第2話

そんなふうにして、領都での冒険者生活が2年にもなろうとしているある日、彼女が冒険者ギルドにやってきた。


『日本語わかるひと募集中! 長谷部あやか』


彼女は胸元にそんな文字をでかでかと書き記したチュニックを見せびらかすようにしてギルドの扉を割って入ってきた。


それを見た瞬間、奏多と康介は二人して大爆笑した。

高校時代のクラスの同級生、長谷部あやかの事は二人ともよく覚えていたからだ。


お調子者でヘラヘラ笑い、男子にも積極的に話しかけてくる面白い女。長い髪をポニーテールにして、ゆらゆら揺らしながらやってくるその様は、顔つきも体つきも身長も髪の色もまるで別人なのに、かつての同級生長谷部あやかそのままであったからだ。


すぐさま二人して声を掛けた。


「ハセベじゃねーかっ! 何してんだよ!」

「おまえまんまじゃねーか! なんだよその日本語!」


「おおおおおっ!」嬉しそうに声を上げる長谷部あやか。「ってか二人とも誰と誰?」


二人が前世の名前を名乗ると「えええええっ!」と長谷部あやかは声を上げた。


「あんたらコースケとカナタかーっ! 二人とも顔も体もちげーのに、まんまコースケとカナタそのものじゃんっ! やっぱ転生しても地は変わんないよねーっ! ってかカナタそのカッコ……。女? 女になってる!?」


「ああそうだよ! 何でか俺は女だよっ! どうなってるんだよ異世界転生! ふざけんじゃねーって感じだよ!」


それから一挙に打ち解けて、3人は夜遅くまでギルドの酒場でぐだぐだと馬鹿話を語り合った。


長谷部あやかは王都から来た事、王都にはほかにも何人かバス事故に巻き込まれて転生した同級生がいる事、さらにそのうちの何人かはもうこの世にはいない事、長谷部あやかは他にも同級生が転生していないか気になりこうして一人旅に出ることにした事、それで最初に出会ったのが奏多と康介だったこと、などなどなど。


長谷部あやかは強力な召喚術師として転生したそうで、今は一人だが複数の魔獣を召喚、使役する事で女の一人旅を悠々自適でここまでやってきたとの話だった。


対する康介は名の知れた土魔法使いとして活躍中の辺境伯領での冒険譚のあれこれを面白おかしく話し、長谷部あやかはすっかり興味を持ったようで「へーっ!」とか「すげーっ!」とか関心の声を連発していた。


奏多は大して話すことがない。奏多はひたすら聞き役に徹することとなった。


そうしたら康介と長谷部あやかが意気投合してしまい、「あたしも辺境の冒険者やってみたいーっ!」「よーし迷宮いくか。今行くか。」と二人して外へ飛び出そうとするのを奏多が止め、ともかく明日にしようと三人で宿に止まって、そのまま翌日からゴブリン退治だの薬草摘みだの迷宮探索だのにあちこち駆けずり回る日々となった。


長谷部あやかはどうやら辺境の冒険者稼業がよっぽど面白かったらしい。

「これぞ異世界! これぞ冒険!」等と声を荒げ、いつの間にか居ついて奏多たちは3人パーティとなり、あっという間に数か月が経った。


「おめー同級生探しはいいのかよっ!?」奏多がツッコんでみたものの、「いーよめんどくさい。ちょっと思いついてみただけだし。冒険者の方がよっぽど楽しいし。」等といった返事があり、ああこいつは考えなしでお調子者の長谷部あやかそのものなのだなと奏多はがっくり来たのだった。


そんなお調子者の長谷部あやかではあったが、召喚術師としてのその実力は一級であった。

ダイヤウルフを呼び出してその背に乗って、歩いて一日の距離を数時間で駆け抜けてみせたり、キラービーの群れを召喚してゴブリンを蹂躙してみせたり、更にはドライアドを呼びつけて皆に回復の術を掛けさせたりと、移動に攻守に補助に回復にと、縦横無尽の活躍を見せた。


康介の土魔法との相性も良く、康介が拠点を作り長谷部あやかが召喚獣達を要所に配置すれば負けなしとなった。


それで奏多は益々立つ瀬がなくなり、康介を性的に楽しませることが唯一の存在意義であるような惨めな気持ちになりつつあった。


ところでそんな奏多と康介の関係は、初めのうちは長谷部あやかには秘密であった。

けれどもやりたい盛りの17歳の康介が我慢できるはずもなく、次第に長谷部あやかの目を盗んでいたる所で求められるようになり、ついにある日、長谷部あやかにバレてしまった。


