第23話 『月刊ミルキーウェイ』連載会議

 白い無機質な長方形のテーブルを囲んで、数人の20~40代の男女の編集者が席に座っていた。皆、少し上半身を屈め、テーブルの上に置かれた書類に目を通している。

 それは、奈帆斗が作った『月刊ミルキーウェイ』連載用の企画書であった。A4一枚の紙に、ログライン、第一話のあらすじと、今後の展開についてがまとめられている。2枚目の用紙には、世界観と各キャラクターの設定が詳細に記述されている。そして、奈帆斗が描いた第1話の32ページの手描きネームをコピーしたものがまとめられていた。

 編集者たちはその用紙一枚一枚を、眉を寄せ、真剣に読んでいた。瞳のまなこに、鈍いがぎらついた鈍い光が宿っている。奈帆斗の考えた漫画が、出版社の商品として売り出すことができるものであるか、判断しているのだ。

 いわゆる「お誕生日席」には、黒髪をオールバックにした黒スーツの男が、腕を組んでふんぞり返って座っていた。その腕は、スーツにぱんぱんになるまで張りつめており、彼がいかに筋肉質な体をしているのかを物語る。彼が少し顔を揺らすと、ワックスで頭に張り付いていたてらてらとした油っけのある黒髪がひと房、皺の盛り上がった額へと落ちる。

なぜか切れ長の瞳の下の頬の上には、ナイフで一閃されたような切り傷が刻まれていたが、それが生まれた経緯について、彼に尋ねる編集者は皆無であった。


(ヤンキーのボスかよ……)


 太田は奈帆斗のネームをチェックしながら、お誕生日席に座る『月刊ミルキーウェイ』の編集長・土方雷次郎(ひじかたらいじろう)を横目で見ていた。


「あ? なんだあ太田ぁ! なんか俺の顔についてっか!」


 土方は太田に見られていたことに気付き、腕を組んだまま荒い声を出す。よく通るその声は、本当にヤンキーのボスなのではないかと思われるほど、切符がよかった。会議室を土方の声だけが響き渡る。

 太田は「なんでもないっす」と一言小さく謝り、何事もなかったかのように、再び片手で持ち上げていた用紙に目を移す。太田にとっては職場の上司とのこんなやり取りは日常であった。だが互いに信頼関係にあるので、そこに嫌な感情はまったく芽生えない。

太田の視線の先には、奈帆斗のネームの中盤のコマがあった。

 刀を手にした少女が、敵に重傷を負わされ、桜の木の下で気を失っていた時に、美丈夫の町人に発見され、抱きかかえられるというシーンである。ネームは、完成原稿よりは簡潔に台詞とキャラの場面だけが浮かべばいいという設計図であればよいというのが、太田の考えであったが、奈帆斗のネームは、完成原稿に近いほど、詳細に描かれていた。今すぐにでもペン入れをすれば、完成原稿にできるような状態である。


(河谷お前……。ネームにどんだけ時間かけたっちゅうねん)


 プロ漫画家ならネームに作画ほど時間をかけてよいものではないのだが、太田は奈帆斗の本気度の高さに、唾を飲んだ。


(ほんまに連載したいねんな、お前……)


 薄暗い部屋で食事も取らずに一心に連載会議用のネームを描いている友人の、少し曲がった後ろ姿が見えるようだった。

 太田は目を細め、一度きつくまぶたを閉じると、再び何事もなかったかのように開けて編集者の顔になった。


「『乙女には桜と刀を』ねえ……」


「俺っ娘、美少女剣客、パラレル時代劇かぁ」


 他の編集者たちが、奈帆斗のネームについて意見を交わす。


「今までのミルキーウェイの作品っぽくないよな。えぐいシーンもあるし。狂気も感じる」


「ああ、変わってる。少女漫画のヒロインっぽくないな」


「言葉使いも女と思えないくらい悪いしな。この一風変わった漫画が読者に受けるかだな……」


「少年漫画では刀を扱った物はヒット作があるが、ヒロイン自身が刀で死闘を繰り広げるのはな……」


 否定的な意見ばかり聞こえるたび、太田の胸は鋭いナイフで切られたように痛みを覚えたが、連載会議は公平な場である。自分も友人としての心情は捨てなければならない。


「前に乙女ゲームで幕末物やってヒットした作品あったよな? 新選組を題材にした」


「ああ、でもあれはヒロインは隊士から守られる存在だったし大和なでしこ的な性格だったからな……」

 

太田は真剣な顔で奈帆斗の原稿を見つめていた。かすかに黒くつやのある睫毛が揺れる。


(オレ、この漫画受けると思います。河谷はこの漫画の原型となる構想を、小学校ん時から考えとったんや。この後の展開も、普通の少女漫画っぽくないけど、おもろいと思います。漫画家は作者の世界観が大事や。アイツの頭ん中には、この世界があるんです……って言いたいけどな……。う~ん。どないしよ)

 

