第127話 溶ける思い

 身体を拭き、部屋着に着替えて戻ると、リステはいつもの指定場所。


 ローテーブルにはワインの入ったグラスが置かれており、マルタ最後の景色を楽しんでいる様子だった。


「さっきはありがとうね。次の狩場をどうするか悩んじゃって――」


 何気なく伝えた感謝の気持ち。


 だが、その言葉に反応してこちらを向いたリステの姿に、俺は思わず言葉を失った。


「……」


 当然リステ本人はその原因を分かっているのだろう。


 その上で、見せつけるかのようにその場から立ち上がる。


「ッ……」


「おかしかったですか……?」


「ぜ、全然……まったく……というか、化粧……?」


 今、目の前にいるリステの姿は先ほどまでと違っていた。


 ドレスは同じ黒だが明らかに露出が高くなっており、肩は剥き出しに、胸からお腹に掛けてはセンター部分がシースルーのような、透ける素材が使われていた。


 おまけにリステはどういうわけか、化粧までしている。


 それもマルタに来てたまに見かけるようになった、派手に塗りたくっている厚化粧ではなく、現代風の自然でありながらより目鼻立ちをくっきりさせるメイク。


 そのせいで、ただでさえ元が整い過ぎているリステのお顔がより美人お姉様に、というより決して派手なメイクではないものの、妖艶な雰囲気に仕上がってしまっていた。


「せっかくであればと、地球の化粧を試してみました」


「そ、そっか……よく化粧の仕方、分かったね」


 衝撃が強過ぎて素直に褒めることもできず、元のコミュ障な俺が顔を出してしまう。


「それについてはロキ君に謝らなければなりません。ロキ君の髪型を参考にする時、一緒に化粧後の姿がどのようになるのか確認をしたくて、ロキ君の記憶を少し覗きました」


「えっ……」


 だからだったのか。


 髪を切られた時、やたらと自然と言うか、日本にいても違和感のない髪型に仕上がったなと感じていたんだ。


 この世界でも髪型は様々だが、ハンターや平民という括りに入る普通の人達はそこまで髪型に拘っている様子がない。


 それこそ邪魔にならなければ良いという発想なのか、男性は無造作な短髪にしている人が非常に多かった。


 だから俺の髪型はあまりこの世界の人達っぽくはなく、ちょっと現代風のオシャレな感じが出ていたんだ。


 それはてっきりリステの技術能力値が高いせいだと思っていたが……


 そうか、俺の記憶から日本の髪型を参考にしたわけか。


 イメージだけで実現できるというのも凄いことだけど、記憶から現代風にしたと言われば納得もいく。


 そしてそのついでにと、化粧後の完成像まで確認したと。


 そこまで女性との接点が多くなかった俺にとって、美人や女性らしいという印象が強いのは、付き合いや接待で行く夜のお姉ちゃん達だった。


 だからこんなエロ過ぎる雰囲気に――



 マズい。



 マズいマズいマズい。



 これは二重の意味でマズいよ……



 まずは視界に入るこの光景。


 せっかく慣れたというのに、ここまでリステの雰囲気に合わせた、ある意味リステならコレという格好をされてしまうとまた緊張してしまう。


 似合い過ぎて直視ができない。



 それに俺はいったいどこまでの記憶を覗かれたのだろうか?


 自分なりの努力では思うように結果が伴わず、うだつが上がらなかった使えない営業マン時代の記憶を見られたのか?


 それともだらしない恰好をして、ゲームばかりしていた頃も?


 もしや、それ以前の苦い思い出しかない学生の頃の記憶まで―――


 うぅ……全てがカッコ悪い内容ばかりだ。


 とても人に覗かれたくはない、好意を寄せている相手だからこそ隠し通したい記憶。


 それが見られたとなれば――


 興奮、不安、動揺。


 色々な感情が入り混じって、思わず呼吸が荒くなる。


 手が、自然と心臓を押さえ込んでしまう。


「ロ、ロキ君!? 大丈夫ですか?」


「ご、ごめん! ちょっと色々な感情が……え、えと……できれば記憶は覗かないでほしいかなぁ……」


「ごっ、ごめんなさい! ロキ君に喜んでもらおうと……」


「うん。それはドレスとか化粧を見ればなんとなく分かるよ。だから怒っているわけじゃないんだ。……ちなみに、それ以外にもなんか覗いちゃった?」


「いえ。記憶を覗くというのは魂から知りたいことを引き出す行為ですので、髪型や化粧の仕方――後はロキ君がいた国の法について少々……」


「へっ? 法律のこと?」


「……はい。記憶のこと、あとはお気づきだと思いますけど、心を読んだことについても謝罪させていただきます。ごめんなさい」


「えっと、心というか、思考を読まれるのは最初からだったから段々慣れてきちゃった感もあるけどさ。とりあえず聞きたいことがあったら教えてよ。俺が知っている内容ならちゃんと教えるから」