「ふーん。」長谷部あやかの第一声は冷ややかなものであった。

「二人って実は、そういう関係だったんだ。ふーん。」


康介は「まあね。」とさして気にならない様子で簡単な返事だったが、奏多にとっては心臓のドキドキが止まらない思いだった。奏多は長谷部あやかに知られたくなかったのだ。


かつての親友と男女の仲になっていて、あまつさえ奏多は康介の事を……。


だから奏多は泣きそうになってしまい、逃げるようにしてその場を立ち去った。

幸いにしてその日の依頼は村を襲うコボルトの群れを数日かけて防衛する任務の初日で、村のすぐそばの森の前で野営をしていたところだったから、奏多は一人村の宿に飛び込んでそのまま休んでしまってもさほど迷惑にはならなかった。


翌日、長谷部あやかには少しばかり嫌味を言われたが。


それでその後の奏多はといえば、3人で冒険をするようなことがあっても、奏多は長谷部あやかのいる前では康介の誘いを断るようになっていった。

それどころか奏多は、誰の目でも、他人が近くにいると感じるだけで康介とセックスすることが出来なくなっていた。


奏多は自分がとてもみすぼらしい行為をしており、それを人に見られることはとても恐ろしい事なのではないか? そんな考えがこびり付くようになっていた。


康介と二人きりであると分かればもちろんいくらでも求めに応じるが、外で人目があるところでは奏多は得も言われぬ不安を覚えるようになり、身体がすくんでしまうようになっていたのだ。


そんなふうに奏多の心境が変わっていったある夜の事だった。

この頃の康介は夜になると一人でどこかへふらりと出かけることが多くなっていたから、奏多自身も夕食を食べようと思ったら適当な酒場なり食堂なり屋台なりを一人で探して食事をするようになっていた。

正直奏多としては夜に一人で食事をすること自体が億劫になっており、最近は夕食を食べないことも多くなっていたのが、その日はどうにもお腹がすいて、それでとにかく適当な食堂兼酒場のような店に駆け込んだのだった。


とりあえずのありあわせを注文してふと当たりを見渡すと、見慣れた康介と長谷部あやかが向き合っている姿が目に入った。


それなりに近くの席ではあったが、互いの椅子の角度の問題からか、二人は奏多に気付いていないようだった。


奏多は声を掛けようかと戸惑ったが、二人の会話が聞こえてきて、そんな気持ちは一瞬で消し飛んだ。


「カナタくんってあれ、コースケから見てどうなの?」

「んー? そうだなーっ。」


奏多は思わず顔を伏せ、それからそおっと振り返るようにして、二人の会話にそば耳を立てた。


「正直よくわかんねーんだよなぁ。まあ、最初は親友だと思ってたんだけどさーっ」

「ってか二人は恋人ってわけじゃないの?」


「恋人っ!?」びっくりした声になる康介。「ちげぇちげぇ! それはねーよ。だってあいつはカナタだぜ? ガキの頃から知ってるカナタだぜ? 何で恋人とかって話になるんだよ?」

「だってカナタがコースケ見る目、どう見ても女の目だよ? あたしも何度か嫉妬されたし。」

「あーっ……」唸り声を上げる康介。「あれやっぱそうなのか。なんかちょいちょい気持ち悪い感じすんなーって思ってたけど、あれやっぱそうだったんか。」

「いや、どう見てもそうでしょ。何で気付かないかなーっ。」


「いや、だってさぁ。」康介がぼやくように呟き出す。「もともとそんなつもりなかったんだって。昔からの親友でお互い全部分かってるわけだし、それが異世界に生まれてみたらカナタのやつスゲー美少女になっちゃって。親友なんだしちょっとヤラせてくれよってノリだったんだけど、割とあいつも頼めば断れない性格だからなんかフツーにヤラせてくれて、そしたらあいつも俺も思いのほか楽しくて、親友同士でバカやってるってそんなつもりだったんだよ。そしたらなんか、あいつヘンな感じになってきて。ちょいちょいヘンな目で見るようになってきて。最近じゃいつもヘンな目で見るようになってきて。

