第331話 次男アルス

 目の前には凄惨な光景が広がっているのだ。


 屋敷中に轟く悲鳴も当然のことで、その中には耳に響く、不快な雑音も混ざっていた。



「ぬぉおおお……ッ!? ナ、ナムク……! ナムク……ッ!!」



 人を人とも思わないくせに、自分の子供にだけはこんな言葉が出てくるのか。


 苛立ちのままに髪を掴み上げ、一度冷静になろうと大きく息を吸ってから口を開く。



「煩いんですよ。"人に害を与えれば、返されることもある"なんて、至極当たり前のことすら息子に教えないから、こんな状況になってるんでしょうが」


「なっ、何を、言うか……? 我らは、貴族なのだぞ……? 管理してやっているのだから、下等な下民は我らの言葉を黙って受け入れるのが―――」


「うっざ……あのさぁ。たかだか男爵の身分で、何を大国の王様や神様みたいなこと言ってんの?」


「……ッッ!!?」



 ダメだ。


 この男と話すだけで、こちらまで頭がおかしくなりそうになる。


 まだ本題にも入っていないのだから、なんとか冷静に……


 そう思って一度顔を上げれば、いつの間にか周囲の悲鳴は一人を除けば止んでいて。


 代わりに使用人達からは、怯えながらも何かを期待するような、そんな眼差しが向けられていた。


 一瞬俺に向けられたものか分からず男爵に視線を落とせば、当の本人は呆けたまま、ピクリとも動かず放心している。



(もしかして、皆が内心思いながらも、言えなかったことなのか……?)



 まぁそんなこと、今はどうでもいいか。


 最悪は全てを潰す覚悟で訪れたら、可能性のありそうな男を見つけたのだ。


 外が俄かに騒がしくなってきたが、本当に重要なのはここからの話。



「僕を殺すつもりで斬られたので、その武器でお返しした。ただそれだけのことですから、気にしないください」


「お、お返しだと!? 貴族相手にそんなこと許され――」


「ユース、いい加減おまえは黙れ……」


「え? あ、兄上……?」



 兄が目の前で殺されたのだ。


 それでも気丈に振る舞い、使用人達の前に出た青年は、俺の前で三本の指を立てた。



「先ほどあなたは、三つの目的があると言った。うち一つは、『害虫の駆除』ということですが、残り二つは?」


「一つはあなたのような、まともそうな貴族を見つけること。もう一つは領民の我慢と犠牲によって稼いだ金を、しっかり領民に戻すこと」


「なるほど……つまり、あなたが私欲のためにオーラン家の金を奪いにきたり、父上の、その……指示によって死んだ者の、復讐でここに訪れているわけではないと、そういうことですね?」


「その通りではありますけど、ただ復讐という点ではまったく否定できる話でもありません。僕自身も馬車の護送中、領主の『問題を解決しろ』という指示で動いたバーシェに殺されそうになっていますから」


「キウスの商会長と、うちの専属傭兵まで同席していることは気になってましたが――あぁ、二人を生かして情報源にしたわけですか」


「そういうことになります」



 顎に手を当て、合点がいったように薄く頷くこの青年は、状況がしっかり見えているように思える。


 その点はある意味有り難いが、しかし同じ貴族でもギニエのラッド君ほどお人好しではないだろうな……


 常に俺を観察している眼は、話し合いの場になったというのに油断も慢心も見られない。



「確かに、父上の言動は目に余るものがあった……それは認めざるを得ません」


「ア、アルス……貴様……ッ!」


「父上、いい加減目を覚ましてください。貴族だからと、何をやっても許されるわけではありませんし、納得する相手ばかりでもありません。現にバーシェよりも強いであろうこの少年には、権力など何の役にも立っていないでしょう?」


「う……ぐっ……」


「ですが、だからと言ってこのままあなたをお返しするわけにもいかないのです。我が当主を傷つけ、自業自得と言えばそれまでですが、それでも貴族であり次期当主の立場であった兄上をこの場で斬り殺しているわけですから」