 意見を言うか言わざるか悩んでいた。

確かに自分は奈帆斗の漫画が好きだ。彼に自由に描いてもらいたいという願いもある。だが、ここまで奈帆斗を引っ張ってきた張本人は自分でもある。一度辞めた漫画の世界へ、再び連れ込んだのは、太田だ。太田がいなければ、奈帆斗は一生教師として順風満帆な日々を送れたかもしれない。ここでまた自分が意見を言うことで、彼を贔屓目に見ていると捉えられ、連載してからの足枷とならないだろうか。

そんな不安がここに来て太田に訪れていた。

 他の編集者たちも眉をしかめて考え込んでいた。それほど奈帆斗の漫画は従来の少女漫画としては、異質な話だったのだ。


「オレは面白いと思う」


 落ち着いた声音が室内全体に響く。出した本人はそこまで大きな声を張ったわけではなかったはずだが、よく通るその響きは、皆の胸の内側から響くようだった。

 太田はネームから顔を上げ、はっと瞳を見開き、声の主の方を見た。編集者たちも同様に、声の主を見る。

 声の主は、土方であった。皆に一斉に視線を向けられても、腕を組んで落ち着いた状態である。厚い唇を引き結び、視線だけを机の上に広げた奈帆斗のネームにだけ注いでいる。


「漫画はキャラが命だ。このヒロイン・春影(はるかげ)のキャラを見てみろ。普通の少女漫画のヒロインには無い魅力がある。女の子が見てもかっこいいって思える女主人公だ」


「確かに、女性目線から言わせてもらうと、私もこのヒロイン、好感が持てます。守られキャラじゃなくて自立しているし、強い。今流行っている少年漫画のヒロインって、皆どちらかというと主人公と一緒に戦ってる方が多いし、そういう子の方が人気あって、女性読者獲得にも繋がってます」


 今まで黙っていたが、この時意見を言ったのはミルキーウェイの女性編集者だった。彼女は最近デビューした若手の女性漫画家が連載している、魔法少女がヒロインの少女漫画を担当していた。


「河谷は、春影はこの後、川之進って男と出会って初恋を経験し、女性らしさを表に出していくって言ってました」


「だろ? お前ら、このぶっきらぼうな男女が、この先女になる瞬間を見たくねえか」


「……見たいです」

 

 土方の意見を受け、入社1年目の若い男性編集者が恐る恐る呟いた。


「こいつは、男性性と女性性の両方の魅力を持ってるとオレは思う。つまり男性読者、女性読者両方を惹きつける可能性がある」


編集者たちは顔を見合わせた。今まで自分たちが見落としていたキャラクターの魅力だったのかもしれない。


「……でも、ミルキーウェイの王道少女漫画作品を求めて雑誌を買う読者に受けるかどうか――」

 

 太田は引き結んでいた唇をむずむずとさせると、意を決して立ち上がった。今こそ悩んでいた自分の意見を言うべきだと判断したからだ。


「編集長」

 

 勢いよく立ち上がってしまったので、椅子が彼の体の動きに引きずられて、がたん、と大きな音を上げた。

 一斉に周囲の編集者たちの視線が太田に集まる。太田は恥ずかしくなり、緊張から唾を飲み込んだが、2、3度軽く咳をすると土方に意志の強い眸(ひとみ)を向けた。

 土方は切れ長の瞳で、それを真っ直ぐに受け止める。


「オレ、可愛谷と幼馴染の好(よし)みやからって理由(わけ)やないんですけど……。この漫画のキャラとストーリーの構想、小学校の頃から聞いとったんです。あいつはこういった話描くんが得意やと思うんです。昨日今日考えた訳やないから……。オレは漫画は設定よりストーリーより、キャラがいっちゃん大事やと思っとって。このキャラが漫画の中で生きる姿を見てみたい」


(言ったった)


 太田は言ってしまった後で、頬が上気するのを感じた。顔が熱いのを感じる。今の発言を聞いた他の編集者はどう感じるだろうか。太田が一番いやだったのは、贔屓目に見ていると思われることだった。そうではなく、太田は純粋に編集者として、奈帆斗の作品を連載させたいと思っていた。


「なるほどねえ」


 沈黙を破ったのは土方だった。軽く溜息をつくように言葉を吐く。


「編集長……」


「オレは『春景』に、可愛谷ナオっていう遅咲きの花に賭けてみようと思う」


「確かに独創性はある」


「刀を持った少女っていうのも絵になるしな」


「言葉使い悪いが、春景は大きな猫目で可愛いし、ギャップがいい」


「この後の展開、正直気になる」


 土方の肯定を皮切りに、次々と編集者たちが肯定意見を出す。そのひとつひとつを聞くごとに、太田の顔が輝いていった。


「そ、それじゃあ……」


「連載決定だ」


 土方が口角を上げて太田を見た。切れ長の瞳と再び真っ直ぐに目が合う。

そういえば、編集長は人の目を真っ直ぐに見てくれる人だった。そういうところが上司として好きだったんや、と太田はふいに思った。

そして、太田は目の表面に、みるみる涙を溢れさせていった。

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