415話 不良と迷惑を繋ぐのは①
―――時は、さくらがこの世界へ迷い込んだ今より10年ほど過去へと遡る。即ち、竜崎達勇者一行が先代魔王を討ち戦争を終結させてから、約10年の月日が流れた頃のことである。
各国を包んでいた混乱もだいぶ落ち着きを見せ、ようやくの安寧が訪れた当時、アリシャバージルが誇る学園はとある問題を抱えていた。
とは言えども、それはどこにでもあるような小さな悩み。多感な青少年たちを預かる施設ならば必ず発生する、ある意味微笑ましい光景であった。
最もその時は、そう称する訳にもいかないのだろうが……――。
「――ベル君…! シベル君! また授業も試験もサボって! いい加減になさいな!」
ふと、学園の一角で女教師の怒声が響き渡る。彼女が睨む先にいたのは、とある獣人の男子生徒。彼は振り向きもせず、チッ…! とわざとらしい舌打ちをしてみせた。
「ま! 何という態度! 大体貴方、この間も何人に大怪我を負わせたと思ってるの!? 反省の色が見えな――……」
「ガルゥアッ!!」
「ひっ…!?」
突如響き渡った獣の咆哮に身を竦ませる女教師。彼女が恐々目を開けると、意地が悪そうにニヤニヤと笑う獣人男子生徒が。
「邪魔だ」
「きゃっ…!?」
そして口をパクパクさせている女教師を手でドンッと弾き飛ばし、何処かへ去ろうとする彼。懐から酒を取り出し傾けながら。しかしここは学園、そのまま見逃されるわけはない。
「――学園長に御許可は頂いているのですよ! 拘束を――!」
急ぎ捕縛魔術を詠唱しようとする女教師。が……。
「―――。――――。」
「えっ……!?」
それより速く詠唱を済ませたのは、獣人生徒であった。そして――。
「あばよ」
「なっ……嘘……!」
次の瞬間、獣人生徒の姿は女教師の前にはなかった。否、正しくは点となっていた。彼は足に脚力強化の魔術をかけ、高速で彼方に移動していたのだ。
慌てて後を追う女教師。しかし獣人の脚力に強化魔術を合わせた逃げ足に追いつけるわけはなく……――。
「一体どこへ……」
完全に見失ってしまった。それでもなんとか行方を探そうとする女教師であったが、そこへ偶然現れたのは――。
「どうかなされましたか、先生?」
「えっ? あっ……。い、いえ…なんでもないのですよ、マーサさん」
女教師が鉢合わせたのは、シスター服を纏った女子生徒。しかし不可思議なことに、先程獣人男子生徒へ果敢に挑んでいたはずの彼女が、その女子生徒を前にした瞬間たじろぎ、目を泳がせたではないか。
「? 先生、お悩み事がございましたら、是非私に……」
「い、いえいえいえ! 良いのよマーサさん! 気になさらないで!」
その様子を見たシスター服女子生徒はそう申し出るが、女教師は慌てふためきながら辞退を。まるで彼女を巻き込みたくない……いいや、
「そう仰らないでくださいませ! 私も『聖なる魔神』メサイア様の信徒、困っている方は放っておけませんから!」
しかし……シスター服女子生徒は
「い、いえ…本当に構いませんことよ……!」
彼女の目の眩しい力強さに押し込まれる形となる女教師。なまじ善意からの行動なのが質が悪い。強く断ることができず、どんどんと壁際へ……。
……しかし、女教師は何故そうもシスター服女子生徒の申し出を断り続けているのだろうか。獣人男子生徒が不良であり、危険だから? それともその彼を逃がしたのが汚点だからか?
