第3話 現在地
悠人の冒険、初日。
歩き始めてから僅か1時間、樹海さながらの森の中、俺は早くも迷子になっていた。
(くそっ、多少の起伏がある程度で、高台がまったく見当たらない……)
アウトドアが趣味でもない俺にとって、人生初となる森の大探索だ。
浅い呼吸を繰り返しながら、こんなにも過酷なのかと、心の中で思わずボヤいてしまう。
大地は隆起と沈降を繰り返し、張り巡らされた大樹の根が歩行を阻害、低木の葉がまるで道を塞ぐように視界を遮る。
高台、もしくは川を探すという目的はあるものの、目標を視認できずにウロウロしてしまっては、体力と精神を無駄に削られて心が折れてしまいそうだ。
大型の動物や怪しい生物に出会っていないのはまだ有難いが……
幸い無数の葉をつけた木々によって直射日光は遮られ、森の中は極端に暑いというわけではない。
せめて片手は空けられるようにと、ブカブカなスーツの上着を無理やり羽織れる程度には耐えられる気温だ。
しかし日本との季節差はそこまで感じられず、強い湿気が汗を生み出し頬を伝う。
そんな中で俺は周囲を警戒し、耳を澄まして水の流れる音を求めながら歩き、そして考える。
鞄に入れているのは、スマホ、会社支給のガラケー、財布、大型の手帳にボールペンが予備含め数本、プラスチック製のボード、手鏡、名刺入れ、電卓に判子セット一式、いざという時の契約書や書類の束くらいだ。
この中に現状を打破できるような物は無い。
携帯はすでに電波が入らないことを確認しているため用済みとなった。
一応それ以外にも、タバコや仕事用の懐中電灯とその予備電池、プラスとマイナスのドライバーは鞄に入っている。
が、それは今ここで手に持ったところでどうなるものでもないだろう。
商談予定は元の世界の時間で14時だった。そこから転移し、状況を確認してから1時間近く歩いていることを考えると……
もしかしたらこちらの世界でも日が沈み始めるかもしれない。
転移世界がどのような周期で1日を通過しているか、それは今の段階ではまったく分からない。
ただ日没の可能性があるならば急がなければいけないか。
まだ寝床、水、火と何も解決してない状況では、募る不安が余計に体力を削る。
(落ち着け、落ち着け……営業マンは常に冷静に、頭を回転させつつ中身は熱くと、笠原さんに教えられたじゃないか)
勤めていた会社の上司との関係性はそう悪いものでは無かった。
上司は営業の成績が非常に良く、新卒入社で社歴が長いこともあってか昨年、同年齢でありながら課長職に昇進した。
一時は同じ平社員だったこともあり、仕事では敬語、プライベートな飲みの場ではタメ口というなんとも微妙な関係性であったが……
元々対人関係が苦手で、ゲームに逃げていた俺にとっては数少ない友人であり、腹を割って話せる上司でもある。
(アポイントの時間なんてとっくに過ぎてるからなぁ。会社に電話もいっているだろうな。笠原さんすまん、おまけに会社に戻れなさそうで、迷惑かけて本当にすまん……)
もう会えぬであろう人物に心の中で謝罪しつつ、ふと、俺が係長に昇進した時、笠原さんから祝いで貰ったベルトを見た。
目立ちはしないが質の良いベルト。
「少しは気にしろ! スーツは営業マンにとって戦闘服だぞ!」
いつも言っていた口癖を思い出す。
安物と違って革があまりヘタらず、かなり満足して愛用しているベルト。
視界の先にある木々を見る。
そして地面に近い枝をそれぞれ確認する。
登れば多少は先の光景が見えるんじゃないかと、既に木登りには何度も挑戦している。
しかし、飛べば枝の下部には触れられる木もあったが、手を回して掴むことができずに木登りを諦めていた。
そして1歳分の欲をかいたばかりに、25cm以上も身長が低くなってしまった自分自身の選択に後悔した。
が。
(ベルトを上手く使えばいけるか……?)
見える範囲で、より高くまで伸びていて、かつ枝が豊富で上によじ登っていけそうな木。
それでいて取っ掛かりとなる最初の枝は極力地面に近く。
理想を言えばそれが少しでも高台であること!
