく、集まった助言者たちまでが口々に言った。

 泣き上戸のシュテファンが顔をしわくちゃにして男泣きしているのに、周囲は全く陽気であった。

「湿っぽくなっていけねえや。こりゃそろそろお開きかな。老人の朝は早いんだ。マトバのダンナ!」

 よし、とばかり立ち上がると、的場は杯を掲げた。他の助言者たちもそれに続く。

「今日もわれわれは天に召されることなく、無事常世にはばかった。われらが守護天……じゃなかった守護魔法少女たちに、乾杯プロージツト!」

乾杯プロージツト――っとおわ⁉」

 すると、突如菫色の煙と共に、渦巻くように長身の人影が現れて、一同は青ざめた。

「ぐ、グランマーマ・ロッテンマイヤー……」

 と、誰かが恐れおののいて、その名を呟いた。

「まったく。退廃的、ですね」

 ロッテンマイヤーは一同を見回すと、きりりと眉をひそめた。そのなかに浩司、エーミールの姿を認めると、今度は深々とため息をついた。

「青年層を頽落の道に引きずり込むような所業にいたるのは、見過ごせませんね。それに租界と言う政治的立地を、ポーカーなぞ賭け事の……いえ、年寄りの暇つぶしの場に使うなど、私的流用も甚だしい。まぁなんと嘆かわしいことでしょうか」

 前者の青年層とは、この場合浩司とエーミールに違いないが、彼らの一人は的場の監視役のうえ報告書の作成に勤しんでいたし、一人はソファに寝そべって読書をしていただけなので、「老人たち」の頽落の道に引きずり込まれそうなようすはみじんもなかった。後者の「年寄りの暇つぶしの」、「私的流用」の文言は、確かに租界と言う特殊性からすると、そのそしりを免れない。

「まったく、一気に酔いがさめちまった」

 的場は手にした杯をあわてて干した。

「で、なんの用だ。グランマーマ・ロッテンマイヤー」

 グランマーマ(大おばあちゃん)と畏敬の念で呼ばれる彼女にも、全く物怖じしない的場はつっけんどんに訊ねた。この時は、まったく酒の力を頼みとしていたのだったが、医療用胎生ナノマシン(メディファージ)は絶えずせっせとアルコールを酵素分解しているので、大した成果は期待できなかった。

 冷ややかな菫色の瞳が、交互に的場と泣き面のシュテファンに注がれた。また背後の助言者たちは、次の展開を、息を呑んで待っている。……


「ドイツ部隊アルフヘイムと共同訓練だぁ?」

 やだやだ、ぜってーやだ。と、ヒルコは頭を振って言った。長いツインテールがばら鞭のように左右にしなった。

 別にそこまで毛嫌いすることもないだろう、と浩司はたしなめる。なにせドイツ部隊は指示命令系統もしっかりしているし、勤勉生真面目な、模範的な部隊なのである。

「それだよ、そ・れ」

 それが鼻持ちならない、とヒルコは言う。

「あんなジャガイモたちといっしょに闘えるかってんだ」

 ヒルコはツんと顔をそらしてそっぽを向いた。規則・命令を至上とする規律正しきドイツ部隊とはそりが合わないのである。

 それにヒルコ曰く「あの堅物博学ばばー(グランマーマ・ロツテンマイヤー)」の故郷だから、である。おそらくヒルコのことだから、それ以上でもそれ以下でもない。

 ツルみやすい人間、ツルみにくい人間――国籍も家柄も性格も人生もバラバラな、唯一の共通項を「新しき魔女」=魔法少女とする彼女らが六六六一名、同じ場所で暮らしている。

 比較的陽気な性格のヒルコとユカは、ノリのいいイタリア部隊の居住区にちょくちょく出かけていたし、大人しいサツキは、フランス部隊の居住区に、わざわざ業者に頼んで製本してもらった『魔法少女マジカる~ナ!』を抱えて遊びに行く。

 しかし、付き合いに偏りがあれば、例えば〈霊素〉、〈擬天使〉の大規模な来襲であるとか、〈天使派〉など、魔女狩りを主目的とするテロリスト集団によるテロルに見舞われたとき、協力して身を守ることへの妨げになる。魔法少女たちは国籍を超えて、彼女たちの周囲に渦巻く脅威や悪意を自らの手で打ち負かさなければならないのだ。