なんだか気持ちわりぃなーって。なんかそんな感じ?」


「うわーサイテー。」長谷部あやかが非難の声を上げる。「することやっといて、気持ち悪いとか言っちゃうんだ。サイテー。」


「いやだってあいつ、滅茶滅茶エロいんだもん。すげー気持ちいいんだもん。多分あいつもセックス好きなんだろうな。それですげえ気持ちよくしてくれるから、それはそれで楽しいからいいんだよ。

それだけでお互い充分だったはずなのに、なんかちょっとづつ気持ち悪いオーラ出すようになってきて。

いや待てよおまえカナタだろ? なに気持ち悪くなってんだよ? 二人でバカしてる感じでいいじゃねーか? なんなんだよ。気持ちわりーの止めてくれよ。いつものカナタに戻ってくれよ。……なんかそんな感じ?」


「サイテー。サイテー。」長谷部あやかがはやし立てる。


「いやだってカナタだぜ? ガキの頃から知ってるカナタだぜ? カナタがなんか女みたいな態度取られたってそりゃなんか気持ち悪いって。

これがハセベなら別にいいんだよ。だってお前女だし。ハセベが女っぽくなっても俺は全然気になんねーよ。でもカナタは無理だよ。だってあいつは俺の中では男だし。」


「へーっ?」ここで長谷部あやかの声色が甘ったるいものに代わる。「あたしだったら別にいいんだ? へーっ?」

「まあね。」さらりと返事をする康介。


ここから先の二人の会話について、奏多は知らない。

奏多はその場にいられなくなり、逃げるように店を飛び出していたからだ。


そこから先どこをどう歩いたのか覚えていない。

奏多はいつの間にか、領都の端を流れる川のほとりでぼんやりと水面に映る月を眺めていた。


さっきっからどうも月がぼやけてよく見えない。異世界の月が二つあったりするのはよく聞く話だが、ぼやけてはっきりしないのはどういった異世界ルールがあるのだろう?


奏多がぼんやりとそんな事を考えていると、背後から声を掛けられた。


「どうした? カナタ。泣いているじゃないか?」


奏多はびくりとなった。恐る恐る顔を上げる。

何度か冒険を共にしたことがある先輩のジャンだった。それなりに整った顔立ちでちゃんとすればモテそうなものなのに、ひょうきんな性格が災いしてかお笑い要因としてすっかりギルド内で定着してしまい、みんなからのいじられ役に徹しているひょろっとした斥候職の男であった。


この男は四六時中馬鹿な事しか言わないが、娯楽の少ないこんな辺境領の冒険者ギルドではちょっとでも笑えることがあればみんなゲラゲラと笑い出す。だからジャンはそれなりにみんなからは好かれていた。女にはモテなかったが。


康介などは文化レベルが低いなどと言って嫌って近寄らないようにしており、それに付き合って奏多も関わらないようにしていたのだが、奏多自身はジャンに対して特に嫌な気持ちはなかった。奏多は日本で男子高校生をやっていた昔から、ちょっとでもバカっぽい事があるとゲラゲラ笑える質だったのだ。


それでいつもはおバカなジャンが心配そうに声を掛けてくるものだからちょっとだけおかしくなってしまい、涙を流すのもやめて返事をした。


「別に、なんでもねぇよ、ジャン。ちょっと目にゴミが入っただけだ。大したことねぇからほっといてくれ。」


「惚れた女の事なんだから、放っておけるわけねーだろうが。」ジャンはちょっと腹を立てた様子でそう言うと、ドカッと奏多の横に腰を下ろした。


なんだこいつ。今俺の事、惚れた女とか言いやがったのか?


