第174話 殺めること

 宿に戻り、一人1階の食堂で食事を摂ってからは、ずっと部屋に備え付けられた椅子に座ったまま。


 いったいどれほど雨の雫が垂れ落ちる小窓を眺めながら、溜め息を吐いたのだろう。



 ギリギリまで待ったものの、結局リアが食事の時間帯に降りてくることはなかった。


 食べながら話すような内容でもないし、もしかしたら女神様達で事前に話し合いがおこなわれているのかもしれない。


 だったら一人の時間を有効に使おうと思ったが、どうにも集中できず、何を考えても上手く思考が纏まらなかった。



「俺は……人を殺した……殺してしまった……」



 そう自分に言い聞かせるよう敢えて口にするも、不思議とその実感は湧いてこない。



 ――人を殺めれば罪の意識に苛まれる。



 ――殺した者の顔が頭から離れない。



 聞きかじった程度の、殺人後に抱える障害のようなもの。


 それらがなぜか無い。


 拍子抜けするほどに何も無いのだ。


 今日の今日だからまだ実感が湧かないだけで、時間が経てばまた違ってくるのか?



 また雫の張り付く小窓を眺め、自然と手元は口を覆い、思考は巡る。


 人ではなくとも、魔物という同じ生物をすでに万という数で俺は殺してきた。


 ゴブリンやオークといった人型に近い種も、生きていくためと開き直ってからは、ただの糧として山ほどの数を蹂躙してきたのだ。


 おまけにただ殺すだけでなく、【解体】の必要があってその死体をバラしていた。


 この世界なら――特にハンターにとっては至極当たり前の行動。


 それが強い耐性になっている可能性も大いに有り得る。



 それにあの男は明らかな『悪』だった。


 年端もいかない少女を攫い、囲い、売る。


 盗賊のような男達と結託し、襲い、奪い、殺していた。


 そうだ、少女に指示を出し、俺を殺そうとしたのだ。


 あのカズラ血毒という毒物は本人が驚いていたように、まず毒耐性の高い俺じゃなきゃ生き残れなかったはずだ。


 即効性の高さから、食らえば数秒と持たずに死ぬのが普通ではないのか。


 そう……俺を殺そうとした……リルのように他の意図があったわけでもなく、ただ『』として、俺の存在が己の悪事の邪魔だからと殺そうとしたんだ……


 そんなやつを殺したところで清々するだけ、俺に罪の意識なんか生まれるわけが――――



 思わず身体が一瞬痙攣し、自分の考えにハッとする。


 ――いやいや、この考えはマズいのでは?


