四十三章



 扉の内でつかえが床に打ちつけた音を確認して瑜順と壱魴は互いに頷く。そっと片側を押し、それから勢いよくなだれ込んだ。


 剣を構えた先、暗い室内には最奥に屏風へいふうを背にした席がひとつ、確かにそこに人影があった。

 声を上げるでもなく騒ぐでもない。黒い紗蓋頭おおいで顔は分からない。それでも視線はひたりと侵入者に向けられている。


「淮州封侯王、姜謙湖王きょうけんこおう殿下でございますか」


 無抵抗なのを見て二人は剣を持ったまま膝をついて礼を取ったが、油断せず周囲に目を配る。室内はがらんどうで調度は少なく、伏兵が隠れられるようなところもないようだ。立ち上がり、影にゆっくりと近づいた。


 貴人は微動だにせず、しかしあと半歩で瑜順の剣先にかかるほどに距離が狭まり、ようやく口を開いた。


「……礼をわきまえなさい。仮にも王統に対して許しもなくこうべを上げるは不敬です」


 小声だが気丈な声で上向き、瞳を合わせた。

蛮族ばんぞくでないとのたまうなら、角族とて泉地での作法は守るべき」

「……もっともでございます。しかしながら非常時です。佩剣はいけんはお許しを。つきましては御身おんみの検分の為、御拝顔をたまわりたく存じますが」

 その場でもう一度片膝をついた瑜順に彼は軽く息を吐き、次いで布端に手を掛けた。


 するりと膝に落ちた紗布からあらわになった顔は夜の雪のように青白い。対して引きつめて冠に収めた髪は墨色に濃く若々しかった。しかし面立ちはひどく疲れた様子で、四十手前だと聞いていた実齢よりも老けて見えた。

「心の臓に悪い。武器をしまいなさい。ここには私ひとりです」

 それで包囲した兵らはともかくも剣を鞘に収め、二人は改めて叩頭こうとうした。


 姜謙は名乗った瑜順を観察したのち、壱魴を見下ろした。「そなたは?」

「は。禁軍中将軍、叛乱鎮圧軍においては征南将を拝命致しました、べん壱魴でございます」

「……紀婕妤きしょうよの弟御か。立派になったものよ」

「ご存知で」

「噂だけは、いろいろと」

 それで、と表情のないまま問う。

「辞世の句をませてくれる暇くらいはあるのだろうか」

「淮侯、我々はあなたさまをしいし奉る為に参じたわけではございません」

「今は、まだ?」

「ともかくも我々にはその権限はないのです。ただ、国家転覆を図る叛軍を鎮めたいが為にこうして殿下を訪ねた次第。曲汕はすでに我らが手中です。ご存知のことを全てお聞かせ願えますか。そもそも殿下のご心情としては叛乱には反対だと伺っておりますが」

 姜謙は嘆息した。

「誰がいたずらに民を苦しめる争いに賛同するものか。しかし、私はただの封侯にすぎない。そなたたちも分かっているでしょう。私はただ、それを奏上することでしかお役には立てない身分なのです。――それに、角の」

 呼びかけられて瑜順は視線を合わせる。

「私は積極的に北狄ほくてきに協力する気もない。私が国に忠を貫くのはひとえに一泉の正しい秩序と平和を保つ為、そしてなによりそれを推し進めてくださる太后陛下の御為おんためにほかならない。決して、かつてのそなたらの蛮行を許したわけではありません」

 履き違えるな、とひたと見つめられてそのまま頷く。

「承知しております。しかしながら侯のご助力なくばこの乱を平定することかないません。このままではますます民が苦しみ失われる。どうか我々に対するわだかまりは今は置いておき、共に一泉の安寧を取り戻せるよう力添えを願いたく存じます。どうか、――お助けくださいませ」

 深々と頭を下げられて姜謙は少し驚いたようだった。壱魴も控えめに微笑んで隣に倣う。ややあって諦念をにじませ再び声が降った。

「角人がなにを企んでいるかは知らないし、知ったところでどうすることも出来ない。ただ、この状況は私とて不本意、太后様にも申し訳が立ちません。……良いでしょう。私の分かっていることは、淮州を主導しているのは淮州牧だということ、禁軍で叛旗を翻したのはらい将軍、じん将軍。紀将軍は言うなりのようです。傘下に置かれたのは各人の将帥しょうすいと剛州兵、征東兵はそく将軍が討ち取られ降伏し組み入れられた」