 それで、

(合同訓練、を双方にお願いしたいのです)

 と、ロッテンマイヤーは言った。

「それにドイツ部隊は『ぜひとも』、と言っている。『マリアの指揮するリトル・トーキョー隊と行動できるのは望外の喜び』だそうだ。ちょっと大げさな気もするが、それだけ信頼があるのは――」

「それはお姫さまが信頼があるってだけだろうが。 『リトル・トーキョーあたしたちに』じゃねぇじゃん!」

 ヒルコがカッとギザ歯をむき出しにしていった。

「ムカつくっ。……おおおっ。あのジャガイモ娘たちに目にもの見せてやる」

 と、ヒルコは猛然と席を立ってその場を後にしようとする。

「おい、どこに行くんだ? 話はまだ……」

「ああん? 今から箒と法具モーゼルの整備だこのバカこーじ! もしまたあのへぼ箒が引っかかったりモーゼルが薬莢噛ジヤムってみろ。いい笑いもんだ。あたしがもっともすぐれてるってのを、あのジャガイモ娘に知らしめてやるんだ。ほら、ユカ、サツキも行くぞ、今すぐ!」

「え、え? 待ってヒルコちゃ――⁉」

 ヒルコに強引に引っ張られながら、サツキは某国民的アニメの家族が家の中に吸い込まれるような格好で姿を消してしまった。

「……なんなんだ、あいつ?」

「まーったく、こうじっちはデリカシーってもんがにゃーね」

 強制連行されなかったユカが「やれやれ」と言ったようすで茶々を入れる。「くーろ君」なるアイドル歌手の「普通の女の子」との熱愛発覚からは、ものの見事に立ち直ったようである。

「ここではね、みんながみーんなせんせぇの言う『超絶マジカル美少女』なんだからね。まりあっちの名前なんか出せば、せんせぇ怒るに決まってんじゃん」

「……超絶マジカル美少女、か」

 と、浩司はぽつりと言った。

「と言うか、合同訓練はあと一か月先の話だぞ?」

「……あちゃー。こうじっち、それも絶対せんせぇ怒るよ」


「石橋に気をつけろ」

 背後から唐突にそう声をかけられて、内閣総理大臣竹川晋三は振り返った。

 烏賀陽帝二内閣官房長官。

 竹川内閣のブレーンにして、竹川の盟友である。

 背格好からは、どちらかというと、烏賀陽のほうが総理らしい趣をたたえていた。としは竹川と大して変わらないはずだが、均整のとれたすらりとした長身に、秀でた鷲鼻が猛禽類を連想させる。

 対して竹川は中肉中背、年齢の割に傍目には若々しい「老人」が増えているのに比べれば、相応の年の取り方をしている。医療用胎生ナノマシンの注入を、健康管理程度にとどめているものらしい。額に深く幾重にも刻まれたしわと、銀灰色の髪が、ここまでの道のりをしのばせている。

 国内での彼の評価は厳しい。魔法少女の国内受け入れ問題では国論を二分した。受け入れ以降は霊素現象への対応に追われる。それに関連して国連――というよりも安全保障理事会常任理事国と日本との「過去の清算」も、進展を見せないでいる。「ボケカワ」「本命までの中継ぎ」「尻拭い政権」……などと、評価はさんざんである。

「三ツ矢研究学園都市をまるごと貸し出し、は心証が悪いと俺は思うがな。いくら旅団のバックに国連があるにしてもな。それにあそこには自衛軍への納入品も研究施設もあることだし。防衛大臣さまはカンカンだぞ」

「まるごとじゃない。あくまで自衛軍の収用地のみで……石橋防衛大臣が、か?」

 思いもよらぬ人物の名が出たことに、いまさらながら竹川は思わず声をあげた。

「どうしたんだ烏賀陽? まさかいまさらになって『防衛大臣のポストのほうが性に合っていたから石橋を下ろせ』とかいうんじゃないだろうな?」

「やつがタカ派なのは知っているだろう?」

 鷹か鷲のようなきみが言うのか、と竹川は冗談を飛ばした。

 烏賀陽は皮肉そうに鼻を鳴らす。

「『魔法少女は国防上の不安分子』、だそうだ。『いつかあの小娘たちが危険を招来し、いや、現に今われわれは危機の中にいる!』、なんてな。言っておくがこれは意訳だ。誰になにを吹き込まれたか、それとも思い込んだのかしれないが。寄せ集め内閣もたいがいにしたほうがいいんじゃないか?」

