第126話 後押し

 ホッ、ホッ、ホッと階段を駆け上がりたいのは気持ちだけで、実際はヒーヒー言いながら4階まで上ってガバッと部屋の扉を開ける。


「ぐは~ただいま! 今日はお土産あるよ!」


 リステはいつも通り、指定席となっているソファーに座って外を眺めていた。


 豪華な部屋で貴婦人の如き優雅な佇まい。


 相変わらず絵になる光景だ。


「お帰りなさい。それは……魔物ですか?」


「そうそう! 最初にリステとご飯食べ行った時に出てきた蟹! たぶんだけど!」


「私のことばかり気にしていた時のやつですね」


 リステに揶揄われたと感じるも、笑っている姿を見れば悪い気はしない。


「ほんとだよ。おかげであの時は味がさっぱり分からなかったけど、今日の昼に食べたら凄く美味しくてさ。1時間前くらいに狩った獲れたてだから、お風呂入ったら夕食の時一緒に食べようよ」


「あっ、それなんですが今日はすみません。先ほど戻ってきたばかりでお風呂の準備がまだだったんです」


「あっ、いいよいいよ。やって貰ってただけで感謝だし」


 リステは俺が夕食の前にお風呂へ入るという習慣を理解してか、ここ数日は狩りから戻るとお風呂にお湯を張っていてくれた。


 それはもう凄く有難かったわけだが、善意でやって貰っていたことだし、忙しかったとなればしょうがない。


「魔物を持ち帰ったとなれば捌く必要もあるでしょうから、今日は先に夕食を食べませんか? 私もその蟹を早く食べたいですし」


「ん~そうだね、そうしよっか。もしかしたら食事中汗臭いかもしれないけど許してね」


 そうと決まればとりあえず装備だけは脱ぐかと、お風呂に向かう途中でふと思う。


「あっ、リステさ。蟹を少し冷やして貰うことってできる? その方がたぶん甘みも強くなって美味しくなると思うんだよね。このサイズじゃ冷蔵魔道具に入らないし」


「凍らさずに冷やす程度ですね。分かりました大丈夫ですよ」


 よしよし、これでさらに美味しくなりそうだな。


 いずれは自分でも気軽にできるようになりたいが、どうせそのうち【氷魔法】を所持している魔物もどこかで出てくることだろう。


 ならばその時に魔物から取得すれば十分と、霧になっていくリステを横目に見ながら風呂に駆け込み、装備を脱ぎつつもついでに解体用ナイフを綺麗に洗浄する。


 そしてやや汗臭いまま風呂から出れば、リステが蟹に手を添えて冷やしている真っ最中だった。


「このくらいで凍らない程度には冷えているはずですけど、どうでしょう?」


「どれどれ……うん、見た目だけじゃさっぱり分からんね!」


 触れれば甲羅は冷たいのだが、中身まで冷えているのかがいまいち判別できない。


 となればしょうがないと足を一本捥ぎ取り、解体用ナイフで殻を剥く。


 そして出てきたプリップリの身をカプリと。


「あはぁ~めちゃウマ……ちゃんと冷えてるよありがとう! リステも味見してみる?」


「では私も……」


 そのまま食べかけの身に齧り付くリステ。


 当初はこれをやられると俺自身テレッテレだったわけだが、なぜかリステは俺の食べかけを食べたがるのでもう慣れてきてしまった。


「お店で食べたのよりも美味しい気がします」


「ふふふっ、獲れたてと冷やすの二つが味に貢献しているのかもしれないね」


 そこからはいそいそと。


 ミソの入った大きな甲羅を皿替わりに、剥いて食べやすくした身をどんどん乗せていく。


 1匹50cmほどはある蟹なのでその身も大量だ。


 昼に多少食べたというのにもう涎が出てきてしまう。


「この茶色い物はなんですか?」


「これはミソだよ。蟹の内臓? 脳みそ? なんだかはよく分からないけど、俺の住んでいた日本だとお酒のツマミとかで好きな人は凄く好きって食べ物だったんだ。人によってはこの甲羅にお酒を入れて飲んじゃうくらいだね」


「なるほど……あのお店では出てきませんでしたよね?」


「ちょっと好みが分かれる食べ物だからなぁ。もしかしたらこの世界だと捨てられているのかもしれないけど……毒って感じじゃなかったし、試しに一回舐めてみたら?」


「そうですね。ではお願いします」


「うん。うん? お願いします?」


「はい、お願いします」


「何を?」


 リステがよく分からないことを言い始めた。


 まさかとは思うが、確認を取らないわけにはいかない。


「ですから」


 そう言って小さな口をアーンと開けるリステを見て、俺と俺の息子は確信した。


 これ、ちょっとマズいやつやん? と。


 俺の脳内にある危機管理センターが「ヤバいよヤバいよ」と警告を鳴らしている。


(どうする……蟹の身にミソを付けて回避するか? いやいや、それは男らしくない。何より俺の本心がそれを望んでいない……)


 ――ゴクリ、と。


 自分が生唾を飲む音が聞こえた。


 指に蟹ミソを乗せ、恐る恐るリステの口に持っていけば



「あふぅ……」



 本当に蟹ミソを味わっているのか疑いたくなるほど動く舌に、俺の身体はピリリと電気が走る。



「美味しいですね。私、コレ好きですよ」



 微笑みを向けながら放つリステのその言葉に、俺は思わず前屈みになってしまう。


 緊急事態宣言発令でしばらく直立することができそうもない。


(な、中身はおっさんだけど、こんな多感な時期の少年になんてことを――)



