第13話 曇り空に向日葵
歩道橋の上を、冷たい風が吹く。
歌奏絵の少しウェーブがかった亜麻色の髪が、その風に煽られ舞い上がる。彼女はそれを手で抑えようともせず、舞い上がる方角へ向けて、瞳を揺らした。
奈帆斗には、スマートフォンに書かれた歌奏絵の文章が、彼女の細く白い喉を通してこちらに響いてくるように感じていた。瞳を見開き、茫然と彼女を見つめる。
歌奏絵は奈帆斗がこちらを見ていることに気付くと、奈帆斗を真っ直ぐに見つめ返した。
彼女の瞳の大きさ、その
「AKITO……、オレも好きです。最初、主人公のアキトが、村中から嫌われてのに、村の長になるっていう夢を抱き続けて、自分の力で皆から認められて、最後は夢叶えたのが、本当に凄くて勇気づけられて、泣きました」
書きながら、奈帆斗はこれは自分に向けたメッセージでもあることを感じた。幼い頃、時が経つのも忘れ、夢中で漫画を読み、自分でも描こうとしていたあの
頃。6月の大阪、少し蒸し暑い初夏。暮れかけた夕陽が窓から差し込む、静かな教室で、誰を気にすることもなく、一心に漫画を描いていたあの少年の頃。
そして、彼の傍らには、彼の創作を決して馬鹿にしない、唯一の幼馴染のまだ小さな背が――。
(あれ……?)
奈帆斗は、いつの間にか泣いていた。こらえようと片手を口元に当てるが、息が漏れるだけで、次々と流れる大粒の涙が、彼の骨の浮いた手の甲を濡らしていく。
(そうだ。そうすれば良かったんだ。息をするように、食事を取ることや、眠ることと同じように、漫画をずっと描いていればよかったんだ。誰に否定されようと、自分の為に、自分が生み出すキャラクターの為に、描き続ければ良かったんだ)
奈帆斗のうすい息は、やがて嗚咽へと変わっていった。
歌奏絵は奈帆斗を見つめていた。大の男が嗚咽を漏らして泣く姿など、初めて目にするだろう。
奈帆斗は薄く目を開き、彼女の姿を確認した。引かれているだろうか、そう思った。
だが彼女は温かく艶のあるまなこで、瞬きもせずにじっと奈帆斗を見つめているだけである。
そして、ピンクゴールドのスマートフォンを手にすると、人さし指で文字を打ち込んでいく。彼に語り掛けるために。真剣な表情で。再び彼女の桜色の唇が上唇で湿らされるのを、奈帆斗は確認した。
「私も。私は耳が聞こえないのに、漫画から音が、声が聞こえてきたんです。読み終わって放心した時に、決意したんです。私もこんな漫画が描きたい。落ち込んでいる人を元気に出来るような、少年漫画家になるんだって。それで会社辞めたの。決意の退社だった」
奈帆斗は右手の甲で涙を拭うと、呼吸と体勢を整え、歌奏絵を見た。彼女は奈帆斗の視線に気付き、スマートフォンから顔を上げると、真っ直ぐ見返してくれる。くちもとは笑み、右端にささやかなえくぼが浮かび上がる。
「歌奏絵さん……。そうだったんだ」
涙でうすく曇った視界。
だが、それでも歌奏絵のやわらかな微笑は目に映った。
向日葵のように、何かを受け止めて咲いている。
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