「適材適所の内閣改造ができるほど、そもそも人間ひとがおらんよ。人材不足は昨日今日の話でもなし。で、烏賀陽、きみはどう思っている?」

「石橋をか? ……それとも魔法少女のことか? それならいまさらなにも――」

「どちらとも、だよ。あらためて意見を聞きたい」

 うん、と烏賀陽はしばし唸った。

「石橋、やつは鉄砲の玩具おもちやを与えられた子供、だな。それなりに手綱を引いておけばいいんだ。魔法少女に関しては、俺の思うところ……先に言っておくが気を悪くするなよ。魔法少女は良くも悪くも、石橋の言うようには脅威ではない。魔導なんてものが無ければ、言い方は悪いが普通の小娘に過ぎないじゃないか? 常任理事国の難癖に比べれば、物の数ではない」

「普通の小娘、か。だがその小娘たちのおかげで、国連警察予備軍としての派兵も免除された」

 魔法少女たちの受け入れは、強制行動型国連軍への参加免除と引き換えであったのだ。

「〈霊素〉と魔女たちの言う〈擬天使〉なんて厄介ごとが漏れなくついてきたが、な」

 竹川は露骨に眉をひそめた。

「烏賀陽、まさか君まで魔法少女と〈霊素〉に因果関係があるなどと……」

 霊素現象の発生よりこのかた、そうした醜聞は枚挙にいとまがない。

 醜聞と言えば「火のないところに煙は立たない」式になんらかの、それを主張するに足る証拠のようなもの、が真偽のほどは不明ながら何かしら存在する必要がある。

 しかしこの手の――つまりは魔法少女たちと〈霊素〉の因果関係について――は、特にこれと言って科学的証明がなされたわけではない。オカルティズムのたわごとの域を出ないのだ。そもそも魔法少女という存在自体が、オカルティズムや異教主義的存在には違いなかったが。

「相手はこちらの想像を超える能力を持った人間なんだ。何が起こっても別に私は驚かない。因果関係があろうとなかろうと、な」

「それがやっかいなんだ」

 これこそ、このような醜聞が、一部で強固に主張されるゆえんであった。

 因果関係が「ある」と言うことも、「ない」と言うことも証明できない。

「そう、だから因果関係のあるなしを証明できるまでは、今現在の政府見解に俺は従う、と言うことだ。ただ――」

「ただ?」

「日本の安全保障に支障をきたすのなら、たとえ小娘に過ぎないとしても、俺は容赦なく斬る。もちろんお前も斬る。盟友が思い迷い、それが国民を犠牲にして行われるというのなら、それを正してやるのが筋というものだろう?」

 冷淡で少々芝居がかった物言いであったが、それだけに竹川は烏賀陽を信頼できた。

「石橋君のこと、調べてみてもらえるだろうか? 単独なのか、それとも背後になにか、いや誰かいるのか?」

「わかった。不安の芽は早いうちに摘み取っておいたほうがいいだろうからな」


 演習場として選ばれた三ツ矢研究学園都市は、新浜新都心郊外から、北東約十キロ地点に位置する。約2700㌶の土地面積は南北十八キロ、東西六キロにわたり、官民合わせ三百の研究教育施設、住宅地区に研究者とその家族五万四千人を擁する。理路整然とした街並みである。しかしそれも一歩外れると、周辺開発地域と称される土地には、建設途中の建物がほったらかしにされている。

 というのも、

「管理しやすいからだろ」。

 自衛軍の陸上・電子装備研究所が、この研究学園都市内に存在し、また周辺開発地域の一部は、その装備の実証実験のために収用されている。都市部での市街戦を想定したモデルにうってつけだったようである。

