第322話 警戒
距離感が掴めず大きさは不明だが、間違いなく『魔物』であることは、咄嗟に使った【心眼】からすぐに分かった。
(あぁ、狙っていたのは"風上"だったのか……)
スキル名から狙いは予想できるも、考えを纏めきる前に視界がボヤけ、次第に意識は混濁してゆく。
ハイリスクな地帯を通過できたという安堵の空気が流れる中、俺だけは警戒の糸を切っていなかった。
というより、ただの『裏切り』という事実を否定したくて、敵を探し続けていただけのような気もするが……
それでもまさか、【探査】の範囲外から魔物が攻撃を仕掛けてくるなんてことは予想していない。
気付けば周囲はいくつかの
御者や近くにいた護衛役、それに馬まで、意識を刈り取られたように気を失っていて。
このままだと、いずれ自分も落とされる――
そう思った時に握りしめたのは、腰にぶら下げていた短剣だった。
「させる、かよ」
抗うために、勢いよく自らの左手に刃を突き刺す。
「うぐっ……ぎヒッ……ヒヒッ、眠って、たまるか……」
痛みによる強引な覚醒。
それでも自然と笑みが零れる。
やっと、やっとなのだ。
覗いたことで視えた、未所持のスキル――【睡夢鱗粉】レベル5。
やっと手の届く範囲に待ち望んでいた者が現れたというのに、ここで取りこぼし、都合良く俺達が餌になどなってたまるか。
あぁ、強烈な眠気だ……
昨夜まったく寝ていないことも影響しているのか、それとも単純にスキルレベルの問題なのか。
自前の【睡眠耐性】レベル4では抗うのがかなりキツい。
周囲の者達のようにすぐ落ちることはないものの、それでも絶え間なく強烈な睡魔が襲い、意識がどこかへ飛びそうになる。
「耐えて、やる……耐えて……絶対に……喰らって……」
現状を打開する方法はいくつかあるが、それらは敢えて実行しない。
全てはこのチャンスを最大限に活かすため。
そう覚悟を決め、左手に刺した短剣を強く握りしめたまま、俺はソッと瞳を瞑った。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
「本当に、学ばない獣人だな……」
オリアル山道南部に位置する山の中腹。
その岩陰から、望遠魔道具を使って眼下の街道を眺めていた男は、動きの止まった馬車を確認しながらそう呟く。
事前に聞いていた通り、大きさが不揃いな8連の幌馬車。
幌の汚れを見ても、今回の対象はアレで間違いない。
となると、あとは全員落ちたかどうかだが。
視線を空に向ければ、こちらに向かって飛来してくる1匹の魔鳥。
「おう、どうだった?」
「キュアァー」
「よしよし、全員夢の中だな。それじゃあお待ちかね、仕事と飯の時間だ。ロトンとエトンは周囲を警戒しておけ。念のため街道の東西どちらもだ」
「「キュアッ」」
「それじゃあ、往くぜ」
ブアッ――……
その掛け声と共に、突如として発生した地面の穴から湧き出る、数十匹のソルジャーアントとベイブリザード。
そして男は愛用の槍を片手に騎乗用のグリフォンへ跨り、先陣を切るように山を下れば、湧いた魔物達はその後を追うように山肌を勢いよく駆けていく。
一方クアドの商団は、完全に停止したままだった。
その場で崩れるように眠ったまま、動くものは誰もいない。
そんな商団の有様を男は確認し――
「よーし、痕跡を残すと面倒だからまだ食うなよ。馬も人も、まずは巣穴に運んでからだ。食ったらすぐに馬車を引いて移動――――いや、ちょっと待て」
違和感を覚えて、その指示は中断される。
男は宙を浮くグリフォンに乗ったまま、やや離れた位置から俯瞰するように全体を見下ろしていた。
だからこそ気付けたことだが、中央の馬車付近に血溜まりができていたのだ。
よく見れば、御者台から半身を投げ出すように眠っている人間がおり、その左手には自らの右手で押し込むように短剣が突き刺さっている。
「チッ……面倒かけやがって」
零れる舌打ち。
依頼主から痕跡を残すなと厳命されているのに、こんな目立つ場所に血溜まりなんぞ作られたら、何かあったことがすぐに判明してしまう。
かと言ってこんな状態のままソルジャーアントに運ばせようものなら、血の跡と臭いがそのまま巣穴への道標になり兼ねない。
「……ガキだけここで食わせちまうか」
見る限りは子供だ。
それならソルジャーアントやベイブリザードには無理だが、体長が4メートルほどにもなるグリフォンなら丸飲みできる。
それが適切――そう判断し、
「グリーヴァ、あのガキだけ食ってこい。食い千切るなよ」
なぜか男はそのまま向かわずに一度地上へ降り、グリーヴァと呼ばれたグリフォンだけを向かわせる。
この行動は無意識に近い警戒。
男にさして自覚はなかった。
限定的な場面で絶大な威力を発揮するドリームシアターは特殊な魔物だ。
所持する【睡夢鱗粉】は強制的な睡眠効果を与えるのではなく、元からある眠気を増幅させ、そして夢の中に捕らえて簡単には起こさないというもの。
だから男は敢えて隠れる場所の多い初日では狙わず、警戒だけを続けさせて一行を疲弊させた。
寝不足のまま早朝から発ち、山道を警戒しながら歩き続けて疲労がピークになる2日目の夕刻。
それでいて周囲の見晴らしが良く、もう少しで停留場という精神的にも気を抜くようなこのタイミングを狙ったのだ。
前回参加していた護衛の傭兵達も、ランクなんぞは関係なしに、このやり方で一切の抵抗なく装備は剥ぎ取られ、身体は魔物の餌となった。
普通ならば、抗えるはずがない。
そのはずが……どういうわけか、この子供には抗った痕跡がある。
危機感の薄い子供だったと一蹴するには、自傷行為による抵抗というチグハグさが無意識に男を警戒させていたのかもしれない。
そう、あくまで無意識の警戒。
だから男は何も問題なく、子供を丸飲みするだろうとその姿を眺め――
「グ、グリーヴァ!?」
突如として現れた大剣に、相棒と呼べる騎乗グリフォンが真っ二つにされるなど、予想すらしていなかった。
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