第329話 漏れ出る本音
「旦那様、バーシェ様がお見えです」
「うむ、第二の応接室か?」
「左様でございます」
ドミアにある、やや不相応とも言えるくらいに大きな屋敷。
その一室で机に向かっていた男――オーラン男爵は、執事の声に顔を上げた。
魔鳥を使わずにここへ立ち寄るということは、結果の報告ついでで報酬を受け取ろうという魂胆だろう。
オーラン男爵はそう判断し、引き出しから1枚の羊皮紙を掴んで目的の第二応接室へと向かった。
「急な訪問ですいませんね、オーラン男爵」
「構わぬ。それより問題は、滞りなく解決したのか?」
「もちろんですよ。サヌールでキウスと合流し、無事荷物は―――」
「――あぁ、その先を言う必要はない」
バーシェの報告を自らの言葉で被せ、強引に止めた男は矢継ぎ早に釘を刺す。
「私はお前達がやったことは何も知らないし、さして興味もない。そうだろう?」
「……そうですね」
「解決したのであれば、それでいい。これが友を手伝ってくれた報酬、頼まれていたモノだ」
言いながら、男は一枚の羊皮紙をテーブルの上で滑らした。
真っ先に目に付くのは、黒く塗り潰された馬らしき絵。
その下には多くの文字が並んでいる。
「……こちらが見つかったんですね」
「と言っても曖昧ではあるがな。エスペヒスモに生息しているユニコーンの亜種、いや、希少種だったか。そう『源書』には記されているらしい」
「エスペヒスモ……男爵はこの名がどの地を指すかお分かりですか?」
「古い文献で見覚えはある。大陸南東に存在する幻想森海のことだと思うが……曖昧とは、そういうことだ」
「なるほど。吟遊詩人の歌に出てくる、"迷子の迷子の妖精を隠す最後の森"でしたか。久しぶりに思い出しましたよ」
「ふん。そんな出所も分からぬ歌、どこまで真実か分かったものではないがな」
「ちなみに、本命の方は?」
この問いに、オーラン男爵は首を横に振った。
「私の伝手を使っても一切の情報が拾えないとなれば、40番台以降である可能性が極めて高い。仮に存在したとしても、まともに生息している類の魔物ではないと思うが?」
「それはまぁ、そうなんでしょうけどね」
「……報酬は確かに渡した。そうすぐの話ではないだろうが、また何かあれば使いの者を出す」
そう言い、オーラン男爵がこの場を終わらそうとしたその時。
突如として屋敷の入り口が騒がしくなり、慌てた様子で執事長が扉越しに事情を伝えた。
「だ、旦那様。キウス様が『火急』ということで、面会を希望されておりますが、如何いたしましょうか……? 『米』の件でと、かなり焦った様子で取次ぎを求められております」
「なんだと?」
この言葉を受け、オーラン男爵はバーシェに視線を向けるが、そのバーシェも訝し気な様子で首を捻るばかり。
だが米の件ならばと、何かを納得したようにバージェが頷くので、やむを得ないとオーラン男爵はキウスをこの場に招き入れた。
「閣下、この度の急な来訪、誠に申し訳―――って、バーシェも来ておったのか」
「報告ついでで、報酬を頂きにな」
「そんなことはどうでもよいわ。キウス、火急とは何事か?」
「おぉそうでした。閣下、出所のはっきりしない『闇米』が発見されました。場所は王都へ繋がるスルイス街道途中の宿場で、どうやら倉庫のいくつかが集積所になっているようです」
「なに? 怪しい動きが見られたのはモルフランではなかったのか?」
「あちらはまだ準備段階といったところで、すぐ動けるような状況ではありません。今回発見されたのはまったくの別で、現在も続々と各方面から米が運ばれている様子」
「何が起きている……というより、どこからそんな米が湧いて出てきた? 貴様らが溢れた米の管理をしてきたのではないのか?」
「その通りです。下の者に状況を探らせたところ、多方面から馬車1台分程度の僅かな量が運ばれているとのこと。しかし一斉に動いている節があるため、現時点で少なく見積もっても30台を超える積載分が集まり、同時に王都、もしくは通過して東の各所へ分散して運ばれることも考えられます」
「……各町村で1台分とすれば、つまり貴様らの目を掻い潜り、結託して搔き集めたということか」
「そうとしか考えられません。個人で露天売りする程度の量であればさすがに分かりかねますから、一介の農家が起こしたものではなく、もっと大きな動きになっていると予想されます」
「ふむ。総量で言えば、そこまで大したモノではなさそうだが……」
この時、オーラン男爵にはまだ余裕があった。
地税として納められた米の現金化は既に済んでいること。
この流れで幾分相場が崩れたとしても、高値で売れることが前提の値段で買い付けているキウスが困るだけであり、男爵自身が割りを食うほどの話ではない。
そう考えていたが。
「しかし、相場を崩すには十分な量でもありますし、どこまで『闇米』の量が膨れ上がるかは不透明です。もし王都を含む中央から東にかけての米相場がこの機に崩れれば、翌年以降の買い付け額は見直しをさせていただく必要がありますゆえ、火急と思いご報告を……」
この、商人としては当然の言葉に、男爵の眉がピクリと動く。