「それ、『監視しやすい』の間違いじゃないですか?」

 と、浩司は冗談を言う。

 実際にはそうなのだろうから冗談にもならないのだが。

「まったく、その『監視』されてるってのに、お空の上でピクニック気分でいやがる」

 と、的場が呆れたようすで嘆息した。

「おい、浩司。またもやあの困った嬢ちゃん(苦海ヒルコ)、だぞ」

「あ、ヒルコ、突出しすぎだ。隊列を乱すな」

〈……〉

「ヒルコ!」

〈ヒルコ。浩司兄さまに返事をなさい〉

 さすがに黙っていられなくなったのか、常のマリア・Kの凛とした声が聞こえた。

〈……〉

〈聞こえないのですか、ヒルコ? 返事をなさい〉

〈『超絶マジカル美少女ヒルコ様、隊列にお戻りくださいお願いします』〉

 まだ怒っているのか、と浩司は途方に暮れた。ひと月あまり、浩司は無視されるわ、背後から不意打ちの飛び蹴りをくわえられるわ、散々な目にあっていた。

「言ってやれよ、減るもんじゃなし」

 それにもとはと言えばお前が悪い、と的場は付け加えた。

「そんな……」

(ここではみんながみんなせんせぇの言う『超絶マジカル美少女』なんだからね)

 浩司の胸中、ユカのそんな言葉が反響した。

「超絶マジカル美少女ヒルコ様、隊列にお戻りください。お願いします」

〈心がこもってない〉

〈く……お願いします。超絶マジカル美少女ヒルコさま! 隊列にお戻りください!〉

 半ばやけくそ気味に浩司が言った。

 しばらくするとヒルコの生体反応を示すビーコンはあからさまに速度を落とし、リトル・トーキョー隊の楔形編隊に戻っていった。浩司はほっと溜息をついた。

〈哀れだな、日本人ヤーパン

 と、シュテファンの憐みの声が聞こえる。

 いっぽうドイツ部隊の隊列は、楔形のまま全く乱れることがない。

〈日本人の坊や。これこそが勤勉と秩序のたまものだ。どうだ、美しいだろう!〉

 と、シュテファンは自慢げに言う。

「……どうやらそうでもないらしい、ぞ」

 と、的場が言った。

 一つの箒が速度を落とし始めたらしい。生体反応のビーコンは、ヒルコとは逆の現象を示した。

 シュテファンのくぐもったため息が聞こえた。

〈あれがウチのエースだ〉

 生体反応を示すモニターの電子タグには〈エヴァ〉と表示されている。

 ショートウルフの銀髪に榛色のヘーゼル・アイの少女。端正な顔立ちに表情はなく、まるで能面のようである。

 登録されている主な法具はクロス・ボゥだった。

〈まぁ、なに考えてるか本当にわからないやつなんだが〉

 これもエーミールの悪い影響だ、とシュテファンは小さくつぶやいた。

「夢見がち乙女って感じだな」

〈エーミールについて回ってるんだ〉

 と、エーミールに噛みつき、エーミールが「やれやれ」と嘆息しているのが、通信先の雰囲気から察せられた。

〈エヴァ、速度が落ちているよ。隊列に戻るんだ〉

〈Ja(ヤー)〉

 優しく語りかけるようなエーミールの「助言」にエヴァが応答すると、彼女の生体反応を示すビーコンは、ドイツ部隊の隊列に瞬く間に戻った。

〈ぼくは、なにもしちゃいませんよ〉

 ちょっと唯識論の話をしただけで、とエーミールが呟くのに、リトル・トーキョー隊の助言者二人は吹き出した。

「なるほど、それでイチコロか」

〈笑い事じゃないぞ日本人! 他人事だと思いやがっ――て……〉

 にわかに左右の歩道が人ごみでいっぱいになっていった。口々に何か叫んで、中には横断幕やプラカードを掲げているものもいる。

〈歓迎……じゃなさそうだな〉

 歩道にあふれるこの顔ぶれは、実に様々な主張が一堂に会しているようだった。

 魔法少女排斥を叫ぶもの。魔法少女の人権保護のため、国際魔法少女旅団の解体を叫ぶもの。魔法少女と助言者に法的規制を求めるもの。訓練用地を貸し出した自衛軍を批判するもの。魔法少女を受け入れた政府を糾弾するもの……そして、魔法少女が〈霊素〉という厄災を持ち込んだのだ、と主張するもの。