 何か人として、大きなモノを失っていく気がする……


 魂が抜け出るかと思うほどの、深いため息。


 先ほどからこの調子だ。


 どうにもポイントポイントで深く考え込んでも、しっくり来るような、納得のゆく回答を見出せていない。



「正義……利点……目的……影響……執行…………」



 もしかしてどんぐりは、この世界で俺に―――……



 はぁ。


 かぶりを振り、気分を変えようとステータス画面を開いた。


 どの道リアがくればこの話はするのだ。


 それならば、今はリアがいなくてもできることを。


 まるで現実から逃げるように手帳を開き、今日新たに追加されたの内容を改めて確認していく。





 奴隷術は『任意奴隷』と『強制奴隷』の2種類に分かれる。


 任意奴隷とは「奴隷になる」という奴隷対象の言葉をもって、双方合意の上で奴隷契約が結ばれる。


 強制奴隷とは最も認知している奴隷対象自身の名前を術者が把握し、なおかつ術者の血を体内に含ませることで可能となる。


 任意奴隷のみ、術者とは別の主を定めることが可能。その場合は奴隷契約に関する権利が任意の主へと渡るが、奴隷契約が続く限りコストは術者が支払い続ける。


 任意奴隷は必ず奴隷契約時に、奴隷契約解除条件を定めなければならず、これに対象奴隷が合意することで奴隷契約は結ばれる。


 任意奴隷はコスト1を支払うことで、対象奴隷を『魂縛状態』にし、対価として1つの行動に強制や制限を設けることができる。


 コストは対象奴隷1名につき最大10まで支払うことが可能。


 ただし対象奴隷1名につき、術者の【奴隷術】レベル以下までのコストしか支払うことはできない。


 強制奴隷は、全てにおいて任意奴隷の10倍のコストを支払う必要がある。


 コスト10を支払った奴隷のみ、状態が『魂縛』から『隷属』へと変化し、行動の強制や制限に一切の縛りや上限が無くなる。


 奴隷契約の任意解除は対象奴隷側からおこなえず、術者もしくは定めた主が『解放』を認めた場合に解除される。


 対象奴隷が死亡した場合、奴隷契約は強制的に解除される。


 術者、もしくは定めた主が死亡した場合、奴隷契約は強制的に解除される。


 なんらかの理由により奴隷契約が解除となった場合、ただちに支払っていたコストは術者の下へ還る。




 これがその他枠に新しく追加されていた【奴隷術】のスキル、その詳細説明のだ。


 本来の詳細説明はこの程度。



【奴隷術】Lv3 奴隷契約を結び、対象を『魂縛』もしくは『隷属』させることが可能になる 最大所持コスト150 奴隷契約時のみ魔力消費30



 当然こんな説明だけで理解できるわけがなく、当初は魔法系の簡素過ぎる説明と同じ、手探りでどうにかするタイプだと思っていた。


 しかし、このスキルの異質さにはすぐ気付かされた。


 なんせステータス画面右側のスキル枠に、スキルツリーとは別の新しいタブが追加されていたのだから。


 そのタブに視線を送れば上記の説明がズラリと書かれており、これが『【奴隷術】専用タブ』であることを理解した。


 下にスクロールすれば、契約時に身体の一部を触れる必要があることや、対象の体内に含ませる血の意味や量に関する注意点。


『任意奴隷』と『強制奴隷』それぞれの契約の流れも記載されており、男達に【奴隷術】を使用したら、コスト残や個別の契約内容まで表示される始末だった。


 明らかに今までとは扱いが異なるスキルなのはこの時点で明白である。


『コスト』という『魔力』とは別の消費対象が出てきたからなのか。


 それともどんぐりがこの【奴隷術】を特別視し、使のか。



 何にせよ、奴隷だからなんでもありというほど、強制力の強い万能スキルではない気がする。


『任意奴隷』はある意味健全で商業的な意味合いが強く、契約やその解除条件も奴隷対象との合意がなければ何も進まない。


 つまり死罪を免れるためだったり、金が回らなくなって身売りしたりと、奴隷対象が何かしらの理由で奴隷になることを理解し、納得しているということになる。


 今回のケースで言えば盗賊まがいな男達、そして少女達がこの『任意奴隷』だな。


 少女達もというところで闇が深いというか、奴隷の本質を理解し、解除条件をしっかり検討できるくらいの知恵がなければ。


 もしくは目の前の武力に屈服せざるを得ない状況であれば、望まぬ任意奴隷契約なんて事態も招きそうだが……


 それでも【奴隷術】のスキルレベル以下までしか、奴隷に行動制限や強制力を働かせられないのだ。


 俺であればレベル3だから、奴隷一人に対し最大3つまでの注文、奴隷の数で言えばコストに応じて50~150人というのが現状のキャパということになる。



 対して『強制奴隷』の方は、まさに物語などで登場するような、俺が想像していた通りの奴隷契約だな。


 今回の対象で言えばハンターの女性二人がそれだ。


 相手の意志などお構いなしに奴隷へ落とし、行動に強制や制限を掛けることができる。


 だがコスト10倍というのが術者にとっての大きな障害で、俺自身も3つの注文をつけたら男達4人を強制するのが限界だったし、限られたコストの中で運用するとなればとても多用できるような代物しろものではない。


 それに明らかに自分より格上であれば、そもそもとして体内に血を含ませることすら困難だろう。


 力量差――補足説明を見る限りは魔力量の差、もしくは知力の差で体内に含ませる血の量も大きく変わるっぽいので、あまりこの世界で強制奴隷になっている人はいないだろうなと思っている。


