第5話

ホンボシ(最有力容疑者)と断言した菊住警部は、しかしすぐ動くわけではなく未だ捜査6課のオフィスで捜査資料を見つめていた。

日野さんは船場さんとあちこちに出かけているらしく、時折、菊住警部と電話で話しているようだ。

佐々木さんと森繁さんはホワイトボードに貼られた大量のメモを何事か言いながら並べ直している。

鈴掛さんはデスクで黙々と小さな紙片に何かを書きつけているようだった。

「八百坂くん、地図のコピーまだ?」

菊住警部が大きく伸びをしながら僕に尋ねる。

「コピー機に言ってください」

僕はといえば、松葉杖の状態で外へ向かうわけもいかず、菊住警部に指示された住宅地図のコピーを続けていた。

「大体、超能力?霊能力?に詳しいメンバーばかりなんですから、霊視だとかであのゴミ収集車殺人鬼の居場所を調べるとかできないんですか」

『こら」

僕がぼやくと、菊住警部はコピー機から出てきた地図を取りながら僕の肩を軽くこづいた。

「八百坂くん、ここは法治国家だよ。令状取るためには客観的証拠が必要だし、その客観的証拠には霊視結果だとかの”万人が明確に判別できない情報”は使えない。客観的で正しく、確実な情報が必要だし、そのために”捜査”が必要なんだ。それと」

その声色にはいつになく真剣な色がこもっていて、思わず僕は菊住さんを見つめた。

「事件と犯人に”名前”をつけるな」

迫力のあるその眼光に思わず僕は息を呑んだ。

「───どうして、ですか」

菊住さんは地図を手に自席に向かってくるりと踵を返す。

「連続殺人犯も、妖怪も、幽霊も、名前をつけると”強くなる”。どれも名前がつくことで、より一層”自分の名前を世間に知らしめよう”と犯行が加速するんだ。連続殺人犯の場合マスマーダーに分類されるけど、犯行を行うことで世の中に自分の主張を知らせようとするんだよ。そしてそれは、怪異も同じ」

菊住さんは自席に置いてあった地図を丁寧にセロハンテープでつなぎ合わせる。

「言霊って聞いたことない?怪異は名前をつけられることで”その名前に相応しい存在になろうとする”。妖怪が真名を晒されて弱体化するのはその逆だね。正体がバレるとその”名前に相応しい”力に格下げされてしまう。だから私は、怪異事件に名前をつけない」

そう言いながら地図を繋ぎ合わせている菊住警部はなぜかとても冷え冷えとしているように、僕は思った。

氷のように冷たく冷静で、よく冷えた金属のような鋭利さ。

どうして菊住警部が6課の課長なのかなんとなく納得がいくような気がして、僕は手に持った住宅地図を取り落としそうになった。


「やー、もう暑いったらないよ」

日野さんの大きな声で僕はハッとした。

暑い中あちこち外を回ったのだろう。

大汗をかいている日野さんはタオルハンカチで首筋を拭っている。

船場さんもどこかで買ったらしい炭酸水を飲みながらげんなりした顔だった。

「でも菊住さんの言う通りだったよ。これ初犯じゃないね。」

日野さんは手に持ったノートとファイルを菊住警部のデスクに置く。

「血痕だけが見つかった正体不明の事件が2件、片方は犬の血だったらしいけど片方は人間の血液だった」

「じゃあ、これが3件目。しかもいきなり規模が大きくなって警察官まで殺したことになる。地理的な犯人の所在も絞れる」

菊住さんはノートとファイルを丁寧にめくって、地図に赤いサインペンで印をつけていく。

冷房の前でぐったりしていた船場さんも口を開く。

「犬はともかく、人の血は子供っぽいかも。近辺の行方不明児童の事件を1課に確認してまぁす、あと防犯カメラもぉ」

「ありがとう、防犯カメラは───映っていたらいいんだが」

菊住警部はやおら森繁さんと佐々木さんに顔を向ける。

「容疑者の個人情報につながるものはありそう?」

森繁さんはメモから一切目を離さずに答える。

「直接特定は無理そうですが、特徴的な点がいくつかあります。白いワンピースをわざわざ血に濡らしているところ。身長は防犯カメラ映像から推測すると成人女性としては比較的小柄、150センチから155センチ。髪の毛は染毛しておらず真っ黒。年代はまだわかりません」

佐々木さんがそれに言葉を続ける。

「遺留品にミニカーがあり、2回目の犯行も子供が被害者の可能性が高いとなると、恐らく狙ったのは子供の可能性が、高い、です」

「そうだね」

菊住警部はその言葉を聞いて僕を見た。

「八百坂くんはこの事件、解決したい?」

「当たり前でしょう」

唐突な質問に僕は即答した。

菊住警部の真っ黒な瞳がこちらをまっすぐ見つめている。

「君は事件の唯一の生き残りだ。犯人にとっては”やり残し”と言える。君が生きてると知れば犯人は当然、自分に繋がる証拠を見ていた君を狙ってくるだろう」

菊住警部は言葉を一旦切り、そして言った。

「君には犯人を呼ぶ囮になってもらう」

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