論理ロジックがめちゃくちゃで見れたもんじゃないな」

 魔法少女は論理ではない。

 人が望むと望まざるとに拘わらず、生まれそして死んでゆくように、ただ存在しているのである。

 それで何がいけないのか、と浩司は考える。

〈外の日本人は、みんなああなのか?〉

「いや、どこ行ったってあんなもんだろう。シュテファン、多分お前さんのお国でもな。だいたい、自分の関係のないことには、みんな反対なのさ」

 的場は何かを叫びたてるデモ集団を一瞥して鼻を鳴らした。

「実際に敵対するまで奴らは信じようとしないし、たいていその間に処置が不可能になって人類滅亡――ってのはゾンビ映画の基本だからな」

〈ゾンビ映画の基本じゃないか〉

 と、シュテファンはツッコミを入れた。

「俺たちは実際ゾンビ映画か怪獣映画の登場人物なのさ」

 と、的場は返す。

(魔女と人殺しは出てけ)

 浩司は眉をひそめた。言葉として成ると、こうまで不快で憤ろしいものだろうか。

「浩司、怒るにしても嬢ちゃんたちのために怒れよ」

「わかってますよ」

「それにしても、上の嬢ちゃんたちに聞こえてなきゃいいがな。とくに嬢ちゃん(苦海ヒルコ)なんか、知ったらキレるぞ」

 ――「超絶マジカル美少女登場!」の大歓声を受けているとでも勘違いしていてくれればいいが……と浩司は心の中で思った。


「あたしたちは実戦に強いタイプなんだよ……」

「これが実戦だったら、とは考えないのか?」

「う……」

 こんこんと浩司に説教されている間中、かたわらにいるサツキはヒルコに貸した『魔法少女マジカる~ナ!』のコスチュームを汚されて泣きっぱなしである。

 ドローンを〈擬天使〉に見立てた、リトル・トーキョー隊とドイツ部隊の合同訓練にて。

 リトル・トーキョー隊の損耗率34%。

 軍事で言うところの「全滅」、である。

「泣くな! そんなに大事なら、あたしに着せるな!」

「せんせぇ、そんなかっかしないでさー」

 ユカがいなすのにも、ヒルコはそっぽを向いた。

 それにあのジャガイモ娘、だ。

 思い出してもむかむかする。

 銀色の髪と榛色の瞳が、空によく映える少女。……

(おい、あたしの獲物だぞ!)

 ジャガイモ娘は応えなかった。

(クッソ。お高くとまって——っぃたッ⁉」

 ふいに静電気に似た痛みが指先を走って、ヒルコは彼女の法具、モーゼル拳銃を取り落とした。見れば帯電したペイント弾がべったりと手の甲にくっついている。

 そして――これがもっとも問題だったが――新しい装備が来るまでの中継ぎとして、サツキが無理に着せた、女児向けアニメ『魔法少女マジカる~ナ!』のなりきり変身セットにも、赤い塗料が飛び散っていた。

(うわっ、しまった‼)

 —―サツキが目を輝かせて、なかなかきわどいコスチュームに顔を真っ赤にするヒルコを尻目に、彼女の周りをぴょんぴょん飛び跳ねながら狂喜する姿が、走馬灯のように脳裏によみがえった。

(まるでほんもののるーナだよ!)

(苦海ヒルコ、法具マウザーM712ヲ破壊サレ、右手ヲ損傷、戦闘継続不能――)

 そして、

(エーミール。わたし、うまくやった。褒めて)。

 ぞわぞわ鳥肌が立つようだった。

 自分の魔法を他人に褒められるために使うヒルコではなかった。

「あぁ、むかつく!」

「なにが『むかつく』だ! 実戦だったら最悪の場合死んでたんだぞ!」

「実戦じゃねぇだろ!」

「実戦に臨む気持ちでいろって言ってるんだ!」

 逆上にかっと牙をむきかけたヒルコだったが、じっと射貫くように睨みつけているグレシャーブルーの瞳の気配に息を呑んだ。

(浩司兄さまに手出しはさせません)