「大将軍……奠牛てんぎゅうさまは」

 姜謙はこれには首を振った。「音沙汰は聞きません。巌嶽で叛乱軍に加担した朝廷の槐棘じゅうしんは大司空と地掌三卿府ちしょうさんけいふ天掌てんしょうのうち衛尉えいい府、郎中ろうじゅう府の小吏、そして尚書しょうしょ御史台ぎょしだいの一部。あとはまばらに協力者がいたようですが、その他諸府台と大司徒、大司馬は禁軍主導で力づくで押さえ込まれている。もしかしたら刃向かう要人はすでに除かれているやも」

 思い詰めた様子で胸をさする。「王族がどうなったのかは分かりません。後宮も。太后陛下がご出奔なされて以来、冬騎とうきとはまったく音信不通、泉主でさえ今はどのような状況に置かれているのか、なにも。叛軍がいよいよ私を泉畿に上らせるならば、もう……」

 その先を言えなくなったのに壱魴が問うた。

「殿下。しかしながら殿下はいまだここ曲汕におわしますが、それならば淮重州軍はなぜ半数も朴東へ?どのような策だったのか私にはせませんが」

 それには姜謙は一転、にわかに笑んだ。「私がこの一年粘りに粘って抵抗していたのはどうしても泉畿と泉宮を戦場にしたくなかったから。曲汕に叛軍の首魁がいるとなればそなたたちはこちらに重きを置くと。しかしついに州軍は痺れを切らして無理に私を連れ出す算段を立て、彼らは私がおとなしくなったのを諦めたのだと誤解した。――――敵をあざむくのにはまず味方からと言うでしょう」

「まさか……替身かげをお立てに?」

華囲かい太守は私のために体を張ってくれました。感謝のしようもないほどです」


 瑜順と壱魴は目を見交わした。ということは二州軍は封侯が偽物だと気がつかないまま泉畿へ行こうとしているのか。


「……いったい、いつまでつか……」

 姜謙は紗布を持ち上げた。

「封侯になった当初からこれを被るのが習慣になっていた。だから新しい兵卒ならばそもそも私の顔すら知らない。折れたふりをしたのは娘のことを持ち出されたからです。彼らは私の弱点があの子だと知っている。だから私は従うしかないと頷いた……と見せかけた。しかし彼らはいくら脅してもあの子を殺せはしない。なぜなら泉宮に入ったあとであの子がいないと分かれば私は自刃するからです」

 そうすれば大義名分として立てた傀儡かいらいがいなくなる。それはあちらにとっても都合が悪い。

「ならば戦況は最悪だったが、賭けてみるしかなかった。さてしかし、朴東での攻防は大変になりそうです。州軍は残りの鴆鳥毒ちんちょうどくを全て持ち出した。あなた方には勝ち目がありますか」

「策はございます。その件ですが殿下、あの猛毒がもたらされた経緯などは」

 姜謙は顎を撫でた。「詳しくは分かりません。ただ此度のこと、各地で民をあおり暴動をきつけ、州軍や州牧をそそのかした勢力は確実に存在する。でなければこのように乱が偶発的にしかも同時期に起こるはずがない。……亡氏ぼうし、という名を聞いたことは?」

「亡氏…………」


 壱魴は記憶を巡らし、あっ、と声を上げた。


「卞将軍、聞いたことが?」

どう州牧を拉致した時に州城への荷卸しを肩代わりしたけれど、その依頼主の名が、たしか。しかし複数の商行しょうこうを経由していて身許は掴めなかった」

 姜謙が頷いた。「『耳』にもちらほら届いていた。人物か組織かは分からないが、各地で手を回している怪しいその亡氏とやらが数年前から民の不安を掻き立て各州で要人と接触を図っていたようです。最終的に乱が起きた切欠きっかけは全国に飛び交った噂です」

「噂?」

「これも所々でむらのある根も葉もないものですが、一貫して角族の再同盟が今度こそ一泉を滅ぼすという風聞です。ごう州ではこれがなぜか逆に角族が恭順する話に改変され、一方淮州ではさらに改悪されて、この地は角族に献上し民は追い出される、とまことしやかに浮評が流布しました」


