第3話

3年の月日が経った。


「カンナ! 見事な腕だ! 仕留めるのが難しいロールバードが一撃だ!」

嬉しそうに声を上げるジャン。


今はカンナと名前を変えた奏多そんな夫に対し、ニヤリと笑って手にした弓を掲げ持ち、返事の代わりとする。


奏多はジャンと結婚をしていた。二人でつるんで1年ほどあちこちをうろうろしている中で、たまたま旅を一緒した宣教師と仲良くなり、せっかくだからと祝言を上げてもらったのだ。

戸籍管理などされていない中世然とした辺境のド田舎に夫婦になるこれといった決まりはないのだが、教会の人間に祝福をもらえばこれは結ばれたという認識で間違いない。

それでまあ、いい節目になったかなと奏多がほっこりしていると、隣に立つジャンは号泣であった。


「なんで泣いてんだよ。」からかう奏多に対しジャンが滔々と語るには、なんでも奏多は今でも康介の事が好きなのだろうと、ずっとそれが気になって不安だったそうなのだ。

それが今日、ようやっと心配がなくなったと、それで嬉しくて涙が止まらないという話であった。


ちくしょう、可愛いじゃねぇかよ。


すっかり嬉しくなってしまった奏多はその晩のベッドの中でジャンと大いに盛り上がった。

あれから2年、今でも夫婦仲は極めて良好である。


それで奏多は、せっかくジャンと夫婦になったのだからこれを機に名前を変えようと思い立ち、最初は頭の2文字を取って「カナ」と名乗ろうとしたのだが、ジャンには少し発音が難しいようで、いつの間にか間に「ン」が入ってカンナと呼ばれるようになっていた。

それで、かつての奏多は今の「カンナ」という名前を存外とても気に入っているのだ。

今では「カナタ」と呼ばれても誰の事だが一瞬忘れるほどであった。


また、カンナはこの3年の間に弓士へとコンバートし、これが性に合っていたのか、めきめきとその腕を上げていた。

男でも扱うのが難しい強弓を難なく引き絞り、500m先の獲物の頭蓋を寸分たがわずぶち抜いてみせる。

まさに神業ともいえる技術を花開かせ、つい先日などはエルフの弓士と狩りを競り合い、これに勝って弓王の称号を彼らから戴く場面もあった。


かつて、康介が一級の土魔法使いとなり、長谷部あやかが一級の召喚術師であったあの頃、自分一人だけ何の才もなく「異世界チートなんて嘘じゃねーか」と一人腐していたカンナであったが、落ち着ける環境でじっくりと自分の特性や才能を探ってみれば、きちんと天職があったことに驚きを禁じ得ない。

考えてみれば康介だって最初はいやいや練習しはじめた土魔法が開花してあのようになったのだから、カンナだっていくらでもやりようはあったのだ。


あの頃の自分は、逼迫した状況に視野が狭窄していたのだろう。

結局のところ自分を生かすも殺すも心の持ちようなのだと、今は数えで20歳になったカンナはそんなふうに少しだけ達観できるようになっていた。


そして、そんな自分を生かすために苦心してくれる夫、ジャンに対しては深い感謝と愛情しかなかった。

ジャンはもともとは斥候職だったが、自分の才能とカンナの才能を比較してカンナを立てる方向へと転換し、助手としての役割を務めてくれるようになっていた。


地形の把握や周囲の状況、天候の変化を予測したり、目標の行動パターンを調べたり。


こうして獲物を仕留めるのに最適な条件をジャンが整えて、カンナが目標物を仕留める。

それで大物たちを次々と撃ち落とし、二人でキルマークを稼ぐようになっていた。


これらの役割分担については、夫婦でよく話し合い、少しづつ形を変えて今のように収まった。

もちろん今でも話し合いは続いていて、またしばらくしたら今とは違う方法を試しているのに違いなかった。


そんな二人の現在の生業が、辺境の山間部の開拓村を回る流しの猟師であった。

猟師という仕事は、ある程度発展した村々においては、他の村との境界争いであったり、捕らえる獲物の種類や数の制限であったりと色々面倒が多く、各猟師はそれぞれ村に所属し、組合のようなものを通じて各村で調整を行って活動する専門職であるのだが、山奥の開拓村にはそんな縄張り争いなどしている暇も余裕もなければ、それ以前にギルドすらない。