いや、そうではないのだ。なにせこのシスター服女子生徒こそが、その獣人男子生徒に並ぶほどの『問題児』であって……――。
「……もしや、先生。私の実力を疑っておられるのですか?」
「――っ!? い、いえ! そうではなくて……!?」
急に声の調子が変わったシスター服女子生徒に気づき、急いで首を振り否定する女教師。しかし女子生徒の目や耳には入っていかないらしく……。
「私はメサイア様の御意思に、御言葉に、御振舞いに、全てに感銘を受け、今日まで身を捧げてきました。困っている方々を救うため、研鑽を積んでまいりました。学園へ入学いたしましたのも、新たなる地で自らの力を活かすため、更なる精進のためなのです!」
自分に言い聞かせるように、そして自分を頼ってくれない女教師を説得するように、目を燃え上がらせる彼女。女教師がしどろもどろになっているのもお構いなしに、更にぐいぐいと。
「先生も御存じでしょう? 私はこちらへ入学以降、数多くの方々に手を差し伸べ、メサイア様の御意思を広めてまいりましたことを!」
「え、えぇ…そうね……。確かにマーサさんのおかげで助かった人は沢山おりますね……。た、ただねマーサさん……それ以上に多いのが……」
「そうでございましょう! ええ! それも全てメサイア様の御言葉に従った結果ですから! やはりメサイア様は素晴らしい御方なのです!」
女教師の台詞を悪気なく遮り、満面の笑みを見せるシスター服女子生徒。そして説得の〆と言わんばかりに――。
「先生、是非ご復唱なさってください。メサイア様の有難き御言葉をしたためました『聖書』、その第239章の第22節のあの御聖言を! 私は、あの御言葉通りに先生をお手伝い――」
「え……えぇと……あの……」
突然に、そしてさも当然の如くに復唱のお願いを振られた女教師は、つい言い淀んでしまう。そもそも辞書以上に分厚いかの本を一字一句覚えている訳……――。
「――ッ!!? 先生……!?」
瞬間、女教師の耳に聞こえてきたのは、シスター服女子生徒の引きつったかのような息の音。それでハッと過ちに気づいた彼女は顔面を蒼白にしてなんとか訂正を試みようとするが……既に時遅し。
「もしや……もしや……先生……!! 先生は、聖書をお読みになられておられないのですか!!?」
「い、い、いえ……! 勿論目を通したことはありますとも……! で、ですがそう急に言われても暗記は流石にしてな……」
「な……な……なんという怠慢をっ!!! それでも学園の講師なのでしょうか!!!」
女教師の苦し紛れな弁明を叩き飛ばすかのように叫ぶ……否、
「この世に生きとし生ける人々は、メサイア様の素晴らしき御言葉の数々を余すことなく知るべきなのです! それが叶わなかったからこそ、かつての戦争は起きて……! だから私は、学園の皆様方にもメサイア様の教えをお伝えして回って……!!」
「ま、マーサさん……! 落ち着いて……! 貴女のそういうところが……!」
「先生ッ!!」
「は、はい!?」
「まさかとは思いますが……先生は、メサイア様を御信奉なされておられないのですか!?」
「い、いえいえいえいえ! あの御方には、私も常に畏敬の念を……!」
「では何故、聖書の復唱すらできないのですか!? 本当にメサイア様を御信奉さなれておられるのであれば、それぐらいのこと――!」
取り付く島もない。シスター服女子生徒に詰め寄られ、女教師はとうとう壁に背をぶつけてしまう。しかしそれでも女子生徒の剣幕は止まず……。
「こうしてはいられません! 先生、この後お時間はありますでしょうか? いいえ、お時間、頂きます!」
「ひっ……!」
「メサイア様による福音の数々、先生にもしっかり理解していただきます! 聖書の御聖言、みっちりと学んでいただきます! さあこちらへ! さあ!! さあ!!!」
有無を言わせず女教師の手を取り、説教に相応しい場へと引きずっていこうとするシスター服女子生徒。と、そこへ――。
「ここにいたのかマーサ! そろそろ次の授業が……何してるんだ?」
「あら、セン」
「セン君……!」
顔を出したのは清らかな雰囲気を纏うマーマン族の男子生徒。シスター服女子生徒とは違い学園指定の学生服を身につけているが、ロザリオを首から下げているのが窺える。彼もマーサと同じ出身なのであろう。
「こちらの先生がメサイア様を蔑ろにされたのよ!」
そんな彼にそう説明するシスター服女子生徒。女教師はひたすらに頭を振って否定をしているが、マーマン族男子生徒は万事理解したと言うようにニコリと爽やかな笑みを浮かべ……。
「でも、そろそろ次の授業だぞ? サボるなんて、メサイア様に顔向けできるのかい?」
「! そ、それは……! で、でも……くぅ……」
マーマン族男子生徒の一言に大きく揺らぐシスター服女子生徒。彼女は少しの葛藤の後、女教師の手を悔しそうに放した。
「申し訳ございません先生。私は授業に赴かなければなりません……。本来であればこの後日が暮れるまでお話を……――」
「い、良いの! えぇ、良いのよマーサさん! 私のことより授業の方が大切なのだもの! さ、ささ! 急いで教室に向かいなさいな!」
この好機にしがみつくように、必死にシスター服女子生徒の背を押す女教師。マーマン族男子生徒もそれに乗じ彼女を確保。そして女教師へ丁寧な一礼をして、その場を去って――……。
「…………はぁぁぁあぁぁぁぁあぁ………………」
誰もいなくなったその場で、深い深い息を吐きながら床へと崩れ落ちる女教師。精魂尽き果てた様子の彼女は暫くその様子であったが……。
「……戻ら……ないと……」
ふらりと立ち上がり、ぐらつきながら職員室へと帰っていった。当初の目的であった、獣人男子生徒への指導すら忘れた様子で。
――そう。これが当時の学園が抱えていた、『とある問題』。もとい、問題児。
『不良』獣人男子生徒のシベル、及び、『迷惑』シスター服女子生徒のマーサの姿なのである。
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