 なるほど、そういうわけで淮州の各郷は使節団の駐留を拒むよう命じる通達に怯えつつも従っていたわけか。


「まあ桐州と南三州はそれ以前に密盟という、露見すれば非常にまずい弱味がありましたから、裏で誰かに脅されていても驚きません」

 ひとつ息をつき、姜謙は膝の上で手を揉んだ。

「策があると言いましたね。朴東へは剛州側からも兵が集ってきている。大丈夫なのですか」

「勝機は大いにございます」

「まさかその策が、薬を飲むだけであとは白兵戦で押し通す、などという力比べのようなものではありませんね?」

 声は震えていた。

「卞将軍、角の御仁。本来私はこんな血みどろの戦などに指先ひとつも関わるのは御免なのです。さきほど私の弱点は娘……玉雲綺君ぎょうくうんきくんだと言った。ひとえに綺君が危険な状況に置かれているからこそあえて傀儡として推し上げられることに甘んじた。――――乱の発端が凜明宮りんめいきゅうでというのは聞きましたか」

「…………存じ……あげませんでした」

 壇上に座した彼は両手で顔を覆った。「陸郁りくいくが巌嶽でかろうじて掴んだ伝聞です。いったい何があったのか……もし、あの子がすでに、…すでに失われているのなら、私は国軍にも叛軍にも、太后陛下にさえ従うつもりはありません。国のことなどどうでも良い。勝手に争って滅亡すればいいのです。妻と娘を失ってまで他者に尽くす気力は私にはない」

「殿下……」

「私は越位えついした。黎泉てんに王の器ではないと判じられてなお、生まれながら与えられた地位に甘んじた、しようのない恥知らずです。しかも弾劾だんがいされた妻を守ることも出来なかった。娘にも、他人にも顔など見せられようか」



『お父さまが慈しんでいたのはお母さまだけだった……』

『私はもうお父さまを忘れかけているの』



 寂しげな顔で少女は微笑わらっていた。長く放置されているのは愛されていなかったからだと思い込み、両親は遠く思い出の彼方にしかおらず、広い宮でひとり心細げに大きな瞳を伏せていた。


「――――姜恋きょうれんさまが侯に会いたくないなどと、いつ言ったのです」


 強い調子に姜謙は顔を上げる。目の前の異人の青年はわずかに眉をひそめたまま立ち上がった。

「あの方がたったひとりで今までどれほど耐えてきたとお思いで?短いあいだ、少し言葉を交えただけで私にも分かりました。公主とはいえ後ろ盾のないままあの後宮で陰口を叩かれ、諸官に侮られそしられ、それでも誇りを失わず、当初の宴の襲撃のおりには必死になって我々を助けてくださったのです。あれほど生まれた位におごらず健気で誠実な御方はこの世に数えるほどもおりません。ですが公主らしく繊細で心根が優しすぎる。お守りする者がもっと絶対に必要だった、しかし残念ながらいなかった。それほど大事に思われておられるならば、なぜ血を分けた実の父親であるあなたご自身があの方を支えて差し上げないのです?あなたは姜恋さまにこばまれるのが嫌でじけているだけではないですか」

「瑜順、言が過ぎるよ」

 壱魴に制されたが首を振る。

「越位したから無能だと?誰が決めました。たかだか王になれないというだけです。妻を守れなかった罪悪感に縛られたまま、あなたは今度は娘さえ失おうとしているのです」

 座す男の両手がわなないた。苦しげに胸を鷲掴む。

「たかだか、と言うのか。泉主になるために生み出された泉根の一である私が、先代亡き後、当たり前にいただくはずだったものを?太后陛下の期待と失望がどれほどのものだったか、そなたには分かるまい。私の衝撃がどれほどのものだったか、言葉には出来ない。恵妃とあの子にどれほど肩身の狭い思いをさせたか……私は、ほんとうに無価値で、無意味で。何のために生きているのかさえ、もう分からないほどだというのに」

「あなたの自己憐憫など、姜恋さまにはどうでもよいです。それほどお辛いならばいっそのこともっとお早く身罷みまかられるべきでした。そうすれば姜恋さまがいたずらに心を憂えさせることも、あなたが叛軍に加担するようななりゆきにもならなかったでしょう」

「瑜順!」

 壱魴が慌てて腕を引いた。どうしたことだろう、いつも思慮深い彼が礼も無視して。姜謙はというと指の間からまじまじと瑜順を凝視したあとで、げっそりと自嘲の笑みを浮かべた。