ともかく誰でもいいから出来るものが見かけた害獣を片っ端から倒すようにしていかないと村があっという間に立ちいかなくなるのが開拓村なのだ。


だからカンナとジャンのような凄腕の猟師は例え流しでもむしろ大歓迎で、各村所属の猟師達では手も出せない大捕物をする二人は、どこの村へ行っても英雄のように迎え入れられた。


村に顔を出すたびにちび達がキラキラした目で尊敬のまなざしを向けてきて、「大きくなったら俺も猟師になる!」などと言われてしまうと、小さい自分が農村にいた頃に不定期にやってくるゴブリン退治の冒険者を見上げていた当時の気持ちが思い起こされ、カンナはなんとも面映ゆい気分となるのであった。


そんなちび達を相手にジャンが一緒になって楽しそうに遊んでやっている様子などを見ると、子供好きのジャンのためにそろそろ俺たちも……、なんて事を考えてしまうカンナであった。


カンナは今、充実していた。



そんな二人にまたちょっとした転機が訪れる。

3年目にしていっぱしの猟師として名の知れた二人のもとに、騎士様の一行がやってきて領都防衛に力を貸してほしいと頭を下げてきたのだ。


なんでも辺境伯領にほど近い迷宮にスタンピードの兆しあり、これはもはや防げぬから、腕に自信のあるものを片っ端から呼び集め、これを防衛、撃退する準備を進めているのだという。


そんな中、二人と知らぬ仲ではない騎士様が、これはとわざわざ訪ねてくださったという事情らしい。


開拓村と騎士様というのはそれなりに付き合いが深い。

ある程度うまくいっている村々は自分達の稼ぎの中から魔物退治の冒険者などを雇ってこれを防衛しているが、開いたばかりの貧村にそんな余裕があるはずもないから、冒険者などはまずやってこない。

だから領策として騎士様が派遣される。

そもそも開拓は辺境伯領の領地拡大のための領策であるからして、これの防衛に最初の10年くらいは騎士様達が積極的に見回りに来てくれるのだ。


カンナとジャンもそんな彼らと顔を合わせる機会が幾度となくあり、そのうちの何回は一緒に共闘したりもして、お互いそれなりに気心の知れた間柄であったのだ。


それで今回わざわざ騎士様がカンナ達を訪ねてきてくれたのだから、本来であれば二つ返事で引き受けるところであったが、カンナは逡巡していた。

ジャンもそんなカンナの様子を察して、何も言わずに黙ってくれていた。


領都に戻ると康介や長谷部あやかがいるのである。

正直彼らとは会いたくない。


そんなカンナの気持ちを察したジャンが、その肩を優しくそっと抱きしめてくれた。

カンナは騎士様に、少しだけ考える時間が欲しいと頭を下げて頼み込んだ。


そんなカンナの背中を後押ししたのは、誰あろう村人達であった。


「あっしらの事は心配しないでくだせぇ。なあに。カンナ様達が来てくださるまでは、あっしら自分達だけで何とかやってきたんです。そりゃあカンナ様達がいなけりゃ大変なこともあるでしょうが、ちょっとの間少し前に戻るだけでさぁ。

それにカンナ様、事が済んだらちゃんと戻ってきてくださるんでしょう?


どうかあっしらの事は気にせんでくだせぇ。すわ辺境伯様に大事があれば、あっしら開拓村自体が立ちいかなくなっちまう。ここはおくにの大事なんですから、どうか騎士様達のお力添えをなさってくだせぇ。」


別にカンナは村人達の事が心配であったわけではないのだが、こんなふうに言われてしまうとどうにも断りづらくなってしまう。


思わずすがるようにしてジャンの顔を見上げると、優しく微笑んでくれる彼の瞳と目が合った。


ジャンがいれば俺は大丈夫だ。


カンナは依頼を引き受けた。



3年ぶりの冒険者ギルドである。

なんでも今度のスタンピードに参加するものに対し、領の行政府は報奨金をいちいち個別に用意するのが大変なので、これを冒険者ギルドに一任したとのことであった。

参加者は割札をもって冒険者ギルドに出頭し、簡単なレクチャーを受けて自らの役割につく。


3年前と変わらぬギルドの扉を押し開くと、中にいた人間が一斉にこちらを向く。

カンナはそれだけで足がすくんでしまい逃げ出したい気分だったが、ジャンが抱き寄せるようにして隣に立ってくれていたから、カンナは勇気を出してその中に足を踏み入れることが出来た。