試す価値はある。
諦める前にまずはやれ。
そう心の中で呟きながら、先ほどよりも早い歩みで明確な『目標物』を探し回った。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
「ははっ、とうとう見つけてやったぜ……」
やっとのこと、『目標物』と思われる木、地形を発見できた。
決意して探し始めてから30分以上は経過している。
(大体3メートルくらいは他より地面が高いし、下から見る限りかなり樹高は高そうだ。まず幹が他よりだいぶ太い)
一応周囲を確認しながら、まずは枝に向かって飛び掛かる。
が、やはり。
枝の下部にも手を触れることはできなかった。
他が好条件な分、最初の取っ掛かりとなる枝を掴むまでのハードルが高い。
ならば。
まずはジュラルミンケースの鞄を足場にする。
これで15cmくらいは高さを稼げるはずだ。
鞄を縦にすると最悪は足を挫いてしまいそうだから、さすがにそこまでは止めておく。
もちろん丈夫が売りなんだから、13歳程度の俺が乗ったところで壊れることはまったく無い。
精々凹む程度なので、高さを維持するため凹まない鞄の角に足をかける。
そしてベルトを外して手に取り、鞄を踏みながらベルトの一方を投げ込む。
スルりと枝の上部を通り、ベルトが枝の左右から垂れてきた。
これで左右のベルトをそれぞれ手に取れれば、幹を足場に登って足を掛けることはできるはずだ!
そこまでいければあとは根性。
まずはジャンプ!
よしっ掴んだ!
後は地面と並行するように足だけで登って……うぐ……バックルが無い方は手が滑る……キツい。
が、なんとか枝へ足を掛けることには成功。
足が掛かれば、腹筋はつらいが手も掛けられる。
あとは俺の筋力だけ!! 15年振りくらいのフルパワーだぁあああああ――!!
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
30分後、黄昏始めた日差しの中、周囲を眺める死にかけの男がいた。
もちろん俺である。
決して最上部まで登ったわけではない。
高過ぎてチビリそうとか、枝が細くなって危険そうということもあるが、そこまでしなくても360度、ある程度の状況を把握することはできた。
それは粘って大樹と、さらに生えている環境、高低差を厳選した結果である。
そしてその結果から得られたもの。
それは、視界一面に広がる樹海さながらの大森林。
町はおろか、平原や草原なんていうものも一切確認できず、ただただ濃緑の海原がどこまでも続いていた。
そう、目に見えた樹海の出口は無かったわけである。
どんぐり頭が初めから殺しにかかってきているとしか思えない所業。
しかし。
周囲を眺めながらも俺の口角は上がっていた。
決して絶望して、気が触れたわけじゃない。
では何が俺をそんな気持ちにさせたのか。
その理由は三つある。
一つ。
360度大パノラマの中で、一方向にかなり広範囲に渡って連なる山々が確認できた。
ここからどの程度の距離感かは掴めないものの、相当標高は高そうな山脈群。
ということは、だ。
あの山脈群を背に、とりあえず離れた方向へ進めば人里に当たる可能性は高いということである。
人間は平地が好き、この世界だってたぶん同じはずだ。
二つ。
正確な方位の確認が容易になったこと。
沈む太陽――とは違う存在かもしれないが、その太陽らしきものの場所から方位を判断することはできる。
地球であれば、今沈もうとしている方角が西なのは素人でも分かることなのだから。
ただそれ以外にも、必死に枝を登っている最中、気が付いたことがあった。
それは営業マンの会話の糸口とも言える腕時計である。
ブランドに興味が無くはないが、仕事をする上で当たり障りがないよう機能性重視で無難な某国産メーカーの腕時計を使用していた。
その腕時計に、なんと方位機能が付いていることに今更気付いたのである。
普通の生活の中で使うことなんてまるで無かったんだからしょうがない。
木登りという普段まず取らない体勢だったことで、無駄に腕時計が視界に入ったことが幸いした。
三つ。
それは濃緑一色の視界の中で、僅かに、そして長く続く濃緑の切れ目を発見できたこと。
これはもう川の存在としか考えられないだろう。
もし『断層です』なんてオチだったらショック死してしまうかもしれない。
そしてその切れ目が山脈群に対して離れるように伸びているため、僅かな高低差で川は下っているのではないかと予想している。
つまり、川を下れば水分を補給しつつ、人の住んでいるであろう地域まで、そのまま近づくことができるということである!
まだ解決していない問題もだいぶあるが……
というか、日が沈みかけているのに今夜の寝床はどうするんだって話だが……!
それでも少し未来が開けた気がする初日であった。
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