 視線はそう主張していた。

 そうして浩司がこんこんと説教をしている、そのさなか。

 サイレンが鳴り始める。

 霊素警報、だった。

 的場はくたびれ切った様子で、租界との通信回線を開いた。

「お留守番部隊オペレーター、位置は?」

〈まってくれ、いま位置情報のデータを送る〉

 モニターに転送されてきた情報は、新浜新都心の外縁を指し示している。三ツ矢学園研究都市からもほど近い。

 浩司は位置情報データを観ながら、言った。

「実戦で共同作戦を展開してみるというのは?」

 ダメだ、と的場は即座に首を振った。

「うち(リトル・トーキョー隊)の士気の低下が著しい。かえってドイツ部隊アルフヘイムの制空展開の邪魔になる」

〈今回は俺たちの手柄ってことで決まりだな〉

 と、シュテファンの満足げな声が聞こえてくる。

「そういうこったな。浩司、俺たちは先に租界に戻ろう。嬢ちゃんたちに助言を」

「……了解。傾聴! これよりリトル・トーキョー部隊は、租界に帰投する。部隊は〈霊素〉対応のドイツ部隊の制空権確保のため迂回ルートをとる。迂回ルートの選定は――」

〈浩司兄さま! 浩司兄さま‼〉

 と、彼の声は、珍しく慌てたようすのマリア・Kの声に遮られた。

「マリア、どうしたんだ?」

〈点呼を取ったところ、苦海ヒルコがおりません!〉

 マリア・Kが言い終わらぬうち、条件反射的に生体反応を位置情報として表示するモニターに目を向ける。

 ヒルコの生体反応を示すビーコンが、どんどん離れてゆくのだ。

 そのビーコンに付き従うかのように、二つのビーコンがくっついている。

 これは電子タグを見なくてもわかる。

 ユカとサツキだ。

「ヒルコ! 今すぐその場から回頭して原隊復帰しろ」

〈うっせーバカこーじ。命令される筋合いないんだよ〉

「命令じゃない。助言だ。原隊復帰しろ」

〈あーあ? 霊障のせいで電波がー。なんだって? 魔女裁判にかける?〉

 けたけたと人を食ったような魔女的笑いが返って来た。

〈ねぇ、やっぱりこれってよくないよ〉

〈大丈夫、だいじょーぶ! 助言聞こえなかったし〉

〈うわーせんせぇ、めっちゃ悪い顔してるー!〉

〈おい、ユカ、サツキ。あたしちょっとやってみたいことあんだよ〉

〈え、なになにせんせぇ?〉

 はっきり聞こえているじゃないか。

「ったく、嬢ちゃんたちを連れ戻さないとな」

「的場さん、楽しんでないですか? あ……」

 浩司らを乗せた兵員装甲輸送車が人並みに阻まれる。

 先ほどのデモ集団だった。〈霊素〉発生地域から、とにかく反対の方向に逃げようとしているようだった。

 混乱に歯止めがかからない。

 人々は逃げ惑う。

「どうした、どうした?」

 と、的場が呟くのに浩司は顔を向けるが、それは彼に向けられた言葉ではなかった。

「あれがお前たちの言う『怪獣ごっこ』の敵だぞ」

 混沌とした光景が、車外で繰り広げられている。

 けっ、と的場は悪態を吐いた。

「それでも戦っている人間がいるのを忘れんなよ。しかも小娘に守られてるのを、な!」


「――エヴァが本隊から離れすぎだ」

 と、シュテファンは気が気ではない様子で言った。

