切れなかった蜘蛛の糸

Jack Torrance

第1話切れなかった蜘蛛の糸

ハーマンミラーの高級ソファーに鎮座し、リーデルのワイングラスにロマネコンティを注ぎ入れて、ゆっくりと空気と攪拌させながら熟成された最高級のボルドーの滴を呼吸させている男。膝の上には小綺麗にトリミングされたミニチュアダックスフンドがちょこんと乗っている。男の名はジーザス。今日も趣味のヒューマンウォッチングに余念が無く下界を眺望していた。「アメリカの大統領のクリントンは実習生と楽しそうな事をしておるな。ケネディの色欲に負けず劣らずというところかのう。今日も民どもは真面目に働いておるかのう。パウロよ、もっと酒を注いでくれ」そう言うとジーザスはキューバ産高級葉巻のコイーバを銜えて気持ち良さげに燻らせる。まるで全盛時代のアル カポネを彷彿とさせる。「悪人どもにもちゃんと目を配っておかんとな」ジーザスはカリフォルニアの全米1危険と言われているサン クエンティン州立刑務所に視線を移した。ここでは、殺人、レイプ、ドラッグと塀の中にいながらにして悪人どものしたい放題。男が望んでもないのに男に捩じ込まれる事ほど悲惨な事はない。まさに地獄絵図だ。過酷な労働に悪態をつく悪人ども。生きながらにして地獄に落ちたも同然といった環境だと言えるだろう。その刑務所にラビッシュ リバースと言う凶悪犯も収監されていた。殺人、強盗、強姦、放火と手の付けられない極悪非道な業(ごう)を成し遂げ無期懲役を言い渡されている男だった。しかし、このラビッシュにも一つだけ善行を施した事があった。ラビッシュが林の中を歩いていた時だった。足下に蜘蛛を見つけた。ラビッシュは無慈悲にもその蜘蛛を踏んづけて殺そうと思ったがその考えを思い止まった。「此奴もちんめえながら生きていやがる。殺すには可哀想だ。むやみやたらに殺生もよくねえしな」こうして蜘蛛は命拾いした。その時の慈愛の精神をこのラビッシュにジーザスは垣間見ていたので温情をラビッシュに施した。「わしも目には目を、歯には歯をと言っておるが根はやさしい男じゃ。ヨハネよ、あの蜘蛛を連れて来るのじゃ」それは、いつも巣を作っても人間の身勝手で巣を引き裂かれてしまう蜘蛛を不憫に思って絶対に切れない蜘蛛の糸を出す突然変異的な蜘蛛だった。この蜘蛛をジーザスが創造した時にジーザスはこう言った。「これならスパイダーマンもびっくりじゃな」と。こうして人間界で極悪非道を極めたラビッシュはたかが蜘蛛一匹を殺さなかっただけでジーザスの恩赦を受けるというラッキーに巡り合わせた。ラビッシュに殺されたり強姦されたりした被害者感情を一切無視して…蜘蛛の糸がラビッシュが自由時間に運動するグラウンドの隅に垂らされた。ラビッシュは気付いていたが3日間見て見ぬふりをして放置していた。ラビッシュは鋳物を製造する刑務作業に当たっていた。この3日間でラビッシュは仲間の囚人22人分と自分の分、系23個のハーネスを作っていた。そして、事は実行された。蜘蛛の糸を使って皆で脱走を企てたのである。「おい、てめえら、この蜘蛛の糸を昇って早くずらかるんだ」先頭にラビッシュが登り、その後に仲間の囚人が続いたがこれに気付いた警務官に5名が射殺された。天上からこの様子を見ていたジーザスが言った。「彼奴め、助けてやろうと思ったら集団脱走を謀りおったわ。マタイよ、ボルトカッターを持って来るんじゃ」蜘蛛の糸をボルトカッターでぶち切ろうとしたがジーザスは己の天地創造の力をこの時ばかりは呪った。ボルトカッターが刃毀れするくらいの強度を蜘蛛の糸は誇っていた。「この糞の役にも立たぬクズめが」と言ってボルトカッターをラビッシュの頭上目掛けて投げ落としたが虚しくもかすりもせずに地上に落下していった。こうしてラビッシュと囚人仲間は上手く天上界に脱走を果たした。ラビッシュが言った。「おい、ここの責任者出て来い」ジーザスが怖じ気づきながら一歩前に出た。「わ、わ、わしじゃが」「おい、じじい、さっきてめえ俺の頭にボルトカッターぶん投げて殺そうとしてくれたな。え、おい」ラビッシュがジーザスの頬をペシペシと平手で嬲りながら言った。「え、そんな事あったかのう」とぼけるジーザス。「ふざけるんじゃねえ、じじい」恫喝するラビッシュ。こうしてジーザスと使徒はロープで縛られラビッシュの監視下に置かれた。ハーマンミラーのソファーに鎮座するラビッシュ。「おい、じじい、てめえ、いい暮らししてんな」食料の貯蔵庫からロマネコンティ、ドン ペリニヨンを持ち出して、キャビアやフォアグラを肴にどんちゃん騒ぎが始まった。コイーバを燻らせるラビッシュ。その風格はアル カポネ隠居後に受け継がれていくシカゴ マフィアのボス、サム"ムーニー"ジアンカーナを彷彿とさせた。「おい、じじい、何でおめえはあんな超ラッキー的な蜘蛛の糸なんか垂らしたんだ?」ジーザスがしどろもどろに答えた。「そ、そ、それは、あれじゃ。あんたが蜘蛛を殺さずに慈悲の心を見せた事があったじゃろう。それで、わしはあんたも救う価値のある人間じゃと思ってのう」ラビッシュが嘲笑した。「は、じじい、俺が改心するとでも?おめえ、再犯率って言葉知ってっか。俺みたいな性根が根底から腐っている人間が改心するはずねえだろうがよ。おめえ、人が良いにも程があるぜ、ヒッヒッヒ。おい、てめえら、あれを拵えろ」仲間の囚人どもが角材で十字架を拵えた。磔にされるジーザス。コイーバを口の端に銜えながら不敵な笑みを浮かべるラビッシュ。テーブルの上に置いてあった果物ナイフを徐に掴むと間髪入れずにジーザス目掛けて投擲した。ジーザスの側頭部を掠めて壁に刺さるナイフ。ジーザスが悲鳴を上げる。「ひぃえーーー、ジーザス クライスト(くそったれ)」ラビッシュがニタニタと笑いながら言った。「おいおい、そんなお下品な言葉は使っちゃ駄目だぜ」蜘蛛の糸を垂らしたジーザスはこの行為を悔い死刑賛成論者になった。こうして天上界を支配したラビッシュはジーザスらを盾に取り刑務所から死刑囚や極悪犯に恩赦を与えて放免した。地上は荒廃し混沌に満ちた世界へと変貌していき世紀末の様相を呈するのであった…

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