第66話 特訓
夕刻の鐘から約1時間後。
大筋の商談も無事纏まり、閉めようとしていた商店に滑り込んで塩を多めに買った俺は、急ぎ足で宿へと向かった。
まだまだ人の往来も多い夕食の時間帯だ。
リア様も町をウロウロしている最中だと思うが、時間を決めているわけではないので余裕をもって宿へ戻っておかないといけない。
この文明が遅れた異世界にそこまでの不満は無いが……
時間を相手にはっきりと伝えられないという部分だけは強い不便さを感じてしまう。
他人任せだが誰か、時計をこの世界に広めてほしい。
あとは風呂だな。
毎日なんて贅沢は言わないから、2日か3日に1回くらいは風呂かシャワーを浴びたいものだ。
そんなことを考えながらも宿屋に到着。
念のため食堂も兼ねた一階のフロアを見渡してみると――
(はやっ……もういるじゃん)
なぜかリア様がカウンターの椅子に座って足をプラプラさせていた。
「坊や! お嬢ちゃんがお待ちだよ!」
「ロキ、遅い」
「……」
食事を摂らないリア様でもここで待たせてくれていたのか。
それに顔が他のお客さんには見えにくいカウンターというのも何気にグッジョブだ。
なぜかリア様の前には飲み物の入ったコップまで置いてあるし、さすが一人で切り盛りしている女将さん。
仕事ができる人である。
「いやいや、まだ世間の人達は活動している時間ですよ? もう見回りは終わったんですか?」
「時間はあるからゆっくりやる」
「そ、そうですか……」
いまいちやる気があるのか無いのかよく分からないけど、不老の女神様と俺のような普通の人間とじゃ時間の感覚が違うのだろう。
突っ込んでもしょうがない部分だろうから、転移者探しは放っておくことにする。
「坊や、そのまま食事にするかい?」
「そうですね。リ……」
ここで思わず言葉が止まってしまった。
人前で『
顔はバレていなくても、教会に神像があるようなこの世界の神様なら、さすがに名前くらいは知れ渡っているはずだ。
どうしよ……
「あ、あなたはどうしますか? 先に部屋へ戻ってます?」
咄嗟に出たのはこれだった。
あなた呼び。
新婚の主婦みたいだし大変失礼なんだろうけど、身バレするよりはまだマシだろう。
そんな俺の悩みに気付いたのか、リア様もそのことには触れず返答してくる。
「私も食べてみる」
「え? あ、はい……女将さんすみません。1人分追加って可能ですか?」
「多少余裕をもって作ってるから大丈夫だよ。お嬢ちゃんの分も用意するからちょっと待ってておくれ!」
そう言って女将さんが奥の厨房へ引っ込んだので、チャンスとばかりに確認だ。
(リア様、話を振ったのは俺ですけど、ご飯食べられるんですか?)
(食べられないんじゃなくて、食べなくても大丈夫というだけ)
(それならいいですが……)
(さっきお水飲んだら大丈夫だった。だから下界のご飯もたぶん大丈夫)
たぶんってなんだよ。
まぁ残すようだったら俺が代わりにリア様の分も食べよう。
かぁりぃと宿屋の夕食コンボで、二人前食べるのはもう慣れた。
(それと、人前でリア様って言うのはさすがにマズいですよね?)
(女神の名前を取る子供なんて多いはずだから問題無い)
(そうですか)
(ただ)
(ただ?)
(『
(……)
それもそうだ。
様呼びされる少女なんて、どこぞの王族や貴族の娘くらいだろう。
すんごいお金持ちの娘でもいそうな気はするが、それだって従業員や身の回りの世話をしている人がそう呼ぶのであって、見るからにハンターの俺が様呼びというのは違和感がある。
ということは?
まさかの?
(……だからリアで良い)
(グフッ!!)
マジかよ。リア様を呼び捨てかよ!
妙に心拍数が上がっていくのを感じる。
たぶんこれはアレだ。
女神様を呼び捨てにしてしまうという禁忌を犯そうとしているからだ。
以前女神様をゴミ呼ばわりしたことのある俺だが、冷静に考えれば神様を呼び捨てなんてマズいことくらい分かる。
決してリア様をリアと呼ぶことに、緊張してしまっているわけではないはずだ。
なぜか俺を見つめてくるリア様に気圧され、言わなければいけない雰囲気に包まれる……
スゥーハァー……スゥーハァー……
(リ、リ、リッ……「ハイお待たせ!」)
「……」
「……」
なんてタイミングだよ女将さんっ!!!
ここは空気を読んで!……って、小声でコソコソしゃべっていたのは俺達だった。
「あ、ありがとうございます……とりあえず冷めないうちに食べましょう?」
「……わかった」
今晩の食事は味がいまいち分からなかったが、横目で見たリア様は満足そうに食べていたので、それなら良いかと1人納得をした。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
「……リァ」
「もう一回」
「……リア」
「よく聞き取れない」
「リア」
部屋に戻ったあと、なぜか始まった呼び捨て練習。
俺のせいでバレたら困るからと半強制的に始まったわけだが……だがちょっと待ってほしい。
明日から俺はルルブ遠征だ。
ベザートには戻ってこないわけだから、リア様とは当面会うことも無い。
たぶん俺が戻る頃には別の女神様とバトンタッチしていることだろう。
となると、この練習の意味は? どこで使うタイミングが? と甚だ疑問に感じるわけだが。
「もっとはっきりと」
「リア!」
言われれば従う、従順な僕に俺は成り下がってしまっている。
そしてそんな状況を、意外と心地良いと思ってしまう自分もいたりする。
「大丈夫ですって! リア! リアリアリアッ! 慣れました! 様を付けることはもうありません!」
「分かった。なら許す」
許しを得るような事態だったのだろうか?
よく分からないけど、リア様が納得してくれたのならもうそれで良いだろう。
「で、リ、リア。これ」
「?」
「この世界、というかこの国のお金かな? 別の国なら違う通貨になりそうだし。とりあえず渡しておきますよ」
そういってテーブルの上に置いたのは、革袋にギッシリ詰まったラグリース王国のお金、約100万ビーケ。
商談後、そのまま満足して帰ろうした俺に、アマンダさんから強烈な突っ込みが入って受け取った今日の報酬もなんだかんだで20万ビーケほど。
それも足した現在の手持ち全部である。
「使う予定無いよ?」
「リアの【分体】でも食事が摂れることは分かりましたし、なんだかんだ美味しそうに食べてましたからね」
「……」
「それに今後も女神様達が交代で下界に【分体】を降ろすんでしょう? なのでそのまま引き継ぎの時にでも渡しておいてください。何かあった時にこの世界はお金が無いと困りますから」
「分かった……ありがとう」
「いえいえ。ただ訳の分からないものに無駄使いしないでくださいよ? 言った通り俺は明日から当分ベザートを離れますから。無くなったなんて言われても簡単に補充はできませんからね!」
「大丈夫。そうなったらルルブの森に【分体】出すから問題無い」
「いやいや、ルルブの森に現れてもお金持ってませんって……」
そんな冗談も交えた世間話は、夜の帳が下りた後も続いていく。
そしてひとしきり話し終えた後。
最後に「それじゃあ頑張って」と言い残し、リアの分体は濃密な青紫の霧と、綺麗に揃えられたサンダルを残して消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます