第328話 釣り師

「それだけは勘弁してくれ……妻も、子供も、いるのだ……」



 ようやくか。


 キウスの反応を見て、やっと眼が死んだことに安堵する。


 観察しながらも違和感を覚え、ずっと考えていた。


 いったいキウスは、何に心が折れるのか。


 バーシェという男は、平穏な死を望んだ。


 だからある意味扱いやすかったが、キウスは不思議と心が折れそうで折れない。


 事前の情報や直接目にした言動から、この男の一番は何よりも『金』であると。


 そう判断し、最もダメージの与えられそうな選択を取ったものの、呻き声を漏らし、酒で少し赤らんでいた顔が病的なまでに青ざめる程度。


 抱える支店の物品まで押収すると告げてなお、俺を睨み返す程度には眼に力が残っているように見えた。



 貴族との繋がりさえあれば、奪われた品や金は取り戻せると思っているのか。


 それとも、自らが壁となって止めることで、オーラン男爵から救済や補填でもされるのか。



 この辺りが僅かにキウスの心を繋ぎ止めている理由かと思っていたが、しかしなるほど。


 この男の最上位にあるのは、まさかの『家族』か。


 ……だったら意外過ぎる結果だな。



「ご家族はドミアに滞在し、あなただけは王都に住まわれていたんですよね? 単純な憧れや見栄、あとは囲っていた女のために」


「……な、なんでだ……なんで、そんなことまで……」


「ベッグさんが教えてくれましたよ」


「ベッグ……? し、知らん。そんな、名など……」


「真面目にあなたの下で輸送の仕事をしていたというのに、野盗に襲われた責任を無理やり取らされ、あなた自身が借金奴隷に落とした元部下ですよ」


「野盗……借金、奴隷……」


「どうせ似たようなことが多過ぎて覚えていないんでしょう? あなたのようなゴミは人に害を振りまいている認識がなく、ゆえに大した罪悪感も生まれないから記憶にすら留めていない。その先の、誰かの犠牲によって成り立つ自分に都合の良い結果しか見ていないから」


「……」


「だからね、ここからはあなたが現実を直視するんです。長い年月を掛けて積み重ね、広げていったお店が、人を不幸に落として築きあげた財産が、そのお金で養ってきたあなたの大事な大事なご家族が。全てあなたの目の前で、綺麗に消えていく様を見届けてから死んでください」


「っ……ぁ……た、頼む……家族だけは……ッ!」



 半分は本気で、半分は脅しの言葉。


 何も悪党の家族だからというだけの理由で断罪なんてするつもりはないし、逆に本人じゃないからという理由で無条件に解放したりもしない。


 重要なのは、キウスの家族が同様に染まっているのかどうか。


 結局はここ次第だが、ようやくこの男を完全に落とす要領が掴めてきたな。



「家族だけ……そうですね。もしあなたがオーラン男爵の罪を認め、公表する側に回るならば、ドミアのご自宅に関してだけは考え直しても構いません」


「私は、何をすればいいのだ。いったい、私に何を、求めている……」


「まずあなたとオーラン男爵の繋がりを示す、物的な証拠はありますか? あぁ、嘘を吐いても、【奴隷術】で強引に口を割らせますからね」


「それは、誓って何もない……男爵は典型的過ぎるくらいの地方貴族だが、それなりに悪知恵は働く。証拠になるようなモノは残すなと、私に言ったのは男爵自身だ。それに――」


「?」


「男爵自身は罪を犯しているかどうかも怪しいところ……」


「え……どういうことです?」


「買い付けの異変を感じ、その旨を男爵に伝えれば、バーシェをワシに貸し与えてくれる。要は"これで上手いことやれ"ということだが、実際はそれだけでもある」


「え? ええ?」



 この言葉を受け、咄嗟にバーシェへ視線を向ければゆっくりと頷く。



「たしかに、"問題"が解決するまで、キウスの指示に従い協力しろと……その後はキウス――というよりは、ドミアの支店を任されているキウスの息子と、段取りを決めていた……」


「バーシェ、貴様ぁあああ!!」


「ふん……俺は、お前たちの、あくどい金稼ぎに巻き込まれて、このザマなんだぞ……?」



 目の前で睨み合う二人が、結託して話を合わせているとは思えない。


 つまりこれは事実で、オーラン男爵は話を聞く限り、黒とは言い切れないグレーゾーンで踏み留まっているようにも思える。



「モルフランでの怪しい動きは、誰がどのようにして気付いたんです? てっきり領内で、男爵本人がその動きに気付いたのだと思ってましたが」


「それはモルフランで買い付けの担当をしているワシの部下だ。不作でもないのに買い付け量が不自然に減れば、いったいどこに米を流しているという話になる。繋がっている他商会でも買取がないとなれば、このような男が裏でコソコソと動いている可能性が極めて高い」