奏多は混乱した頭で思わずまじまじとジャンの顔を見てしまう。


「なんだよカナタ。オレの顔に何かついているかよ?」むすっとした顔のまま奏多を見つめ返してくるジャン。


「いやお前、さっき俺に惚れてるみたいなこと言いやがったから。何の冗談だと思って。」


「冗談じゃねぇよ。マジで一目惚れだ。初めてお前を見た2年前からずっと俺はお前に惚れっぱなしだ。」真面目な顔でそう返事をするジャン。


「詰まんねーよ。もうちょっと面白い事言えよ。」


「うるせぇっ!」ジャンは完全に怒り出す。思わずびくりとなってしまう奏多。


「本気で惚れてるんだ! 惚れた女が泣いてるから心配して声かけてるんだ! 冗談なんかじゃねえ! 頼むから信じてくれ。オレはお前を笑わせたいんじゃねえっ! 心配になったから力になりたくて声かけてるんだ! 頼むから信じてくれ!」


「お、おうっ。」思わず居住まいを正す奏多。考えてみればこんなふうに誰かから面と向かって好きだなどと言われること自体が初めてなのだ。

実は今とんでもない状況になっているのではないかと思い返し、奏多は胸がドキドキとなってしまう。


そうしたらジャンがふっと笑ってから、真剣な顔になってこう尋ねてきた。


「コースケと何かあったのか?」


「ああ。」奏多としてはそう答えるしかない。


「そうか……。」そう呟いてから前へ向きなおし、無言になってしまうジャン。奏多はそんなジャンの横顔をそっと横から覗き見してみる。


金髪碧眼で面長のシュッとした顔立ち。こうして黙っている様子を見ると、どこかお貴族様の落とし胤と言われてもおかしくない美男子ではある。

口を開かなければよい男なのだ。

奏多は先ほどから心臓のドキドキが止まらない。


前を向いたままのジャンが口を開く。

「いきなり好きだなんて言ってごめんな。オレはお前に自分の気持ちを伝えるつもりはなかったんだ。コースケと良い仲なのはみんな知ってたからな。オレだって諦めて違う女を探そうと思ったさ。

けどカナタとコースケの関係はちょっとおかしかったからな。カナタはコースケにベタ惚れなのに、コースケはまるで気付いていない様子というか。

何やら男友達を相手にしているみたいないい加減な扱いというか。

どうもちぐはぐで、どうしても気になってしまって、それでいつまでたってもカナタの事が気になり続けて。


どうしてコースケはカナタを女として見てやらないんだって。こんなに可愛い女の子なのに、ちゃんと相手をしてやらないんだって。

オレならちゃんと、カナタを女の子として扱ってやるのにって。

二人を見るたびにそんな事ばかり考えてしまって、それでオレは今でもカナタの事をあきらめきれないんだ。」


奏多は自分の心臓がバクバク言っているその音が耳障りで仕方がない。


ジャンはそんな奏多に顔を向けてきた。いつも馬鹿な事しか言わないはずの男の真剣な表情に、奏多思わず目を逸らしてしまった。


「改めてはっきり言わせてくれ。オレは初めてお前を見たときからずっと好きだった。今も好きだ。だから泣いているカナタを見て放っておけなかった。それだけなんだ。」


「お、おうっ」奏多は顔を逸らしたまま何とか返事をする。自分でも分かるくらいに顔に血が上っており、多分きっと顔がゆでだこみたいになっていることだろう。


「だから迷惑じゃなければ何か力になりたいと思っている。下心はない……とは言い切れないが、自制する自信はある。2年間我慢し続けてきたくらいだからな。どうだ? 何かオレに出来ることはないか?」


「何もねーよ。今この瞬間にそばにいてくれただけで……。充分だ。」それは偽らざる奏多の本心だった。ジャンがいま隣に座ってくれて、告白までしてくれて、そしたら先ほどまでの沈みきった奏多の心は、今ではすっかり晴れ上がっていたのだ。


康介が今まで奏多をどう思っていたのか、そんなことに落ち込んでいた自分が馬鹿らしくなったのだ。


だから本当に充分だった。充分に奏多の心は満ち足りた。


けれどもジャンは納得がいかないようだった。

「なあカナタ。その、こんな誘いをするのもどうかとも思うんだが、良ければ一緒に旅に出ないか?」


「はあっ?」奏多は思わず聞き返してしまう。


「いやその。カナタはコースケと少し距離を置いた方がいいんじゃないかと思ったんだ。コースケはしょっちゅうカナタ抜きであちこち出回っているけれど、カナタは自分から一人でどこかへ行くようなことはしたことないだろう? たまにはカナタの方からコースケと離れないと、どこかコースケに舐められてしまっているんじゃないか?」


「言ってくれるじゃねーか。」むすっとした顔になる奏多。腹が立ったのはジャンの言っていることが的を得ていたからだ。確かに村を飛び出して領都に来たあの時からずっと、康介の後をついて回るばかりだった。