 コンコンコン……



「お食事をお持ちしました」


「リ、リステお願い……俺は殻を剥くという使命があるから。そのせいでここを動けないから」


「ふふっ、分かりました。そちらはお願いしますね」


 絶対、揶揄われた。


 そう思いながらも、内心ドキドキと興奮が止まらない俺は、しばしその指を眺め続けていた。





 ▽ ▼ ▽ ▼ ▽





 ただでさえ豪勢な食事に2杯の大きな蟹付きということもあって、今日の夕飯はいつも以上に美味しく、そして楽しい一時だった。


 思わず明日も狩りがあるというのに、リステの勧めに釣られて俺まで2杯ほどワインを飲んでしまったくらいだ。


 言葉にすると恐ろしいが、最後の晩餐としては十分満足のいく内容だったと思う。


 途中、俺の言葉に触発されてか、リステが蟹の甲羅にワインを入れようとして焦る場面もあったけど、それはそれで楽しい思い出になるだろう。


「それじゃ俺はお風呂入ってくるよ。お皿の回収が来たらお願いね」


「分かりました。あっ、お風呂へ入る前にお願いが」


「ん?」


「今日が最後の夜なので、もう一度地球の品を見せて頂けませんか?」


「あの鞄だよね? それじゃ先にお湯だけ出してくるからちょっと待ってて」


 早々に風呂場の魔道具を起動させたら、ストレージルームに魔力を流す。


 そしてゴソゴソと鞄を取り出しながら、ついでとばかりに硬貨がパンパンに詰まった革袋を一つ置いておく。


 マルタに来た当初は、金欠病という重い病に掛かっていたので有難く現金で頂いていたが、最近は余裕が出てきて正直重い。


 それに明日からは一泊3万ビーケの、風呂付きだけど最低ランクの部屋に移動することは例の老紳士に伝えてある。


 この部屋はリステの滞在に合わせた特別待遇だったわけだし、本来なら俺みたいな駆け出しの小僧が泊まるような部屋じゃないからな。


 こうなると余計にお金の貯まりも早くなってくるので、どうしたものかと思わず考え込んでしまう。



(ヤーゴフさんの書状を使うか使わないか……もうあとはBランクの狩場次第なんだよなぁ)



 あと数日で最低限の目標達成ができるボイス湖畔。


 ここでマルタの狩場巡りが終了となれば、当然書状を使う必要は無い。


 ここからとりあえず北に向かい、Dランク狩場を目指すことになる。


 が、Bランク狩場に挑戦して、もしいけると判断できれば、マルタ滞在が長くなる可能性も出てくる。


 そうなるとギルドに報酬を預けるという機能がどうしても使いたくなるので、こればかりは一度行ってみないとなんとも判断のしようがない。


 リステに鞄を渡しながらもホリオさんの言葉が脳裏を過ぎり、そして思考は巡る。



(死にたくはない……でも、チャンスがあれば活かしたい……)



 そして気付けば風呂の中。


 目の前には新調した剣が目の前に立てかけられていた。


 素っ裸のまま、風呂内部の灯りによって照らさせた光沢感の強いその剣を眺める。


 今のところの出番は、たった1回マッドクラブを試し斬りしただけ。


 折角作って貰ったパイサーさんの力作だというのに、俺が貧乏性なばかりに出番のない可哀想な剣だ。



「使いたいよなぁ……おまえも折角作られたんなら、きっと使われたいよな?」



 誰かの後押しが欲しい。


 きっとお前なら大丈夫だと、誰かに言ってほしい。


 でもソロの俺にはそんな相手がいない。


 リステにこんなことを相談するのもおかしな話だろう。


 だから悲しいかな、剣が相手―――答えは返ってこないと分かっているのに、別の理由が欲しくて思わず問いかけてしまう。



「――次はリガルが降りますから、彼女に聞いてみてはいかがですか?」


「えっ?」



 声に釣られて咄嗟に振り返れば、風呂場の入り口でリステがこちらを見つめていた。


「ぎゃー!」


 剣を握りながらも思わず大事な部分を隠す。


 危なくてしょうがないけど、こんな粗末なモノを見せるのは大変危険だ。


 せめてドアの向こうから声を掛けてほしかった。


「ロキ君が先ほど悩んでいる様子だったので……強さや戦闘に興味を示す彼女なら、きっと力になってくれると思いますよ?」


「そっか……戦の女神様だもんね。うん、そうしてみるよ。ありがとうねリステ」


「私はロキ君の力になりたいだけですから。それではごゆっくり」


「……」


 装備を手入れし、頭や身体を洗って湯舟に浸かるも、先ほどリステの言った言葉が頭から離れない。



「力になりたいだけ、か……」



 部屋に戻ればいつもいてくれて、余裕があればお風呂の準備もしてくれる。


 困ったことがあれば俺に教えてくれるし、今だって言葉にしたわけでもないのに、わざわざ心配して様子を見に来てくれた。



「はぁ……優しいなリステ……こんな人が――――」



 思わず漏れた言葉を必死に止める。


(バカバカ。何回やらかせば気が済むんだよ俺は。フェリンも好き、リステも好き、フィーリルにもリアにも心惹かれる。こんな節操の無さ過ぎる俺に嫁とか言う資格なんてないだろうが)


 モヤモヤした気持ちから、思わず頭まで湯の中に潜ってしまう。


(でも、こんな美人な人達相手に惹かれない男なんていないだろ……相手は神様だけどさ)


 そんな思いが口から出た泡となり、湯の中へと消えていった。

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