 ましてや【奴隷術】の最大レベルで初めて可能になる『隷属状態』なんて、まずこの世界で使える人いるんですか? ってレベルだろうな。


 なんというか、【奴隷術】をゲットしたら「ハイこれで奴隷関係はなんでもやりたい放題でーす」という風にはならなくて、それが歯がゆくも俺好みで面白い。



 まぁ、いざという時用に把握しておこうと努めているだけで、こんな物騒なスキルを多用する気はないんだけどね。


 こんなスキル、魔物を倒すのにまったく必要ないし。


 それに少なくともあの痩せこけた男が【奴隷術】を使いこなしていたってことは、この情報自体がさほど価値のないものということにもなる。


【奴隷術】に限っては、スキル取得者が特別確認できるステータス画面のような何かがあるのか。


 瘦せこけた男が死んでいる以上、この問題は当面謎のままになるだろう。



 その他は―――


 ……手帳に記載された前日までの結果と比較すれば、思わずため息が出てしまうな。


 こうもはっきりと、人を殺めてしまったことで得られるを確認してしまうと、心のどこかが燻り、奥底にある芯が黒く浸食されていくような感覚に陥る。


【聞き耳】 新規取得 → Lv1


【交渉】 新規取得 → Lv1


【細工】 新規取得 → Lv2


【加工】 新規取得 → Lv1


【話術】 Lv1 → Lv2


【異言語理解】Lv3 → Lv4


【罠生成】 新規取得 → Lv1


【威圧】 新規取得 → Lv1


【魔力最大量増加】Lv2 → Lv3


 この全てがあの痩せこけた男から得られたスキルだ。


 しかもスキル取得にまでは至っていないけど、経験値だけは上がったと分かるスキルが、少なくともこの倍近くはある。


 得られる経験値の関係上、スキルの一発獲得が確定するのはスキルレベル3以降からなので、その多くがレベル2以下のスキルだったということだろうな。



 ジンク君達3人衆は、ハンターになった時の『ステータス判定』で、たしか7~10個くらいのスキルを取得していたと言っていた。


 二人とも10歳くらいで、まだ人生経験の浅い子供の時にだ。


 となれば、二倍三倍と生きてきた大人達の経験は当然それ以上となり、スキルまで昇華した数も比例するように増えていくのが普通だろう。


 おまけに魔物は所持スキルが明確だったが、人間であればスキル取得までは至らなかった『経験』というのもある。


 俺であれば、僅かに経験値が増えただけで止まっている【泳法】や【釣り】なんかがまさにそれだ。


 今回検証はできていないが、そんなスキル取得までに至らなかった経験の一部まで根こそぎ得られてしまうかもしれない。


 それにジョブやクリエイト系のスキルなんて、魔物では絶対に所持していないだろう。


 魔物を倒すだけでは今度どうやっても補えないその手のスキル――今回でいえば【細工】や【加工】なんかも、人間であれば根こそぎ――――



 ―――ゴンッ!!!



 思わずテーブルに突っ伏すように、自らの額を強く打ち付ける。


 まただ。


 また、強さと引き換えに『』を考えてしまっている。


 俺はその選択をして、結果どうなった?


 過去に大きなハンデを背負い、人生の選択を狭め、ただ生きるだけの生活を送っていたのだろう?



(あの時間があったから、あの時間だけは過去を忘れられたから、きっと今があるんだ)



 一時の楽しさ、一時の高揚、一時の快楽に酔いしれ、その代償を背負うはめになったのだろう?



(その代償は必ずしも悪いことだけではなかった。努力がいずれ実るんだと、何も分からなかった社会で少なからずの自信を俺に与えてくれていた)



 この世界でそんな強さを手に入れて、その先に何がある。



(分からない。でもきっと、何にも屈することのない、自由で理想の世界が―――)





 ―――あぁ、これは、まるで麻薬だ。





 抗わないと。


 抗わなくちゃ。


 抗いたい。





 ……………………抗えるの? 







(ロキ、これからそっちに降りる)







【神託】によって響いた少し幼くも、冷めた印象を与える抑揚の薄いその声に緊張が走る。


 それでも……



 ――パンッ!



「……正直に伝えるべき部分は伝えないとな」



 両頬を叩きながら自らに言い聞かせるよう言葉を発し、目の前で渦巻き始める紫色の魔力の固まりに視線を向けた。

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