金魚の糞みたいにぞろぞろ後をついてくことしかできない自分に嫌気がさしていたところでもあった。


そんな奏多の心を知らずか、オロオロとなったジャンが慌てて取り繕うような言葉を連ねる。

「いやその。うちの実家はちょいと評判の傷薬を作っているんだが、いつもこの時期にこれを売る行商に出る親戚のおばさんがいてな。一か月ほど山奥の村々を回る旅なんだが、オレが毎年親戚枠で護衛を買って出ているんだ。比較的安全な道順で、まあちょっとした観光気分が味わえる気楽な旅なんだ。

良ければ一緒にどうかと思って……。」


「お前それ、俺と仲良くなってあわよくばエロい事しようって魂胆丸見えじゃねーか。」奏多はジャンにジト目を送ってやる。


ますます焦った様子のジャン。目の端には涙まで貯めている。

「いやその。そりゃあ下心がないといえば嘘になるが、ちゃんと紳士的に接する。なんならギルドに誓約書を提出してもいい。

その、まあ良ければって程度の話なんだ。軽い程度に聞き流してくれていいんだ。」


「軽い話の割にはやけに必死じゃねーか。思いっきり下心あるじゃねーか。」更に突っ込む奏多に今にも泣き出しそうになるジャン。


そんなジャンの様子に奏多は吹き出してしまった。

必死な様子のジャンの顔が、夏祭りの夜にヤラせてくれと土下座して頼み込んで来たあの日の康介の顔とそっくり同じだったからだ。

先ほどの康介も言っていたじゃないか。「あいつは頼めば断れない性格だ」って。確かにその通りだ。こんなふうに涙目になって頼み込まれたら、奏多はなんだか断り切れないのだ。


「分かったよジャン。せめてもの情けだ。ちょっと考えてみてやるよ。いつ出発なんだ? それまでに考えて返事してやるよ。」

「その。」泣きそうな顔が変わらないジャン。「出発は明日の朝なんだ。」

「はえーな!」


なんだか馬鹿らしくなってしまった奏多はそのまますっくと立ちあがる。

「明日じゃさすがに考える時間もねーな。まあ今回は機会がなかったってことで。まあでもジャンのおかげで気が晴れたぜ。ありがとな! じゃあな!」


そう言って追いすがるジャンを振り払い、定宿へと帰路につく奏多。


心はすっかり良い気分であったが、部屋に戻って一気にトーンダウンした。

部屋は真っ暗で、康介はまだ帰っていなかった。


シンと静まり返った部屋の中で、奏多は気付いてしまった。恐らく今日、康介はこの宿には帰ってこない。

康介は長谷部あやかと二人で違う宿に一晩泊まり、この部屋には戻ってこない。


女の勘という奴だろうか。どういう訳だかそういったことが分かってしまった。

奏多は自分の勘を疑うようにして、頑張って数時間ほど起きていたがやはり康介が帰ってくる気配はなかった。


だから奏多は大急ぎで荷造りして、そのまま部屋を飛び出して、行商などが朝に集まる南門の前へと深夜のうちから陣取って、そのままうとうととなりつつも日が昇るころに現れたジャンと行商の中年女に片手を上げて挨拶をした。


「よっ! 気が変わったぜジャン! 俺も連れて行ってくれ! 一緒に一か月ほどのバカンスと洒落こもうぜ!」



旅の間のジャンは宣言通りの紳士な態度で、とにかく徹底的に尽くしてくれた。

食べ物は率先して良いものを先に奏多に渡すし、夜の見張りも一番キツイ時間を全てジャンが引き受けてくれるし、突発的にあわられた魔物に対しては懸命にかばってくれた。

なんだかお姫様にでもなった気分で、奏多はなんだかドキドキしてしまった。


対する奏多も色々と手伝えることがあり、これがまた嬉しかった。

斥候職のジャンは戦闘の面では奏多とどっこいであり、お互いに工夫しあって協力できることがいっぱいあった。

野営や移動の際の索敵や村についてからの整理や計画など、話し合って色々と二人で考えていくのも楽しかった。

どれも康介とのパーティでは考えられない、とても新鮮な内容だった。


また、彼の親戚のおばさんとやらが最初のうちは何やら二人を邪推したりはやし立てたりそそのかそうとしたり、正直かなりウザかったのだが、どこかでかなりきつくジャンが言い含めてくれたようで、途中から何も言ってこなくなった。

