第3話 夏の少年との再会
休日、独り身である奈帆斗の楽しみは、近所のこじんまりとした本屋で本を買うことであった。今週は涼と蓮との漫画のやり取りで、いつにもましてどんよりとした暗い気持ちを心の中心に抱えていた。
(……やっぱオレには本屋しかねえわ。女もいねえし。ああ、何か気分上がる本でも買って気ぃ晴らすか)
いつもは食わず嫌いしている自己啓発書コーナーに足を運ぶ。平積みになった本には、テレビにあまり出なくなったお笑い芸人の笑顔の顔写真が表紙を飾る、あたかも読めば自分が変わるかと読者に期待させるようなエッセイ本ばかり並んでいる。
(うさんくせえ)
店員がコーナーにいないのを確認し、奈帆斗は本に向かって赤い舌を出した。奈帆斗はこういう自己啓発本が嫌いであった。手に取ってやろうかと腕を伸ばしたが、途中でそんな気も失せてその場を去る。
「……隣がこのコーナーだったけ。この本屋」
自己啓発本の隣からは、全く雰囲気の違う匂いのする書籍が置かれていた。まず色が違う。蛍光色で明るかったり、極端に暗かったりしている。そして表紙も違う。描かれているそれは、瞳が大きかったり、切れ長であったりする。人物同士が死闘を繰り広げていたり、ドラゴンに乗って空を飛んでいたり、刀を手にして水辺に佇んでいたり、美しい男女で抱きしめ合っていたりする。
「漫画かよ」
奈帆斗は一人で突っ込んだ。
見てはいけない物を見てしまったと感じ、目を逸らそうと努めるが、何故かそこから目を逸らすことが出来なかった。張り付いたように足も止まってしまう。
奈帆斗は顎に手を当てて、じっと平積みにされた漫画を、食い入るように見続けた。
少年漫画、少女漫画、青年漫画。各漫画の帯には赤や青や緑の目立つ色で、「100万部突破!」「1000万部突破!」「ドラマ化決定!」「映画・来年春公開予定!」等大きな白抜きの文字で書かれている。
やがて苦し気に眉を寄せると、瞳を閉じる。奈帆斗の男にしては長い闇色の睫毛が頬に影を落とした。踵を返して出口へ向かおうとする。
「河谷……?」
前方からまろやかな男の声が自分の名前を呼んでいる。
どこかで聞いたことのある声だと思った。どこかで聞いた、懐かしい声に、刷毛で低い音程を塗られた声ーー。
奈帆斗は、はっと瞳を開けると、その男を確認した。
淡いグレーのジャケットを片腕に引っかけた、奈帆斗よりも背の高い男が瞳を見開いて奈帆斗を見ていた。短く刈った黒髪は、日向の似合うスポーツ少年を彷彿とさせる。
奈帆斗のクラスの蓮の笑顔が、男に重なる。
「……誰」
こんな爽やかな営業マンと知人になった覚えはない。奈帆斗は友人も少なく、土曜日に本を買い、日曜日に公園で森林の木漏れ日を受けながら、一人でベンチに座って購入した本を読むだけの休日を送り続けていた。大学を卒業してから、新しく交流関係を持つことも無かった。新しい本との出会いだけが、新しくできた多くの縁。
不審げに自分を睨む奈帆斗に、青年は自分が誰だか気付かれていないことを察し、安心させるような笑みを浮かべ、己の顔を指差す。
「オレやオレ! 大阪の小学校で同じクラスやった太田誠や!」
男は自分の名前を名乗って更に笑みを深める。
その瞬間、男の斜め左方向から強い光が差し込んだように奈帆斗には見えた。そして、男の笑顔がアイスのように溶けていき、そこから身長の低く、手足のすらりと長い、黒のタンクトップをした、肌の焼けた幼い少年が現れた。少年の笑顔のえくぼに真夏の影が出来るのを奈帆斗はみとめると、頬を打たれたように、はっと瞳を開く。
「えっ、太田?」
意図せず声が漏れた。
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