たった3年の間にずいぶんと入れ替えがあったようで、冒険者連中に知っている顔はほとんどなかった。


彼らの中に康介はいなかった。


ギルド職員の方は変わらない顔ぶれだったので、仲の良かった何人かとお互いに頭を下げあう程度の軽いあいさつをした。

細かい段取りなどはすべてジャンが対応してくれたから、カンナはジャンの横に引っ付いてただぼーっとしてるだけで話はついた。


二人に与えられた仕事は、現在急ピッチで作られている迷宮前の仮拠点に陣取っての大物相手の狙撃であった。

ジャンはカンナの助手として早速仕事を開始した。カンナが最も力を発揮できるよう、地形などの確認と狙撃ポイントの選定、想定される魔物の種類の確認などであった。


その中で仮拠点の視察と、出来れば狙撃の為の砦や城壁の位置や構造について口を挟みたいとジャンが言いだし、許可が下りたジャンは早速そのままの足で仮拠点へ向かう運びとなった。

カンナも一緒についていこうとすると、真剣な顔をしたジャンが珍しく拒絶し、カンナは宿で待っていてほしいと強い口調で頭を何度も下げられた。


それで一日宿で待ちぼうけを食らってすっかりむくれたカンナであったが、夜半過ぎに戻ってきたジャンに話を聞いてそんな感情はすぐに消し飛んだ。

拠点の構築には康介が関わっていたのだ。


「彼も、彼を取り巻く環境も、ずいぶん色々と変わっていたよ。」そう呟くジャンに、カンナは「そうか」と返事をするくらいしかできなかった。


古参の冒険者達のかなりの数が現時点ですでに仮拠点に詰めていたようで、ジャンはこの3年の出来事を馴染みの彼らから色々聞いて回ってくれたらしい。


まず、長谷部あやかが死んでいた。


長谷部あやかはカンナがいなくなった後、康介と二人でペアを組みつつ、有力な冒険者パーティの助っ人要員としてあちこちにスポット参加していたそうであった。

結局あの日、長谷部あやかと康介は男女の仲になったようで、そのまま恋人として二人でつるむようになったそうだ。

一部のものから「カナタはどうした?」等と聞かれるたびに「知らねえよ!」などと康介がキレ、ちょくちょくいざこざになどなったようだが、康介にベタベタくっつく長谷部あやかの様子に、男女のあれこれに首を突っ込むのは野暮と、誰も深くは追及できなかったらしい。

「カナタは今、どうしているのかねぇ?」そんな誰かのぼやきにジャンが「実は」と自分との結婚の話をすると、ジャンの冗談だとちっとも信じてくれなかったみたいだ。

まああの時は周りにいっさい説明もせずに突然二人で消えたのだし、それまでジャンとカンナの間に接点などほとんどなかったのだから、今の二人の関係を知るものは領都には誰もいないという事なのだろう。


ところでそもそも長谷部あやかという女にはどうも周りを見下すような雰囲気があり、あまり評判が良くなかったらしい。


それで次第に皆の声がかからなくなる中、何を思ったか長谷部あやかは領都のはずれの広場でフェンリルの子供を召喚したそうだ。

何やら自分の力を皆に誇示する意図があったようなのだが、怒り狂ったフェンリルの親が駆けつけてきて後はもうお察しという状況であったようである。


フェンリルというのはとても頭のいい生き物なので、人間が彼らと敵対する意思がない事と、やらかした長谷部あやかについては好きにしていいという事を皆が懸命に伝えるとこれを理解し、三日三晩かけて皆の前で長谷部あやかをじわじわと嬲るように殺してみせたのだそうだ。