そういったジャンの配慮が奏多には嬉しかった。


何よりジャンが奏多を女性扱いしてくれることが本当に嬉しかった。

奏多は途中で生理が始まってしまい、重い症状に苦しむところを懸命に気遣って色々と便宜を図ってくれるジャンには頭が下がる思いだった。


康介とではこうはいかない。もともと康介とは男同士の友情でつながっていた仲なのだ。こんなふうに男女の仲であれこれ気を配ってくれるジャンとは全然方向性が違うのだ。


ああそうか。


奏多は気付いてしまった。自分が康介に求めていたものと、康介が自分に求めていたものは、ある日を境にまるっきり違ってしまったのだと。


男女の間に友情が成立するものなのかどうなのか、それは奏多にも分からない。


だが少なくとも、奏多と康介の間にはそれはなかったのだ。ある日を境になくなってしまったのだ。

それは奏多が一方的に悪かったのか、あるいは康介にも少しくらいは何か問題があったのか、奏多には分からない。

けれどもとにかく、二人の関係はとっくの昔に壊れてしまっていたのだ。


それで一月の旅が終わりそうなある日、奏多は自分からジャンを誘った。

山奥の開拓村の村長宅裏の離れ小屋の中で、奏多はジャンと一つに結ばれ、女の喜びを存分に味わった。


ひとしきりの情事を楽しんだ後、奏多はジャンにこう訊ねた。


「俺はジャンの事を本気で好きになってもいいか?」


対するジャンは奏多にこう尋ねた。


「コースケの事はいいのか? コースケの事を今でも愛しているのではないか?」


奏多はジャンにこう答えた。


「コースケの事はもともと間違った愛だったんだ。あいつを好きになってしまったことが間違いだったんだ。俺はきちんと自分を愛してくれる人を愛したい。ジャンが俺を好きだと言ってくれるから、俺も安心してジャンを好きになれる。

そういうのがいい。

そういう風になりたい。駄目か?」


ジャンは奏多にこう答えた。


「全然駄目じゃない。すごく嬉しい。諦めないでよかった。カナタを好きになってよかった。カナタが好きになってくれてよかった。」


それからジャンがめそめそと泣き出すものだから、奏多は慰めるのにすごく時間がかかった。


翌日二人を見たおばさんがこんなことを言い出した。


「いいのかいジャン。そのお嬢さんはいいとこの貴族の落とし胤で、へたに手を出すとお貴族様に命を狙われるって。あんたずっと我慢してたんじゃないのかい? 大丈夫なのかい?」


「ちょっと待てジャン! てめぇいったいなんて嘘ついて言いくるめていやがった!」

「いや、まあ。どう説明していいかもわからないものだからその……。」


そんな一幕も後になればいい笑い話となった。


それでいよいよ領都が近づいてきたある日、奏多とジャンは二人して相談し、行商をするおばさんに頭を下げた。


「俺たち、正直領都にはもう戻れねぇ。あそこにはいやな思い出がいっぱいあるんだ。このままジャンと二人でどこか遠くに行こうと思う。」

「すまないおばさん。来年からは護衛の役は買って出れない。他を当たってくれ。」


「いいんだよ、二人とも。二人とも幸せにおなりよ。ジャン、あんたの親兄弟にはあたしからうまく説明しておくからね。カナタさんはジャンの事よろしく頼むね。二人ともいつまでも元気で暮らすんだよ。幸せになるんだよ。」

めそめそと泣きながらそんな事を言い出すおばさん。

見ればジャンも、涙目になってぐずぐずとやり始める。


どうもこの一族は普段は陽気でバカな事しか言わないくせに、肝心な時には涙もろくて情に厚い一族らしい。


それはいいのだが、あんまりもたもたしているとあっという間に日が暮れてしまう。


イライラしたカナタがジャンの尻を思いっきり蹴とばすと、ジャンが「ひぐっ」っとヘンな声を上げてぴょんぴょん飛び跳ねた。


こうしてハンカチをいつまでも振り続ける行商のおばさんの涙声を背に、奏多とジャンは辺境伯領のまだ見ぬ奥地へと歩みを進めた。


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