「いつものことでしょう」

 エーミールは気にも留めていない様子である。

「ほら、もう一体駆除しましたよ。あれがエヴァにとって戦いやすいんでしょう」

「そうかもしれない、が……」

 エヴァの生体反応を示すビーコンは、単騎で一つの地点に静止したままだ。

 飛び道具が法具であることから、ある程度距離をとって狙い撃ちしたほうが効率的と判断しているようだ。

 そしてなにより。

 たくさんの敵を単騎で倒して、エーミールにいっぱい褒めてもらうのだ――とエヴァは能面にも似た表情の奥で考えているに違いない。

「それにしても十分だろう。そろそろ本隊に合流するように、助言を」

「Ja(ヤー) kapitän。――エヴァ、もうそのへんにして本隊に合流するんだ」

〈……〉

 ガン無視、である。

「エヴァ、聞こえているかい? 返事をするんだ」

〈……〉

〈エヴァ、助言に従え〉

 ドイツ部隊の先導の言葉も、これまたガン無視。

 しかし、ドイツ部隊の魔法少女も助言者も、この状況に慣れてしまっていた。エースのやることだから、といくぶん大目に見ている節もあった――が。

〈――!エーミール⁉〉

〈――! エヴァ、後ろだ!〉

 反応が一瞬遅かった。

 エヴァの後背から突然現れた〈擬天使〉に、彼女の法具クロス・ボウは薙ぎ払われた。

 それとともに、

「あ――」

 エヴァはバランスを崩して、箒から墜落した。

〈エヴァ!〉

 思わず目を瞑る。

〈サツキ――ッ。今だ!〉

〈風の精霊たち、受け止めよ〉

 エヴァは空中で一瞬ふわり上昇したかと思うと、落下速度が途端に緩やかになった。

 空中で、なにものかに抱き留められた。

 榛色の瞳が恐る恐る見上げる。

 陽の光に半ば影になった、ツインテールの魔法少女。そして影の底に帯びる、淡紅色の二つの鬼火。

 苦海ヒルコが、にかりと魔女的ギザ歯を白く煌めかせて、言った。

「おら、よそ見すんな。超絶マジカル美少女ヒルコさまの魔導を見逃すだろうが」

「チョウゼツマジカルビショウジョ?」

 かちん――。

「さぁ、ユカ、サツキ。やってくれ!」

「おけ、せんせぇ!」

「わわわ、今度もうまくできる、かな?」

 ユカは彼女の法具、戦斧を振りかぶった。

〈精霊よ、弾け〉

「かっきーん!」

 戦斧がヒルコの箒の房にあたる部分に勢いよく叩きつけられると、磁石の同極同士が反発しあうような衝撃が生まれる。

 ヒルコとその箒は弾丸のように吹き飛ばされた。乗り合わせた不幸なエヴァの悲鳴がそれとともに尾を引いて遠のいていった。

〈精霊よぜよ、しかるべく圧っせよ〉

 疾走するヒルコとその箒が〈擬天使〉を擦過して刹那、術式が次々と発動して〈擬天使〉たちは爆発と縮退を繰り返す。

 瞬く間にヒルコとその箒はドイツ部隊の制空を突っ切り、同時に〈擬天使〉を撃ち払ってゆく。

〈うわっ危ないじゃない!〉

〈空賊よ、空賊!〉

(残るは――!)

〈私たちまで殺す気かこのピンク怪獣!〉

「だから超絶マジカル美少女だってーッ」

 正面に立ちはだかる〈擬天使〉。

 バナナの皮むきのように、その顔全体が開いた!