「分かりました。これからは緊急性がない限りそのようにします」


 元はと言えばリステが俺のためにしてくれたことなのに、余計な心配や見た目の変貌にテンパった俺の問題でもある。


 リステは教会を訪れる商人から記憶を探ったと何度も言っていた。


 ということは、それがリステにとっての日常で常識ということだ。


 それにそもそもとして、リステは管理する側で俺はされる側。


 考え方や常識が違うのだって当たり前だろう。


「お、俺の方こそごめんね。神様に俺の常識なんか当てはめようとしちゃって」


「いいえ。私はロキ君が嫌がることをしたくありません。むしろ喜ぶことをしてあげたいと思っています」


「……」



 なぜ俺なんかにそこまで?



 そんな気持ちが言葉となって口から出かかりそうになるも、それを聞いてしまえば後戻りができなくなるような気がした。


 だから思わず言葉を飲み込んだ。



 なのに―――



「私は……ロキ君に好意を寄せています」


「――ッ!?」



 ―――リステは言ってしまった。


 俺が一番聞きたくて、でも聞いちゃいけない言葉を。


「あっ……お、俺は……」


 どう返答するのが正解なのか、それが分からず口籠る俺に向かい、リステは歩み寄ってくる。



「ロキ君。今の私は、ロキ君が喜んでくれる姿になれていますか?」



 その言葉に直視できなかった視線を無理やり上げ、リステの姿を見つめ直す。


「……凄く、綺麗、です」


 これ以上の言葉が出てこない。


 表す言葉も見つからない。


 ただただ本心から伝えた気持ち。



「それは良かったです。頑張った甲斐がありました」



 その言葉で花が咲いたように微笑むリステを見て、俺は息を飲むことしかできなかった。


 静寂に包まれる中、一歩一歩、こちらに歩み寄ってくる。


 心臓の鼓動がまるで警報かのように強く鳴り響く。


「はっ……はぁ……」


 呼吸が乱れ、思考が混濁し、正常な判断がまったくできそうもない。


 気付けば。



「ロキ君。私はどうすれば――もっとロキ君は喜んでくれますか?」



 リステは目の前に立っていた。


 思わず見上げれば、リステは俺の瞳を見つめている。


 その姿はあまりにも煽情的で―――


「あ……いや……」


 ―――言葉とは裏腹に、不埒な想像が頭を過ぎってしまう。



(くそっ! 落ち着け落ち着け落ち着け!! このままじゃフェリンはどうなる! 他の女神様達との関係は!? 女神様達同士はどうなるんだよ!?)



 働かない頭で懸命に考えるも、これという明確な答えは出てこない。


 すでに理性という糸は切れかけ、このまま身を委ねてしまいたい衝動に駆られているのが自分でも分かる。



「 」


「え? ちょ……リステ!? えっ!?」



 困惑している中、急に俺の身体が宙に浮いた。


 視界にはリステの顔と動く天井が。


 理解できないまま抱き抱えられ、運ばれていく状況に茫然としていると――



 ――――ポフン。



 柔らかなベッドの上に、背中から着地したことが分かった。


 咄嗟に半身を起こせば、ベッドの上でにじり寄るリステの姿が見える。


 緩んだ胸元から見えるその景色に頭がパンクしそうになってしまう。


「ちょ、ちょっと待って!!」


「……」


「なっ、なんでこんな状況に……」


「ロキ君が望むことをしてあげたいからです」


「ッ!? 待って! 間違ってはいない! けど――」


 苦しい。


 リステにここまでさせておいて、今だに足掻いている俺はなんなんだ。


 好意があるとはっきり聞いたのに、本音も口にせずこの状況を打開しようと頭を捻った""だけしている俺はいったいなんなのだ。



(あぁっ! 自分に反吐が出る!!)