このような愚かな女はこうなるぞ、というフェンリルからの通告であったようだ。


娯楽の少ない辺境領ではこの惨殺ショーがちょっとした見世物になったらしく、美しくも恐ろしい白銀の大狼が女を嬲るその様子が領民たちを大いに楽しませたらしい。


何やら聞きなれない言葉で泣き叫ぶ長谷部あやか(恐らく日本語だろう)をみんなであざ笑い、時に石などを投げつけて、酒を片手にみんな大いに嘲り笑い、馬鹿にし、罵ったそうだ。一時期「ハセベ」とは馬鹿の代名詞とされ、「ハセベになるぞーっ!」とはお母さんが子供を叱る枕詞にもなっているようだ。


なんとも哀れな話ではあるが、山村の猟師としてフェンリルの恐ろしさを肌身に強く実感しているカンナとしては、どう見ても長谷部あやかに非があるとしか思えないエピソードであった。


この機会にどうも気をおかしくしてしまったのが康介だったようだ。

もともと協調性に欠けるきらいがある康介であったが、これを機に他の冒険者とは本格的に距離を置くようになって、このころからソロで活動を始めたようだった。


ただこれがまた皆の評判がよろしくなかったようで、迷宮に勝手によくわからない地形操作を加えおかしくした上で、直さずこれを放置したり、村の共同財産である雑木林にて勝手に大規模な地殻変動を起こしこれを滅茶苦茶にしたりと、いろいろやらかした結果、冒険者ギルドから要注意人物としてマークされ、以来ろくな仕事が回ってこなくなったらしい。


かつての土魔法の英雄様もすっかり落ちぶれ、小さな依頼で安い報酬を得ては、安酒を啜る生活にうらぶれてしまったのが彼の現在のようだった。

それでもその土魔法だけは本物のため、今回のスタンピードに際して拠点構築にその腕が買われ、迷宮前に陣取ってその作業に従事しているのが今の康介だそうだ。

ただやはりあまり周りの話を聞かないので、上層部の考えるような砦が構築できず、現場で揉め事を起こしまくっているらしい。


「正直、今回の仕事でこちらの狙い通りの狙撃地点を確保することは難しいと言わざるを得ない。コースケについては交渉以前に話が通じない様子だった。」

とは今日会いに行ったジャンの弁。


何やってるんだ、あいつ。


カンナの心は一瞬だけ元の昔の奏多に戻り、伝え聞くかつての親友の今の様子に奏多は心を痛めた。


「オレは不安だよ。今のコースケをカンナと会わせていいものか。あの男がカンナを傷つけたりしないものか。

こんな仕事、断ってしまえばよかったととても後悔しているよ。」


すっかりしょげかえったジャンを優しく抱きしめてやりつつも、よしとにかく康介に会おうと、カンナはそう決意した。



「ヤラせてくれよ。」


再開の第一声がそれであった。


「はあっ?」思わず語気が荒くなるカンナ。

隣に立つジャンも腰の短剣に手を伸ばしている。


「いやお前、めっちゃ美人になってんじゃん。なんか更にエロくなってんじゃん。最近俺、スゲー溜まってんだよね。昔みたいにエロい事しようぜ? お前だって好きだろ? エロい事。今なら一晩じゅうヒィヒィ言わせてやれるぜ。」


「ふざけるな!」声を荒げるジャンが短剣を抜こうとする機先を制してその前に立ったカンナはこう口を開く。

「わりーけど無理。俺今結婚して人妻なんだよ。こいつは俺の旦那なんだ。俺はジャンを愛しているから、お前とそういうことをする気分にはなれない。」


「はあっ!?」語気が荒くなったのは康介の方だった。


「結婚!? 人妻!? 旦那!? 愛してる!? なに言ってんだてめぇっ! おめー男同士でなに結婚とかしてんだよ! だってお前、カナタだろ!? カナタが何で男なんかと結婚してるんだよ! お前何してるんだよ!」


それからゲラゲラと笑い出す康介。


「ウケるっ! マジウケるっ! カナタどうしたっ!? お前どうした!? 男のくせに男と結婚とかありえねーっ! カナタのくせに男と結婚とかマジありえねーっ!」


「おいっ!」声を上げるジャン。


康介はそんなジャンを見て、今度はキョトンとした顔になる。


「ってかお前だれ? マジ知らねーんだけど? どういう関係? どっから湧いて出た? カナタと俺、ガキの頃からの連れなんだけど。幼稚園の頃からの親友なんだけど。お前だれ? マジだれ? 全然知らねーぞ? お前だれ?」