「この件、誰が、先頭に立って、動いている……?」
オーラン男爵の声が怒りに震えていることに気付くも、だからと言って答えないわけにはいかない。
キウスは額の汗を拭きながら作られた台本を読み上げ、黙って話を聞いていたバーシェも安らかな死を迎えたいがために手を差し伸べる。
「ふ、不明です。今のところは、馬を操った経験のある農民が、馬車を牽いて中央方面へ向かっているというくらいしか……」
「ここ数年は、休耕期にわざわざサヌールまで出稼ぎに来ている西の者をチラホラと見かけます。ともすれば、価格の違いは一目瞭然。その情報を持ち帰り、徐々に広まったのでは?」
「ふ、ふふ……キウス、バーシェ。私の言いたいことは分かるな?」
「「……」」
「この問題を解決しろ。早急にだ」
もっともこの状況に焦っているのは、現実的に損失が大きく膨らむ可能性のあるキウス――
そう思ってオーラン男爵は強い視線を向けるが、意外にも真っ先に口を開いたのは横に座るバーシェだった。
「……問題については理解しますが、今回は具体的な方法を示していただきたい」
「……どういう意味だ?」
「今までと同様なら自分が網を張れば済む話。しかし今回のような規模となればそうはいかないでしょう。西部から王都に向けて延びる街道なんていくつもありますし、宿場だって大小様々にあります。正直に言えば、いくら魔物を駆使したところで手が足りません」
「我が商会の者達を使ったとしても――やはり厳しい、ですな……まず武芸に長けた者がおりません。今回も偶然発見できたというだけあり、手なんぞ出せませんし、制圧や接収という場面ではなんの役にも立たんでしょう」
「となると、傭兵か」
「刻一刻を争うこの状況では傭兵も厳しいかと。戦力や使い勝手という意味では金次第でいくらでも動きますけど、それでも頭数を確保するまでには相応の時間が掛かりますよ?」
「それは、たしかにな」
「それに、なんと言いますか……閣下が常日頃から意識されている『証拠』という点でも、外部の組織を通されるのは不都合が起きやすいかと……」
「……まさか、ここで領兵か?」
「手の内にあるコマで、すぐに動かすことが可能となれば、それが理想のようにも思えますが……」
「名目が立てば、でしょうけどね」
名目と言われ、オーラン男爵は一瞬考えるも、まともな名目など立つわけもない。
地税を納めた後の本来自由にできる米を、自らの労力と時間を掛けて遠方へ売りに向かう領民に悪しき点など一つも無い。
そんな領民を、納められた地税を元手に雇用している領兵を使って討つ――それがどれほどの所業であるか。
しかし、生まれながらに特権階級のこの男には、それが理解できなかった。
「早急に検問を敷き、『米』を馬車で輸送する者共は『盗人』として全て打ち首にする。キウス、巻き込まれたくなければ一時的に輸送を止めるよう、仲間内の商人どもにも伝えておけ」
「……し、承知しました」
「バーシェは王都だ。集積しているということは野盗連中を恐れて一度集まる算段――ならば、魔物共を利用して寝ずに移動できるおまえなら間に合うだろう?」
「それは、まぁ……」
「王都西側の街道が複数ぶつかる地点が適所だな。人通りもそれなりだろうが、相手は『盗人』なのだから討伐依頼という体で消せ。あぁただし、『米』はあの、気色の悪い魔物に食わせるなりして、誰かの手に渡るようなことはするな」
「……」
これで、とりあえずは防げる。
あとは検問で捕らえた農民から、誰が先導してこのような行動を起こし、目的地はどこだったのか。
拷問に掛けて吐き出させれば、事態の全容が見えてくるだろう。
分かれば事前に対策は取れるというもの。
先導した者はどんな責め苦を―――
「……閣下、本当に、実行してよろしいのですか?」
「罪のない領民が、相応の数、死にますが」
――この時、なぜ二人はこの言葉を吐いたのか、自分達でも理解していなかった。
領民の死を憂いたのか、それとも一応は利害関係のあった男爵を救おうとでも思ったのか。
もしかしたらこの台本を描いた少年に、そう物語は都合良くいかないと、最後に意趣返しをしたかったのかもしれない。
ともあれ二人からの、思いがけない救いの言葉。
この時、男爵が冷静であれば、本来の二人からは間違いなく出てこないであろう言葉だけに、真意は分からずとも違和感には気付けたかもしれなかった。
しかし、オーラン男爵は既に安堵していた。
糸口が見えたことで、自分の金は守られると――既に問題は解決したと、そう錯覚してしまっていた。
だからか。
「何を言っている? 家畜よりも簡単に数は増えていくのだ。死んだところで、何か思う方が難しい。いや……私の為に死ねるのだから、本望ではないのか?」
この言葉を、自然と吐いてしまう。
この場にいる者なら、間違いなく本音だろうと判断できる、この言葉を。
その刹那。
正面に存在する3人掛けの良質なソファーには、キウス、バーシェが並んで座っていたはずだが――。
気付けばその横には一人の少年が座っていて、ジッと男爵を見つめていた。
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