 そう言いながら恨めしそうにクアドさんを睨み付ければ、当人は意に介さない様子ですぐに答える。



「それは間違いないっすね。買い付けている人間が農家ごとの生産量を一番把握してるっすから、農家個人がどうこうできない量の変動が起きれば、すぐに気付けるっす」


「なるほど……」



 異変に気付くのは現場であって領主ではないか。


 買い付け担当が覚えた違和感は、元締めのような役割を担っているキウスへと持ち上がり、そのキウスがオーラン男爵に相談すれば、問題解決のためにバーシェを貸し与えられる。


 そうなれば、利益を十分に確保したいキウスは、バーシェを使ってその動きを阻止しようと動くわけで――


 相談事の内容が物騒な話なのは当然だとしても、それを証明する手立てがないのだから、ここで領主を責めたとしても自白させられるとは思えない。


 偶然なんてことは考えにくく、何かあってもキウスに罪を被せられるよう、意図的に工作をしていたということ。


 これでは"ただ抱えていた傭兵を貸しただけ"と、事前に用意された言葉で逃げられるだろうな……



「もしただの平民とも違う立場のお二人が、衛兵や繋がりのある貴族なんかに男爵の罪を告発した場合はどうなります?」


「相手にされるわけがない。よほどの事情でもなければ、裁く側の貴族は同じ貴族を守る。貸しを作るなら、力の強い者を守った方がその後の見返りは大きい」


「俺では、つり合いが取れても、騎士爵程度、だろうな……」


「……では、明確な当事者であり内情も把握しているお二人が、揃って男爵本人を糾弾した場合は?」


「あの男が、罪を認めるとは、思えない……全てこちらに罪を被せられる、だけだ……」


「帳簿には、ワシが男爵から恐ろしい値段で大量の米を買い付けているという、その事実しか残っておらん。それ以外は知らぬ存ぜぬを強引に通され、こちらが首を飛ばされて終わりだろう」


「ロ、ロキさん。自分はキウスに仕返しできただけでも十分っすから、これ以上の無茶はしない方が……」



 次々と出てくる否定的な言葉。


 想定以上に狡く、身を守るための準備は周到だ。


 物的証拠はなく、本来重要であるはずの証言は意味をなさず、事実を捻じ曲げられて、強引に口を塞がれる。


 これ以上進むこと自体が大きなリスク、誰が見てもそんな状況だろう。


 でも悪事を働いておきながら、権力や立場で身を守りながらほくそ笑んでいるようなヤツが大嫌いで、この世界を良くしたい神様達にとっても、こんな存在こそが癌そのモノのはずで。



(救える力があるのなら、救ってほしい、か……)



 不意に初めて人を殺め、法について教えてくれた衛兵長アルバックさんの言葉が脳裏を過る。


 オーラン男爵という男を生かしておけば、仮にキウスを殺したところで代替えが用意され、ろくに現実を知らない農民はただひたすらに搾取され続けることになる。


 余った作物が高く売れる機会は失われ、クアドさんのような、農民にとってはプラスになり得る商人が現れたとしても、人知れず殺されれば現状が改善することはない。



 決して正義感なんかではなく、あるのはただ『嫌い』という個人的な感情と、その先に得られる不透明な戦果。


 それでも、立場に捕らわれない俺のような存在だからこそできることがあって。


 その結果として、ギニエのように救われる人達がいるのなら、それは俺にとっても喜ばしいことで。


 あとは俺に、最悪は『お尋ね者』になるという、その覚悟が持てるかどうかだが――



「それでもやりますよ。最も潰すべきは、そういう権力を笠に着た連中ですから」



 想像すれば、やはり心は震えるのだ。


 今がまだ早いと感じるだけで、この『最短ルート』は俺自身が心の底で望んでいること。


 それに遅かれ早かれ、いずれ俺は、お尋ね者になる。


 そんな気がする。



 しかし、今回に関してはどうしたものか。


 現状は八方塞がりに近く、このままでは権力以上の『リアの力』で、強引に―――、いや、まだ手がなくはないか。


 細そうな糸だが、押してダメなら、引くことで手繰り寄せられる可能性もあるし、上手くいけば男爵の本質を測れるかもしれない。


 貴族を、生かすか、殺すか。



「とりあえず、一度オーラン男爵を釣ってみますか」



 この言葉に、異言語理解は仕事をしているのかしていないのか。


 3人はキョトンとした顔のまま、俺を見つめていた。

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