「はあっ。」思わずため息が出るカンナ。そもそも康介は当時軽薄で頭の悪そうなジャンを嫌って関わらないようにしていたから、覚えていないのも無理はない。

だからと言ってこうも悪し様にジャンの事を言われては、カンナとしても黙っているわけにはいかない。


「そういうお前こそ誰だよ? ちょっと見ないうちにずいぶん太ったなぁ。無精ひげも伸ばし放題で、まるで乞食みたいな恰好じゃねーか? お前本当にコースケか? そこらの浮浪者が騙ってるんじゃねーのか?」


「はあっ!?」怒りに顔を真っ赤にする康介。


「ってかお前、鏡で自分の顔見てみろよ。そんなブサイクでみっともねぇ男が女にモテるわけねーじゃねぇか。この超絶美人人妻のカンナ様がてめーみたいな醜男、相手にするわけねーじゃねーか。

一昨日きやがれ馬鹿野郎。だれがてめーなんて相手にするか屑野郎。てめーは右手を恋人に一人でシコっているのがお似合いだ童貞野郎。」


「はあっ!?」康介が魔術師の杖を高く振り上げる。


対するカンナは、背中に回した強弓を素早く構えると、流れる動作で矢をつがえ、その矢じりの先をぴたりと康介の眼前へ合わせた。


「てめーがちんたら魔法を唱える10秒があれば、俺は2本は矢を穿つことが出来るぜ。その両目に一本づつくれてやるよ。死にたかったらかかってきな。」


勝負はそこまでだった。

遠巻きに様子を伺っていた他の冒険者達が慌てた様子で駆け寄ってきて、二人の間に割って入ったからだ。


「おい馬鹿止めろ!」「スタンピード前になに仲間うちで争っていやがる!」「騎士様にバレたら大変だぞ!」口々に罵声を浴びせつつ、二人は互いに引っ張られて距離を取らされた。


ギャーギャー喚き声を上げる康介を睨みつつ、「ふんっ」と一発鼻を鳴らしたカンナは、そのままくるりと踵を返す。


その後ろをやれやれといった表情のジャンが後からついてくる。


「だから二人を引き合わせたくなかったんだ。考えられる最悪の結果じゃないか。」ぼやくジャンに振り返ってニヤリと笑って見せるカンナ。

「そうか? ジャン。むしろ積年の恨みが吐き出せて、なんかすげースッキリしたぜ。

いや、コースケに会えてよかったぜ。やっぱ親友だったからこそ一発ガツンと言わなきゃダメだぜ。

あースッキリした! あーよかった!」


それからカンナはケラケラと笑った。いつまでも楽しそうにケラケラと笑い続けた。



「ジャン! ジャン! ジャン!」カンナは声を張り上げて城壁の下に落ちたジャンに向かって叫ぶしかできることがなかった。


崩れかけた土くれの向こうから化け物どもが迫り来る。もうすぐ奴らはここまで来る。落ちたジャンを飲み込んで、砦を壊しに奴らが来る。

ジャンはまだ生きている。けれでもこのままだともうすぐ死ぬ。


酷いスタンピード。酷い防衛戦。酷い戦い。


何一つ計画通りに進まなかったその戦いは、予想よりはるかに速いタイミングで奴らが地下から解き放たれ、申し訳程度に作られた簡易防壁はあっという間に食い破られ、迷宮の底から溢れ出る化け物どもの群れが次から次へと押し寄せてくる。


カンナはもう何本の矢をつがえたのか数えることも忘れ、ただただジャンの指示に従い目標に攻撃を加え続けた。


そんな中、何やら巨大な猿のような姿をした汚らわしい化け物が、大きな岩のようなものを抱えて投げつけてきて、これは別にカンナの足元を揺らす程度の効果しかなかったが、不安定な足場にぐらりとなったカンナを助けるようにしてジャンが身を乗り出し、代わりに地面へと落ちていった。


