第6話

カラカラ、と扉が小さな音を立てた。

事件以来閉鎖されていた碑文谷派出所の中は、何もかも1ヶ月前のあの日と同じだ。

「───くそ」

僕は小さく毒づくと松葉杖を頼りに所内に入り、エアコンを探した。

外の暑さと長らく閉め切っていたせいでひどく室内は蒸し暑い。

エアコンのリモコンを取って一気に18度まで設定温度を下げる。

ザザ、と小さく無線機からノイズが入った。

「───こちら菊住。八百坂くん、室内の様子はどうだ」

「こちら八百坂。どうって、何も変わったところはないですよ」

「それは重畳。何かあったら無線を繋いでくれ。応答しなくても無線をONにするだけで日野くんが援護に入る」

「───了解」

僕は窓口に置いてある椅子の背を軽く指でなぞり、そのまま腰掛ける。

あの日もこうやって座っていた。

違うのは僕の足が折れていることと、谷さんがいないことくらいだ。


菊住警部が言っていたことを思い出す。

犯人が僕を”取り逃した”ことを知れば必ず犯人は口封じにやってくる。

わざと事件当日と同じように僕に派出所に詰めさせることで、僕が生きていることを知らせ、犯人をここへ戻らせよう、との読みだった。

「───だからってさ」

僕が犯人にまた襲われたら、どうなるんだよ。

日野さんと佐々木さんが派出所の周りに張り込んでいることはわかっていたが、粘っこい不安が僕の周りに蠢いているようだった。

小さな派出所にはエアコンのモーター音だけが響いている。

マイナスの気持ちに自分が囚われていくのに気づいて、頭を振ってテレビをつける。

『───動物園では赤ちゃんパンダが人気を呼んでいます。続いてのニュースは───』

午後の昼下がり、テレビからは薄めたカルピスのようなワイドショーが続く。

動物園の人気者、国民的アイドルの次回作、ヒット曲の裏側。

そんな毒にも薬にもならないニュースを聞きながら僕はぼんやりしていた。


「あの───」

ぼうっとしていた僕の耳に唐突に人の声が聞こえ、慌ててそちらに向き直る。

「道を聞きたいんですけど」

そう言いながら女性が髪をかきあげた。

「ああ、すみません。どちらへ行かれますか」

「第六中学です」

「それならですね───」

僕は卓上の住宅地図を持って松葉杖で立ち上がり、気づいた。

女性の白いワンピースが揺れている。

その顔は逆光で───

「こちら菊住」

僕はインカムから聞こえる菊住警部の声を聞き流して、無線のスイッチを押したまま女性に話しかける。

「───ここが今いるこの派出所ですね。第六中学校はこの地図のここ。出て右に進んでいただいて、二番目の交差点までまっすぐ行ってください」

地図を押さえるために無線のスイッチを離すと、インカムが小さなノイズとともに菊住警部の声をこちらへ届ける。

「今向かわせる。日野くん、佐々木さん、すぐ行って」

「了解」

僕の背中を冷たい汗が一筋伝い落ちた。

「───お巡りさん、その足どうされたんですか?」

女性はあくまでにこやかに、世間話のトーンで僕に話しかける。

「ああ、お恥ずかしい。色々あってやってしまって」

僕は全神経を集中させて、精一杯にこやかに返す。

「痛そう。すみません立ち上がらせてしまって」

「いえいえ、こちらも仕事ですから」

「───ありがとうございます。道、大丈夫そうです。それでは」

「いえいえ、お気をつけて」

僕はにこやかに敬礼しながらその顔をもう一度見ようとした。

うるさい逆光にほんの少し目を細めると、そのまなじりに涙ぼくろがあるのが見えた。

もう少し、もう少しで顔が見える。

彼女がその場から去ろうと踵を返すのと、日野さんが派出所の入り口から入ってくるのは、ほぼ同時だった。

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