「……そなたの言う通りだ。私はどこまでも愚かで自分のことばかり。太后陛下に尽くしてさえいればせめて役立たずではないと思っていられた、ただそればかりで、あの子のことは実際には何ひとつ親身に考えてやれなかった……」

 まだ、と瞳がうるむ。「まだ、…………間に合うのだろうか…………」

「勝機はあると申し上げました。それに姜恋さまのことは、私から当主に文を出してあります。あの方は我々にとっても大切なお方でございますから」

 瑜順は手を伸べた。「侯にはこの乱が終わるまで、まだお役目がございます。この国の存続にとってなにが正しいのかがもうお分かりであられるなら、我らと共においでください」

 姜謙は目を細めたまま頷いた。しかしほんの少しばかり無念そうに顔にあてていたものを膝に戻し、壱魴に無言で促した。

「ああ――――瑜順、すっかり伝えるのを失念していたんだけれど」

 頭を掻き、配下に輿こしを、と指図した。瑜順は憮然と二人を見比べる。

「失礼、お手を拝借するは蛮族には出過ぎでしたか」

「いいや、そういうことじゃない。――その、」

 言いにくそうに首を傾ける。当人が、ふう、と息をついた。


「瑜順どの。私は歩けないのです」


 言われて初めて、彼が今まで椅子から微動だにしていないことに思い至った。

「そ、うですか……」

 呟いてご無礼を、と陳謝したが、頭ではすでに別のことを考えていた。

「あの、差し支えなければ、その……お生まれつきですか?」

「いいえ。むかし落馬したのが原因です」

 左右を壱魴の配下に抱えられ輿に移動する。「長く移動するのはこたえます。朴東へ向かった州軍の歩みが遅いのもこのせいです。華囲太守がうまくやってくれているあかしだ」


 合点がいった。この一年粘っていたと言ったのも嘘ではないだろうが、移動に介添えとこまめな休息が必要なら軍として俊敏な動きは出来ない。そもそも馬に乗れないとなったら輿や車で運ぶしかない。いいまとになるし、急襲に耐えられない以上どうしたものか敵軍も考えていたのだろう。



 そうか。――――そうか。瑜順はすっかり納得してしまった。



「卞将軍、こういうことは早めに言ってくださると嬉しいです」

「悪かったよ、後宮ではどうか知らないけれど朝廷では周知の事実だ。耳に入っているかと。それに話題にしてあげつらうことでもないからすっかり言い忘れていたんだよ」

 都度の行事に泉宮へ使者ばかりを送るのもそういうことだった。だとしたら姜恋は父親がこのような状態であるのを知らされていないのだ。


 姜謙を休息させるよう指示し、輿が運ばれていくのを見送りながら、さて、と壱魴は窓から外を窺う。

「淮封侯がこちらに手に入ったとなればあちらも動きを止めるかな。とはいえ朴東でもすでに交戦は始まっていそうだけれど」

ちょ将軍は」

「そちらもちょうど到着する勢いだろう。うまく角族と連携して欲しいところだ」

「予定では敵先発隊が関門に到着するまでまだ二日ほどはありますが」

「いつ封侯が偽物だとばれてもおかしくないし、それなら戻ってくる。いまだ自分たちの要人が本物だと微塵も疑っていないのなら、褚将軍の到着が前後したとて関を通るのは間違いない。なら俺たちが集結する前になんとか抜けようと焦るはずだ。それより先代たちはどうなんだい?どのくらい来る?」

「丸薬には限りがありますので今現在泉地東に下りたのは一軍三万ほど。ですが主泉を奪取次第、すぐに増兵できるようあと六万兵が霧界に待機しています」

 それには笑う。「本気というわけだね。このまま侵掠されそうな勢いだ」

「我々は約定は守ります」

 俺は疑っていないよ、と壱魴は腕を組んだ。

「つまるところ、この乱に乗じて角族がこの国を支配し一泉国王家を手中におさめたとして、泉が腐らない保証はないから。そうだろう?」

「確かなことは私にはなにも。水の澄明には泉主の存在が不可欠であることしか分かりません。同一の祖を持つとされる国民がどう影響しているのかはあずかり知らない」

「しかし危惧する要素であるとは考えているわけだ?」


 外の喧騒は徐々に止んできている。瑜順は差し出された水囊すいとうを受け取り、ただ眺めた。


「泉地の水とは、水にあらず。これは、水の姿をした別のなのだと思うのです」

「というと?」


 愉快げなほうは姜謙が掛けていた御座ぎょざに腰を下ろし脚を組んだ。つくづくこの美青年は面白い。太后が気に入っているらしいと小耳に挟んだがそのわけが分かる。泉民風に褒めるとすれば、夷狄ばんぞくにしておくには惜しい。