〈風の精霊たち、吹き上げよ!〉

 ヒルコとその箒が、サツキの魔導によって直上に跳ね上げられた。

「――のッ!」

 淡紅色の瞳が鬼火となって空中に線を引き、

〈精霊よぜよ、しかるべく圧っせよ〉

 7.63×25mmマウザー弾が放たれた。

 淡紅色の術式の軌跡が空に描かれ。

 着弾。

 先端に溝の刻まれた柔らかな弾頭が、凶悪な殺傷能力を帯びて回転しながら花開き、〈擬天使〉の肉体を攪拌。

〈擬天使〉は四散とほぼ同時に一気に縮小して、小さなビー玉状の塊となった。

 とはいえ、胴にあたる部分は手付かずのまま残され――

「ッしゃおら! 見たか。だからあたしたちは実戦むきなんだよ」

「やったね、せんせぇ!」

〈なにが『やったね!』だ馬鹿! まだ下にいるんだぞ!〉

 ドイツの兵員装甲輸送車が〈擬天使〉の下敷きになり、大きくひしゃげていた。

「あーあ、やっちゃったねせんせぇ」

「だ、だいじょうぶかな……」

「うっせーっ。下にいるほうが悪いんだよ! それにジャガイモ娘助けてやったんだから、先に感謝だろふつー、か・ん・しゃ!」

 ヒルコは怒鳴り返した。そもそも人命救助を建前とした国際魔法少女旅団にあるまじき発言だ。

〈どんな理屈だ!〉

〈痴話げんかはその辺にして、そろそろ助ける気を起こしてくれるとありがたいな……〉

 シュテファンの呻き声に、リトル・トーキョー隊助言者たちが「あ……」と気がついて通信機が沈黙したので、やっとヒルコはため息を吐いた。

 ヒルコは照れ隠し気味に、背後の少女を気遣った。

「落っこちたくなかったら、手ぇ離すなよ」

「……うん。Hasi」

 エヴァは呟くと、ヒルコの腰元にまわした腕を、もっと強く抱き着いてきた。

「絶対離さない」

「ん? お、おぉ……?」

 ――後に、エヴァがヒルコを指して言う「Hasi」が、実は「うさぎちゃん」を意味し、「甘々カップルがイチャイチャ愛称で呼びあらわすとき使う」のだとドイツ部隊の先導から聞いて、ヒルコは珍しく青ざめたのだった。


「パンツァーファウストは必要ないでしょう?」

「そうかぁ?」

 的場はわざとらしく応えると、いとおしそうにパンツァーファウスト3を撫でた。この名前にたがわぬ対戦車兵器は、目下の敵には必要ないというのに……きっとあの夜ドイツ部隊に、というかシュテファンに勝った時の戦利品に違いない。

 とは言え、とうのドイツ部隊は、どうやってパンツァーファウスト3を魔法少女租界に持ち込んだのだろうか? 

(無法地帯だ)と、浩司は呆れて首を振った。

「いざという時がいつ来るか知れねぇ。『備えあれば患いなし』、だ」

「出来れば来てほしくありませんね」

 そっけない調子で浩司は言う。的場のペースに乗せられてはたまらない。

 パンツァーファウスト3を兵員装甲輸送車にしまい込むと、ふたりは見舞いのためにドイツ部隊の居住区画へ向かった。

 シュテファンひとりがリクライニング・チェアに横になっている。

「なんだ、こんなところで油売って」

「留守番だ」

 時々痛むのか、シュテファンはしかめ面をしてみせた。

「つくづく運が悪い。なんで俺だけケガして、留守番などせにゃならないんだ」

 シュテファン一人だけ足を骨折した。エーミールや他ドイツの助言者たちは幸いにもかすり傷と、頑丈が取り柄の兵員装甲輸送車に長く閉じ込められる災難のみで済んだ。

「確率異常さ」

 的場は不敵な笑みを浮かべて言った。どうやらこのフレーズがお気に召したものらしい。

「確率異常ってんなら、いちばんはあの娘(苦海ヒルコ)だ。あのエヴァをあっさり手懐けちまいやがるんだからな」

 どうやらそれが酷く悔しいものらしく、シュテファンは嘆息した。

「それも……確率異常……だろう?」

 吊り橋効果の一時的なもので、そのうち目を覚ますだろう、と的場は他人事だ。

〈Hasi〉

 ドイツ部隊の通信が漏れ聞こえてきた。

〈てめえ、うさぎちゃんはマジ止めろ。はっ倒すぞ〉

 あのエヴァ独特の能面にも似た面立ちのまま、対照的に甘々の声でヒルコを呼んでいるのかと思うと、浩司は可笑しかった。なにしろいつも困らされてばかりのヒルコが、ほかの誰かに困らされているのである。

〈押し倒すなんて積極的な〉

〈違う‼〉

「――訂正。重症だ、ありゃ」

 と、的場は面白がってシュテファンをからかった。

〈ドイツ部隊アルフヘイム、出撃します!〉

「ほら、娘っ子たちが飛び立ってゆくぞ」

「あぁ」

 そう嘆じて、耐えかねたようにシュテファンの目が潤んだ。

「無事に帰ってきてくれ」

「帰ってきますよ」

 と、にこやかに浩司が言うのに、シュテファンは眩しげに黙って頷いた。

 飛行台からは、ドイツ部隊が、規律正しく勇壮に出撃していった。


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