 その言葉と同時に、次男の背後から聞こえてくるかなきり声。



「キャァアアアアアアッ! ナムクっ! あぁ、ナムク……なぜ、このような姿に……」



 戻ってきた母親と思しき女が消え入りそうな声で長男の名を呼び、その後を野太い怒声と金属音が上書きしていく。



「母上も、それに領兵の者達も、一旦は落ち着いてください! 一先ずはこの場を私に任せてほしい!」



 アルスと呼ばれてる青年が必死に場を取り成そうとしているが、これはなかなかにカオスな状況だな。


 しかし、誰が頼りにされ、誰が疎ましく思われているのか、このような非常時はよく分かる。


 皆が次男に群がり、三男の声には誰も聞く耳を持たず、俺の横で項垂れている領主には視線を向ける者すらいない。


 果たして穏便に済むのか、済ますために何を要求され、出てくるであろう提案を俺が飲む必要はあるのか。



 気付けば錯乱状態に近かった母親は、多くのメイドや兵に抱えられながら連行され、正面に残ったのは10名ほどの兵と執事の身なりをした爺さん。


 あとは代表者の立場にいる次男と、なぜか俺を睨み続ける三男もこの場に残っていた。



「ふぅ……これで少しは落ち着いて話せるでしょう。それではこちらから提案なのですが――」


「……」


「兄上を殺めたことは不問とする。代わりに当主である父上を含む、オーラン家の他の者は見逃す。これならいかがですか?」



 現実的にあり得るだろうなと思っていた、最も穏便に済むであろう提案。


 だが。



「あり得ないですね。どうあっても、あなたの父親は殺します」



 それを、一蹴する。


 検討の余地すら無い。



「……改めて言いますが、貴族家の『当主』ですよ? そのような者を殺めることがどれほど問題になるか、理解されていますか?」


「正直に言えば、あまりよくは分かっていません。オルトランという国が敵に回るということでしょうか?」


「その通り、状況によっては国軍まで動きます。だからこそ――」


「なら想定内なので問題ありません。必ず、何があっても、横にいるゴミは殺します」


「ッ――」


「アルスさん、でしたか。あなたも気付いているでしょう? この男はもう変われない。自身が傷付いても、息子に同じような危険が及んでも、それでも自分達は『貴族様』で、相手が『貴族以外の下民』であれば思い通りにできると、本気で思っているんです。たぶん、今もね」



 そう言いながら視線を男に向ければ、俺を睨み付けていた目が逃げるように逸れる。


 もう駄目なのだ、この男は。



「言ったでしょう? 僕の目的は『害虫の駆除』だって。生かしたところでこの傲慢さが治るわけもなく、どうせ人を家畜のように利用し、邪魔だと思えば罪悪感すらなく誰かに殺させ、生まれた利益を自分達の豪華絢爛な生活と僕への復讐にでも充てる……こんな存在、誰が必要とします?」


「本気で、国を相手取るつもりですか……」


「まったく本意ではありませんけど、駆除の代償として必要なら受け入れるしかありません。キウスさん、この国の軍部って、『華級』が5名に『覚級』が2名、『仙級』が1名でいいんですよね?」


「公表されている内容で言えば、その数で間違いない」


「なら最悪は敵に回っても、どうとでもなるでしょうし」


「……ふふっ……ふふふ……」


「?」



 急に俯きながら笑い出した次男。


 何事かと見つめていれば、一転表情が変わり、何か開き直ったような……緊張感が薄れ、苦笑いを浮かべたまま俺の横にいる父親へ視線を向けた。



「はぁ――……父上すいません。お命はもう、諦めてください」


「な、なんだと……?」


「兄上!?」


「国を相手取る覚悟で来られてしまえば、これはもう厳しいですよ。しかも公表戦力を聞いてなお、本気で勝てると思っている節がある。バーシェ、あなたから見て、この少年はそれほどまでに強いのですか?」


「ば、化け物……そうとしか、言えん……」


「……ならば、無理ですね。そのような者と我が国の戦力をぶつけるわけにもいきませんし、そもそも総力戦の規模になるほど父上の身分は高くない」


「ッ!?」



 おぉ……まさかの息子から貶されて、地味にダメージを受けてるし。



「なのでもう、父上は好きにしてもらって構いません」


「アルスッ!!?」


「その代わり、母上と弟のユースは見逃してもらえませんか? もちろん兄上も亡くなったわけですから、家督は次男である私、アルスが継ぐことになります。そうなれば目的の3つ目として挙げた、領民への還元は私がお約束しますよ」


「具体的には?」


「領地の運用費や予備費がどれほどあるかまでは、さすがに父上しか把握していませんからね。今この場で具体案をお伝えするのは難しいですが、相当な余裕があることだけは理解しています。なので3~5年ほどは税率を7割から2割ほどに落としても問題ないでしょう。いくら還元と言っても、個別にというのはまったく現実的ではありませんから」


「ほぉ」


「あとはそうですね……当面は休耕期にも安定した収入が得られるよう、農地拡充のための開墾にも予算を充てて仕事を与えましょうか。何も米だけを作る必要はないのですから、冬期の収入源に繋がる作物を作ってもいいわけですし、他国への輸出用に米を増産させてもいい。農地が増えれば人も増えて領内も潤う。私が目指すのは共存共栄ですから、これならあなたも納得いきやすいのでは?」


