第35章~旬サイド~
痛みは感じなかった。
発作も治まっていて、呼吸は穏やかだ。
こんなこと久しぶりで、一瞬自分は死んだのかと思った。
しかし目が覚めた時、心配そうな両親と新の顔が見えてまだ生きているのだとわかった。
痛みがないのは点滴を打たれているからだ。
こうして目覚めた時みんなが心配している様子を俺は何度も体験してきていた。
その度に胸が痛んで、早くよくなりたいと願った。
でも、今回はその後の展開が少し違った。
まず感じたのは体の不自由さだった。
普段からそんなに動けないものの、車いすで移動したり、近くのトイレに行くくらいはできていた。
今はそれすら難しい。
そして大池さんがやってきて、2冊目の出版に関して説明をされた。
このまま作業を続けることは難しいと思う。
だから、こちらに編集作業をすべて任せてほしいと。
最初の契約のとき、そういうことができることは聞いていた。
だから俺は頷いた。
編集作業をすべて請け負うことになった大池さんだけれど、その笑顔は穏やかだった。
次に感じた変化は、両親の会話の中でドナーという単語が頻繁に出るようになったことだった。
それがなんなのか、さすがに質問しなくてもわかった。
俺に会う臓器の話だ。
次の発作が起こる前に見つけて手術をしたいというような内容を、俺が寝たふりをしている間に行われていた。
そのくらい、今の俺は危機的状況だった。
死が目前に迫っている。
そう感じる息苦しさを感じることもあった。
このまま発作が起きて、そしてもう二度と目覚めることはないんじゃないか。
そんな恐怖を毎日のように感じるようになった。
この頃になると新が病院を訪れる回数は増えていた。
意識的に来ているのだとすぐにわかった。
『彼女とデートは?』
と聞くとしかめっ面をして『別れた』と、短く答えた。
嘘じゃなさそうだった。
一瞬俺が原因になったんじゃないかと不安がよぎったけれど、中1年生のころから今まで付き合っているのだから、長かったんじゃないかと思いなおした。
それから本が出版されて、日記のコメントは更に増えた。
だけど毎日の更新はできなくなっていた。
自分の気分のいい時だけ。
それも両親や新にお願いして打ち込んでもらうことで、どうにか日記を持続することができた。
2冊目の本も、1冊目同様によく売れた。
累計120万部を突破したと連絡が来たとき、俺は嬉しいというより安堵した。
両親にお金を話しをすることはなくなったけれど、これでしばらくは家族3人で幸せに暮らせるはずだ。
家族3人……。
その中に自分は含まれていなかった。
このままドナーが現れなければ俺は死ぬ。
そしてその日は確実に近づいてきていると、わかっていたから……。
ドナーは現れなかった。
代わりに現れたのは見たことのない男だった。
ガッチリとした体躯に、黒い上下の服。
更に黒い帽子を深く被っていて、顔はハッキリ見えなかった。
一瞬担任の先生だろうかとう疑ったけれど、それは違うようだった。
『旬くんだね?』
男の声はマスクもつけていないのにひどくくぐもっていた。
俺は怪訝な表情で男を見上げた。
『誰……?』
『俺は君のファンだよ』
男はそう名乗った。
今までも時々、俺のファンを名乗る人たちが病院にやってきたことがあった。
どうやって病院を突き止めたのか知らないが、今はネットを駆使すればどんなことでもできる時代だ。
でも、そうやってここまでやってきても受付で追い返されることが主だった。
決して怪しい人間が院内に入ることはできない。
でもこの男はいとも簡単に受付を超えてここまで来たみたいだ。
だから知り合いだろうかと最初に疑った。
『君は死ぬのかい?』
その質問に俺は大きく目を見開いた。
同時に笑いがこみ上げてくる。
そんな質問をされたのは初めての経験だった。
こんな失礼な見舞客、今まで見たことも聞いたこともない。
『たぶん死ぬよ。このままドナーが現れなければね』
『ドナーがいれば、君は生きられる?』
その質問に俺は頷いた。
でもその可能性は低い。
俺の体に移植できる臓器を持った人間が脳死状態に陥る。
それはとんでもなく低い確率だった。
しかも、ドナーを待っている患者さんは沢山いる。
誰かが死んだからと言って、真先に俺のところへ連絡が入るわけではなかった。
男が視線を移動させて、なにかに気がついてように半分口を開いた。
男の視線を追いかけると、そこには写真が飾られていた。
中学2年の誕生日の日、ここで新と一緒に撮った写真だ。
『あれは、1冊目の表紙になっていた写真だね?』
『あぁ』
『一緒に映っているのは?』
『俺の弟。双子なんだ』
説明すると今度は大きく目を見開いて俺を見てきた。
その目は落ちくぼんでいて、目の下には真っ黒なクマがある。
一目見て異常だと感じられた。
咄嗟にナースコールに手を伸ばしたが、男が俺の手を掴んで静止していた。
額に嫌な汗が流れていく。
今さらながらわけのわからない男を病室へ入れてしまったことを後悔しはじめていた。
同時に、どうせ近々死んでしまう自分の命だ。
少しくらい面白そうな相手と会話をしてもいいだろうと感じた。
『双子なら、きっと君の体に合うだろうね』
その言葉に俺は『え?』と聞き返した。
男は俺を見下ろしている。
その目に吸い込まれてしまいそうになり、慌てて視線をそらせた。
『弟は健康かい? 君と違って、明るい毎日を歩んでいるのかい? それって不公平だよな。君はこんなに苦しんでる。次にいつ発作が起きるかわからない。ドナーが現れるかどうかもわからない。そんな真っ暗な世界にいるのにさ』
途端に男が饒舌になった。
俺は恐怖心を抱き、男の手を振り払おうとする。
しかし、あまりに力がなくて手をふりほどくこともできなかった。
『奪ってしまおうよ』
『奪う……?』
聞き返す自分の声がカラカラに乾いていた。
汗で入院着が濡れて気持ち悪い。
『そうだよ。今度は君が明るい未来を歩く番だ。双子なんだから、半分づつ分け合って当然だろ?』
双子だから、分け合って当然……。
グラリと視界が揺れた気がした。
男の言葉が呪いのように頭の中にこだまする。
聞いちゃいけないと思うのに、男は話かけてくる。
『俺がどうにかしてやる。弟の臓器が君に移植されるように、手伝ってやる』
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