「泉地は由霧ゆうむによって分かたれ、交わることをしとされていない。まるで『てのひら』のよう、手首へ繋がる先を源頭たる黎泉れいせんとするならば、そこから分岐した九泉きゅうせんはそれぞれの指先。ひとつでも欠けては不便でしょう?」

「たしかにくっついても失くなっても扱いづらいね」

「一本一本のなかには骨がある。それがつまり泉根。肉と筋は骨に付き、問題なく機能するよう出来ている。そしてもうひとつ。それらは血脈ちみゃくで覆われていなければならない。――――血とは、すなわちからだの中を流れる水です」

「この寰宇せかいは大きなひとつの體というわけか。泉は黎泉の血、ね」

「血と骨が互いに必要不可欠であれば、王と民の関係も軽視すべきではない」

「まあ民のいない王などいても意味は無いだろうしね」

「――――もしくは、この大泉地はあな

 壱魴は降参の素振りをした。「自分から話を振っておいてなんだけれど、君の広汎な考えは俺の手に余る」

「あれやこれやととりとめなく申し訳ない」

「いいや、もっと聞いてみたいがこれ以上は長くなりそうだ。続きは仕事が全て終わってから酒のさかな代わりに聞くとするよ。――ほら、さぼっていれば」

 顎をしゃくった先、開きっぱなしの扉の向こうから少年が駆けてきた。


「瑜順‼何梅カバイさまの白鶻しろたかだ‼」


 その背を追い越して豪快に屏風に止まったのは灰斑はいまだらのある大鳥。甲高い音で一声。

 満嵐マンランはしわくちゃにした文を押しつける。

「すぐに朴東に来いって!」

「参謀どのは仲間のあいだでも人気者だね」

 三人は頭上を見やる。

「よく鳥が届いた」「山脈から、むじなと水の地経由で遠回りで来たんだ、たぶん」

「詳細は……」

 紙を広げながら目を落とす。横で満嵐がまくし立てた。

「先発隊が着かないうちに泉畿からの兵と八馗が乱戦になった。思ったより毒がまだ沢山あるらしいぞ。主泉がどうなったか、あっちからはまだ鳥が来てないからサイを出せずにいる」

睚眦がいさいに薬を飲ませていないのかい?」

「八馗全てに渡すほども足りなくて効くかも分からないのに出来るかよ」

 睥睨へいげいされて肩を竦めた壱魴はたしかに、と呟く。貴重な妖獣で薬の効きを試すようなことは出来ないからだ。読み終えた紙をこま切れに割いている生真面目な顔に行くといい、と頷いた。

「曲汕は押さえた。州軍が戻ってきても守り通すさ。あとのことは俺に任せて」

「八馗は半数残します」

「いいや、連れて行ってくれていい。毒の効かない兵がひとりでも必要だろう?」

「しかし西二州から隙を突かれる可能性も。桐州側から敵軍が回ってくるやも」

「全て心配ない。剛州兵は征東軍を取り込んだとはいえ西へ東へ数を分散せざるを得ない状況だからね。それに俺はこれでも禁軍中将軍だ。少しは信じてくれ」

 瑜順はしばしその笑みを見つめ、やがて持ったままだったものを返して拱手えしゃくした。

「卞将軍のお心馳こころばせ、かたじけなく存じます。貴殿が歩み寄って下さらなければここまで泉軍と協調することは出来なかった」

「なんの。それより泉宮をどうか頼むよ。必ず解放してくれ」

 しばし考え、さらに言った。

「心配事を口に出すと現実に起こる気がしてはばかられる。――上手くやって。俺が言えるのはそれだけだ」

「万事うけたまわりました」

 身を翻して颯爽と去る後ろ姿を見送り、返された水囊を傾け喉を鳴らして嚥下えんげした。




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