「ほ、ほほぉ……」



 まだ見た目は二十歳くらいにしか見えないのに、かなり真っ当そうなことを言っているのは分かる。


 もとから還元に関しては、"搾取して貯め込んでんなら吐き出せよバカ"程度の考えしかなかったので、こんな対応を考えているなら全然問題はない。


 となると、やはり引っかかるのは『駆除』の方だな。



「あなたの母親は分かりませんが、その三男は……」


「母上は元来大人しい性格なので、あなたの危惧されているような周囲を圧し、害を振りまくタイプではありません。なんでしたら使用人に直接聞いてもらっても結構です」


「なるほど」


「そして三男は――、残念ながら父上や兄上の影響が強くこのような性格ですが、歳は今年で14になります」


「……」


「あなたも似たような歳に見えますし、だからこそ"子供だから"という言い分が弱いことも理解しています。しかしこの国の成人は15からなのです。私と母上でなんとか矯正をさせますから、あなたがもし正義感で動いているのだとしたら、ここは見逃してもらえませんか?」



 これは、キツいな……


 成人が15歳というのは以前ラグリースでも聞いていたこと。


 ならばこの国でも事実の可能性が高そうだし、何より見た目もそのくらいの歳に見える。


 正義感で動いているわけじゃないが、しかしここで子供にまで手を掛けたとなると、俺が『悪者』になってしまう気が……


 というか、そういう風に仕向けられた、だな。


 その代わり兄の死に頓着せず、父親もあっさり見限ったのだから、人の上に立つ人間としては凄く優秀なのだろう。



「……」



 返答はせずに歩み寄れば、部屋全体に緊張が走るも、これ以上事を荒立てるつもりはない。


 後退る場所がなく、壁に張り付きながらも俺を強く睨む三男の前に立ち――




 パシン



 俺は、限りなく弱い力で、頬を叩いた。




「痛いか?」


「い、痛いに決まってるだろう! 何をする!?」


「そうだ。殴られ、蹴られれば誰でも痛い。お互い理由があっての喧嘩ならまだしも、理由なく理不尽に殴られ、そして蹴られれば、身体だけでなく心だって痛くなる。言葉だけでも、相手の心は痛くてボロボロになる」


「……」


「それをお前は、ただ生まれがこの家だからというそれだけの理由で権力に守られ、一方的に誰彼かまわずやっていたんだ。分かるか?」


「……」



 通じているのかは分からない。


 涙を溜めながら下唇を噛み、ジッと俺を睨む目は悔しさからなのか、それとも憎しみからなのか。


 それでも反撃はせずに、自らの服を強く握っていた。


 だから、敢えて言う。



「もし俺のことが憎くて憎くて、どうしても殺したいと思うなら、自分で強くなるなり、傭兵でも雇うなりして好きにすればいい」


「そ、そんなこと、言っていいのか……?」


「その代わり、許すのは今回だけだ。もし俺の命を狙うようなことがあれば、後ろで割れている兄貴のように、どこにいようが、何に守られようが、どんなことがあっても必ず殺すから、そのつもりでいろ」


「……」



 三男を見据え、三男に向けて発したようで、その実は背後に立つ次男に向けた言葉。


 この男は良くも悪くも優秀で冷徹だ。


 個人や身内の感情より全体の利を優先して取捨選択する――だが、だからと言って肉親を殺されたのだから、恨みがまったくないわけじゃないだろう。


 やるべきことをやり、環境と状況が整った時、足が付かないと踏めばこういう男は動く可能性がある。


 それに母親だってよく分からないのだ。


 動くリスクの方が高いとここで釘を刺しておけば、気軽に動くようなこともない――生かす以上は、そう思うしかないな。


 はぁ……



「それじゃあ目的も果たせましたし、そろそろ行きますか」



 奥で成り行きを見守っていた二人に声を掛ければ、覚悟を決めたようにゆっくりと頷く。


 これからを理解している者と、していない者。


 杭のように深々と刺さっていた短剣を抜き、強制的に眠らせた領主を肩に担ぐ。



「せめて遺体はこちらに、というのは我儘な相談ですか?」


「父親は好きにしていいのでしょう? でしたら残念ですが、この男はまともに遺体が残るような死に方はできませんから」


「……本当に恐ろしい人だ。これっきりの出会いになることを切に願っています」


「精々皆に慕われる良い領主であり続けてください。そうすれば、その望みは叶いますよ」



 戦果は態度だけで、際立つスキルなど何もない悪党貴族二人の命と高そうな短剣だけ。


 それだけで済んだのは、紛れもなく次男アルスの功績だなぁと最後に部屋を一瞥し、キウスとバーシェを連れて転移する。



 さて、残された仕事もあと僅か。


 最後の〆に取り掛かるとしますか。

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