「誰かっ! 誰かっ! ジャンを助けてっ! ジャンを助けてっ! 誰かっ!」泣き叫びながらもあたりを必死に見まわす。


目が合ってしまった。ねずみ色の小汚いローブを羽織る不細工なデブ。康介と。


「助けてくれ! コースケ! ジャンが! ジャンが! 頼むコースケ! なんでもいう事を聞くから! エロい事でもなんでもするから! ジャンを助けてくれ! 助けてくれ!」

藁をもすがる思いだった。先日の諍いから一切口を利いていない康介。康介の性格をよくするカンナからすれば、これは決して叶わぬ願いであると分かっていた。

あいつは俺を恨みに思っている。

康介は絶対ジャンを助けない。


のそりと康介が動いた。


その杖を高々と上げて、何やら呪文のようなものを唱え始めた。

康介の土魔法であった。


魔術が完成すると、ジャンの周りの土がもりもりとせり出してきて、ジャンをカンナの目の前までと引き上げてくれた。


「コースケ!」


カンナは信じられなかった。あの康介が助けてくれるなんて信じられなかった。

どうして助けてくれたのか、まるで理解できなかった。日本での17年、異世界に来て更に17年、心の裏まで知り尽くした親友である康介が、あんな風に大喧嘩をしたばかりの今のカンナを助けてくれるはずがなかった。


どうしてっ!?


混乱するカンナの前で、ジャンが「うううっ!」とうめき声をあげる。


そうだ! 今はそんな事を考えている場合ではない! 


カンナはジャンの様子を確認する。

まず、足から落ちたおかげで、頭も上半身も目立った外傷がなかった。また、倒れこむようにして手をついた影響でぽっきり右手が折れ曲がっていたが、奇麗な折れ方なのでそれほど心配はなさそうだった。


足は……ちょっとこれはどうなっているかも分からない。特に左足は……。目に見えて血が止まらないといった様子はなかったが、ジャンは意識も混濁しており、脳が無事かといった心配もあった。


カンナがジャンを肩に担ぐようにして抱え上げると、近くにいた冒険者達の何人かが駆けよってきてくれて、みんなでえっちらと砦奥の診療所までと運び入れる次第となった。


持ち場を離れる前、カンナはチラリと一瞬だけ後ろを振り返った。康介が何か別の呪文を唱えている後ろ姿が目に入った。

康介がどんな表情をしているのか、窺い知ることはできなかった。


先ほどなぜジャンを助けてくれたのか、窺い知ることはできなかった。


カンナは後になって、この日の事を少しだけ後悔することになる。

カンナが康介と直接言葉を交わす最後のチャンスがこの日だったからだ。



1か月後、カンナはジャンと二人で領都の診療所にいた。ジャンの左足はやはり重傷で、この世界の医療では治療が難しく、今後のためにも切り落とすしかなかった。

他にも色々と問題があり、ある程度の回復は見込めるものの、冒険者としての復帰は絶望的な状況であった。


それで左足を失ったジャンは治療に時間がかかり、今はまだこうして診療所のベッドの上で動けずにおり、甲斐甲斐しく世話を焼くカンナのいいようになされるがままの状態であった。


重症のジャンが戦えなくなったと分かったあの日、領都へと戻るジャンについていくと決意したカンナは作戦本部へと乗り込み、自身の戦線離脱を指揮を執る騎士団幹部たちへと告げた。


強力な弓術を用いて何匹もの恐ろしい化け物を仕留めて見せたカンナお見事な腕前は砦中に知れ渡っており、騎士団長は熱心に残留を勧めたが、カンナはこれを固辞した。


団員の中には領都の大事に背任行為であると声を荒げるものがいたが、

「愛する夫の生死も危うい状況に一人残って戦うことは妻としての背任行為である。例えスタンピードが領都を蹂躙しようとも、なればこそ死を迎える時には二人で一緒に死にたい。」と反論しこれを跳ねのけ、これを聞いた騎士団長がむしろ積極的に団員達を諫める結果となった。


騎士団長は愛妻家だったのだ。


「私も死ぬ時には妻のそばにありたい、そう思うものの一人なのだ。」重傷者を運ぶボロ馬車に乗り込む直前に、鎧兜を脱いだ団長が一人こっそりと二人のもとを訪れて、そんなふうに言葉を掛けてくれた。