 思考が定まらないまま、咄嗟に出た言葉は俺の本音だった。


「ご、ごめん!! 俺は……俺は優しくて綺麗なリステが大好きだよ!! でも、フェリンも好きなんだよ……それだけじゃなくフィーリルだってリアだって。みんな可愛くて美人で、それでいてホッとできて、優しかったり不意の笑顔が素敵だったり……うぅ! もう何がなんだか分かんないけど、異分子の俺に優しくしてくれる皆が好きなんだよ……」


 気付けば自分自身の不甲斐なさに、溜まった涙が頬を伝う。


 人生で経験したことのない、俺の小さな器では対処しきれない状況に心が溢れる。


「だから嬉しいよ。凄く嬉しいけど、このまま流されちゃいけないんだ。そうすると俺もリステも他の女神様達も。みんなあとで辛くなっちゃう気がするんだよ……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」


 リステにここまでの行動をさせてしまったのは俺のせいだ。


 俺が中途半端な対応を取ったからこんなことになっている。


 先ほど運ばれた時、リステの顔には不安の色も見えていた。


 きっと凄く勇気がいること――その行動を無駄にしてしまったことに、俺はただただ謝罪しかできない。



「大丈夫ですよ」



 香る匂い。


 柔らかい感触。



 ――すぐに抱き締められたことが分かった。



 男なのに泣いて、勇気を振り絞った人から慰められて、これ以上情けないことはない。


「ロキ君がフェリンに好意を寄せていることは知っています。フィーリルやリアに対して、それに近い感情を持っていることも」


「ごめんね……節操がなくて本当にごめんなさい……」


「だからそれが大丈夫だと言っているんですよ?」


「……ふぇ?」


「このことは皆に伝えています。そして皆でロキ君を共有しようという結論になったのです」


「……ふぁ?」


「言ったでしょう? 私はロキ君が困ることや嫌がることはしたくないのです。ロキ君が望む道を作ってあげたいのです」


「……ふぉ?」



 もう、ダメだ……


 ただでさえパンクしている俺の小さなコップに、バケツの水をひっくり返されたような謎の情報が注ぎ込まれている。


 意味が分からなくて、さっきからまともな返答すらできていない。


「ロキ君がフェリンや他の皆に罪悪感を覚えたり、私達の仲を心配していただけるのは、一夫一妻というロキ君が住んでいた日本の法が元のはずです。でもここは日本ではないのですよ? この国では養う能力さえあれば、一夫多妻も一妻多夫も、どちらも認められていることです」


「あ……」


 ここでようやく、リステの言っている言葉がストンと胸の中に落ちた。


「そ、それって、貴族は奥さんいっぱいいるとか、そういうこと?」


「一例で言えばそうですね。ただそこに身分は関係ありませんよ? 養える能力や力があれば多くを養う。生物として自然なことでしょう?」


「そ、そうだとしても……リステやフェリンはそれで良いの!?」


「当然ではないですか。そもそもとして、私達の存在を理解し、その上で接してくれているのはロキ君しかいないのですよ? 仮に他の選択肢があったとしても、私は優しく気遣ってくれるロキ君を選びますが」


 抱き締める力が強まったせいでリステの顔は見えない。


 でも照れていることは、心臓の鼓動を聞けばなんとなく分かる。



 そっか……女神様はどんな人達なのか、下界に【分体】を降ろしていることも、そしてその理由も。


 この世界で知っているのは、女神様達本人を除けばだった。



(……俺はこんなに悩まなくて良かったのかな?)



 認められたからと言って好き勝手にするかと言われたら、まずそんなことはしないしできない。


 そこまで豪胆な性格はしていないと自覚している。


 でも、皆に様々な好意があることを認めてもらえる――


 そう考えるだけで、自然と気持ちが楽になった。


 と同時に、今の抱き抱えられている状況に心臓が再度跳ね上がる。


「皆、ロキ君がいずれ家を建てるなりにして、定住されることを楽しみにしているのですよ? 目的は会いたいから、愛でたいから、ただ遊びに行きたい、強さを確認したいと様々ですけど――それでも、まだ悩みますか?」


 その話を聞いて、思わず「ふふっ」と笑ってしまった。


 遊びに行きたいのはリア、強さを確認したいのはリガル様だろうなと、なんとなく想像できてしまう。


「ううん、もう大丈夫。なんだか重しが取れたみたいで心が軽くなったよ。本当にありがとうねリステ」


「それは良かったです。ではもう一度聞きます」


 リステの鼓動がさらに早くなる。


 それに釣られて、俺の鼓動も爆発しそうなほどに高鳴る。



「ロキ君。私はどうすれば、もっと喜んでくれますか?」



 この言葉に、俺はもうどこまでも素直になろうと、そう思った。



「俺は、リステが欲しい。だから――この気持ちを受け止めてほしい」


「やっと、正直になってくれましたね」



 俺を抱える手が緩み、銀糸のような細い髪と共にリステの端麗な顔が下りてくる。


 この世界に来て、初めての口づけ。



 ――そしてこの日、リステの【分体】が消えることはなかった。

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