「最も、残念ながら私の立場ではそれも叶わぬ事なのだがね。その分若い二人には少しでも命を繋いでほしいと願うものだよ。」


「申し訳ありません。」頭を下げるカンナの肩をぽんぽんと軽く叩きつつ、団長は二人を見送ってくれた。


団長は最後まで砦に残った。彼と一部の騎士団幹部の奮闘により、沈みゆく砦から多くのものが脱出することが出来た。

死後の彼は英雄として祭り上げられたが、それは彼の本意ではなかったであろう。カンナは後日、彼の墓前に向かってもう一度、深々と頭を下げた。


砦での防衛はかなわず、化け物は領都まで押し寄せてきた。

人々は懸命に戦い、最後にはこれを排除したが、領都の第二防壁にまでその傷跡が残る結果となった。


領都の住民達は女子供まで武器を手に取り抗い、カンナもさすがにここはジャンのそばを離れ、弓を担いであちこちで八面六臂の活躍をした。


周辺の村々にも多くの被害が出て、一部の村は取り壊しとなり、住む場所を失い難民化したものが、今は領都の周りでキャンプ生活を余儀なくされている。


村が無事だったところでも、畑については酷い状態になったところが多かった。

人の死体も化け物の死骸も、これはどちらも田畑にとっては毒なのだ。あちこちに死体が転がり、これが腐敗しあるいは血や体液が流れ、これらが土に交じるとまともに草木が育たなくなる。


青々と繁る夏麦の多くが収穫を前に駄目になり、農民たちはうなだれ声もなくなり、やがて来る冬の事を皆が恐れた。


スタンピードは終息し、人々は戦いには辛勝したが、誰も喜ぶものはなかった。


そんな中、砦での防衛の失敗の責任が取り沙汰され、康介が断頭台に上る事となった。

康介がつくった適当な防壁、いい加減な砦、中途半端な堀はまるで用を為さず、戦いを大変不利なものにしたという罪状であった。


実際に防衛に参加したカンナからしてみれば、どれほど強力な砦に作り上げても、あれほどのスタンピードは防ぎきれなかったのではないかといった印象であったが、ともかく人々はやり切れない思いのぶつけ先を欲していたのだ。


確かに康介は褒められた働きがなかったようだし、元は農家の7男坊で殺してしまってもさして害のない立場であったから、丁度良いスケープゴートという事なのだろう。


このあたりの残酷さは中世然とした辺境領の田舎政治、田舎行政ではいかんともしがたく、カンナは酷く悔しい思いを覚えながらも、ただその最後を見守るしか出来なかった。


このころには松葉づえをついて歩けるくらいには回復していたジャンと二人で、カンナは槍で追い立てられるようにして断頭台に登らされる康介の姿を、遠目から眺めていた。


「辛いなら無理して見なくてもいいんじゃないか?」そんなふうに心配そうに声を掛けてくれるジャン。

「俺はこれでもあいつの親友だったんだ。最後くらいきちんと見届けてやりて―んだ。」

カンナはそう返事をしてから、後はじっと黙って康介の様子を見続けた。


ギロチン台に首を挟まれた康介が日本語で叫んだ。


「何が異世界転生だバカヤローっ! 全然いい事ね―じゃねぇかバカヤローっ! チートもねぇっ! ハーレムもねぇっ! 俺つえーもねぇっ! ふざけんなバカヤローっ!」


果たしてそうだろうか?


康介には土魔法に関するちょっとしたチートがあったのだし、少しばかりハーレムっぽい事もあった。俺つえーも少しはあったように思える。彼が思うほどではなかったかもしれないがそれなりにいい思いが出来ていたように見える。


カンナにはそう感じられたが、康介はそうは思わなかったようだ。いまわのきわのこの期に及んで不満ばかりを並べたてる康介の様子に、カンナはかつての親友と今の自分の考えが大きくずれてしまった現実を痛感した。


喚き続ける康介の首へと、無情にも刃が落とされた。


一瞬だけ静まりかえる広場の群衆。


次の瞬間、人々は一斉に声を上げて騒ぎ始めた。

祭りの始まりだった。


スタンピードは今終わったのだ。


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